2026年7月4日土曜日

作家とエッセイ ・再掲載シリーズ No. 26

 

初出:2020年9月1日火曜日      更新:2026年7月4日

このエッセイ 原稿料はいくら?

エッセイはよく読みます。おそらく活字の作品の中で最も多く読んでいるのではないでしょうか。

それ故によく思うのがエッセイの値段についてです。

今も手元に1冊のエッセイ集があります。タイトルは「ベストエッセイ2019」

タイトルでも分かるように、この本は2019年(2018〜19)に出たエッセイの中から、良い作品だけを選んだアンソロジーです。

つまり過去1年間に発表された最新のエッセイ優秀作品の集大成ということになります。

収録されているのは80作品弱です。なにしろ80人弱もの作家が書いたすばらしいエッセイの作品集ですから読む前からワクワクします。

でも今回は作品の内容はさておき、テーマにしたいのは収録作品の原稿料です。

なんと言ってもベストエッセイと銘打った作品揃い、さぞかし原稿の金額も張るに違いありません。

はたして1篇の作品に対して出版社はいくらの原稿料を支払っているのでしょうか。

このエッセイでいくら原稿料を貰っているのか 

収録されたエッセイの長さはまちまちですが概して短いものがほとんどで、文字数で言えば1200〜2000文字程度が大半を占めているようです。

400字詰め原稿用紙で言えば、3枚〜5枚ということになります。

あえて400字詰め原稿用紙というのは、今でもこれが原稿料の計算単位になっているからです。

つまり、出版社は作品の原稿料を400文字原稿用紙一枚に付きいくらというかたちで算出するのです。

原稿料は400文字単位で計算される

でもなぜ400字詰め原稿用紙1枚単位で原稿料が計算されるのでしょう。

それは作品の長さを測るのにこれが使われているからです。つまりこの小説は400字詰め原稿用紙300枚、このエッセイは400字詰め原稿用紙6枚の長さ、というふうに言い表されるのです。

今ではたいていの場合、原稿執筆はパソコンが主流で原稿用紙に手書きする作家は少数派なのですが、出版社はいまだに原稿用紙から離れられないのです。

作家のエッセイはどんな文章でも1文字10円に

では実際にいまエッセイ作品は原稿用紙1枚に対していくら支払われているのでしょうか。

ズバリ言いますと4000〜6000円が主流です。

ということは平均が5000円とすると、400字詰め原稿用紙5枚(2000文字)のエッセイは2万円ということになります。

2000文字2万円だと、1文字あたり10円に当たります。

ふーん、1文字10円。はたして高いのか、それとも安いのか?

2000文字のエッセイは2時間もあればじゅうぶん書ける

エッセイ1編の価格2万円が高いか安いかを判定するには、まず最初に執筆の所要時間を知る必要があります。つまりこれを書き上げるのにかかった時間です。

常日頃パソコンを使ってブログを綴っているわたしの推測では2000文字の文章だと2時間もあればじゅうぶん書けます。書くだけでなく、何度か読み直して推敲も入れた時間です。

ちなみに今回のこのブログも2000文字程度です。

アマチュアのわたしでさえこうなのですから、作家というプロの文筆家だともっと速いかもしれません。

2時間で2万円の仕事ができるということは、時給に直せは1万円ということになります。

まあプロの作家なら、これくらいとってもいいでしょう。

しかしそれが言えるのは作品の質が高くて、エッセイとして立派な作品である場合のみです。


はたしてベストエッセイ2019の作品はどうなのでしょうか?


