2026年8月27日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(7)

             

                     adobe stock                

                                           

                  7                                                                             

 時計が三時を回っても少しも眠たくはならなかった。電車でも立ちっぱなしだったし、降りてからもあちこち歩いて、相当疲れていても不思議でないのに、まだ目は冴え渡っていて、まるで睡気は訪れてこなかった。

多分女も同じような状態らしく、ビールのせいもあってか、目の色にしても次第に輝きを増してきてさえいるようだった。


 とは言え、三時は三時、明日のことを考えれば少しは休まなければならない。お互いに学校はまだ休みだが、進次には夜十時からの夜勤の仕事があった。


 「ビールも飲んだし、少し休みましょうか。ぼくはちょっと風呂に入ってからこのソファで寝ます。あなたはあちらの布団でどうぞ」

来る前に下着のことを心配していたし、多分女は風呂へ入らないだろうと思い、そのことについては何も尋ねなかった。


 「お布団はいいです。わたしもここへ寝ますから」

 「そう、じゃあそうしますか。むこうから毛布でも持ってくればいいんだし」

 進次は女に布団が敷いている部屋へ行けと、しつこくはすすめなかった。そうすると何か下心があるのでは、と思われるのが嫌だったからだ。


 「じゃあ僕、風呂に入ってきます。どうぞ先に休んでください。でも明るくなったら起こしてくださいよ、ぼく朝がとても弱いもんで」


 カラスの行水もいいとこで、五分もたたず風呂場を出てきて、備え付けの浴衣を着てソファのところへ戻ってきた。

たかが五分ぐらいで寝てしまうはずはなく、多分まだ起きているだろうと思っていたのだが、女は薄手の掛け布団を肩からすっぽり被り、ソファの背によく向きになって目を閉じていた。


 「もう寝たの?」そう声をかけようとした進次だが、その言葉は発することなく飲み込んだ。もう寝たの、もないもんだ。三時を過ぎて、あと二~三時間もすると朝ではないか。


 「なにもしないから」と言った進次のことを信じていたからなのか、無邪気な顔をして寝込んで居る女の姿を目の当たりにして、それまで微かに抱いていた、あわよくばなんとかしたい、というような下心は、不思議とすっかり消えていて、さあ自分も早く寝ようとばかり、奥の部屋から布団を引っ張ってきて、ソファごとすっぽり被せて、それから一分もたたないうちにスヤスヤと心地良さそうな寝息をたてていた。



 和子は次の週の月曜の朝、珍しく九時過ぎまで寝坊した。

 昨日の日曜日、十一時ごろ阪急電車の車中で進次と別れて、昼前に芦屋川の下宿に帰ってきて、田舎の家から持ってきたカキ餅と干し柿を下宿のおばさんと近所に住む友達二人に届けに行き、帰ってから部屋の掃除をして、たまった洗濯をすますと、もう五時近くになっていた。もっとも友達のアパートで二時間近くおしゃべりして過ごしたのだが。


 一昨夜のホテルでは、三〜四時間眠っただろうか。それくらいの睡眠だと、普段なら身体が重いはずなのに、不思議と身体も心も軽かった。

いや、軽いと言うより、嬉しくてウキウキと心が弾んでいるような心地良さを感じていた。

何か明るい未来がパッと開けたような気がして、まわりの物がすべてバラ色に見えるような、すこぶる晴れ晴れした気分であった。


 ―わたしにもやっとボーイフレンドができたのだわ。進次さんというあの二十一歳の素敵な人。

あの人、ホテルなんかにわたしを連れて行ったけど、行く前の約束どおり、嫌なことなど何もしなかった。港のベンチで「一緒にどこかへ泊ってくれ」と言われたときは本当に迷ったけど、でも付いて行ってよかったのだわ。


あの時もしわたしが断って帰っていたら次に会う約束などできたかしら? 彼は気分を害して、「また会おう」なんて言わなかったにちがいないわ。

勇気を出してついて行ったからこそ、私のことを好ましく思ってくれたんだわ。嫌なことなど何もなかったし、今度の土曜にまた会う約束ができたし、やっぱりあれでよかったのだわ。


