2026年3月29日日曜日

この本はユニークだ! ・ 女流作家11人によ大胆不敵な酒談義・再掲載シリーズ No.22

 初出:2014年2月15日土曜日   更新;2026年3月29日


書評「泥酔懺悔」・三浦しをん、室井滋,、角田光代、他8名著 筑摩書房酒や酒場がテーマになったエッセイは数知れないほどあります。

例えば私がこれまで読んでおもしろかったものは、もうかなり前にTBSブリタニカから出版された「酒と酒場のベストエッセイ」や日本の名随筆シリーズ(作品社)第11巻の「酒」などではないでしょうか。

でもこれらのエッセイを書いているのは圧倒的に男性が多く、女性によるものは、ほんのチラホラ程度でした。

ところが今回ご紹介する本はなんと著者11人が全員女性ではありませんか。

もっともあえて全員女性にしたのが、この本の狙いなのでしょうが、

それにしても酒のことを男性抜きで女性だけに語らせるとは、ユニークで大胆な企画ではありませんか。

いま夜の巷では女子会なるものが大変幅を利かせてきています。

居酒屋の看板などを見ても、個室女子会歓迎などというものもめずらしくありません。

でもこうした女子会全盛も元を正せば、その源流にはこの本に登場する酒豪の女性作家などにあるのではないでしょうか。

この本に登場する11人の作家は全員が酒豪というのではなく、中には数人の下戸の人も混じっています。

そうした人は下戸ゆえの酒の席での失敗談などを書いています。

とは言え11人の中には男顔負けの酒豪も何人か混じっています。特に三浦しをん、室井滋あたりは、根っからの酒好きと言ってもいいほどで、坂の席での武勇伝は数知れずというほどなのです。

しかも驚くべきことには、彼女らの多くが、幾度も記憶が飛ぶほど酔っぱらっていることです。

その結果、ぶっ倒れて救急車で運ばれたり、気がついたら知らない男の部屋で寝ていたり、幾度となくバックをなくしたり、と言うほどの豪傑ぶりなのです。

繰り返しますが、いま真っ盛りと言う女子会も、元を正せば案外こうした女流作家たちの酒との関わり方に、その源流があるのではないのでしょうか。

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”お酒のせいなんです” 女性作家のエッセイ1


1連作。

もくじ

・無理  (朝倉かすみ)

・下戸の悩み  (中島たい子)

・初めての飲み会  (瀧波ユカリ)

・だめなことは、悪いことではない  (平松

洋子)

・ザル女という噂  (室井滋)

・酒瓶にも警告ラベルを!?  (中野翠)

・名女優(西加奈子)

・ひとりでお酒を飲む理由  (山崎ナオコー

ラ)

・下戸一族VS飲酒派  (三浦しをん)

・白に白に白  (大道珠貴)

・損だけど  (角田光代)

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書名 泥酔懺悔

出版社 筑摩書房

価格  1500円



2026年3月27日金曜日

「知れば知るほど知らないことが増える」とは、どういう意味なのか



本を読めば知識を得て知らないことが減るはずなのに、逆に増えてくるのはなぜ


「知れば知るほど知らないことが増える」といま読んでいる「ビルゲイツ自伝」に出てきた言葉ですが、この意味は解っている気がしますが、もう一つはっきりしないところもあります。


でもこの言葉を実感することはあります。それは私自身普段からたゆまず読書を続けていますが、それが進めば進むほど「知らなかったり、解らないことなどが増えてくる」と思うからです。


