2026年8月6日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(4)

 

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         4                                                                   進次が女にそう聞いている最中に後ろ向きに立ってラーメンの支度をしていた主人が不意に振り向いてジロリとこちに視線を向けたので、別に悪いことを話しているわけでもないのに、それからは声のトーンを少し落として話したりした。

 「学生といってもデザインの専門学校です。服飾関係の」 女はなぜだか少し恐縮したような声で答えた。

 「へえー、デザインの学校。じゃあぼくと同じじゃないですか。電車の中で言ったでしょう。今は英語の専門学校へ行ってるって、ジャンルは違うけど二人とも専門学校の学生で。

それに歳は二つ違いでちょうどいいし。ねえ、ぼくたちはなんとなく合いそうですね。そう思いませんか」 

進次は女の目を見ながら精一杯の笑顔を作ってそう言い、相手の反応を待った。


女が笑顔を浮かべて何か答えようとしたとき、「はいお待たせ、味噌とワカメ」主人が両手に持った二つのどんぶりをカウンターの上に置いた。

そのせいで、女は笑顔の次のセリフを飲み込んでしまったようだが、表情からして決して悪いものではなかっただろうと進次は確信していた。 例えばそのセリフは 「そうかもしれないわ」とか「だといいのですけで」というふうなものであったと。


 けっきょく二人はその店に四十分ぐらいも長居した。その間、誰一人として客は入ってこず、主人は退屈そうに何度もアクビを繰り返していた。

 ラーメンを食べ終わって、オレンジジューズを注文して、専門学校の学生同士ということが分かってか、二人は急速に意気投合していき、電車で出会ってからその店に入るまでに比べると、数倍も多くの会話を交わしていた。


 時計が二時十五分を指したとき、主人が外へ出て暖簾を下ろし始めた。それを見て二人はやっと立ち上がった。

「わたしも払います」という女を制して、進次の方が千四百円払って二人は店を出た。


外は前より一層人影がまばらになっており、少し風が出てきたようだったが、今しがたの温かいラーメンのおかげで寒さは微塵も感じず、頬に当たる風がむしろ心地よいくらいであった。


 「ねえ、温まったことだし、ちょっと港のほうへ行ってみませんか」

 次第に人影のなくなる街の様子からして、この先いくら探しても開いている喫茶店などないだろうと、その代りになるものとして、ふいに頭に浮かんできたことを、とっさに女に伝えたのだった。

 「歩いてですか?」 ラーメン屋へ入る前より、うんとハッキリした口調で女が聞いた。

 「はい。いやタクシーで」

ほんとうは三十分ぐらいかけて徒歩で行き、その間に女の手でも握って歩きたかったのだが、聞かれてとっさにそう返事してしまった。

 「ラーメンのおかげでもう寒くなくなったことだし、行ってみましょう」

 女は今度は躊躇することなく答え、話は案外すんなりと決まった。


 来た道を戻って交差点を曲がって港のほうへ通じる大通りへ出て、それほど多くない車の流れに向かって進次は手を上げた。ものの一分と立たないうちに中型のタクシーが二人の前にピタリと止まった。

「すいません港まで」 「港?港って神戸港のこと?」運転手が少し怪訝そうな声で聞いた。

「ええ、海だったらどこでもいいのですけど、とりあえず神戸港へお願いしなす」

進次は頭にチラッと須磨辺りの海岸を思い浮かべながら、そんあふうに運転手に告げた。

「この時間に神戸港にねえ」運転手はさも物好きな連中か、とでも言いたげに、少し皮肉を込めた返事をした後、おもむろに車をスタートさせた。

 車は信号にも引っかからずにスイスイと夜の街を走っていき、五分もたたず港に着いた。

 

  早くその運転手と別れたいと思っていたせいか、降りるとき、進次は値段も聞きもせず「これでお釣はいいですから」と、千円札を渡したが、ちょっともったいない気もして頭の中では、さっきのラーメン屋と併せてこれで二千四百円の出費だと、きっちり足し算をしていた。


 降りた場所から少し歩いて、二人は人っ子一人いない暗い港に立った。

 さすがに先ほどまでいた街中に比べると頬に当たる風は幾分冷たかったが寒いと言うほどのものでもなかった。

 前方の岸壁にフェリーだろうか二隻の船が暗い海をバックにぼおーっと霞んで見えていた。

「わー、なんだか霧が出てきたみたいだ」

「本当だわ。あの船かすんで見えるし、温かいですもの。でも冬の霧って珍しいわ」

女は感慨を込めるように言った。

 「暖かい冬の夜の人気のない港。霧に霞んだフェリー、何かロマンチックですねえ」

 本当は霧に霞んだフェリーの後に「そして暗い港に佇む、あなたとぼくの二人」と入れたかったのだが、それではあまりにもキザ過ぎると、進次はかろうじてそれだけ言った。

 その言葉に女は振り向いたが、今度は何も言わなかった。


 「あそこにベンチがある。行って座りましょうか」斜め前方のその位置を指しながら、進次は思い切って女の手を取った。

女は一瞬その手を内側のほうへ少し引いたが、すぐまたもとの位置に戻して、今度はそっと進次の手の平にふれてきた。


つづく

次回 8月13日(木)