こんな駄作を誰に読まそうというのだ

そもそも今回のブログでエッセイの値段をタイトルに掲げたのは、「ベストエッセイ2019」の収録作品の質に疑問を感じたからです。

つまりベストエッセイと銘打っていながら、あまりにも質の低い作品が多すぎるのです。

いや多すぎると言うより、ほとんどがつまらない作品といったほうが良いかもしれません。

要するに読んでいて失望の連続なのです。はっきり言って「良いな」とか「まあまあ良いな」と、合格点がつけられる作品は全体(80作品)の1割程度でしかありません。

その他は読む作品、読む作品が、これがプロが書いたエッセイなのか、と、読んでいて失望のため息ばかりが出るのです。

その結果、一体こんなつまらない作品に出版社はいくらお金を払っているのだろうか、という疑問が湧いてきたのです。

私がネットに書いてきた記事は最高で1文字2円

作家のエッセイが1文字10円であるのが高いか安いかの判定の参考にしていただくために、いま盛んなウェブサイトの記事の価格について書いてみることにします。

いまは活動を休止していますが、わたしは長らくの間ウェブライターとして活動してきました。

ウエブライターとは、様々なウェブサイト専門に記事を書くライターのことを言います。

ウェブライターに対して、雑誌など紙の媒体に記事を書くライターがいますが、一般的にウェブライターより原稿料は倍ぐらい高いようです。私の場合、原稿料が最も高くて1文字2円でした。

一方は1文字10円以上、他方は1文字2円、何という差でしょうか。

でもこれは決して質の問題から発生したことではなく、単に紙媒体とウェブ媒体の根拠のない値段の差によるものなのです。


2026年7月2日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈6〉紳士と編集長(10)最終回

        

  

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              10

僕がそのベンチのすぐ前まで来て斜め前に立った時も彼は気づかずに、紙袋を上から覗き込み、片手をその中に突っ込んで、なにやらゴソゴソとまさぐっていた。


「こんにちは。お久しぶりです!」

僕はやや声を張り上げて彼に向かってそう言った。


その声に、彼は手を袋にいれたままだったが顔を上げて僕のほうをふり向いた。


「ほんとうにお久しぶりですねえ。お元気でしたか?」


最後の夜に苦い思いをして別れたはずなのに、そのことはすっかり忘れていて、僕は心底懐かしさがこみ上げてきて再びそう言うと笑顔で彼を見た。


すると彼も僕を見て、「やあ」と小さな声で答えたものの、なぜか表情はうつろで以前のような柔和な笑顔は見せなかった。


「まあここへどうぞ」


紙袋を少し端に寄せ、ベンチの真ん中あたりから少し腰をずらせて、空いた所をさしながら、座るようにと促した。


「あれからもう二ヶ月にもなりますねえ。バス停でもまったくお見うけしませんが、このごろはあそこへはいらしてないんですか? びょ、びょう、違った。事務所の方へは?」


危うく病院と言いかけて慌てて事務所と言いなおした。


「ええ、まあまあ」


彼はさっきより少しだけ表情を緩めて短くそう答えはしたが、今度は僕の方は向かず、顔を反対の方へ向けると、また横においた大きな紙袋の中へ手を突っ込んでいた。


「買物をしてきましてねえ。いろいろと」


横の紙袋を今度は自分の膝の上に乗せてから、彼がまたボソッと言った。


でも表情はまだうつろなままで、以前と変らなかった。


「へえー、お買物ですか、大きな袋のようですがいったい何をお買いになったのですか?」


彼がいったい何を買ったのかも知りたい気持ちもあって、とりあえずそう聞いてみた。


「いい物がたくさんありますよ。お見せしましょうか」


そう言うが早いか、また腰をずらして僕との間に少しスペースを開けると、袋の中から一つづつ品物を取り出し始めた。


いきなり買物の中身を見せたりして、この人僕とのことを覚えているのだろうか? 


うつろな表情はともかく、あの夜、あんな気まずい別れ方をしたというのに悪びれたところが少しもない。


前の日のことについて一言なり触れてもいいはずなのに、あんなこともうみんな忘れてしまったのだろうか。


「これはねえ、イタリア製の財布。そしてこれはドイツ製の万年筆。そうそうこれもいいでしょう。アメリカ製のキーホルダー。ほら五つもある。どうです? ひとつ差し上げましょうか?」


「い、いえ。せっかくですけど結構です。僕キーホルダーも万年筆もわりに持っている方ですから」


そんなものひとつぐらい貰ったこころで別段どうってこともないのに、何故か僕はその時はムキになって断っていた。


だけど彼はそんな僕の言葉には何も答えず手にしたなんの変哲もないそのキーホルダーをしげしげと眺めていた。


「あのう、ぼく今勤務中ですので、これで失礼しようかと思います。また機会がありましたら・・・」


勤務中というのは本当だったし、その時同時に、木谷進一と名のる彼の息子が電話で言った「父とは今後おつきあいなさらないで下さい」と言った言葉をふと思い出して、僕はそう言ってベンチを立った。