これでやっと寂しい生活ともお別れだわ。だって欲しくて仕方のなかッたボーイフレンドがついにできたのだもの― 


 できることならこの喜びを誰かに伝えたいものだと、和子が鼻歌まじりでベランダの洗濯物を取り込んでいるときドアがノックされ、まだ返事も返さないうちに「ただいま」と元気な声をあげながら、隣部屋に住む紀子が入ってきた。


コースは違ったが彼女も和子と同じ専門学校の生徒で、鳥取の大山近くの実家に帰省していて、いま戻ってきたところであった。


 「和ちゃん、いつ帰ってきたん、きのう?今日?」 

少し開いたガラス戸から、ベランダに顔だけ出して紀子が尋ねた。 


「きのうよ、いや違うわ。今日のお昼ごろよ」

本当は昨日の土曜日の深夜に帰っているはずであったので、つい昨日と言いそうになったのだが、その瞬間昨夜のホテルが思い出され、つい正直に今日の昼頃と言ってしまっていた。

 別段昨夜だろうが今日の昼頃であろうが、どちらでもよかったのだが。


 「何よそれ?昨日と言いかけて今日っていうの」
「う、うん。本当は昨日帰るつもりだったんだけど、家を出そびれて、つい今日になってしまったもんだからそれで、でも紀ちゃんこそ三日ほどで帰ってくると言ってたじゃない。三〇日に帰ったんだから、ええっと、今日で六日目か。どう、楽しかった?」 


「まあね。友達にたくさん会ったけど、もう女ばっかり、和ちゃんこそどうだったのよ。

中学の同窓会で初恋の人に会えたらいいなって言ってたけど、会ったの?」

「残念、ハズレでした。来てなかったわ。でもね」


 和子はそう言うと紀子を見ながら満面に笑みをたたえた。


 「でもねって何よ?、それに急にニヤニヤしたりして、何か良いことあったの?」

 紀子は和子の顔を覗き込むようにして尋ねた。 

 「あったあった。あったのよ。その良いことが」


つづく

次回 9月3日(木)


2026年8月26日水曜日

〈この本〉タイトル見ただけで読みたくなりませんか


書評 「推し」という病   加山竜司 文春新書


この本の表紙のタイトルを見ただけで「読んでみたい」と思う人は多いのではないでしょうか。

誰かが言った「本はタイトルで売る」というフレーズをあらためて思いださせる1冊でもあります

今の世の中、老いも若きも「誰か(人)や何か(ゲームキャラクターなど)を推したい」という願望に取りつかれた人たちがなんと多いことでしょうか。

まさにクレイジーそのもので、これはもう病と呼ぶしかありません。


つい最近もありました。「親を殺して得たお金のうち1千万円を推しに投げ銭した」という恐ろしいニュースが。

また東京新宿ではホストクラブで大金を入れ上げた女性が相手のホストを殺すという凄惨な事件も起きています。

こうした事件を背景に、いま「推し」は、この本のテーマが示すように「病」として捉えられるようになってきたのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


出版社内容情報

なぜ彼らは苦しくても「推し」続けるのか
AKB、ホスト、VTuber、アニメキャラ、ゲーム、地下アイドル、AV女優、ビジュアル系バンド…

当事者への取材を重ねた「推し活」の現在地

「推し」という言葉は、「好きなものを応援する」ポジティブな言葉として使われることが多い。
だが、アニメグッズを購入したり、アイドルのコンサートに参加したりすることだけでなく、たとえば地下アイドルライブでのチェキの大量購入、ホストクラブやメンズ・コンセプトカフェでの過激な売り掛けなどを表す際にもこの言葉は使われている。
少なくとも、言葉のうえでは、学生のささやかな「推し」と、身を滅ぼすほどの出費をともなう「推し」は地続きだ。

