2026年7月30日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(3)

 

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 二人はそれからすぐ横手にあったコインロッカーに荷物を入れ、まだ幾分のよそよそしい雰囲気を漂わせながら夜の三宮の街へと出て行った。

 外へ出るとすぐ正面にタクシー乗場があって、その前の長蛇の列を尻目に、二人は左手に広がる繁華街へと向かっていった。


 「よかったですね、あの列に並ばずに。五〜六十メートルはありましたよ。あれだとたとえ中ほどでも三~四十分はかかるだろうし、ぼくなんかとても耐えられそうもありませんよ」 歩きながら女のほうへ少し間隔を詰めてから進次が言った。

 「ほんとうに凄いわ。タクシー待ちのあんな長い行列見たのは始めてだわ」

 「ぼくもですよ。でももう二~三時間もすれば空きますよ。今度行ったらすぐ乗れたりして」

そう言った後で、もう二~三時間もすれば、というセリフに対して女がどう反応するかが気になった。

別に意識してわざと言ったわけではなかったが、駅構内で誘ったとき、女は「もう遅いですし、少しだけなら」と応えたはずで、それだとこの二~三時間というのにも当然なんらかの拒否反応を示すはずだと思えたからだ。


 でも進次のそうした思惑をよそに、女はそのことに何の警戒心も見せることなく、「だといいのですけど」と答えただけだった。

歩きながら進次に胸は次第に高鳴ってきた。

 それはこうした場合、たいていの男が思い描く「あわよくば」とでもいう微かな期待感からに違いなかった。


 駅前の横断歩道を渡り、正面の私鉄の駅の玄関前を右へ曲がると前方に繁華街が広がっている。進次は以前何度か足を運んでいて、この辺りが終電の発った後でもかなりの賑わいを見せるのをよく知っていた。

特に金曜と土曜の夜ともなると終夜営業の店も珍しくなく、行く場所に事欠くことはないと思っていた。しかし土曜とは言え、まだ正月三日のこの夜の様子は普段とはすっかり違っていて、人の数もネオンサインの輝きも普段と比べうんとまがらで、およそ大都会の夜の盛り場という趣はなかった。


 「人少ないですねえ、まだ開いている喫茶店あるかしら」

 以前は入ったことのある駅寄りの二軒の店が立て続けに閉まっており、三軒目を探して歩いているとき、女が少し不安そうな声で言った。

そう言われるまでもなく、進次にしても最初の二軒の店の閉店は大きな誤算で、この先開いている店があるという確証など少しもなく、女以上に不安な気持ちを募らせていた。


こんな様子だと女が今にも「わたしやっぱ帰ります」とでも言い出しかねないと思ったからだ。

 「ねえ、ラーメン食べませんか? 少し寒くなってきたようだし、あったまりますよ」

 前方十メートルくらい先にかろうじて明かりがついているラーメン屋の看板をふと目にした進次が不意に女に言った。

一月にしては随分暖かい夜であったが、電車のスチームに長い間暖められた身体も先ほどから夜風に当たって少しずつ冷えてきていて、女も寒がっているのではないかと思い、とっさに思いついて出た言葉であった。

 

「ラーメンですか。ああ、あそこのお店ね。そうねえ暖かそうだし行きましょうか。喫茶店も見つからないようだし」

女が応じてくれてホッとしたが、進次としては静かなムード音楽でも聴きながら、ゆっくりと語り合いたいのがいちばんの望みであった。でもあてもなく喫茶店を探して歩くより、この際どこでもいいからひとまず腰を落ち着けて、時間を稼げばいいではないか、その後のことはラーメンでも食べながら考えればいいのだから、というふうに思ったのだ


その店の前まで来て、湯気で少し曇ったガラス戸を開け、「どうぞ」と女を先に入らせた。カウンターだけの住人ぐらいしか入れない小さな店であったが、客は1人もなく、五十がらみの店主と思しき男の人が隅の方で所在なさげにテレビを観ていた。 