「そうですか」


相変わらずうつろな表情のまま彼が今度も僕の方は見ないで、さっきよりさらに小さな声でそう答えた。


「じゃあ僕はこれで失礼します」軽く会釈してそう言いながら、なにか急ぐようにして彼のもとを離れていた。


その夜、僕は六時半に仕事を終えて、バス停に向かう途中、なぜかまた昼間彼がいた噴水横のベンチの前を歩いていた。


暖かだった昼間とはうって変って十二月の冷たい風が吹いており、ベンチには人の姿はなかった。


端から二つ目の、昼間彼が座っていたベンチの前まで来ると何故か自然に足が止まった。


そして背後で流れるジャージャーという水の音を聞きながら、「あーあ、あの人そううつ病と男色趣味か」


そうつぶやいて、また紳士然とした彼の姿を瞼に浮かべ、抜きさしならぬ病気と、変った嗜好を持ち合わせたあの紳士に対して、次第にやるせない同情心が募っていき、僕はしばらくその場にポツンと立ちつくしていた。


終わり


文中引用 [訴訟社会アメリカ] 長谷川俊明著 中公新書



次回からは「進次と和子の青春グラフィティ」をお届けします。


第1回 7月16日(木)


2026年6月28日日曜日

人は寝るとき なぜ羊の数を数えるのだろうか


人は眠りにつく時よく数を数えます。中でもポピュラーなのは羊の数です。羊が一匹、羊が二匹というふうに。


でも数を数えるにしても、なぜ羊の数じゃないといけないのでしょうか。人に近い家畜動物だけが対象だとしても、例えば牛の数や豚の数、あるいはアヒルの数などではだめなのでしょうか。


いいえ決してそれらがダメだということはありません。おそらく催眠効果については羊と変わらないでしょう。


にもかかわらず羊の数を数える人が最も多いのは次のような理由からなのです。



人が寝るとき羊の数を数える理由とは(AIによる概要)


人が寝るときに羊を数える理由は、英語の「羊 (Sheep)」と「眠り (Sleep)」の発音が似ているという言葉遊びと、単調な作業を繰り返すことで脳の興奮を鎮め、リラックスさせる心理的な効果が合わさったためです。 

なぜ羊を数えるのか?主な理由

  • 英語圏での言葉遊び
    英語で羊を意味する「sheep(シープ)」と、眠りを意味する「sleep(スリープ)」の発音が似ていることから、英語圏の民話や言い伝えとして広まりました。 

  • 単調なリズムによる脳の鎮静化
    「1匹、2匹…」と一定のリズムで数を数え続けると、脳の働きが単調になり、覚醒状態からリラックス状態へと移行しやすくなります。 

  • 雑念を追い払う効果
    ベッドに入って色々なことを考えてしまう時、意識を「数を数えること」だけに集中させることで、不安や雑念を頭の中から追い出すことができます。 

日本語で数える場合は注意が必要?

日本語の「羊(ヒツジ)」と「睡眠」には言葉のつながりがないため、本来の言語的な意味合いは薄れてしまいます。さらに、数を数えることに集中しすぎると逆に脳が覚醒してしまうこともあるため、呼吸を整えながらゆっくりイメージする程度が効果的とされています。 


もし現在、寝つきにくさでお悩みでしたら、以下の方法を試してみませんか?

  • 呼吸に合わせてゆっくり数を数える(自律訓練法など)

  • 眠る前のスマホをやめて照明を暗くする

  • 別のリラクゼーション音楽や環境音を試す


寝るときに数えるのは羊の数だけじゃない

作家の酒井順子さんが数えるものとは


でも数えるのは羊の数だけとは限りません。人気エッセイスト酒井順子さんは作品の中(写真下)で、眠りにつくとき「知ってる人の名前や漢字の部首についてよく数える」と次のように語っています。


・知ってる限りの佐藤さん、中村さん、山本さんなどの数 


・気に入っているのは漢字の部首シリーズで、にんべんの漢字、ウ冠の漢字、さんずいの漢字、たけかんむりの漢字、しんにょうが付いた漢字、


などについて考えていると「今日は何を数えようか」と、寝るのが待ち遠しくなることさえある(ジョーク)。






2026年6月25日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈6〉紳士と編集長(9)