「高田馬場ライバー刺殺事件」をはじめ、「推し」を端緒とした刑事事件も発生している。その精神性の根が同じであるならば、私たちは「推し」とは何かを慎重に見極める必要がある。
実際に「推し」によって人生を大きく変える選択をした人々の言葉に耳を傾けることで、「推し」の何が人々を病的なまでにエスカレートさせていくのかを探る。

【目次】
第一章
 「結婚するなら、もちろんアイドル」
“「推し」のためにマンションを売った”トップオタ

第二章
「ホストはコスパがいい“推し活”」
“ホス狂い”風俗嬢のコスト意識

第三章
「二次元は“恋愛対象”になるか」
アニメ、VTuber、2.5次元、声優…オタクたち「推し活」

第四章
「結婚できなかったのはアノ子のせいじゃない」
女性アイドルを14年間推し続ける中年女性の憂鬱

第五章
「AV女優に求める純潔」
秩序を守るAV女優アイドル・トップオタの女子校教師

第六章
「“運営”は搾取をしているのか」
元ジャニーズJr. 地下アイドル運営の見果てぬ夢

第七章
「推しがいないこの世界に、生きる意味はない」
「推し」の後追いで「自殺未遂」した納棺師

第八章
「オタクとアイドルは運命を捻じ曲げて共に生きる」
オタクでアイドルだった彼女は、今日もSNSで未練を語る

内容説明

「推し」という言葉は、「好きなものを応援する」ポジティブな言葉として使われることが多い。だが、アニメグッズを購入したり、アイドルのコンサートに参加したりすることだけでなく、たとえば地下アイドルライブでのチェキの大量購入、ホストクラブやメンズ・コンセプトカフェでの過激な売り掛けなどを表す際にもこの言葉は使われている。少なくとも、言葉のうえでは、学生のささやかな「推し」と、身を滅ぼすほどの出費をともなう「推し」は地続きだ。「高田馬場ライバー刺殺事件」をはじめ、「推し」を端緒とした刑事事件も発生している。その精神性の根が同じであるならば、私たちは「推し」とは何かを慎重に見極める必要がある。実際に「推し」によって人生を大きく変える選択をした人々の言葉に耳を傾けることで、「推し」の何が人々を病的なまでにエスカレートさせていくのかを探る。


著者等紹介

加山竜司[カヤマリュウジ]
漫画ジャーナリスト、ライター、編集者。1976年静岡県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、2005年にフリーランスに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋ウェブ


2026年8月21日金曜日

週刊誌 最近の値段ご存知ですか?

 

週刊文春 今の値段600円 !



一昔前の3倍近くに


久しぶりに週刊誌(週刊文春)を購入して、まず認識を新たにしたのは数年前に比べて格段に値段が上がっていることです。


最近の物価高に合わせてのことでしょうが、今回の週刊文春の価格は600円ですから一昔前の値段2百円前後に比べると3倍もアップしているのです。


いま」600円で何が買えるかといえば、コンビニの安い弁当やオニギリ2〜3個、大衆食堂の麺類、JR電車10駅ぐらいまでの乗車キップ、というところではないでしょうか。


したがって大した買い物代や乗車賃になるわけではありませんが、週刊誌はめったにしか買うことがないモノであるため、すごく高く感じるのです。


以前はJR電車の折り返し便に乗ると、網棚には読み捨ての週刊誌がたくさん残されていたものです。しかし今ではそれは無くなりました。


それでも探せば1冊は見つかるのでは、と車両を変えて探してみても全くありません。まさに皆無状態なのです。


人々が週刊誌を読まなくなったからでしょうか。いや、それ以前に、値段が高くて買わなくなったのです。


2〜3百円ならまだしも、600円は僅か三~四十分(平均乗車時間)ぐらいの読み物代としてコスパが合わないと考えてのことでしょう。




週刊文春の価格推移

「週刊文春」の紙版の定価は、近年、紙や印刷コストの高騰などを背景に引き上げられており、2023年頃の約430円〜450円前後から、2026年現在は通常号で600円(税込)へと値上がりしています。合併号や特別定価増大号では価格が異なる場合があります。 google


