2019年5月27日月曜日

「意味わからん」という若者言葉が好き


耳に響きが悪い若者言葉が多いが
 
街頭で若い女性二人連れとすれ違う際、ふいに「意味わからん」という言葉が耳に飛び込んできました。

二人連れの一方が発したセリフなのですが。聴いた瞬間「この言葉きらいじゃないな」と思いました。
 
でもなぜなのでしょうか? それはズバリ耳への響きが良い言葉だからで。たったそれだけが好きな理由なのです。
 
というのも、耳にする若者言葉はゴマンとありますが、響きが良いものは決して多くはないのです
 
逆に響きの悪いものの方非常にたくさんあります。つまり若者言葉には嫌いのものは多いが好きなものは少ないのです。
 
人気お笑い芸人サンドイッチマンの常套句になっている言葉に「ちょっとなに言ってるのかわからない」というのがありますが「意味わからん」はそれを短くしただけで非常に良く似ています。
 
サンドイッチマンはお笑いコンビの中で好きなほうですが、でもこれだけが「意味わからん」が好きな理由ではありません。

好きな理由は耳ざわりが良いことと、もうひとつは次の理由からです。
 
「意味わからん」は必ずしも言葉通りの意味だけで使われているのではないと思います。
 
何かに対して単に「意味が分からない」ということを伝えるのがすべてではなく他にもいくつかの意味があるのです
 
がこの言葉を面白くしているのではないでしょうか
 
 
「意味わからん」はいろんな意味を含んでいる
 
では他にどういう意味を含んでいるのかと言えば
 
・バカなことをいうな
・何が言いたいのだ
・あんたも暇だなあ
 
などではないでしょうか
 
いずれにしても相手の言ったことに同調するのではなく、反論したいときに出る言葉に違いありません。
 
 
サンドイッチマン富澤ちょっとなに言っているのかわからない」もおもしろい
 
 
「意味分からん」が若者言葉として人気が出たのはお笑い芸人サンドイッチマンの影響が大きいのではないでしょうか
 
ボケ役富澤が発する「ちょっとなにいってるのかわからない」がボケのタイミング良く、それがとてもおもしろいのです
 
は好んでこの言葉を使っていますが、これが若者言葉「意味がわからん」によく似ています。そのことも「意味がわからん」が流行る原因のひとつかもしれません。

2019年5月24日金曜日

自分が書いた記事はネットのどこに載っているのだろうか?ライターとしていろいろな記事を書いてきたが


ウェブライターとしてこれまで書いてきた記事は文字数にして約250万文字に及びます。これは400字詰め原稿用紙に直すと6千枚以上になり、一般的な単行本だと15冊分ほどの量になります。
 
つまりを単行本15冊ぐらい書いた量に匹敵するのです。
 
でも不思議なことに書いた記事は本のように見える形では残っていません。元原稿がパソコンのファイルにあるだけです。要するに原稿がどこへ行って何に使われたかわからないのです。
 
もちろん記事はクライアントに要請されて書くものですから納入先はわかっています。わからないのは納入後で、どのように利用され、どこで使われかなのです。
 
クライアントによっては事前に利用目的や用途を知らせてくれる場合もありますが、どこに、どのような形で載るのか具体的には教えてくれません。
 
ウェブ記事として書いたものですから発表先はウェブ上であるのは間違いないのですが、膨大なウェブ記事の中のどこに埋まっているかが不明なのです。
 
 
自分が書いた記事はネットのどこに載っているのか
 
インターネットには膨大な数の記事が載っています。一言で膨大といってもどれくらい膨大なのかわからないと思いますが、次に上げることを知れば量を測るのに少し近づくことできるかもしれません。
 
インターネットには誰でも知っているウィキペディアという有名なサイトがあります。インターネットの百科事典とも言われる便利なサイトです。
 
ここで言いたいのは、それについての説明はなくその量です。つまりインターネットに載っているウィキペディアの記事量です。いったいウィキペディアの記事の数はどれぐらいあるのでしょうか。
 