 「はいいらっしゃい、何にしましょう?」 二人が腰を下ろすや否や、男の人は立ち上がり壁のメニューに手を掲げながら、せっかちに注文を聞いた

 醤油に味噌、それにワカメとキムチ。四品しかないメニューのうち、進次は味噌ラーメン女はワカメラーメンを注文した。

 頼んだ品が出てくるまでのしばしの間、何から話そうかと考えていた進次だが、まだ女の名前を聞いていないことに改めて気がついた。

 「電車の中でも言いましたね、ぼくの名前は、でももう一度言います。山中進次、二十一歳です」

「ゴメンナサイ。わたし言うのを忘れてて、中谷和子、十九歳です」

 「ふーん、やっぱり十九ですか。多分それくらいだと電車の中でも思っていたんです。それで今は学生ですか?」


つづく

次回 8月6日(木)


2026年7月29日水曜日

今月読んだ本2冊のご紹介

 

男のリズム」池波正太郎 角川書店



エッセイとしては珍しく、記録調(日記風)で書かれている。したがって読んでいて、これまで読んできたこの著者のエッセイ集(10冊程度)のような楽しさ、面白さは感じないが、内容には味があり印象に残ることが多々記されている。

小学校を卒業して上の学校には進まず、早くして社会に出たこの作者にとって、世の中がすべて学びの対象になったことがよく書かれており、中でも十代半ばから頻繁に映画館に通い、その頃上映された映画を見漁ったことで、脚本書きに目覚めたことがよく理解できる。

また同じ頃ロシアの文豪、ドストエフスキーやトルストイの難解な作品も読み下しているところはさすがである。こうした文学の経験を積んで読売新聞主催の脚本コンテストに応募して佳作になったのをきっかけに脚本家の道を目指したのが、作家池波正太郎の原点なのだ。


(内容説明)

東京の下町に生まれ育ち、仕事に旅に、衣食に遊びに、生きてゆくことの喜びを求めてやまぬ池波正太郎の名エッセイ。友人、知人、思い出の人々、生起するさまざまな出来事を温かく、生き生きと描いて興趣つきない滋味たっぷりの一冊!人は変わり、世は移るとも、これだけは絶対に変わらぬ男の生き方を綴った必読の十二章。

(目 次)

劇場

食べる
着る
散歩
映画
最後の目標
26年前のノート
家族
私の一日

著者等紹介

池波正太郎[イケナミショウタロウ]
1923年東京浅草生まれ。下谷西町小学校卒業後、株式仲買店に勤め、海軍入隊。戦後、都職員から長谷川伸門下生となり新国劇の脚本と小説を発表。60年「錯乱」で直木賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の三シリーズで時代小説の第一人者となる。吉川英治文学賞受賞。90年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋ウェブ



「愛と忘却の日々」 燃え殻 新潮社




先月読んだ「夢に迷ってタクシー呼んだ」と「これはいつかのあなたと私」に続いて3冊目である。

なにかクセなったようにこの著者の作品を読み続けているが、正直言っていまだにこの作家のことをよく理解できていない。

前にも書いたが、読み始めたきっかけは「ベストエッセイ2024」で紹介された「おっぱい足りてる?」を好印象を持ったからだ。でもあの作品の印象が強烈だっただけに、その後読んだエッセイ集の作品は、2〜3点を除いて、いずれをとってもそれほどすぐれた作品は見当たらない。それどころか、この作家の先行き不安を感じる点が多いのだ。その多くは次の点についてである。


今売れている人気作家だが、今後長続きできる力量はあるのかは、はなはだ疑問である。

こう感じるのはエッセイのテーマに日常で身辺に起った細かいこと(例えば行った店(飲食店)で働く人たちこと、そこで会った人(客)たちの、どうでもいいような細々したことなど、他の作家なら無視するような微細なことまでネタとして取り上げているからだ。

こうした様子から、テーマ探しに相当苦労していることがよくわかるのだ。

にもかかわらず、人気をいいことに安請け合いで次々と仕事を引き受けており、そのため絶えず〆切に苦しめられている。

この作家はいま「編集者におだてられたり、責められたりしながら、無理やりに作品を書かされているのではないか」ということを痛いほど感じる。

この調子では疲弊するのがはやく、人気作家として長続きすることは無理なのではないだろうか。



というふうに思うのだが、もし方向性が間違っているとすれば、新人としての自分の力量を顧みず、安請け合いでひたすら仕事量を増やし続けていることに問題があることが明らかだ。



