2026年7月10日金曜日

バレーボール女子世界大会のTV中継 何故ブラック企業がスポンサーなのか


(AI による概要)

女子バレーボールの世界大会中継で、いわゆる「ブラック企業」や労働環境が問題視された企業がスポンサーにつくのは、テレビ局側の莫大な放映権料・制作費を回収するための高額なスポンサー料が必要である一方、批判を恐れずに広告効果を求める企業側の思惑が一致するからです。

理由は主に以下の3点に集約されます。

  • テレビ局の莫大なコスト: 世界大会の放映権料や中継・イベント運営にかかる費用は非常に高額です。局は巨額の赤字リスクを抱えるため、資金力のある大口スポンサーを確保する必要があります。 [1]

  • 知名度アップの必要性: 一般的に「ブラック企業」と噂される企業は、労働問題等で企業のイメージが低下していることが多く、それを払拭するための「大規模なテレビ露出(企業の知名度や安心感の向上)」を強く求めています。

  • ターゲット層の一致: バレーボール中継は家族層や幅広い年代の視聴者が多く、特に地方の主婦層などに向けた認知度向上を狙う企業(通信教育、不動産、人材派遣など)にとって、非常に費用対効果の高い広告枠となります。

こうした構図により、資金提供を求めるテレビ局側と、大規模な露出によるイメージ刷新や知名度アップを図りたい企業側の利害が一致し、スポンサー契約が成立しています。


バレーボール女子世界大会のスポンサーに買取専門店などの企業が多いのは、「メインの視聴者層(40〜50代女性)」と「買取業界のメインターゲット層」がぴったり一致しているからです。

また、近年のコロナ禍以降、従来の大手企業がスポーツ協賛を控える傾向がある中、業績が好調な買取店が多額のスポンサー料を積極的に支払っていることも大きな理由です。

主な理由は以下の3点に集約されます。

  • 視聴者層との高い親和性
    貴金属やブランド品などの査定・買取を利用するメイン層は40代〜50代の女性です。テレビのバレーボール中継は主婦層やファミリー層の視聴率が高いため、この層に向けてダイレクトに認知度や信頼性を高められる絶好の場となっています。

  • 認知度と信頼性の向上
    「買取大吉」などの企業が大会のタイトル(冠)スポンサーになる理由は、全国展開を進める上で、テレビCMとの相乗効果を狙うためです。世界的な国際大会のスポンサーを務めることで、「安心できる企業」というブランドイメージを視聴者に強く印象付けることができます。

  • 資金力と業界のトレンド
    日本のリユース・買取市場は堅調に伸びており、店舗拡大や利益率の高さから高い広告費を捻出できる資金力を持った企業が増えています。


バレーボール女子世界大会のスポンサーに買取専門店などの企業が多いのは、「メインの視聴者層(40〜50代女性)」と「買取業界のメインターゲット層」がぴったり一致しているからです。また、近年のコロナ禍以降、従来の大手企業がスポーツ協賛を控える傾向がある中、業績が好調な買取店が多額のスポンサー料を積極的に支払っていることも大きな理由です。

主な理由は以下の3点に集約されます。

  • 視聴者層との高い親和性
    貴金属やブランド品などの査定・買取を利用するメイン層は40代〜50代の女性です。テレビのバレーボール中継は主婦層やファミリー層の視聴率が高いため、この層に向けてダイレクトに認知度や信頼性を高められる絶好の場となっています。

  • 認知度と信頼性の向上
    「買取大吉」などの企業が大会のタイトル(冠)スポンサーになる理由は、全国展開を進める上で、テレビCMとの相乗効果を狙うためです。世界的な国際大会のスポンサーを務めることで、「安心できる企業」というブランドイメージを視聴者に強く印象付けることができます。

  • 資金力と業界のトレンド
    日本のリユース・買取市場は堅調に伸びており、店舗拡大や利益率の高さから高い広告費を捻出できる資金力を持った企業が増えています。



2026年7月9日木曜日

NotebookLM 記事分析シリーズ No.8

 自己完結型」の人は利己主義で冷たいのか?誤解されがちな彼らが実は「誰よりも努力家」である理由


現代の「つながり過ぎる」社会への問いかけ


SNSを開けば誰かとつながり、些細な悩みもすぐに周囲へ相談して合意形成を図る。そんな「開かれたコミュニケーション」が美徳とされる現代において、何でも自分一人で決めて完結させてしまう「自己完結型」の人々は、どこか近寄りがたい存在に映るかもしれません。