ウィキペディアが世界中の人が理解できるように言語別に載っていますがもっとも多いのが英語で、その項目数は500万件以上におよびます。では日本語はどうかといえば英語の5分の1にあたる100万件強です。
 
100万件と一口で言ってもその量がつかみきれないのではないでしょうか。たとえば日本の有名な百科事典に平凡社の世界大百科事典があります。全35巻にも及ぶ日本最大の百科事典です。でもこれでも総項目数約9万、索引項目数約49万でしかなく、ウィキペディアの項目数の半分にも及ばないのです。
 
話が少しそれてしまいましたが、要するにウィキペディアの記事の量だけ見ても日本最大の百科事典の項目数の倍にあたる100万以上の項目があるというインターネットの記事の膨大さを言いたいのです。しかもそれは日々増え続けているのです。
 
その膨大な量を前にすれば私の書いた単行本15冊分程度の記事の量など物の数ではないのです。まさに砂漠の中に落とした100円玉のようなもので、探すの困難なのです。
 
自分の記事がネットのどこにあるかを探す方法はある
 
インターネットの記事の中なら自分が書いた記事を探すのはきわめて困難なこと、と上で書きました。確かにその通りで、たとえて言えば砂漠の中に落とした100円玉を探すような困難さがあります。
 
こう聞けばまるで不可能なこと、のようにも聞こえますが、それは探し方を知らない人が言うことで、探すために効果的な方法を知っていればそうともいえないのです。いったいそれはどんな方法なのでしょうか。
 
google検索で記事の掲載先を知ることは可能か?
 
ネットには誰もが知っている便利な検索機能というものがあります。これを利用すれば何事であれわから ないことは瞬時に解決できます。ではこの検索機能を使って自分の書いた記事を探し出すことはできるでしょうか。
 
つまりわからないことを調べるのと同様に、でもどのようになればいいのでしょうか。
 
考えられる方法は、わからないことを調べるのと同様にキーワードを検索窓に書き込むのです。何をキーワードにするかといえば、とりあえず記事のタイトルにしてみましょう。
 
つまり、たとえば記事のタイトルが「有給休暇をスマートにとる方法」だとすると、それをそのまま検索窓の入れるのです。
 
結果はどうでしょう。検索結果が表示され、ヒット数は37万件以上ありますが、どこにも入力したキーワードに関するものは表示されません。有給休暇のとり方に関する検索がが多すぎるのが原因にであるに違いありません。
 
これれでわかるようにこの方法で自分が書いた記事に到達するのは無理がありそうです。なぜなら少ない文字数での検索では、ネットの膨大な数の情報に邪魔され(埋もれ)て、探す相手までたどり着くことができないからです。
 
探すには、もっと多くの文字数による情報が必要なのです。では次はどのような方法をとったらいいのでしょうか。
 
 
コピペチェックツールはこんなことにも役立つ
 
ライターや編集者をはじめ出版物やウェブサイトに関わる人なら誰でも知っているコピペチェックツールというものがあります。文字通りコピペをチェックするためのツールで、記事の盗用や二重投稿を見破るために使われるものです。
 

1年前にDeNA問題というネット上を大きく騒がせた問題がありましたが、これはDeNAが運営するネットサイトの大掛かりな記事が暴露された事件です。
 
こうした記事の盗用を見破るのがコピペチェックツールなのです。これを利用すれば該当する記事が、すでにネット上に存在する記事の盗用(コピペ)であるかどうかががわかるのです。
 
コピペチェックツールも検索窓に文字を入れて調べます。でもgoogle検索のように少ない文字数(32文字まで)でなく、一度に数千文字が検索できるのです。
 
検索する文字数がおおけらば当然ひっと数は多くなります。その結果自分の書いた記事に到達する確立がうんと増えるのです。
 
 
タイトルや見出しだけでは無理だが本文だと
 
google検索では記事タイトルという短い文章での検索であったため、自分の書いた記事にヒットすることはありませんでした。要はもう少し多い文字の検索でなければ
だめなのです。
 
そのために今度はコピペチェックツールを使っての検索となったのです。本来は記事の盗用(コピペ)の有無を調べるツールが、自分の書いた記事探しに利用することができるのです。
 