2026年8月20日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(6)

  

                     adobe stock

6

 「本当に何もしない? それだったら泊ってもいいわ」 女はまた微かに身体を震わせながら細い声で言った。

進次は飛び上がりたいほどの嬉しさをかろうじて抑えながら、女の手をとってゆっくりベンチを立った。港に背を向けて、また大通りのほうへ戻っていき、路地を渡る度に左右をキョロキョロ見渡した。


どこかにホテルか旅館のネオンサインがあるはずだった。大通りまで三本あった路地のうち、一本目と二本目は暗いばかりで、それらしきものは一つも見つからず、三本目まで来て、やっと左手五十メートルくらい先にオレンジ色のネオンサインが見えた。目を凝らしてよく見ると、「ホテル しのだ別館」と書いてあった。


 「あそこにしましょうか。他にはないみたいだし」 女は進次の手を握り締めたまま、不安そうな面持ちで黙ってついてきた。


 ホテルといってもそこは旅館風の建物で、近代的と言うにはほど遠く、かなり古びた建物で、戸を引くとガラガラという音がした。

帳場には初老の男の人が座っており、二人が入っていくと「いらっしゃい」とも言わず、ジロッと視線だけを向けたきた。


 「あのうすいません。僕たち兄妹でして、明日の朝の高松行きのフェリーに乗るんですが、それまで休ませたいただきたいんですけど」

歳の若さを警戒されて断られるのを恐れ、進次はそんなデタラメを言ってピョコンと頭を下げた。

 「二人部屋だと和室しかありませんよ。それでよかったら八千円」

先ほどの鋭い視線とは裏腹に、男の人はすでに警戒心を解いたのか、そうあっさり返事した。 

「八千円か、ちょっと痛いな」 

進次がそう思ったのは確かだったが、でもそれは表情には出さず、「はい、それでけっこうです」と即座に勢いよく応えていた。


 鍵を受け取ると、はやる気持ちを抑え、二〜三歩後をついてくる女を時々振り返りながら、少しきしむ階段を上り、二階へと向かって行った。


 目的の二〇二号室は右手突き当りの一つ手前にあった。鍵穴にキーを入れるとき、手が震えていたのか、うまくかみ合わず、すぐにはドアを開けることができなかった。

 女はドアの二~三歩手前のところで、下を向いて立ち止まっていた。

「入りましょう、さあ」進次がそう手招きすると、「でもわたし」と、この場になっても女は躊躇していた。

「さあ早く、大丈夫ですから」進次のその言葉で、女はしぶしぶ部屋に入ってきた。


和室と聞いていたのに、手前はソファとテーブルの洋室で、その奥の一段高いところに畳の小部屋があり、中には赤い夜具が敷いてあり、正確に言えば和洋折衷の部屋であった。 

「なんだか疲れましたねえ」そう言ってドサッとソファに座り込んだ進次につられてか、女もすぐ前にゆっくり腰を下ろした。 


 「何か飲みましょうか?」壁ぎわの冷蔵庫を目にした進次はそう女に尋ね、立ち上がってそちらのほうへ歩いて行った。

ビールとジュース、スタミナドリンク、それに三種類ほどのおつまみが中に入っていた。それらのうち、ビール二本とつまみ一袋を取り出した。


 「ビール少しぐらいだったら飲めるんでしょう?」 まだ十九歳だし、決してアルコールに強そうなタイプには見えなかったが、進次はとりあえずそう尋ねながら女の前にグラスを置き、八分ほどビールを注いだ。