「冷たい」「わがまま」「利己的」――。

そんなネガティブな言葉で語られがちな彼らですが、ふとした瞬間に、彼らとの間に「冷たい壁」を感じたことはありませんか?しかし、その壁は決してあなたを拒絶するためのものではありません。


実はそれこそが、自分を律し、他者に甘えないための「規律という名の盾」なのです。今回は、誤解されがちな彼らの内面にある、圧倒的な努力と誠実な美学を紐解いていきましょう。


テイクアウェイ1:他人に頼らないのは、裏を返せば「圧倒的な努力」の証である


自己完結型とは、疑問や問題に直面した際、安易に周囲を頼るのではなく、自分自身で考え、納得し、結論を出すまでを完結させるスタイルを指します。


彼らがなぜ他人に頼らないのか。それは決して他人を軽視しているからではなく、**「自分の決断に全責任を持つ」**というストイックな覚悟があるからです。


  • 責任の転嫁を許さない: 誰かに相談して決めることは、失敗した際に「あの人が言ったから」という逃げ道を作ることにもなり得ます。彼らはその「甘え」を最も嫌い、すべての重荷を自分で背負うことを選びます。

  • 「負け」られない緊張感: 独立独歩の姿勢を貫くためには、誰からも文句を言わせない結果が必要です。そのため、彼らは失敗しないよう、人一倍の準備と努力を自分に課しているのです。

彼らの自立心は、怠慢の対極にある、強烈な責任感の表れと言えます。


テイクアウェイ2:独善的どころか、実は「客観性とバランス」を誰よりも重視している


「自己完結型は自分の意見を押し通す独善的な人だ」というイメージは、実は大きな誤解です。むしろ、自分一人で決断を下すからこそ、その判断が「独りよがり」になることを誰よりも恐れています。


ソースによれば、彼らの行動指針には次のような一節があります。


「自己完結型(※ソース内では自己実現型)は物事を決めるのに人の力を借りません。とはいえ、独善的にならないよう、客観性を大事にします。」


彼らは決して「誰の意見も聞かない」わけではありません。ただ、その相談相手が周囲の人間ではなく、「本」を通じた先人の知恵や歴史的な視点であるだけなのです。日頃の読書から得た多角的な「バランス感覚」こそが、彼らにとっての内部顧問会議であり、周囲との調和を保つための真の知恵となっています。


テイクアウェイ3:彼らの「沈黙」と「観察」の裏にある戦略的思考


自己完結型の人は無口に見えることが多いですが、その沈黙は無関心ではなく、生存のための「戦略的観察」の時間です。


  • 「彼を知り己を知れば百戦危うからず」: 孫子の兵法を地で行く彼らは、負けが許されないという緊張感の中にいます。セーフティネットを持たない彼らにとって、周囲を慎重に観察し、状況を正確に把握することは、自分を守り、正しい判断を下すための不可欠な情報収集なのです。

  • 謙虚な内省: 彼らは自分の行動が利己的になっていないか、常に自分自身を厳しくチェックしています。他人に指摘されない分、自分の中に厳しい「検閲官」を飼い、絶えず反省を繰り返す謙虚さを持ち合わせています。


テイクアウェイ4:「Self-contained」という言葉が持つ本当の豊かさ


英語で自己完結型を意味する「self-contained」という言葉には、非常にポジティブで豊かなニュアンスが含まれています。


  • 必要物がすべてそろった(自給自足の)

  • 自制心のある、冷静な

  • 自己充足した

これは、例えば「生活に必要な設備がすべて整ったアパートメント」を指す際にも使われる言葉です。つまり、自己完結型の人間とは、**「自分の中に必要な知恵や強さをすべて備えた、一つの豊かなエコシステム(生態系)」**のような存在なのです。


近年注目される「おひとりさま」という生き方も、単なる孤独の推奨ではありません。自分自身で自分を充足させられる、真に自立した精神のあり方を肯定しているのです。


テイクアウェイ5:あえて「コメントを求めない」という、新しい情報の受け取り方


情報の濁流に飲み込まれがちな現代において、彼らは独自の「知の防衛策」を持っています。

あるブロガーは、趣味のブログを15年間運営しながらも、あえて「コメント」を求めないスタンスを貫いています。それは、顔の見えない無責任な意見に心を乱されるよりも、情報の質を高く保つための賢明な選択です。