この場合はタイトルも含んで記事前文を検索窓に入れるのです。そうしてチェックボタンをおすと、同一内容の記事タイトルや内容が出てくるのです。
 
私はこの方法を使って、これまでに20件以上の自分が書いた記事が掲載されているサイトを見つけ出しました。

2019年5月19日日曜日

エッセイストと名乗る書き手が増えているが

 
文芸作品を書いてそれを本に載せる人は作家とか小説家、あるいは詩人などとか呼ばれることが普通ですが
 
この他で最近よく目にするようになったのがエッセイストというカタカナ名です。
 
何故かこの名前が以前に比べてとても増えているような気がします。これは何故なのでしょうか。
 
そもそもエッセイストとはどのような書き手のことをいうのでしょうか。ネットの辞典では次のように説明されています。
 
・・・・・・・・・・・・・
 
エッセイストとは
エッセイスト(随筆家)は、筆者が体験したことや得た知識をもとに、想いや考えを文章にした(エッセイ)を書く人のことをいいます。エッセイは、文学の中では「散文」の手法にあたり、形式にとらわれず、読みやすく理解しやすい普通の文章で書かれているのが特徴です。
 
・・・・・・・・・・・・・
 
 
エッセイストは原稿料を多くは稼げない
 
上の説明でもわかるようにエッセイストは主に随筆(エッセイ)を書く人のことを言いいます。
 
物を書くという点では小説家などを同じですが、随筆は一般的に小説のように長くはなく、文字数が少ないいわゆる小文と呼ばれる短い文章でまとめられます。
 
具体的な量でいえば、だいたい400字詰め原稿用紙3枚から8枚程度で、文字数にして1200~2500文字が主流で小説やノンフィクションなどの作品と比べて極端に文字数が少ないのです。
 
作品の文字数が少ないということは、それによって得られる報酬も少ないということになります。なぜなら物を書く人の報酬は書いた文字数に対して支払われるからです。
 
 
物書きは書いた作品の原稿料が収入になるが
 
いうまでもありませんが、物を書くことが職業の人は書いた作品の原稿料が報酬になります。
 
原稿料はふつう作品を書いた原稿用紙の枚数(量)によって算出されます。つまり原稿用紙(400字詰め)1枚いくらというかたちで計算されます。
 
では1枚の相場がどれくらいか、というと、これはもう千差万別で、作品の種類、作家の知名度(力量)、発行予定数、など様々な要件によって大きく異なってきます。
 
でもこういってしまうと、まるで雲をつかむようで具体的な金額がわかりせんので、ここでは大体の目安を書いておくことにします。


 

作家の原稿料は原稿用紙1枚2,000~10,000円程度

 
職業作家が書いた最近の原稿料はおよそ1枚2,000円~10,000円程度です。金額の幅がかなりあるようですが、これは作家のレベルに差があることの証明です。
 
つまり作家には人気があり作品がよく売れる作家と逆に人気が乏しくそれほど売れない作家がいますが、いうまでもなく売れる作家ほど原稿料が高いのです。
 
 
エッセイストの報酬だけでは生計が成り立たない?
 
上では作家の原稿料について書きましたが、問題になるのは随筆を書くエッセイストの収入です。何故問題になるかといえば、随筆(エッセイ)は小文が多く執筆量が少ないからです。
 