 「お酒強いんですか?」進次が一杯目を一気に飲み干したのを見て、女はびっくりしたような表情で尋ねた。「弱いほうではないと思います」

 本当は「ハイ、とても強いです」と答えたかったのだが、「わたしお酒飲みは好きじゃありません」とでも言われたら困ると思い、少し控えめな返事をしたのだ。


 「わたし、これまでビール飲んだのは二回だけです。それも父や兄と自分の家で」

 少し前、夜具のほうにチラッと目をやり、一層身体を硬くしていた女が幾分和らいだ表情でそう言ったので、進次はいくらか気が楽になった。

 「二回か。でしょうね。まだ未成年なんだし、じゃあ飲んでもまだ苦く感じるだけでしょう」

「友達はみんな苦いって言うんですけど、わたしはそうでもないんです。喉が渇いたときなんか、ピリッとしてとてもおいしいと思うの」

 「へえー、二回しか飲んでいないのに、素質あるんだ。お酒飲みの」

 「わたしのうち、みんなお酒強いんです。父も兄も、それにお母さんも」

そう言いながら女はコップのビールをあらかた空けてしまっていた。それを見て進次はすぐにつぎ足した。


 進次としても、最初部屋に入ったときは緊張していて、この先の展開に少なからず不安を抱いていたのだが、女のそんな言葉でうんと気が楽になり、ビールをもっと飲みたい気分になってきた。


つづく

次回 8月27日(木)


2026年8月17日月曜日

燃え殻のエッセイ集 読むのはこれで5冊目だが

 


書評 「ブルーハワイ」 燃え殻 新潮社


この作品の中で著者はこのエッセイ集について「単なる日記じゃないか」と、ネットの書評レビューに書き込まれていたのを見て「ひどく落ち込んだ」と書いている。


「単なる日記」そう言われてみれば当たっているような気もする。その日出会った人、行ったところ、過去の些細な出来事、などを思いつくままに綴っていて、いうなればどうでもいいようなテーマが多いのだ。


それらをこの作者特有の感性で上手にまとめている。つまり切り口の良さと味付けの上手さで素材の弱点をカバーしていて、何とか人に読んでもらえる作品に仕立てているのだ。


まあこれも才能あってのことだろう。この著者のエッセイを読むのはこれで5冊目で、発行順に並べてみると



 『すべて忘れてしまうから』(2020年7月、扶  桑社 )

 『夢に迷って、タクシーを呼んだ』(2021年3月、扶桑社)

 『それでも日々はつづくから』(2022年6月、講談社 )

 『ブルー ハワイ』(2023年8月、新潮社 / 2026年3月、新潮文庫)

 『愛と忘却の日々』(2024年9月、新潮社)


となります。さてこれらの作品の評価ですが、私個人的にいちばん良かったのは「すべて忘れてしまうから」で、二番目が今回の「ブルーハワイ」です。

やはり最初の作品はネタも豊富でしょうし、気合の入れ方も違いますから高評価も頷けます。

では4番目に出した「ブルーハワイ」は、というと、2作目、3作目の評価がイマイチだったことを反省し、モチベーションを立て直し、気合を入れて臨んだからなのではないでしょうか。

あくまで私個人の勝手な推測ですが。



出版社内容情報

「週刊新潮はこの連載から読む」という中毒者、増殖中。待望の大人気エッセイ集。ふとしたきっかけで甦る記憶の数々。淀んでいた会議の空気を変えた女の子の大ネタ、僕が放った2点の答え(1000点満点中)、「串カツ田中」が恋しくなった縛りのキツい店、J-WAVEに寄せられたお悩み相談、母の決まり文句、祖母の遺言、柴犬ジョンの教え……ギスギスした日常の息苦しさを解きほぐす一服の清涼剤。

内容説明

週刊新潮、大好評連載。中毒者、増殖中!大人気エッセイ集。

目次

花火って途中で飽きるよね
愛には人の数だけ種類がある
はい、百九十万円
将来は南米に行くと思う
『ヌードの夜』、竹中直人さんに会った
五反田セブンスター
大橋裕之 マンガ「イラスト制作裏話」
僕はそのときずっと天井を見ていた
知らない町の知らない店のスタンプカード
首筋に芋虫
強みは誰にでもある、お金に繋がるかは別として
まあるくなって眠る、真っ白い猫
ドライブ・マイ・カー事件
仕事はできないが、嫌いになりきれない後輩
人間関係の果ての果ての姿
五万の傘が五分で壊れた
毎回同じで飽きませんか?
二十人以上のアイドルのサインを書けた先輩
座席すこし倒してもいいですか?
ちょっとスペース・マウンテン三回乗ってくる〔ほか〕