出版社内容情報

「ロマンチックなことが少なすぎるんだよ」 中毒者、ますます増殖中。六本木の路上で「おっぱい、足りてる?」とキャッチに声をかけられ、「足りてないけど、余裕がないんです」とテンパっていた夜。小学生の頃、ひどいイジメに遭い、「死にたい」と母に泣きつき、包丁を畳みに突き刺して言われたひと言。「ベスト・エッセイ」(日本文藝家協会編)選出作を収録、読者渇望の大人気エッセイ集。

内容説明

「ベスト・エッセイ2024(日本文藝家協会編纂)」収録。週刊新潮、大人気エッセイ集。

目次

余裕がないのだ。夢中なのだ。
頑なに働かない友人
結局、彼女は畳に告白した
「おっぱい、足りてる?」
いやらしくて美しい瞬間
「ラムちゃん、ひと筋でいく」
渋谷路上飲み狂騒曲
「寝るときは、これじゃないと」
「無駄太郎」の時代は終った
「おい、まだ帰らないのか?」
「ああ、帰りたい」
「ねー、もう寝た?」
特殊な経験をしているわたし
「エッチ妄想の交換日記をしませんか?」
相談相手は主にジョン
増し増しな人
「お客さま、ピットイ~ン!!」
「お客さん、TBSの『ラヴィット!』に出てますよね?」
「俺のファンはどう思うかな?」
はにかみながら「ほら、盗聴器!」〔ほか〕

著者等紹介

燃え殻[モエガラ]
1973年生まれ。2017年『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetflixで映画化(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出典:紀伊国屋ウェブ










2026年7月25日土曜日

小説のようなエッセイ・シリーズ No.5


「”サイズ感”がいまいち合わなかったみたい」

翌朝、彼女が発した意味深なセリフを聞いて愕然!



彼女を初めて見たのは私が勤めていたホテルのフロントだった


大阪とニューヨークで通算20年間ホテルマンとして働いた私が、その間強く印象に残っていることの一つに、外国人相手のコールガールとしてホテルへ出入りしていたひとりの女性との出会いがあります。

確かイニシャルにH.Eがつく人でした。彼女を最初に見たのは当時商都大阪で高級ホテルとして名を馳せていた大阪グランドホテル(2010年廃業)で、そのフロントオフィスに勤務していた22歳の頃でした。

彼女が強く印象に残ったのは、その垢抜けした都会的な容姿です。後で知ったのですが、スリーサイズが上から90,60、90ということで、滅多に見ることのないような日本人離れした見事なプロポーションの持ち主でした。



彼女は高級ホテルを根城にするハイクラスなコールガール


これも後で知ったのですが、その美しい女性はこのホテルに宿泊する外国人相手のコールガールだったのです

私のブログ「高級ホテルにたむろする怪しい人たち」にも書きましたが、コールガールにもランクがあり、高級ホテルに宿泊する外国人の相手をするのは、いうまでもなく料金の高いハイクラスな最上級に属する女性たちです。

客になるのはスイートルームなど室料の高い高級な部屋に宿泊するお金持ちの外国人たちが主で、よほどのことがない限り日本人は相手にしません。

それだけに彼女たちは語学が堪能で、特に英語となるとほとんどが流ちょうにこなせるようでした。

そんな彼女たちの中には一流大学を卒業した高学歴の女性も少なくなかったようです。今のように高学歴の女性にふさわしい職場が少なく、それ故にコールガールは語学を生かしてお金を稼げる有望な職業とみなされたのかもしれません


彼女と親密な関係に慣れたきっかけとは


ホテルの一介のフロントスタッフとして働いていた私には、彼女たちは正直言って高嶺の花でした。要するに対等に付き合えるような相手ではなかったのです。

でも偶然に起こったあることをきっかけにその高嶺の花の存在である女性と親しくなることが出来たのです。

それは彼女を初めて見た頃から5年程過ぎてのことでした。


なんと、彼女とは住んでいた町が同じだった


そのころ私は、それまで務めていた大阪グランドホテルから、同じ系列のRホテルに転属になっていました。

このホテルは同じ住友系列だとは言え、規模も格式も大阪グランドホテルを遥かに凌いでおり、文字通り当時の大阪ナンバーワンの高級ホテルでした。

彼女のほうも根城をこの新しいホテルのほうへ移していたようで、フロントで勤務する私は以前より頻繁にその姿を目にするようになっていました。

親しくなったきっかけはよく会うようになったからだけではありません。ある日のこと、帰宅する電車で偶然に彼女と会ったのです。

なんと同じ電車にあの彼女が乗っていたのです。私と彼女の自宅はJRの片町線という同じ沿線にあったのです。


これを機に彼女とのステキな交友が始まった


電車での突然のふれあいがあったとはいえ、彼女もそれまでホテルカウンターでの私との出会いをよく覚えてくれていたせいか、その後二人の仲は急速に親密度を増し、気がつけば週に一度はデートを重ねるようになっていました。