  • 信頼の基準をどこに置くか: ネット上の不確かな声に惑わされるより、何十年、何百年と読み継がれてきた「本」に知恵を借りる。

  • 情報の取捨選択: あえて周囲の反応を遮断することで、自分の頭で深く考える「聖域」を守っているのです。

15年という長い歳月、自分を信じて発信を続けられるのは、他者からの承認ではなく、自分の中に確かな基準を持っているからに他なりません。


結論:真の自立とは何か


自己完結型の生き方とは、決して周囲を拒絶し、孤立することではありません。それは、**「周囲の安易な意見に流されず、自分自身の足で立ち、自分を磨き続ける」**という、非常に誠実でストイックな自立の姿です。


彼らは他人に依存しない分、人知れず知識を蓄え、状況を観察し、絶えず自省を繰り返しています。その背中は、時に孤独に見えるかもしれませんが、その内側には誰よりも豊かな世界が広がっています。


あなたは周囲の意見に迎合せず、自分一人でも「これは正しい」と言い切れるほどの確かな信念を、今日ひとつでも持ちましたか? 時にはスマートフォンの通知を切り、誰かに相談したい気持ちをぐっと堪えて、自分自身と深く対話する時間を持ってみてください。


そこには、他人に依存していたときには見えなかった、真の強さが眠っているはずです。


元記事:自己完結型で何が悪い (2)

https://tuneoo.blogspot.com/2024/12/blog-post_9.html


2026年7月7日火曜日

小説のようなエッセイ ・シリーズ No.4

「私の部屋は2階だけど、はしごで上がればバレないから」と彼女は言った




初対面の若い女性社員は新聞を広げて見ていた


東京下北沢の、その頃勤めていた会社の幹部研修所で、営業所長のための実務研修を終了し、新人所長として私は初めて大阪福島区の事務所に出社した。


室内には6名の新人社員が待機していたが、目立ったのは20代中頃と思しき女性社員で、席に座って新聞を大きく広げて見ていた。確か朝日新聞だったと思う。


「ほう、珍しいな。今どきの若い女性が職場で新聞を読んでいるとは」と思ったが、立ち上がってお辞儀した女性は、知的でチャーミングな風貌をしていた。


会社は数年前に設立された図書販売会社で本社は東京新宿だったが、関西の拠点づくりを強化しており、その一環として設けられたのが大阪市の福島営業所であった。


その営業所長として、つい数か月前まで、一営業社員だった私に白羽の矢が当たり所長としての任につくことになったのだ。


私が新しい営業所の所長なら当然社員も全員が新人である。


全部で6名いたが、その中の唯一の女性が頭文字「EI」という25歳の彼女だったのだ。


私がこの会社を選んだのは


学窓を巣立って以来約20年間務めたホテルマンを訳あって辞め、図書販売という未知の業界に飛び込んできた私は既に30代半ばを過ぎ、あと数年も経てば40歳を迎える年齢になっていた。