2026年8月2日日曜日

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2026年7月30日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(3)

 

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                                      3

 二人はそれからすぐ横手にあったコインロッカーに荷物を入れ、まだ幾分のよそよそしい雰囲気を漂わせながら夜の三宮の街へと出て行った。

 外へ出るとすぐ正面にタクシー乗場があって、その前の長蛇の列を尻目に、二人は左手に広がる繁華街へと向かっていった。


 「よかったですね、あの列に並ばずに。五〜六十メートルはありましたよ。あれだとたとえ中ほどでも三~四十分はかかるだろうし、ぼくなんかとても耐えられそうもありませんよ」 歩きながら女のほうへ少し間隔を詰めてから進次が言った。

 「ほんとうに凄いわ。タクシー待ちのあんな長い行列見たのは始めてだわ」

 「ぼくもですよ。でももう二~三時間もすれば空きますよ。今度行ったらすぐ乗れたりして」

そう言った後で、もう二~三時間もすれば、というセリフに対して女がどう反応するかが気になった。

別に意識してわざと言ったわけではなかったが、駅構内で誘ったとき、女は「もう遅いですし、少しだけなら」と応えたはずで、それだとこの二~三時間というのにも当然なんらかの拒否反応を示すはずだと思えたからだ。


 でも進次のそうした思惑をよそに、女はそのことに何の警戒心も見せることなく、「だといいのですけど」と答えただけだった。

歩きながら進次に胸は次第に高鳴ってきた。

 それはこうした場合、たいていの男が思い描く「あわよくば」とでもいう微かな期待感からに違いなかった。


 駅前の横断歩道を渡り、正面の私鉄の駅の玄関前を右へ曲がると前方に繁華街が広がっている。進次は以前何度か足を運んでいて、この辺りが終電の発った後でもかなりの賑わいを見せるのをよく知っていた。

特に金曜と土曜の夜ともなると終夜営業の店も珍しくなく、行く場所に事欠くことはないと思っていた。しかし土曜とは言え、まだ正月三日のこの夜の様子は普段とはすっかり違っていて、人の数もネオンサインの輝きも普段と比べうんとまがらで、およそ大都会の夜の盛り場という趣はなかった。


 「人少ないですねえ、まだ開いている喫茶店あるかしら」

 以前は入ったことのある駅寄りの二軒の店が立て続けに閉まっており、三軒目を探して歩いているとき、女が少し不安そうな声で言った。

そう言われるまでもなく、進次にしても最初の二軒の店の閉店は大きな誤算で、この先開いている店があるという確証など少しもなく、女以上に不安な気持ちを募らせていた。


こんな様子だと女が今にも「わたしやっぱ帰ります」とでも言い出しかねないと思ったからだ。

 「ねえ、ラーメン食べませんか? 少し寒くなってきたようだし、あったまりますよ」

 前方十メートルくらい先にかろうじて明かりがついているラーメン屋の看板をふと目にした進次が不意に女に言った。

一月にしては随分暖かい夜であったが、電車のスチームに長い間暖められた身体も先ほどから夜風に当たって少しずつ冷えてきていて、女も寒がっているのではないかと思い、とっさに思いついて出た言葉であった。

 

「ラーメンですか。ああ、あそこのお店ね。そうねえ暖かそうだし行きましょうか。喫茶店も見つからないようだし」

女が応じてくれてホッとしたが、進次としては静かなムード音楽でも聴きながら、ゆっくりと語り合いたいのがいちばんの望みであった。でもあてもなく喫茶店を探して歩くより、この際どこでもいいからひとまず腰を落ち着けて、時間を稼げばいいではないか、その後のことはラーメンでも食べながら考えればいいのだから、というふうに思ったのだ


その店の前まで来て、湯気で少し曇ったガラス戸を開け、「どうぞ」と女を先に入らせた。カウンターだけの住人ぐらいしか入れない小さな店であったが、客は1人もなく、五十がらみの店主と思しき男の人が隅の方で所在なさげにテレビを観ていた。 


 「はいいらっしゃい、何にしましょう?」 二人が腰を下ろすや否や、男の人は立ち上がり壁のメニューに手を掲げながら、せっかちに注文を聞いた

 醤油に味噌、それにワカメとキムチ。四品しかないメニューのうち、進次は味噌ラーメン女はワカメラーメンを注文した。

 頼んだ品が出てくるまでのしばしの間、何から話そうかと考えていた進次だが、まだ女の名前を聞いていないことに改めて気がついた。

 「電車の中でも言いましたね、ぼくの名前は、でももう一度言います。山中進次、二十一歳です」

「ゴメンナサイ。わたし言うのを忘れてて、中谷和子、十九歳です」

 「ふーん、やっぱり十九ですか。多分それくらいだと電車の中でも思っていたんです。それで今は学生ですか?」


つづく

次回 8月6日(木)


2026年7月29日水曜日

今月読んだ本2冊のご紹介

 