確か親しくなってから2か月ほど過ぎた5~6度目の夕方のデートだったと思います。

この日は大阪北新地で人気だったサパークラブ「キングスランド」という店に向かいました。

このクラブは上手なフィリピンのバンド演奏が評判の、当時としては夜のデートにピッタリのナイトスポットでした。

二人は素晴らしいバンド演奏に乗り、夜が更けるのも忘れるように、ゴーゴーダンスに酔いしれました。

そして翌朝気がついたとき、二人はホテルのベッドの中でした。


彼女は ”サイズ感”  もインターナショナルだった


楽しかった前夜が過ぎ、翌朝二人でホテルにいたのは良かったのですが、「好事魔多し」とはまさにこのことです。

朝になって、私は思いがけない衝撃を受けたのです。

それは彼女が何気なしに発した

「”サイズ感”がいまいち合わなかったみたい」というセリフを聴いたからです

「サイズ感が合わなかった」とは実に意味深な言葉ではありませんか。耳にしたときは衝撃だけでなく同時に屈辱感も感じました。

でもあっけらかんと言い放った彼女のこの言葉にはなんとなく真実味がこもっていました。

それもそうかもしれません。なにしろ彼女は長年外国人相手のコールガールとして過ごしてきているのです。

そんな彼女が久しぶりに普通の日本人を相手にして、「サイズ感が合わない」と感じるのは当然のことだと思ったからです。

私自身は人並みのサイズと自認していたのですが、でもそれは日本男性として考えた場合です。

しかし彼女のサイズの基準は日本人ではなく外国人男性だったのです。要は基準対象が違っていただけで、別に彼女が間違っているとか悪いとかではないのです。

いうなれば、彼女は「あのサイズ感」もインターナショナルだったのです。


おわり

2026年7月23日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(2)

 

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 それから十五分の間、進次はなんとか間を繕おうと、自分のことを中心にしゃべっていた。

 つまり、歳は二十一歳で、大学を二年で中退して、今はアルバイトをしながら英語の専門学校へ通っていること、大阪の叔母の家に下宿していて、四国の実家からの帰途であること、アルバイトが夜勤なので昼間の英語学校では居眠りばかりしていること、などというふうに,いわば自己紹介を兼ねて真面目に話したつもりだった。


 そんな進次の話を女は頷きながら黙って聞いていたが、昼間は居眠りばかりとくだりでは、クスッと声を出して笑ったので進次は前にもましてホッとした。

 ―ひょっとしてこの人、三宮で降りた後も少しくらいだったらお茶にでも付き合ってくれるかもしれない。十二時を少し回っているとはいえ、今夜はまだ正月三日で、おまけに明日は日曜日、すぐ帰らなければいけないなどと、堅いことは言わないかもしれないー そんな安易な期待を抱いて、次第に胸を膨らませながら進次は次の展開を考えていた。


 列車のスピードが少し落ちて、街の灯が次第に濃くなり、それが窓いっぱいに広がってきたとき、「あと三分ほどで神戸です」と、また車内アナウンスが流れてきた。神戸から三宮までは五分とかからない。あと五~六分もするといよいよ列車を降りるのだ。


 「あのう、そろそろ支度しましょうか。お荷物は?」

 多分網棚に乗せているのだろうと、下ろしてあげるつもりで進次がたずねた。

 「は、はい。あの二つですけど、でもわたし自分で下ろします」女がそういって網棚に手を伸ばそうとしたので、進次は一瞬先にその方に手を伸ばし、まず大きいほうのバッグを女の足もとに下ろし、続いてもう一つを下ろしてその上に乗せた。

