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「なるほどねえ。他には?」
「そうですねえ。そうそう、これはむしろ第一にあげるべきだったんですが、リベーラという名前ですね。見たときの感じも口に出した時の語感もすごく良くて、いかにも知性的な響きを持っていて、なんという意味なんでしょうあれ?」
「さあ、なんでしょう。そこまでは甥も教えてくれていませんで、何か造語かもしれませんね。しかしあなたはいいとこ突いていらっしゃいますね。いつだったか甥も話していました。雑誌に売れ行きの良し悪しは中身もさることながら、名前とか表紙、それに装丁などに負うところが多いんだと、つまりあなたがお気づきになった点なんです」
それから僕はコーヒーをたて続けに三回すすって、さっきよりいくらか落ち着いた気分になり、その後十五分ぐらいあの雑誌の記事の内容について一方的にしゃべっていた。
「やあ、いいお話うかがいました。すぐ甥に伝えてやります。なにしろ創刊号の感想だし、さぞかし彼も喜ぶでしょう。でもあなた、お若いのにたいした見識をお持ちになっていて、失礼ですがお仕事は?
あっそうだ。あなたにそう聞いているものの、私自身まだ自己紹介してなかったんだ。これはどうも失礼致しました」
彼はそう言って内ポケットから黒い名刺入れを取り出すと、その中から薄茶色の高級紙でつくられた横書きの名刺を一枚差し出した。
僕はそれをテーブルの上に置くと、しばらくじっと見つめた。
〈木谷法律事務所、木谷徳夫〉とあり、その下にここからそう遠くない〈内山下〉という住所が記してあった。
「この仕事、今はほとんど息子に任せていまして、僕は週に二~三度顔を見せる程度なんです」
しげしげと名刺を見つめている僕に対して彼はそうつけたした」
法律事務所、ということはこの人弁護士さんなんだ。どうりで知的な風貌のわけだ。でも週に二~三度顔を出すだけというのはどうしてだろう? 他の仕事ならいざ知らず、こうした仕事だと六十そこらで引退することはないはずなのに。
そんなふうに思って、そのことについて質問しようかどうか迷っていた。
「ところで、よろしかったらあなたのお仕事をお聞かせください」
紳士がまた口を開いて控えめにたずねた。
「はい。S百貨店に勤めています。今年で三年目ですけど、そこの外商部で働いています。僕の方こそ紹介遅れてすみません。これ名刺です」
僕はどこにでもあるような会社のマークの入った縦書きの名刺を差し出した。
「ほう、S百貨店ですか。しかも外商部、聞くところによるとデパートの外商はエリートの集まりだとか、それにいいじゃないですか。周りの売り場は若い女の人ばかりで」
今度は彼が僕の名刺をしげしげと見つめながら言った。
「デパートの外商部がエリートの集まりだなんて、そりゃあウソですよ。一昔前はそうだったかもしれませんが、今はそうではありません。早く言えばご用聞き、体力と行動力が優先する言わば肉体労働でして」
ぼくはやや謙遜気味にそう答えた。
「いやあ弁護士だったそうですよ。人目には知的この上ない仕事に思われているかもしれませんが、そうとばかり言えません。知力よりもっと必要なのが体力それに忍耐力。僕は常々そう思っています」
彼はそう言った後、腕時計にチラッと目をやり、さらにこうたずねた。
「失礼ですがお酒のほうはおやりで?」
「はい。人並には」
急な話の方向転換に僕はとまどいながら短く答えた。
「そうですか。そりゃあよかった。今日はこうしてお話できたからいいんですけど、どうですか、この次は一杯やりながらお話しませんか。まだいろいろお話したいこともありますし。
いやあ甥の雑誌をほめていただいたからだけじゃなく、歳の差を越えて、なにかあなたとは馬が合いそうな気がしましてね、僕今度出てくるのは四日後の月曜日。いかがでしょうか。その日の同じ時間帯に」
彼のその申出に、一瞬返事をためらっていた。でもさしたる断る理由も見つからず、少し間を置いた後、「ええいいですよ」と、あっさりその申出を承諾していた。
その四日後の月曜日。いつもバスに乗る時間より少し遅い六時三十分に、彼と僕とはバス停からあまり離れていないKホテルのロビーで待ち合わせ、お互いが十五分くらいも早く来ていて、六時に二十分くらいにはもう二人はロビーで会っていた。
この日で彼と会うのは三度目だが、会う度に服装がかわっていて、この日は淡い茶色のズボンにグレイに紺色の細い縞の入ったジャケット姿で襟元には水玉模様のスコッチタイが形よくおさまっていた。
僕のほうはというと、少なくても週に二度は着るグレイのスーツと、これもまた週に一度は必ず締める緑と赤のストライブのネクタイ姿で、確か最初の日バス停で会った時と同じ服装であったはずだ。
十分ぐらいロビーのソファーで話した後、その後のことについて彼が提案した「まずはこのホテルのバーで飲みましょうか」という意見をすんなり受け入れ、それから五分後には二人は三階にあるバーのカウンターに腰かけていた。
時間が早いせいか、長いカウンターのあるそのバーにはまだ客は少なく、カウンター斜め前のテーブル席に夫婦と思われる中年の白人カップル一組がいるだけだった。
つづく
次回 5月21日(木)