要するに小説のように原稿用紙何百枚というようなまとまった量の作品ではないのです。
 
前項で作家の収入は執筆した原稿用紙の枚数で算出される、と上で書きましたが、仮にエッセイストが原稿用紙5(2000字)の作品を書いたとします。
 
この作品が 13000円とすると、この作品で得る報酬は15000円ということになります。
 
もちろん月単位で見れば、作品数は数点の複数になるかもしれませんがたとえ5点としても5倍の75千円にしかなりません。
 
こうした作品が新聞や雑誌などに発表されたものだとして名前はある程度売れたとしても、はたしてこれだけの報酬で生計を立てるための収入として十分といえるでしょうか。
 
誰が考えても無理なことは明らかです。ということはエッセイストは随筆を書くこと意外に、他に仕事を持っているのに違いありません。
 
 
エッセイストと名乗るのはライターとして箔をつけるため
 
エッセイを書くだけでは生計が成り立たないというのに、あえてエッセイストと名乗るのには何か訳があるのでしょうか。
 
ずばり、それは箔をつけるためです。
 
エッセイストだけで生計が成り立たないとすれば、他の仕事と兼業を図らなければなりません。その他の仕事のためにエッセイストの名前を利用するのです。
 
新聞や雑誌などに作品を発表すれば書き手としての名前が売れます。それによって他の媒体から注う文が期待できるからです。
 
今は紙媒体だけでなネットのウェブサイトでも書き手は広く求められています。いわゆるウェブライターとかコンテンツライターなどと呼ばれる書き手が多く求められているのです。
 
名前の売れたエッセイストになれば、そうしたところから引き合いがかかることを期待するのです。

2019年5月15日水曜日

この絵画がすごい!

 
 
        刑務所の中庭(ゴッホ作)
 
 
文芸春秋6月号の巻頭グラビアを見ていると突然この変わった絵が出てきました。
 
いかがですか、見た瞬間何かぐっと身に迫ってくるものを感じませんか?いったい何が迫ってくるのでしょうか。
 
これは多くの囚人たち歩いている絵です。でも歩いているのは外ではなく刑務所の中に設けられた運動をするための場所です。
 
監獄にある屋内の狭い場所をグルグル回っているだけなのです。囚人たちは窮屈でたまらないのをがまんして黙々と歩いているのです。

そうなのです。そうした囚人たちが感じているどうしようもないような閉塞感がこの絵にいっぱい立ち込めているのです。

それがエネルギーになって見る人に鬼気迫るような迫力を感じさせるのではないでしょうか。
  

 
解説はこんなことを伝えている
 
ここはロンドンでもっとも古く、また最も悪名高き、ニューゲート監獄(取り壊されて今はない)。
 
設備も衛生環境も囚人の待遇も劣悪の極みというだけでなく、死刑囚の数が多い上に入獄から死刑執行までの期間が極端に短くて恐れられたのだーーーーーーーーーーー。
 
 
これはとうてい想像だけで描ける情景ではない。じつはこれは模写なのである。
 
実際に監獄を案内してもらい、拷問器具や死刑室を見て陰惨な雰囲気を味わい、薄暗い中庭で整列して歩き続ける囚人らの姿を観察しスケッチしたのだ。
 
(出典・文芸春秋20196月号)
 
 

2019年5月11日土曜日

動物園の入園料・その安さに心がなごむ

 
コスパ最高!いまどきこんなに財布に優しい行楽地があったのか
 
ゴールデンウィーク10連休の真っ只中のある日、子供連れの人々で賑わうお城の敷地内にある動物園の前を通りました。
 
何気なく入場門あたりに目をやると、入り口近くにある入場料を示す看板が目に入りましたが、そこに書かれているのはびっくりするような安さです。
 
なんと大人200円、子供30円とあるではないですか。もう一度あらたあらためて見てみましたが間違いなくそう書いてあります。
 
これだと例えば家族5(大人2人、子ども3人)でも500円以内ですむことになります。

これに驚かないはずがありません。まさにアンビリーバブル!ではないですか。
 
入場料がこれほど安いからといって決して内容が伴わないところではありません。ライオンやゾウ、それにキリンなどもいる立派な動物園です。
 
それだけではありません。広い園内には遊園地も併設されており、無料で利用できる様々な遊具や乗り物があるのです。
 
これだといろんな動物を見て、遊具や乗り物で楽しく遊んで家族が一日楽しくすごせます。
 
それで500円ですむのですから、これぞコスパ最高!ではありまんか。 

 

同じ行楽地でも入園料はさまざま
 
 
 

同じ動物園や遊園地でも値段は様々で、例えばこの町にある動物が放し飼いされているサファリパークというところの入場料は一人数千円しますから、この動物園にくらべてなんと10倍近いの高さです。
 
