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結局その店には三時間ぐらい居ただろうか。進次がチューハイのおかわりを三回して、和子も同じ物を二杯飲んで、彼女が頼んでいたポパイなる料理を二人前注文し、二人ともすっかり赤い顔になり、こうこれで充分というほど出来上がってきた。
時計を見るとまだ八時半で、明日のことを考えてもまだ余裕はあった。
「ねえねえ進次さん。今度また来て、あのポパイっていうのを注文しようよ。美味しかったわ、あれ」 外へ出るなり和子が言った。
彼女の言うとおりポパイという料理はうまかったのだ。木枠の付いた鉄板のお皿の上にベーコンを下に敷き、その上がホウレンソウ、そして一番上に半熟の目玉焼きを乗せており、あれだと栄養も満点で、まさにポパイそのものだ。
「うんしよう。また近いうちに」 二人はまた手を繋いできた道を戻っていった。
通りの入口近くにあった洒落た感じの喫茶店で残りの時間を過ごせばいいと進次は歩きながら考えていた。
あと五〜六歩歩けばその喫茶店だという地点まで来たところで、和子が不意に立ち止まった。
「ごめんなさい。なんだかわたし少し気分が悪いみたい」
居酒屋を出るときはすっかり赤く染まっていた和子の顔が、僅かの間に赤みはすっかり消えて、むしろ白っぽく見えるほどに変わっていた。
―悪酔いしたんだ彼女― 顔色を見るなり進次は思った。
すぐ目の先にあの喫茶店があって、入って座らせることはできたのだが、彼女の吐き気のことが気になったので、すぐにはそうしなかった。
「悪酔いしたんだよ。飲んだ後で急に動いたから。吐き気がするんだろう? それじゃトイレに行かなくちゃ。地下に行こう。そしたらすぐトイレがあるから」
前方二十メートルくらいのところにある地下街の入口を指差しながら、進次はそう言って和子の腕を深く抱えた。肩先にふわっとした乳房の感触が伝わってきたが、それを楽しんでいるときではなかった。
苦しさで身体の力が抜けるのか、進次の腕に次第に和子の体重がかかってきて、地下への階段に差し掛かるときは、もう身体全体を抱えるような状態であった。さいわい地下街へ入るとすぐトイレはみつかった。
「ぼくここで待ってるから」
前まで来て、少し気がかりだったが、そう言って腕を離した。
その後、降りてきた階段の手前まで戻って、そこで待つことにした。
和子はなかなか出てこなかった。 ―和子さん、きっと苦しいんだ。とても―
進次としても悪酔いの苦しさは何度も経験していてよく分かっていた。ひどい時には、トイレに入ったまま便座にへたり込んで一時間以上立ち上がれないこともあった。そんなことがあった後は、二度とお酒なんか飲みたくない、と思ったものだが。
三十分近くも待っていただろうか。ハンカチで口を押さえながら、少し足をふらつかせながら、やっと和子が出てきた。顔色はさっきより白みを増していて、いかにも苦しそうな表情だった。
「送るよぼく。芦屋まで」和子のフラフラする足どりと、白みを増した苦しそうな表情を見て進次はとっさにそう言った。
いや言ったというより、気がついたら言っていたというか、自然に口に出たというほうが適切かもしれない。
「ありがとう。でも大丈夫だわ。休みながら帰りますから。ごめんね進次さん。せっかくの日だったのに」
和子は苦しさも相まってか、泣き声にも似た細い声で言った。
「そんなこといいよ。ぼくだって何度も経験あるんだから。送るよ。送っていくよ絶対に」
今度はきっぱりそう言うと、進次はまた和子の腕を取ってゆっくり歩き始めた。
この先ずっと地下街を進めば、確か阪急電車の改札口へ通じるエスカレーターがあるはずで、それだと階段を上がらずにすむ。そう思ってずっと地下道沿いに進むことにした。
和子は時々苦しそうな息をつきながら、何も言わず進次に腕を預け、うつむきかげんに歩いていた。
普段より倍ぐらい時間がかかって、やっと駅のホームまでやってきて、少し休んでから電車に乗ったほうが良いと思い、進次は和子を促して近くのベンチに腰掛けた。
「芦屋川まで何分ぐらい?」
「急行だと二十分ぐらいかしら」
「二十分か。電車は揺れるし、また吐き気が戻ってくるかもしれないから、ここでもう一度トイレに行ってきたら?」
「もう大丈夫みたい。さっき思いっきり吐いたし、でももったいなかったわ。せっかくおいしかったポパイだったのに」
和子はジョークともつかないそんなことを言って、弱った表情の中に微かな笑顔を見せていた。
そんな和子を見て進次も少し安心して「今度あそこへ行ったら、あれ二人前ずつ注文しようよ」と、答え返しながら人差し指でそっと和子の額を押した。
つづく
次回10月1日(木)