自分のことだと決してこうはしないだろうというほどの素早い動作で、三宮で下車した後の展開を意識した精一杯の得点稼ぎに違いなかった。 


 「すみません。重かったでしょう。母が持っていけとあれこれ入れるもんですから」

 女が恐縮しながら、さっきより打ち解けた表情で言ったので、降りた後の可能性が少し増してきたと、進次はいっそう胸を膨らませていた。


 出札口のほうへ向かってゆっくり流れていた人の群れが、その手前二十メートルぐらいの所でピタッと止まり少しも動かなくなった。

背伸びして先を見渡すと、三列くらいで動いていた人の群れは、先へ行くほど次第にに細くなっており、先頭の人が大きな荷物を抱えて、窮屈そうに横向きになって出札口を抜けていた。


 「出るまでに少しかかりそうですねえ」 立ち止まった進次はそう言って両手の荷物をそっと下に降ろした。

さっきから肩と腕の痛みが増していて、耐え切らないほどになっており、本当はドサッと投げ出すようにでも降ろしたかったのだが、女に力なしと思われなくないばっかりに、ここでも見栄を張って何げない顔をしてゆっくりと降ろしたのだ。

でもそんな進次のことを察したのか、また列が動き始めたとき、女は「わたし一つ持ちます」と言うや否や、小さいほうのバッグにさっと手を伸ばすと、進次より少し早く進み始めた。


進次は、やはりぼくがと、取り戻そうと思ったのだが、 ―まあいいか、これでもあちらより二倍くらいは重そうだし― そう思いなおして、またノロノロと出口へ向かっていった。

 それからさらに二~三度立ち止まり、やっと出札口を抜けて待合室のベンチまで来たときは、下車してかれこれ十五分くらいはたっていた。 


 「すごい人混みでしたねえ、年末年始はこれだから嫌なんですよ。疲れたでしょう、ここに座ってしばらく休みませんか」かろうじて二人分の空席を見つけて、進次が女に言った。

 「ええかなり、わたしこんな小さなバッグ一つだけなのに、もうぐったりです」そう言って女は素直に応じて進次の横に腰を下ろした。

 「無理もないですよ。列車ではずっと立ちっぱなしだったし、あー疲れた。できたら早くどこかで横にでもなりたい気分です」進次のそんな本音ともつかないセリフがおかしかったのか、女がクスッと声を出して笑った。

 ―オッ、いい雰囲気、このタイミングを逃してはならない― そう思って進次はすぐまた口を開いた。


「今日はまだ正月三日、おまけに明日は日曜日だし、別に急いで帰らなくてもいいんでしょう。せっかく知り合ってこのまま別れてしまうのもなんですし、よかったら喫茶店でも行って少しお話しませんか?」ありきたりで少しも気の利いたセリフではなかったが、思い切って女を誘ってみた。


進次のその申し出に、さすがに女は少しためらいを見せてはいたが、チラッと腕時計に目をやってから小さな声で答えた。

 「もう一時前でしょう。どうしようこんな遅くに、でもせっかくですから少しぐらいでしたら」 女の口調は先ほどの打ち解けた感じからまた最初のはにかみ口調に変わっていたものの、進次にとっては小躍りしたいほどの嬉しい返事であった。


でも時計は確かに一時少し前を指しており、それほど長くは引っ張れないとも思っていた。


つづく

次回 7月30日(木)


2026年7月18日土曜日

誇るべきか、恥ずべきか、世界で最も多くインターネットを使っているのは《日本人》

インターネット使用頻度の国際比較

出典:社会実情データ図録



日本人のIT・情報化対応が後手に回っており、その証拠にインターネット利用率が低いというデータがしばしば紹介されてきたが、ここにきて逆にインターネット利用率が高いというデータも見かけるようになった。しかし、日本は世界の潮流から遅れているから改善が必要だというマスコミ特有の論調に合わないためか報道されることもない。


 ここで取り上げたのは、ピューリサーチセンターが行っている国際調査の2025年春の結果であり、インターネットを「ほとんど常に」(Aimost constantly)利用している人の割合が日本は56%と世界24か国中もっとも高くなっている。


 2位は韓国の49%、3位はアルゼンチンの43%、4位はイスラエルの42%と続いている。図は大陸別に「ほとんど常に」の高い順に並べてあるが、欧州諸国や北米諸国はこれらの国を下回っている。例えばインターネットを「ほとんど常に」利用しているドイツ人の割合は24%と日本人の半分以下に過ぎない。