そこだけではありません。有名なテーマパークのデズニーランドやユニバーサルスタディオだとこれ以上です。
 
年に一度しかないゴールデンウィークともなると、たとえ値段が高くても訪れる家族連れは少なくないはずです。
 
人それぞれレジャーの過ごし方は異なりますが、行き先の選択によっては出費金額に大きな差があることは覚えておくべきではないでしょうか。
 
出費金額の多寡で楽しさが決まるわけではないのですから。
 
 
 
ゴールデンウィーク、小学生はこんな作文を書いた
 
もし小学生の子どもが学校でゴールデンウィークを題材に作文を書くと、こんな内容になるかもしれません。
 
 
小学生の作文例2題
 
(その1)
ゴールデンウィークに家族4人で大阪のユニバーサルスタディオへ行ってきました。楽しかったのですが遠いので電車の時間が長く少し疲れました。帰った後でお母さんが「お金をたくさん使ったので、これから節約しなきゃ」としぶい顔で言っていました。
 
 
(その2)
ゴールデンウィークに家族全員5名で市内の動物園に行きました。家からわずか30分ぐらいで着いたので遊ぶ時間が多くとれ、得したような気がしました。家に帰ってからお母さんが「入場料が安かったので助かった」とうれしそうに言っていました。

2019年5月7日火曜日

日本をこれ以上劣化させないために


令和に入ってやるべきことは、まず日本の現状認識から
 
3月22日のこのブログに
 
日本がどんどん劣化していく
という記事を掲載しました。
 
この記事はこのところどんどん劣化を続け、国際関係での立場を弱くしたり、競争力を失って様々な分野で遅れを取っている平成時代の日本の一面を書いたものです。
 

平成は日本という国が大きく減速した時代ということができます。こんな時代のことを、一部では「20世紀以降で最悪の時代」とまで言い切る人もいます。 

その平成もいつの間にか終わり、気がつけば新しい令和の時代は始まりました。何事も新しいものには期待が集まりますが、人々が新時代令和に期待するのはいったい何でしょうか。 

人それぞれいろいろあるでしょうが、なんといってももっとも期待が寄せられているのは平成の時代に失ったものを取り戻すことではないでしょうか。 

平成の時代に失ったもの、それが何かといえば、なんといってももっとも大きなものは先進国から引きずり落とされたと思えるほどの様々な分野での国際競争力の低下です。

 
令和に入ってわたしたち日本人が最初にやるべきことは現状認識
 
平成時代に日本が失ってしまったもの、その第一に挙げられるのが国際競争力の低下です。新時代令和に入った今、なんとしてもこれを取り戻さなければなりません。
 
そのために必要なのは現状を見つめ直して現在の日本の状況を正確に知ることです。
 
どのように見つめなおすかというと、例えば日本の企業の国際競争力は今どの位置にあるのか、ライバル国(例えば中国や韓国)と比べて実際の順位はどうなのか?などについて知るのです。
 
ではそれについてのデータの一例を具体的に上げてみましょう。 
 
 
日本企業の国際競争力の現状 
 
 世界大企業ランキング

 
上の表は最近の国際競争力をあらわすものとしてよく取り上げられる図表です。
 
これを見てもわかるように日本を代表する企業であるトヨタは国際的に見れば世界第  35位でしかありません。
 
しかも驚くべきは、その順位は中国や韓国のトップ企業よりはるか低い位置にあるのです。
 
要するにトヨタは平成の時代にライバル国の企業に抜かれた大きく差をつけられてしまったのです。
 
この現状はまことに憂いべきであり、いま日本のメディアでも大きく取り上げられています。
 
その代表的なものとして、最近ネットの有力メディアであるZUUオンラインが取り上げた特集記事をご紹介します。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
★ ZUUオンライン特集記事 2019430

 
 平成に劣化した日本企業の国際競争力は復活するのか 
 
「日本が生産性、国際競争力を回復するためには」

 