著者等紹介

燃え殻[モエガラ]
1973年生まれ。2017年『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋ウェブ


2026年8月15日土曜日

H市の小学校で出会ったあの女性が懐かしい! 小説のようなエッセイ シリーズ No.6 (2,730文字)


学校回りの「図書セールスマン」だった頃の女教師にまつわるお話


                                  GEMINI


私は40歳になる少し前、訳あってそれまで約20年間勤務したホテルマンとしての仕事を辞め、そのころ設立後わずか5年で年商300億円超え、というめざましい発展を遂げていたある図書販売会社に営業マンとして入社しました。


再就職先をそこに決めた理由は、急発展していたからだけではなく、本がことさら好きな私にとって、図書販売という仕事に一方ならぬ魅力を感じたからです。それに加え、社長が東大卒というエリートであったことにも惹かれました。


この会社では営業社員(後に営業所長に昇格)の期間を通じて、トータルで4年間勤めました。


本という取扱商品がとても好きだったせいか会社とは相性がすこぶる良く、仕事以外の面でも数々の忘れ難い思い出を作ることができました。


その中で今でも懐かしく思い出すのは、営業で訪れた学校(小、中、高等学校)での教師たちとの出会いです。特に忘れ難いのは大阪市の隣りH市のある小学校での女性教師との交流です。



30歳ぐらいの美人女教師は職員室での商談で高価な文学全集を購入してくれた


その女教師(30代前半)は、大阪市の隣のH市にある小学校で教師として勤めていました。


図書販売の仕事では、訪問先として学校が多かったのですが、これは会社が学校の生活協同組合と契約を結んでおり、一定額の割引と給与天引きのサービスを提供していたからです。同様の契約は、官公庁、電電公社(現NTT)郵便局(現日本郵便)などとも結んでいました。


そのおかげで営業の訪問先には比較的恵まれていました。こうした多くの取引先の中で最もよく(頻繁に)訪問したのが学校です。


学校という場所は部外者の立ち入りには厳しい制限があるのが普通ですが、生活協同組合との契約があったおかげで営業活動は比較的自由にできたのです。


それともう一つの大きな理由は、かねてより憧れの的であった教職の女性教師に会うことができるからです。



文学全集を購入してくれた女教師は「数か月前に離婚した」と話し、なんとデートの申し込みを承諾してくれた


文学全集(新潮日本文学全集 全40巻)の購入契約を結んでくれるまで、その女教師とは商談の合間にいろいろ世間話をしましたが、その中で、彼女は何かのはずみか「私、3か月前に離婚したのよ」と、予期しないことを話したのです。


つい口を滑らせたのかもしれませんが、別に話す必要もない自分の離婚話を口に出したのです。多分離婚後の一人暮らしの寂しい心の内を職場以外の誰かに聴いてもらいたかったのかもしれません。


それに偶然のこととはいえ、私自身も2年前に離婚した身であったせいか、その話には親近感からか、より親しみの感情が湧きました。


今時のことですから、離婚話など別に珍しくはありません。とはいえ、まさか高価な文学全集を購入してくれた大切な顧客である女性教師からこんな話が出るとは思ってもみませんでした。


彼女は私に「二重のよろこび」を与えてくれた


憶測かもしれませんが、上でも書いたように、多分彼女はさびしい胸の内を、職場以外の男性の誰かに聴いてほしかったのかもしれません。


それにさらに深堀して考えると、新しい交際相手を探していて、私をタ-ゲットにして自分を売り込むための作戦だったのかもしれません。


驚きはそれだけではありません。文学全集を購入して私に営業の成果を与えてくれただけでも有難いことなのに、その後、離婚話を聴いて調子に乗った私は勇気を出してデートの誘いを持ち掛けたのですが、なんと彼女はそれにも応じてくれたのです。


