本の断捨離は愛着や執着に邪魔される
歳をとるとともに断捨離の機会が増えてきます。対象はいろいろですが、最も多いのは衣類でしょうか。使用頻度の多さから痛みが速いのと、ファッション遅れが理由に断捨離ならずとも捨てる機会が頻繁に訪れるのです。
こうした理由もあって捨てるに際して別段愛着とか執着は感じません。衣類に限らず家具や電化製品しかりで、古くて使えなくなると捨てるのが定めと思うからです。
でも古くなってもそう思えないものがあります。それは本です。特に本棚に整然と並んでいる文学全集の類です。でもなぜ本は断捨離が進まないのでしょうか。
ズバリ、それは強い愛着心や執着心に邪魔するからです。
本の断捨離にはなぜ愛着や執着が伴うのだろうか
先月粗大ごみの日に約40巻(冊)の文学全集を廃棄しました。でも最初に捨てようと思ったときから大幅に遅れています。確か本の断捨離を考えたのは、半年ぐらい前だったのではないでしょうか。その間他の物はどんどん廃棄が進んでいたのに本だけが遅れていたのです。
この理由はいったい何なのでしょうか。それは上でも書いたように愛着心や執着心のせいなのではないでしょうか。愛着心とは「大切に思う気持ち」です。本好きな人は本に対する愛着心は非常に強いのです。それ故に手放すのが難しいのです。
では執着心の方はどうかといえば、・捨てるのはもったいない・またいつか読むかもしれない・手放したら知識を吸収する手段が少なくなる。などという気持ちが働くのです。
こうした諸々の不安を振り払って捨てる覚悟を決めるには相当と日時が必要になるのです。
私が持っていた文学全集とは
このブログの他の記事にも書いていますが、私は30代後半の数年間、ある大手の図書販売会社で働きました。学校や官庁などの職域を対象に主に全集もの販売を手掛けていました。扱っている商品群の中で文学全集は大きなウエイトを占めていました。なにしろ少ないモノでも10数巻、多いものは50巻に及ぶものも珍しくありません。でも文学全集の価値は巻数の多さで決まるものではありません。
どんなものにも商品には格付けというものがあります。つまり格が上であるほど値打ちが高いのです。
文学全集を出している出版社は多く、集英社や小学館ををはじめ、名のある出版社はたいていが出していると言っていいでしょう。でも名のある出版社の全集が格上かといえば、そうとも言い切れません。
では当時格が高い文学全集はどこの物かといえば、ズバリ、筑摩書房です。
そうなのです。知る人ぞ知る、文学全集(特に日本文学全集)といえば「筑摩文学全集」こそが最も格上の文学全集だったのです。
私が所有していたのはまさにこの文学全集であり、それ故に愛着が強く、たとえ断捨離だとはいえ、なかなか手放す気持ちになれなかったのです。
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