いよいよ令和時代が始まる。歴史的に見ると、戦前の日本の産業界は、弱肉強食、大きな貧富の格差、活発なM&A、直接金融主体、柔軟な労働システムなど、米国に近い資本主義モデルであった。しかし、戦後、これらが大きく変化し、良くも悪くも現在の日本的経営が定着した。そこで、歴史的な視点から、日本の産業界を振り返り、新時代の日本の経営の在り方を検討する。
日本では、明治時代以降、本格的な近代化が始まった。明治時代前半は日本が富国強兵に乗り出し、近代的な産業が勃興した時代であった。その後、明治時代後半と大正時代は、三菱、三井、住友などの財閥が拡大を続け、戦前の昭和は産業全体が軍国主義に巻き込まれる時代であった。戦後の昭和は復興と高度成長があり、最後はバブルを迎えた。
一方で、平成の日本経済はバブル崩壊で始まり、長期低迷の時代でもあった。特に、日本企業の国際競争力低下が顕著であった。平成12(2000)年末には世界の時価総額ランキング15位のトヨタ自動車を筆頭に6社が100位以内にランクインした。しかし、先月末で世界ランキング100位以内に入っているのはトヨタ自動車(42位)とソフトバンクグループ(91位)のみである。利益の規模も、米国や中国企業と比較すると著しく小さい。
(画像=出所:ブルームバーグ)
日本企業低迷の原因の多くは、経済や社会に深く根付いている日本的経営に起因すると考えられる(もちろん、他の要因も数多く存在する)。今でも、多くの日本企業は年功序列や終身雇用制を採用する。若者がいくら優秀でも年配者よりも給料が高くなることがないといった非合理なシステムでは、グローバル時代に通用するのは難しい。
昭和の高度成長時代に、日本的経営が大きな役割を果たしたことは事実である。しかし、日露戦争で効果を発揮した大艦巨砲主義が、約40年後の太平洋戦争で通用しなくなったように、時代が変われば、経営方針も変化させなければ生きていけない。
日本的経営の代表的な要素は、年功序列、終身雇用制、系列・下請、メインバンク、株式持ち合い、企業別労働組合などである。これらの背景に、中央集権体制、官僚支配(統制)、行政指導、産業政策、天下りなどが加わることによって、広義の日本的経営がつくられた。
終身雇用制は、労働の流動性を低下させ、結果として、衰退産業から成長産業への人材の移動を遅らせる。系列・下請、メインバンク、政策保有株式(株式持ち合い)などは、閉鎖的な企業取引につながりやすく、ビジネスモデルの転換を遅らせる要因となる。天下りや行政指導、官僚支配は、自由な市場競争を妨げ、官業が民業を圧迫することがある。
 

 

令和時代に変化する日本的経営

日本的経営の特徴は「安定的、長期的、協調的」であるが、同時に、「閉鎖的、競争抑制的、同質的」という要素を持つ。こうした体質が変わらない限り、今後も、日本から世界的なベンチャー企業が生まれるとは考えにくい。よって、日本的経営を改革することが、日本企業復活の第一歩であろう。
平成時代は日本的経営の負の側面が表面化し、日本企業の国際競争力は大きく低下した。それでは、昭和の戦時中に生まれ、戦後、日本に根付いた日本的経営は変わらないのであろうか。徐々にではあるが、変化の兆しが見え始めている。
第一に、日本企業のグローバル化である。日本企業は大型の外国企業を買収することによって、急速にグローバル化しつつある。代表例は、ソフトバンクグループ、ソニー、武田薬品、三菱UFJフィナンシャル・グループ、JT(日本たばこ産業)などがある。多くのグローバル企業では、外国人が全体の従業員数の過半を占める。
第二に、日本の少子高齢化と労働力不足である。これまでは定年は60歳であった。しかし、人生100年時代には、定年は65歳に延長されつつあり、さらには70歳以上に延長する企業もある。人口減少と外国人労働者増は、必然的に終身雇用制や年功序列を変えることになろう。
第三に、金融システムの変化である。日銀による低金利政策は長期化している。さらに、フィンテック時代の到来で、銀行経営はたいへん厳しい状況になる。したがって、メインバンク制は消えつつある。外国人の株式保有構成比上昇と株式の持ち合い減少により、企業のガバナンスも変わらざるを得ない。
 
出典・ZUUオンライン2019430