 日本人の使用頻度の高さは、むしろ、スマホ中毒という好ましからざる状況の指標として引用される可能性があろう。


 一方、これと矛盾するようであるが、日本人は「ネット不使用」の比率が14%と北米や欧州のどの国より高くなっている。ここに日本のインターネット利用のかねてよりの特徴、すなわちネットを使わなくても支障なく暮らせるア ナログ的に便利な社会であるという特徴があらわれている。


 以下には年齢別のインターネット利用率のグラフを掲げた。いずれの国でも若い世代ほど利用率が高いという結果になっているが、日本の場合、50歳以上の中高年層の利用率の高さが38%と、全体同様、世界1となっている点が目立っている。かつてと違い中高年もスマホをしょっちゅう使いようになった生活実態が明らかである。フランス人は保守的であり50歳以上の中高年で「常に使用」比率は8%と非常に低い(ドイツ人も11%)。




出典:社会実情データ図録


2026年7月16日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(1)

 

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 1960 進次と和子の青春グラフィティ 


1960  進次と和子の青春グラフィティ』はこんなお話


1960年の正月三日、四国の実家から大阪の下宿へ戻る途中の英語専門学校生・山中進次(21)は、混雑する列車内で服飾専門学校生の針谷和子(19)と偶然出会う。

進次は一目惚れした和子と少しでも長く過ごしたい一心で、本来の目的地ではない神戸の三宮駅で下車した。

深夜の街で二人はラーメン屋に入り、専門学校生同士として急速に意気投合する。

その後、霧の立ち込める神戸港のベンチで初めてのキスを交わした。

進次は「朝まで一緒に過ごしてほしいが、変なことは絶対にしない」と約束し、古びたホテルへ和子を誘う。

内心では微かな期待を抱いていた和子だったが、進次は約束を頑なに守り、和子に手を出すことなく紳士的に添い寝をして朝を迎えた。

下宿へ戻った和子は、隣室の友人・紀子に進次との顛末をウキウキしながら語る。

和子は純粋に進次へ惹かれており、実はそれ以上の進展も期待していたため、彼の理性を嬉しく思う反面、女としての魅力不足を少し不安に思ったりもしていた。

その週末、二人は梅田で二度目のデートを果たす。

進次は予算と相談しながらこぎれいな居酒屋へ和子を連れていき、和子は初めての居酒屋や「ポパイ」という料理、お酒を心から楽しんだ。

しかし、店を出た直後に和子が悪酔いして激しい吐き気に襲われてしまう。進次は動転しながらも和子を介抱し、彼女の暮らす高級住宅街・芦屋の下宿まで送り届けた。

コタツの中で抱き合い、再び激しいキスを交わしたものの、進次は和子の体調を気遣ってこの夜も理性を保ち、何もせずに眠りについた。

翌朝、和子が健気に作ってくれた朝食をごちそうになり、進次はバラ色の幸福感に包まれながら帰路についた。

その後、進次の金欠や和子がインフルエンザで寝込んだことが重なり、二人の会えない日々が二週間ほど続く。

お互いに一日千秋の思いで待ち焦がれ、一月の最終土曜日に三度目のデートを迎えた。アルバイトの給料日後で懐に余裕のある進次は、和子を喜ばせようと梅田の高層ビル23階にあるラウンジへと連れていく。

二人はきらめく大都会の夜景を眺め、ムーディなピアノ演奏に耳を傾けながら、贅沢な地中海料理とビールを堪能した。

最高潮に高まったロマンチックなムードのまま、二人は手を繋いで扇町公園近くのラブホテルへと向かう。

これまでのデートで進次の優しさと男らしさを確信していた和子は、身を委ねるようにしてついていった。

部屋に入るや否や、進次はこれまでの我慢を爆発させるように和子を激しく抱きしめ、今夜を待ち侘びていた和子もまたその情熱を受け入れる。

二人は朝が訪れるまで、時間を忘れて何度も互いの体を貪り合い、ついに心も体も結ばれるのだった。

        

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その冬の正月三日、終着駅の大阪まで帰るはずだったのに、どうした訳か進次は神戸の三宮で降りていた。

すでに午前0時を過ぎているというのに、降車ホームは帰省から帰る人々であふれており、出口へ向かう通路も押しあいへしあいで随分ゆっくりとしか進まないせいか、右手に二つ、左手に一つの荷物の重みが次第にずしっと肩にかかってきた。

 「重たいでしょう、私ひとつ持ちましょうか」

かたわらを小さな手提げカバン一つ持って歩く女が恐縮そうに言った。

 「いいですよこれくらい、これでもぼく男ですから」

力にはからっきし自信がないはずなのに、進次は見栄を張ってそう応えた。

 その女とはほんの三十分ほど前に知り合ったばかりであった。

 座席がなく、出口に近い通路に立っていた進次のすぐ横に、その女も窓の方を見ながら立っていた。

 三つぐらい年下だろうか、いや二つかな、ときおり横目で観察して、そんなふうに考えながら、進次はしきりに話しかけるタイミングを計っていた。

 確か姫路を過ぎた頃であったろうか、列車がガタッと左右に大きく揺れて、進次と女の身体が窓の方に大きく傾いて、お互いが体勢を整えたすぐ後で、弾みでなのか目と目が合った。

 「よく揺れますね、この列車」 

女がまた窓の方へ向き直ったとき、その横顔を遠慮がちに眺めながら進次がはにかみ口調で言った。

 「えっ、ええそうですね」

不意に声をかけられたせいか、女は少し戸惑いを見せながら、チラッと進次の方を振り向いて答えた。

 さっき思ったとおり、やはりこの人ぼくより二〜三歳年下に違いない。口紅はうっすらと塗ってはいるが、それ以外は化粧をしている様子もない。ほっぺたがつやつやと光っており、まるで少女のように染まっているではないか。

それに、さっき返事をしたときも、このぼく以上にはにかんでいて、まるで純情そのものだった。

ひょっとしてこの人はまだボーイフレンドがいないのかもしれない。

進次はそんなふうに考えて、少し期待を膨らませながら次のセリフを考えていた。

  

 真冬とはいえ、通路の隅々までぎっしりと乗客の詰まった車内は人いきれとスティームの暖房とでむせ返っていて、両側の窓は真っ白に分厚くくもっており、その上に通過する街の灯がぼおーと鈍く映っていた。

 「あのー、どちらまでいらっしゃるのですか?」

 車内アナウンスが、「次の停車駅は明石です」と伝えた後、進次が二度目の口を開いた。

 さっきから女の行き先を考えていて、神戸だろうか、それとも大阪だろうか? 

いずれにしてももっと会話を進めないと、この先の進展はないだろうし、ましてや次の明石などで降りられたのでは一巻の終わりではないか。そう思って少し焦って聞いたのであった。

 「三宮なんです。芦屋まで帰るんですけど、これあそこで止まらないでしょう。私鉄ももうないし、三宮からタクシーで帰ります」

 さっきほどのためらいは見せなかったものの、女はまだ幾分か恥じらいを含ませながら、今度は進次の目を見て答えた。 

 再び問いかけに応じてくれたことに気をよくした進次であったが、三宮で降りると聞いて、焦る気持ちに拍車がかかった。

 どうしよう、三宮だとあと十五分ぐらいしかない。もうすこし話して、せめて名前と電話番号だけでも聞いておこうか。

でも教えてくれなかったらどうしよう。これまた一巻の終わりではないか。

できることなら今夜中にもっと話し合って一気に仲良くなりたい。

この人だって、さっきの応え方からして、けっしてぼくのことを嫌がっているようでもない。

いやそれどころか、恥じらいながら答えた様子からして、むしろ好感を抱いてくれたのではないだろうか。そう思って、今度は意を決して切り出した。

 「へえー、三宮なんですか。それじゃあ同じですねえ。ぼくもそこで降りるんです。いや、下宿は大阪なんですけど、今夜は灘の姉の家へ寄る予定なんです」

 灘に姉がいるのは事実だった。でも小さな子どもが二人いて、もうとっくに寝てしまっているのは知っていて、今夜寄るつもりなど毛頭なかったのだが。

 進次は女にそう告げて、とりあえずほっとした。少なくともあと十五分ポッキリでこの女と別れることだけは避けられたのだと。

 進次の降りる駅が三宮だと聞いて、女は「えっ、そうなんですか」と短く応えただけだったが、表情にはそれまで見せなかった明るい笑みを浮かべていた。


つづく

次回は7月23日(木)