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1960 進次と和子の青春グラフィティ
『1960 進次と和子の青春グラフィティ』はこんなお話
1960年の正月三日、四国の実家から大阪の下宿へ戻る途中の英語専門学校生・山中進次(21)は、混雑する列車内で服飾専門学校生の針谷和子(19)と偶然出会う。
進次は一目惚れした和子と少しでも長く過ごしたい一心で、本来の目的地ではない神戸の三宮駅で下車した。
深夜の街で二人はラーメン屋に入り、専門学校生同士として急速に意気投合する。
その後、霧の立ち込める神戸港のベンチで初めてのキスを交わした。
進次は「朝まで一緒に過ごしてほしいが、変なことは絶対にしない」と約束し、古びたホテルへ和子を誘う。
内心では微かな期待を抱いていた和子だったが、進次は約束を頑なに守り、和子に手を出すことなく紳士的に添い寝をして朝を迎えた。
下宿へ戻った和子は、隣室の友人・紀子に進次との顛末をウキウキしながら語る。
和子は純粋に進次へ惹かれており、実はそれ以上の進展も期待していたため、彼の理性を嬉しく思う反面、女としての魅力不足を少し不安に思ったりもしていた。
その週末、二人は梅田で二度目のデートを果たす。
進次は予算と相談しながらこぎれいな居酒屋へ和子を連れていき、和子は初めての居酒屋や「ポパイ」という料理、お酒を心から楽しんだ。
しかし、店を出た直後に和子が悪酔いして激しい吐き気に襲われてしまう。進次は動転しながらも和子を介抱し、彼女の暮らす高級住宅街・芦屋の下宿まで送り届けた。
コタツの中で抱き合い、再び激しいキスを交わしたものの、進次は和子の体調を気遣ってこの夜も理性を保ち、何もせずに眠りについた。
翌朝、和子が健気に作ってくれた朝食をごちそうになり、進次はバラ色の幸福感に包まれながら帰路についた。
その後、進次の金欠や和子がインフルエンザで寝込んだことが重なり、二人の会えない日々が二週間ほど続く。
お互いに一日千秋の思いで待ち焦がれ、一月の最終土曜日に三度目のデートを迎えた。アルバイトの給料日後で懐に余裕のある進次は、和子を喜ばせようと梅田の高層ビル23階にあるラウンジへと連れていく。
二人はきらめく大都会の夜景を眺め、ムーディなピアノ演奏に耳を傾けながら、贅沢な地中海料理とビールを堪能した。
最高潮に高まったロマンチックなムードのまま、二人は手を繋いで扇町公園近くのラブホテルへと向かう。
これまでのデートで進次の優しさと男らしさを確信していた和子は、身を委ねるようにしてついていった。
部屋に入るや否や、進次はこれまでの我慢を爆発させるように和子を激しく抱きしめ、今夜を待ち侘びていた和子もまたその情熱を受け入れる。
二人は朝が訪れるまで、時間を忘れて何度も互いの体を貪り合い、ついに心も体も結ばれるのだった。
1
その冬の正月三日、終着駅の大阪まで帰るはずだったのに、どうした訳か進次は神戸の三宮で降りていた。
すでに午前0時を過ぎているというのに、降車ホームは帰省から帰る人々であふれており、出口へ向かう通路も押しあいへしあいで随分ゆっくりとしか進まないせいか、右手に二つ、左手に一つの荷物の重みが次第にずしっと肩にかかってきた。
「重たいでしょう、私ひとつ持ちましょうか」
かたわらを小さな手提げカバン一つ持って歩く女が恐縮そうに言った。
「いいですよこれくらい、これでもぼく男ですから」
力にはからっきし自信がないはずなのに、進次は見栄を張ってそう応えた。
その女とはほんの三十分ほど前に知り合ったばかりであった。
座席がなく、出口に近い通路に立っていた進次のすぐ横に、その女も窓の方を見ながら立っていた。
三つぐらい年下だろうか、いや二つかな、ときおり横目で観察して、そんなふうに考えながら、進次はしきりに話しかけるタイミングを計っていた。
確か姫路を過ぎた頃であったろうか、列車がガタッと左右に大きく揺れて、進次と女の身体が窓の方に大きく傾いて、お互いが体勢を整えたすぐ後で、弾みでなのか目と目が合った。
「よく揺れますね、この列車」
女がまた窓の方へ向き直ったとき、その横顔を遠慮がちに眺めながら進次がはにかみ口調で言った。
「えっ、ええそうですね」
不意に声をかけられたせいか、女は少し戸惑いを見せながら、チラッと進次の方を振り向いて答えた。
さっき思ったとおり、やはりこの人ぼくより二〜三歳年下に違いない。口紅はうっすらと塗ってはいるが、それ以外は化粧をしている様子もない。ほっぺたがつやつやと光っており、まるで少女のように染まっているではないか。
それに、さっき返事をしたときも、このぼく以上にはにかんでいて、まるで純情そのものだった。
ひょっとしてこの人はまだボーイフレンドがいないのかもしれない。
進次はそんなふうに考えて、少し期待を膨らませながら次のセリフを考えていた。
真冬とはいえ、通路の隅々までぎっしりと乗客の詰まった車内は人いきれとスティームの暖房とでむせ返っていて、両側の窓は真っ白に分厚くくもっており、その上に通過する街の灯がぼおーと鈍く映っていた。
「あのー、どちらまでいらっしゃるのですか?」
車内アナウンスが、「次の停車駅は明石です」と伝えた後、進次が二度目の口を開いた。
さっきから女の行き先を考えていて、神戸だろうか、それとも大阪だろうか?
いずれにしてももっと会話を進めないと、この先の進展はないだろうし、ましてや次の明石などで降りられたのでは一巻の終わりではないか。そう思って少し焦って聞いたのであった。
「三宮なんです。芦屋まで帰るんですけど、これあそこで止まらないでしょう。私鉄ももうないし、三宮からタクシーで帰ります」
さっきほどのためらいは見せなかったものの、女はまだ幾分か恥じらいを含ませながら、今度は進次の目を見て答えた。
再び問いかけに応じてくれたことに気をよくした進次であったが、三宮で降りると聞いて、焦る気持ちに拍車がかかった。
どうしよう、三宮だとあと十五分ぐらいしかない。もうすこし話して、せめて名前と電話番号だけでも聞いておこうか。
でも教えてくれなかったらどうしよう。これまた一巻の終わりではないか。
できることなら今夜中にもっと話し合って一気に仲良くなりたい。
この人だって、さっきの応え方からして、けっしてぼくのことを嫌がっているようでもない。
いやそれどころか、恥じらいながら答えた様子からして、むしろ好感を抱いてくれたのではないだろうか。そう思って、今度は意を決して切り出した。
「へえー、三宮なんですか。それじゃあ同じですねえ。ぼくもそこで降りるんです。いや、下宿は大阪なんですけど、今夜は灘の姉の家へ寄る予定なんです」
灘に姉がいるのは事実だった。でも小さな子どもが二人いて、もうとっくに寝てしまっているのは知っていて、今夜寄るつもりなど毛頭なかったのだが。
進次は女にそう告げて、とりあえずほっとした。少なくともあと十五分ポッキリでこの女と別れることだけは避けられたのだと。
進次の降りる駅が三宮だと聞いて、女は「えっ、そうなんですか」と短く応えただけだったが、表情にはそれまで見せなかった明るい笑みを浮かべていた。
つづく
次回は7月23日(木)