同じ100才でも日本と米国では大きな違いが
つい数年前に1万人をオーバーしたばかりの100歳の人たちが、その後数が急激に増えて、2015年には、実に6万人にも達したそうです。
この調子だと10万人を超えるのもそれほど先のことではないでしょう。
月刊誌「文芸春秋」はこうした現状をとらえて、2016年6月号で「100歳特集」を組み、100歳にちなんだいろいろな話題を集めた特集記事を載せています。
それらの記事タイトルは
・百寿を達成する12の条件
・ルポ長寿県と短命県は何が違うのか
・百四歳の母を介護して(櫻井よしこ)
・百四歳の母を介護して(櫻井よしこ)
などのように、どちらかと言うと100歳を応援するような内容です。
でも、100歳の人たちが増えることは「喜ばしいこと」だけなのでしょうか。
もちろん身内に100歳以上の人が出れば、喜ぶ肉親は少なくないかもしれません。
とは言え、それは健康な状態でこの年齢を迎えた場合に限られるのではないでしょうか。
そうでなく長患いの病気のまま、寝たきりの状態の人が100歳を迎えたといっても、はたして家族は喜ぶでしょうか。
長年の介護に疲れ果てているかもしれない家族や周りの人たちは、そうした100歳を複雑な心境で迎えているに違いありません。
100歳の問題を語るには、日本だけでなく広く世界に目を向ける必要があります。
なぜなら同じ100歳といっても、国によって事情が大きく異なるからです。
例えば米国には日本の倍以上の100歳に達する人たちがいますが事情は日本とは全く異なります。
日本が健康な人が2割程度で後の8割は寝たきりであるのに対して、米国の100歳はほとんどの人が健康で、寝たきりは皆無に等しいのです。
これはなんという違いでしょう。
日本が6万人のうち健康な人は1万人強でしかないのに、米国では、この倍の100歳の人のほとんどが健康な状態なのです。
これなら、本人はもちろん、周りの人も100歳を迎えたことを心から祝福できるのではないでしょうか。
一方、日本の100歳は6万人のうち80%が寝たきりか、それに近い病人なのです。
同じ100歳でも、日本と米国ではこれだけの違いがあるのはいったいなぜなのでしょうか?
大いに考えさせられる問題ではありませんか。