まさに二重の喜びで、これほどラッキーなことは長い人生でもあまりないことです。


デートの日、女教師の激しい性行動に衝撃を受けた


その日大阪梅田で食事をした後、私たちはまるで申し合わせていたように自然な形でホテルへ向かいました。今でもはっきり覚えていますが、扇町プールの近くにあったビジネスホテルです。


ホテルで彼女は自分の職場の教師たちの醜聞(スキャンダル)についていろいろはなしてくれました。


その内容は、「50代の教頭先生は新人女性教師の〇〇と不倫している」とか、「同期の男性教師〇〇は独身をいいことに相手をとっかえひっかえ女性教師たちとみだらな交際を続けている」などいうもので、それは学校教師としてあってはならないような男女の乱れた関係についての内容で、聴いた私が「まさか!」と思うほどの話でした。


その後のベッドでの彼女は、「これが教師という女性の姿か」と思わすほどの、大きな喘ぎ声と大胆な体位を伴う激しい性行動には度肝を抜かれる思いでした。 


離婚してしばらくの伴侶のいない寂しい生活が彼女を一気に奔放な女へ変身させたに違いありません。私にとっても夢のようなひとときでした。


彼女との出来事は職場の同僚ははもちろん、その他の誰にも話していない


一人の女性と付き合い始めたら、たいていは一定期間交際が続く私ですが、なぜか彼女とはこの一度だけのデートで終わりました。


理由はよく覚えていないのですが、多分ちょっとした倫理観がそうさせたのでしょう。

つまり仕事上で知り合った女性(しかも学校の教師)という立場にある人と、こうした関係を続けるのは良くない、と感じたからかもしれません。


それが証拠に、えてして男性は過去の女性との付き合いの話しを、同僚などに自慢したくなるものですが、彼女との付き合いに関しては、誰にも話したことはありません。


それは「教師としての彼女のプライバシーを守らなければならない」と、私が固く心に誓っていたからかもしれません。


あの日以来彼女には逢っていないが、再婚して幸せに暮らしているだろうか


彼女は私にとって忘れられない良い思い出を残してくれた大切な女性です。かねてより私は「こんな女性と関係を持ってみたい」と、願望を抱く所属分野がありました。六つありましたが、その一つが「女性教師」だったのです。


ちなみにその六つを上げてみますと


・素人の外国人女性(欧米系)

・トラックドライバー

・看護師

・学校教師

・社長の奥さん

・政治家


どうでもいいことかもしれませんが、目下のところ、トラックドライバーと政治家の2分野については願望が果たせていません。


学校の女教師との付き合いも、一時は「手の届かぬ願い」と思って、半ばあきらめていたのですが、彼女の出現で思いがけず実現できたのです。その意味でも彼女には深く感謝しています。


今頃になってこんなことを云うのもおかしいのですが、どうか、その後良い男性と巡り会って再婚を果たし、幸せな人生を送っていることを心より願っています。


おわり




2026年8月13日木曜日

T.Ohhira エンタメワ--ルド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(5)

     

                     adobe stock

    5

 それからベンチへ近づく十数歩の間に、二人の手は次第に強く握り合わされていった。

 横一列に三つ並んだベンチのうち、いちばん左に腰掛けた二人は、今度は何も言わずに手を握り合わせたまま、暗闇の中で探るように互いの目を見つめあった。 

 進次の胸がまた高鳴って、そのうち次第に息苦しいほどになってきて、もうこれ以上我慢できないと、左手で女のうなじに軽く触れながら、耳元で「キスしていい?」と、そっと囁いた。女は何も答えず目をそらして下を向いた。  

 

進次は女より頭を低くして下のほうからそっと女の唇に口をつけた。ブルッと両肩が震え、体中に戦慄が走った。身体を硬くして、わなわなと震えている女の様子が伝わってきた。 