これについて「なぜだろう」と自問することがよくあるのです。




AIはこう言っている


「知れば知るほど知らないことが増える」とは、ある分野について学べば学ぶほど、その奥深さや自分の未熟さを痛感するという、知識の性質を表した言葉です。 

この現象は主に以下の3つの側面から語られます。


1. 「知識の境界線」の拡大

知識を「円」に例えると分かりやすくなります。

  • 自分の知っていることが増える(円が大きくなる)と、その円の外側にある「知らない世界」との接点(境界線)も長くなります。

  • 結果として、新たに「これは何だろう?」「これも知らない」と気づく事柄が、以前よりも増えていくことになります。 

2. 「無知の知」の自覚

古代ギリシャの哲学者ソクラテスが提唱した「無知の知」という考え方に通じます。 

チアキャリア

何も知らない段階では、自分が何を知らないのかさえ分かっていません。

  • 学び始めることで初めて、自分が「何を知らないのか」を正しく認識できるようになり、謙虚な姿勢が生まれます。 

3. アインシュタインなどの名言

アルベルト・アインシュタインの言葉としてもしばしば引用されます。

「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。」 

雲雀丘学園中学校・高等学校

このように、知らないことが増えるのは知識が停滞しているからではなく、むしろ理解が進み、より高い視点に立った証拠であると前向きに捉えられます。 


「知れば知るほど知らないことが増える」とは、ある分野について深く学んで知識が増えるほど、それに関連する未知の領域や自分の無知な部分がより明確に見えてくるという現象を指します。 

これは単なる個人の感覚ではなく、古くから哲学や科学の世界で語られてきた真理の一つです。


1. 「知の円」の比喩

よく使われるのが、自分の知識を「円」に例える説明です。

  • 円の内側:自分が知っていること

  • 円の境界線:自分が「知らない」と認識していること(未知との接点)

知識が増えて円が大きくなると、それに比例して外側の未知の世界と接する「境界線(知らないこと)」も長く、広くなっていくという理屈です。


2. 歴史的な名言・概念

この考え方は、多くの偉人や理論にも通じています。 

  • ソクラテスの「無知の知」:自分が何も知らないということを自覚することが、真の知恵への第一歩であるという哲学

  • アインシュタインの名言:「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる」という言葉が有名です

  • ダニング=クルーガー効果:能力の低い人ほど自分を過大評価し、逆に熟練した人ほど自分の足りない部分を正確に把握し、自信を控えめにするという心理現象 

3. この言葉が持つポジティブな意味

一見すると「学んでもきりがない」とネガティブに聞こえるかもしれませんが、実際には成長の証として捉えられます。

  • 視野の拡大:以前は見えていなかった「奥深さ」や「複雑さ」が見えるようになった証拠です。

  • 謙虚さと探究心:自分の無知を自覚することで、さらに深く学びたいという意欲や、他者への謙虚さが生まれます。

専門家が「自分はまだまだです」と言うのは、謙遜だけでなく、広大な未知の領域が彼らにははっきりと見えているからだと言えます。




2026年3月26日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈5〉下津さんの失敗・ナイトボーイの愉楽②(9)

   

                 

                  adobe stock           

            

     9

 〈浜田君元気かい。約一ヶ月ぶりにまたやって来たけど、今度はテレビの仕事でね、前のように長くはなくて二日だけの滞在なんだ。


この前は君を招待して僕の芝居見に来てもらったけど、どうだった? 客は圧倒的に中年以上の人が多かったようだけど、若い人だって案外いいと思ってくれたと思うんだけど。


あの後なんだかんだで君とゆっくり会って話すことができなかったのだけど、どうだろう、二日後の木曜日、ぼく午後二時まで体が空いているんだけど、君が朝仕事を終えてから少しつき合ってもらえないだろうか。君にも学校があるようだから是非ともとは言わないけれど、できたら会ってゆっくり話したいな。


今日はもう遅いし返事は無理だろうから、できたら明朝にでもぼくの部屋に電話してください。十時まではホテルにいます。じゃあそのときに。   二宮竜一郎〉


 あさっての木曜か。二宮さんゆっくり話したいと書いているし、学校へ行く前の二~三十分ではすみそうにないな。どうしよう、午前中のレッスン休もうか。それともその日はぜんぶ。