     

  

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 「雑誌リベーラ、甥が編集長。そんなことも言ったのですか。いやまったくの作り話ですよ。東京に甥なんていません。ただ父は若い頃から雑誌の編集の仕事に憧れてはいたようですけど


『編集長になりたい』ずっとそんな夢をもっていたようですから今度の病気の再発で、夢を現実と見まちがえているのかもしれません。


いもしない甥とかに託して、いやとんだお恥ずかしいことで」


 「それとロンドンかパリに留学された・・・」


僕はそう言いかけたが、事情がわかった今、そこまで聞く必要もないと思い、次のセリフは喉もとでおさえた。


 「よくわかりました。知らなかったこととはいえ、どうもすみませんでした。今後お会いしたとしても一切おつき合いは致しませんからご安心ください」


 僕は職場の周囲の者が気にしてジロジロ見初めているのに気がつき、そう言って電話を切ろうと思っていた。


 「たいへんぶしつけなお電話申し訳ありませんでした。快く承諾いただきありがとうございました。また機会がありましたら、一度お会いした上でお話しします。父のその後のことも」


 相手は最後に少し遠慮しがちにそう言って電話を切った。


 「今野くん、今の長電話いったい何だったんだ?お客さんでもないんだろう」


 奥の席でさっきから僕をにらんでいた課長の岸田が少し皮肉めいた口調で聞いた。


 「ええちょっと。実は紳士の甥が雑誌の編集長でして、でもそれがその・・・」


僕にはすべて事情がわかったとはいえ、相手には何のことだかさっぱりわからないような、そんなトンチンカンな返事を返していた。

 

秋が去り、歩道のイチョウの木は丸はだかになり、また冷たい北風が吹く冬がやってきた。


あと一週間もすると僕のデパートでも一年で最もかき入れ時の歳末商戦が華々しくスタートする。


 その前の十二月一週目の公休日、僕は十時過ぎに起きて、机の前でぼんやりしながらインスタントコーヒーをすすっていた。


 ふとすぐ横に立てかけてある国語辞典が目に入り、何気なく手を伸ばしてそれをつかむと、目的もなしにパラパラと指で滑らすようにしてページを見ていた。


斜め上の部分に〈そう〉と見出しのついたところでページが止まり、また何げなくその中の一語に目をやってみた。


]〈そううつ病〉そこにはそう書かれてあり、僕はハッとして今度はぐっと身を乗り出すと、一気にそれを読んでみた。

 

  躁鬱病(そううつ病)

 

内因性精神病のひとつ。気分が興奮状態を示す

そう病と逆に憂うつ状態であるうつ病を交互に繰り返すが、それぞれが単独であらわれる場合もある。発病は十五~二十五歳の間に多く、遺伝条件に支配される。


   〈躁期の特徴〉

  大言壮語。睡眠時間減少、行動活発、浪    費(買物多し)

  〈鬱期の特徴〉

  食欲減退、厭世感増進、自殺願望

 

 辞書から目を離したとき、僕はふっと息をつき、久しぶりにまた紳士の姿を瞼に描いた。


 どうしているんだろう彼いまごろ。息子さんから電話のあったあとも、バス停では一度も見かけていないけど、病院へはまだ通っているのだろうか? 会わないのは診察時間が変わったせいじゃないだろうか。


あの息子さん、この病気には精神的刺激が悪いと言ってたけど、あの後も病状は変らないんだろうか。それから昼近くになるまで、僕はそんなことをポカンと考えていた。


 それから十日ぐらいたった十二月にしては珍しく風もなく暖かいある日の昼下がり、電車でとなりのK市の得意先へ行った帰り道、僕が駅前広場にある噴水の前に差し掛かったときだった。


ふと前方を見ると、ベンチに座って横に置いた大きな紙袋を覗き込んでいる身なりのいい初老の男の姿が目に入った。


あっ、あの人だ。距離はまだ少しあったが、見た瞬間とっさにそう思って僕はハッとした。


これまで時折思い出して気にしながら、もう二ヶ月も会ってなくて、懐かしさからか思わずそちらの方へ駆け寄っていた。


つづく


次回7月2日(木)最終回