 決して進次の唇を避けようとはしなかったが、口元はキッと閉じられたままで、その先への侵入は許さなかった。でも進次の背中に回した手には幾分か力が込められてきて、決してその行為を嫌がっていないことがはっきりわかった。

ただ慣れていないだけで、唇を開かないのはそのせいだと思った。

ぎこちないキス、まさにそれそのものであったが、進次には甘美この上なく、頭の芯がぼぉーとかすむような、まるで天にも昇るような心地よい気分であった。


 五分、いや十分ぐらいも二人は抱き合って唇をくっつけていただろうか。姿勢がやや窮屈になり、どちらからともなく身体を離した。でも手と手はまだ握り合ったままであった。


 今いったい何時だろう? 進次はふとそう思い、街頭の薄明かりの中で腕の時計を見た。暗くてよく見えなかったが、長い針は十五の少し手前にあるようで、二時を少し回った時間であることがかろうじて分かった。

 「わー、もう二時を過ぎてる。どうしよう、こんなに遅くては姉の家にもいけないし」

 握った女の手をやっと離し、進次が独り言のように呟いた。もともと姉の家には行く気はなかったのだが、電車の中で女に伝えたことをふと思い出し、辻褄あわせのために言っただけで、本当は女の同情を引きたいだけだった。


 「お姉さんの家に行かないって、それじゃあどこかに泊るんですか? 大阪までタクシーで帰るわけにはいかないでしょうし」 長いキスの後で、しばし放心したような表情を見せていた女だったが、恥じらいを含んだ小さな声で、そう聞き返してきた。

 どこかへ泊る? そうなんだ。でも1人じゃいやだから、できたら君と一緒に泊りたいんだ。返す言葉でそんな風に一気に言えたらなんと良いことだろう。でもそんなこと、まだ言えやしない。会ってまだ三時間しかたっていないというのに。いや、でも待てよ。彼女はこんなに遅くまでぼくに付き合ってくれて、おまけにさっきのキスは少しも拒みもせずに十分間も許してくれた。ひょっとして、彼女としてもこのままずっと一緒にいたいのかもしれない。


そうだ、きっとそうに違いない。その証拠に駅の待合室で誘いに応じたときは「少しだけなら」と言っていたはずなのに、二時間以上たった今でさえ、自分のほうからは少しも「帰る」などとは言わないではないか。だったらこのまま別れてしまう手はない。男だったら勇気を出して「一緒にどこかへ泊ってください」と言うべきだ。そうだ、そうしよう。


 そう思った進次は思い切り勇気を振り絞って女に言った。

 「ねえ、ぼくこのままあなたと別れたくないし、それに1人だけでどこかに泊るのもわびしいし、変なこと絶対にしませんから明日の朝までどこかで一緒に過ごしてくれませんか」

 それだけ言うにも、興奮したせいか額に汗がにじむほどで身体も熱くなってきた。


 進次のその突飛な申し出に、女は少したじろいた様子であったが、「でもわたし」と言っただけで、そのままうつむいて、その後何も言わなかった。

 「一緒にいてくれるだけでいいんです。何かしたりは決してしませんから」 

 女に不安を抱かせないようにと、さらにそう付け加えた。

 「でもわたし、外泊なんかしたことありませんし、それに着替えだって駅のロッカーの中だし」 着替えと聞いて、進次の身体がまたブルッと震えた。着替えということは服を脱ぐことだ。すると女の裸が脳裏をなまめかしい想像が駆け巡った。

でも必死にそれを振り払ってから、また言った。

 「着替えって、朝まで数時間一緒に過ごすだけだし、そんなのいりませんよ。そのままいればいいんだし、それに下宿の人には、今日帰るって言っていないんでしょう?」

 ラーメン屋で女が言ってたことを思い出して、今度はそんなことも付け加えて言ってみた。

 女はまた黙って下を向いた。進次も次のセリフが見つからず、言葉の代わりに女の肩をそっと抱き寄せて、またキスをした。でもさっきと違って今度はすぐ離した。 

「ねえ、いいでしょう。一緒にいるだけだから」


つづく

次回8月19日(木)