いやだめだ。先月から章子さんの休日に合わせてのデートのために二日も休んでしまったのだし、二宮さん学校が終わる三時頃にしてくれたらよかったのになあ。


でもそんなことも言えないか。彼にはこれまで何度もごちそうになっているし、おまけにこの前はコマ劇場に招待してもらって、そのおかげで僕はあの憧れの章子さんをなんとか掌中におさめることができたんだ。


もしあの切符がなかったら僕と彼女の仲もこれほど進展してはいなかっただろう。


いや、それどころかいまだに彼女を遠くから眺めていて、一人で心ときめかしているだけかもしれない。やはり二宮さんには会わなければならない。たとえ学校を休むことになっても。 


道夫はそう結論を出すと、便箋を封筒に戻して無造作に内ポケットに押し込み、その後ソファーの背に大きく身をのけぞらした。

 

 薄暗く深閑として広いロビーにフロント係がたたく計算機の音だけがカタカタと鳴り響いていた。



 翌朝八時、終業直後に二宮に電話して「明日九時にホテル隣のビル地下の喫茶店でお待ちします」と伝えた後、冷夏で例年ほどではないが真夏の太陽がギラギラする街へと出ていった。


ホテルからすぐ近くの交差点を右に折れ、大江橋をわたるとき、川下からポンポン汽船が波を切って勢いよく上ってきた。


 船か、いいなああれも。そうだ、今度章子さんと船に乗ってみようか。どこがいいだろ? 大阪港か、いやだめだ。ヘドロのつまった大阪港じゃ、ちょっとムードに欠ける。神戸はどうか、そうだ神戸がいい。港街神戸。やはりそちらの方がロマンチックだ。


 道夫はそんなことを考えて、数分前に電話した二宮とのことはすっかり忘れ、頭に浮かぶのは章子との次のデートのことばかりで、橋の欄干に両手をかけると、その船が河上に向かって次第に小さくなっていくのを名残惜しそうにポカンと眺めていた。


 次の日の朝、約束どおり二宮と会い、結局昼過ぎまで話していた。


 三時間あまりの長い会話の中で、二宮のプライベートな部分についていろいろなことを知った。


それまでははっきり知らなかった五十一歳という年齢。奥さんが三年前に病気で亡くなり、子どもはなく、今は一人身であるということ。


五十を越したばかりで、まだそんな歳でもないのに、なぜか女性にはそれほど興味が湧かないといったこと。(それを言ったあとで二宮はなにか意味ありげな表情で道夫を見ていた)


 東京の麻布に住んでいて、マンションには歳とったお手伝いさんを雇っていて、身のまわりの世話をしてもらっていること。老後はどこか外国へでも行って、一人で暮らしたいと思っていること。


 自分の息子ぐらいの年齢でしかない道夫を前にして、二宮はそんなことをとつとつとしゃべっていた。


一時近くになって、道夫が「じゃあ僕午後から学校へ行きますので」と、席を立とうとすると、二宮がずいぶん名残惜しそうな表情で言った。


 「この次に来たときは夜会おうよ。どこか和食のおいしいところで食事して、その後静かなクラブへでも行って一緒に飲もうよ。どうだい?」 


二宮のその申出に対して道夫は「え、ええ」と返事はしたものの、さっき彼が、女性にはあまり興味がないと言ったときの何か意味ありげな表情と、ふとそのとき思い出した、三日前の、フロント係の上村さんが言った


「君童顔でかわいい顔をしているから、以外と中年男性のこのみのタイプかもしれないな」というセリフが頭の中で重なり合い、 ひょっとして二宮さん、あちらの方の趣味があるのではないだろうか?と、道夫の脳裏をあらぬ想像が駆けめぐっていた。


でもそれは顔には出さず、この前の芝居のお礼とともに、きっちりと挨拶して一時少し前に彼と別れた。


 ビルの地下から階段を駆け上がって通りへ出て、時計を見て午後のレッスンまであと七分か、と小さく呟きながら英語学校がある桜橋に向かって大股で歩いていった。


つづく


次回 4月2日(木)