男のリズム」池波正太郎 角川書店



エッセイとしては珍しく、記録調(日記風)で書かれている。したがって読んでいて、これまで読んできたこの著者のエッセイ集(10冊程度)のような楽しさ、面白さは感じないが、内容には味があり印象に残ることが多々記されている。

小学校を卒業して上の学校には進まず、早くして社会に出たこの作者にとって、世の中がすべて学びの対象になったことがよく書かれており、中でも十代半ばから頻繁に映画館に通い、その頃上映された映画を見漁ったことで、脚本書きに目覚めたことがよく理解できる。

また同じ頃ロシアの文豪、ドストエフスキーやトルストイの難解な作品も読み下しているところはさすがである。こうした文学の経験を積んで読売新聞主催の脚本コンテストに応募して佳作になったのをきっかけに脚本家の道を目指したのが、作家池波正太郎の原点なのだ。


(内容説明)

東京の下町に生まれ育ち、仕事に旅に、衣食に遊びに、生きてゆくことの喜びを求めてやまぬ池波正太郎の名エッセイ。友人、知人、思い出の人々、生起するさまざまな出来事を温かく、生き生きと描いて興趣つきない滋味たっぷりの一冊!人は変わり、世は移るとも、これだけは絶対に変わらぬ男の生き方を綴った必読の十二章。

(目 次)

劇場

食べる
着る
散歩
映画
最後の目標
26年前のノート
家族
私の一日

著者等紹介

池波正太郎[イケナミショウタロウ]
1923年東京浅草生まれ。下谷西町小学校卒業後、株式仲買店に勤め、海軍入隊。戦後、都職員から長谷川伸門下生となり新国劇の脚本と小説を発表。60年「錯乱」で直木賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の三シリーズで時代小説の第一人者となる。吉川英治文学賞受賞。90年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋ウェブ



「愛と忘却の日々」 燃え殻 新潮社




先月読んだ「夢に迷ってタクシー呼んだ」と「これはいつかのあなたと私」に続いて3冊目である。

なにかクセなったようにこの著者の作品を読み続けているが、正直言っていまだにこの作家のことをよく理解できていない。

前にも書いたが、読み始めたきっかけは「ベストエッセイ2024」で紹介された「おっぱい足りてる?」を好印象を持ったからだ。でもあの作品の印象が強烈だっただけに、その後読んだエッセイ集の作品は、2〜3点を除いて、いずれをとってもそれほどすぐれた作品は見当たらない。それどころか、この作家の先行き不安を感じる点が多いのだ。その多くは次の点についてである。


今売れている人気作家だが、今後長続きできる力量はあるのかは、はなはだ疑問である。

こう感じるのはエッセイのテーマに日常で身辺に起った細かいこと(例えば行った店(飲食店)で働く人たちこと、そこで会った人(客)たちの、どうでもいいような細々したことなど、他の作家なら無視するような微細なことまでネタとして取り上げているからだ。

こうした様子から、テーマ探しに相当苦労していることがよくわかるのだ。

にもかかわらず、人気をいいことに安請け合いで次々と仕事を引き受けており、そのため絶えず〆切に苦しめられている。

この作家はいま「編集者におだてられたり、責められたりしながら、無理やりに作品を書かされているのではないか」ということを痛いほど感じる。

この調子では疲弊するのがはやく、人気作家として長続きすることは無理なのではないだろうか。



というふうに思うのだが、もし方向性が間違っているとすれば、新人としての自分の力量を顧みず、安請け合いでひたすら仕事量を増やし続けていることに問題があることが明らかだ。



出版社内容情報

「ロマンチックなことが少なすぎるんだよ」 中毒者、ますます増殖中。六本木の路上で「おっぱい、足りてる?」とキャッチに声をかけられ、「足りてないけど、余裕がないんです」とテンパっていた夜。小学生の頃、ひどいイジメに遭い、「死にたい」と母に泣きつき、包丁を畳みに突き刺して言われたひと言。「ベスト・エッセイ」(日本文藝家協会編)選出作を収録、読者渇望の大人気エッセイ集。

内容説明

「ベスト・エッセイ2024(日本文藝家協会編纂)」収録。週刊新潮、大人気エッセイ集。

目次

余裕がないのだ。夢中なのだ。
頑なに働かない友人
結局、彼女は畳に告白した
「おっぱい、足りてる?」
いやらしくて美しい瞬間
「ラムちゃん、ひと筋でいく」
渋谷路上飲み狂騒曲
「寝るときは、これじゃないと」
「無駄太郎」の時代は終った
「おい、まだ帰らないのか?」
「ああ、帰りたい」
「ねー、もう寝た?」
特殊な経験をしているわたし
「エッチ妄想の交換日記をしませんか?」
相談相手は主にジョン
増し増しな人
「お客さま、ピットイ~ン!!」
「お客さん、TBSの『ラヴィット!』に出てますよね?」
「俺のファンはどう思うかな?」
はにかみながら「ほら、盗聴器!」〔ほか〕

著者等紹介

燃え殻[モエガラ]
1973年生まれ。2017年『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetflixで映画化(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋ウェブ