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4 進次が女にそう聞いている最中に後ろ向きに立ってラーメンの支度をしていた主人が不意に振り向いてジロリとこちに視線を向けたので、別に悪いことを話しているわけでもないのに、それからは声のトーンを少し落として話したりした。
「学生といってもデザインの専門学校です。服飾関係の」 女はなぜだか少し恐縮したような声で答えた。
「へえー、デザインの学校。じゃあぼくと同じじゃないですか。電車の中で言ったでしょう。今は英語の専門学校へ行ってるって、ジャンルは違うけど二人とも専門学校の学生で。
それに歳は二つ違いでちょうどいいし。ねえ、ぼくたちはなんとなく合いそうですね。そう思いませんか」
進次は女の目を見ながら精一杯の笑顔を作ってそう言い、相手の反応を待った。
女が笑顔を浮かべて何か答えようとしたとき、「はいお待たせ、味噌とワカメ」主人が両手に持った二つのどんぶりをカウンターの上に置いた。
そのせいで、女は笑顔の次のセリフを飲み込んでしまったようだが、表情からして決して悪いものではなかっただろうと進次は確信していた。 例えばそのセリフは 「そうかもしれないわ」とか「だといいのですけで」というふうなものであったと。
けっきょく二人はその店に四十分ぐらいも長居した。その間、誰一人として客は入ってこず、主人は退屈そうに何度もアクビを繰り返していた。
ラーメンを食べ終わって、オレンジジューズを注文して、専門学校の学生同士ということが分かってか、二人は急速に意気投合していき、電車で出会ってからその店に入るまでに比べると、数倍も多くの会話を交わしていた。
時計が二時十五分を指したとき、主人が外へ出て暖簾を下ろし始めた。それを見て二人はやっと立ち上がった。
「わたしも払います」という女を制して、進次の方が千四百円払って二人は店を出た。
外は前より一層人影がまばらになっており、少し風が出てきたようだったが、今しがたの温かいラーメンのおかげで寒さは微塵も感じず、頬に当たる風がむしろ心地よいくらいであった。
「ねえ、温まったことだし、ちょっと港のほうへ行ってみませんか」
次第に人影のなくなる街の様子からして、この先いくら探しても開いている喫茶店などないだろうと、その代りになるものとして、ふいに頭に浮かんできたことを、とっさに女に伝えたのだった。
「歩いてですか?」 ラーメン屋へ入る前より、うんとハッキリした口調で女が聞いた。
「はい。いやタクシーで」
ほんとうは三十分ぐらいかけて徒歩で行き、その間に女の手でも握って歩きたかったのだが、聞かれてとっさにそう返事してしまった。
「ラーメンのおかげでもう寒くなくなったことだし、行ってみましょう」
女は今度は躊躇することなく答え、話は案外すんなりと決まった。
来た道を戻って交差点を曲がって港のほうへ通じる大通りへ出て、それほど多くない車の流れに向かって進次は手を上げた。ものの一分と立たないうちに中型のタクシーが二人の前にピタリと止まった。
「すいません港まで」 「港?港って神戸港のこと?」運転手が少し怪訝そうな声で聞いた。
「ええ、海だったらどこでもいいのですけど、とりあえず神戸港へお願いしなす」
進次は頭にチラッと須磨辺りの海岸を思い浮かべながら、そんあふうに運転手に告げた。
「この時間に神戸港にねえ」運転手はさも物好きな連中か、とでも言いたげに、少し皮肉を込めた返事をした後、おもむろに車をスタートさせた。
車は信号にも引っかからずにスイスイと夜の街を走っていき、五分もたたず港に着いた。
早くその運転手と別れたいと思っていたせいか、降りるとき、進次は値段も聞きもせず「これでお釣はいいですから」と、千円札を渡したが、ちょっともったいない気もして頭の中では、さっきのラーメン屋と併せてこれで二千四百円の出費だと、きっちり足し算をしていた。
降りた場所から少し歩いて、二人は人っ子一人いない暗い港に立った。
さすがに先ほどまでいた街中に比べると頬に当たる風は幾分冷たかったが寒いと言うほどのものでもなかった。
前方の岸壁にフェリーだろうか二隻の船が暗い海をバックにぼおーっと霞んで見えていた。
「わー、なんだか霧が出てきたみたいだ」
「本当だわ。あの船かすんで見えるし、温かいですもの。でも冬の霧って珍しいわ」
女は感慨を込めるように言った。
「暖かい冬の夜の人気のない港。霧に霞んだフェリー、何かロマンチックですねえ」
本当は霧に霞んだフェリーの後に「そして暗い港に佇む、あなたとぼくの二人」と入れたかったのだが、それではあまりにもキザ過ぎると、進次はかろうじてそれだけ言った。
その言葉に女は振り向いたが、今度は何も言わなかった。
「あそこにベンチがある。行って座りましょうか」斜め前方のその位置を指しながら、進次は思い切って女の手を取った。
女は一瞬その手を内側のほうへ少し引いたが、すぐまたもとの位置に戻して、今度はそっと進次の手の平にふれてきた。
つづく
次回 8月13日(木)