再就職先にこの会社を選んだのは、本が好きだからというのも理由だが、それにも増して、社長が東大卒という点に惹かれたのだ。


それに歴史は浅いが、全国に営業所を展開しており、売上高も年商が200億円以上に達しており、先行き明るいと見込んだのだ。


彼女とは年齢は一回りほど違ったがなぜか気がよく合った

話し上手でお酒も強くアフターファイブの格好の相手になってくれた


彼女については、この会社へ入るまで、どのような経験を積んできたのかよく知らなかったが、すこぶる社交家で、話がとても上手で、人を引き付ける術をよく心得ていた。


特に男性の気を引くのがうまく、相手を「自分に気がある」と思わせる術を心得ていたようだ。


だから、たいていの男はなすべなく彼女に操られてしまい、彼女の思うままになってしまうのである。


私を自宅に誘うのに彼女が放った驚くべき大胆なセリフとは


ある日の仕事終わりに、彼女といつも行く居酒屋で過ごしたが、時間はアッと言う間にすぎ、帰宅時間が迫っていた。


でも二人とも未練が残り、そのままおとなしく帰る気持ちになれずにいた時、彼女が思いもよらないようなことを言ったのだ。


「ねえ所長、これから私の家へ来ませんか」 


それを聞いて私は耳を疑った。部下の女性が上司の男性を誘う、それも夜の夜中に、よりによって「私の家にきませんか」とは。


いったい何事なのか。世の中にこんなことがあるのか。


私は驚きを隠せないまま、彼女に訊いた。


「私の家に来ないかと言っても、家には両親や家族がいるでしょう」


すると、なんと大胆なことか、彼女はこう言い放ったのだ。


「大丈夫ですよ、私の部屋は2階で、はしごで上がればバレないから


これを聞いた私はどうしたかというと、たいていの心ある男だと、酒に酔った勢いのそんな女性の誘いには乗らないはずなのに、明日が土曜で休日ということもあってか、いとも簡単にそれに同調したのである。


後で考えたのだが、その頃の私の家庭生活は妻との不仲がピークに達しており(他人にはわからない深い事情があった)、荒れに荒れた悲惨な状態にあったからかもしれない。


彼女の自宅は阪急電車沿線のI駅から徒歩10分ほどの住宅地にあった。小さな門の奥に2階建て住宅があり、暗い中、目を凝らして見ると、敷地の隅の方の地面から2階に向けて「はしご」らしきものが立てかけてある。


でも、今夜誰か来ることを予想していたのだろうか。それとも訳あって、いつもそうしているのだろうか。不思議に思ったが、私は彼女に指示されるまま、静かにはしごを登って行ったのだ。


翌朝、父親の声に驚かされた


春先だったが、彼女の部屋にはまだコタツがあった。二人はその中で夜を過ごした。


翌朝のことだ。突然階下から「〇子、新聞代〇〇あるか?」という声と共に、階段を上がってくる大きな足音が聞こえた。


どうやら父親らしい。新聞の集金が来て小銭がなかったのだ。


私は驚きに驚いた。バレたら一巻の終わりだ。


で彼女はどう反応したかというと、私にジェスチャーで「コタツの中にもぐる」ように指示したのだ。


これまた大胆かつ素早い判断で、昨夜同様に私は舌を巻いてしまったのだ。


こうして、夜の彼女の自宅訪問は無事に終わったのだ。嘘のような話だが、本当のことである。


果たして翌朝部屋にやってきた父親は気づいていたかどうかは不明である。


いずれにしても勝負を決めたのは彼女の大胆さにあったと言っていいだろう。


そんな彼女は、その後半年ぐらいたって、家庭の事情ということで、会社を去っていった。


はなはだ型破りで、この上なく大胆だった彼女は、その後どのような人生を送っているのだろうか。幸せであってくれたらいいのだが。


終り



2026年7月4日土曜日

作家とエッセイ ・再掲載シリーズ No. 26

 

初出:2020年9月1日火曜日      更新:2026年7月4日

このエッセイ 原稿料はいくら?

エッセイはよく読みます。おそらく活字の作品の中で最も多く読んでいるのではないでしょうか。

それ故によく思うのがエッセイの値段についてです。

今も手元に1冊のエッセイ集があります。タイトルは「ベストエッセイ2019」

タイトルでも分かるように、この本は2019年(2018〜19)に出たエッセイの中から、良い作品だけを選んだアンソロジーです。

つまり過去1年間に発表された最新のエッセイ優秀作品の集大成ということになります。

収録されているのは80作品弱です。なにしろ80人弱もの作家が書いたすばらしいエッセイの作品集ですから読む前からワクワクします。

でも今回は作品の内容はさておき、テーマにしたいのは収録作品の原稿料です。

なんと言ってもベストエッセイと銘打った作品揃い、さぞかし原稿の金額も張るに違いありません。

はたして1篇の作品に対して出版社はいくらの原稿料を支払っているのでしょうか。

このエッセイでいくら原稿料を貰っているのか 

収録されたエッセイの長さはまちまちですが概して短いものがほとんどで、文字数で言えば1200〜2000文字程度が大半を占めているようです。

400字詰め原稿用紙で言えば、3枚〜5枚ということになります。

あえて400字詰め原稿用紙というのは、今でもこれが原稿料の計算単位になっているからです。

つまり、出版社は作品の原稿料を400文字原稿用紙一枚に付きいくらというかたちで算出するのです。

原稿料は400文字単位で計算される

でもなぜ400字詰め原稿用紙1枚単位で原稿料が計算されるのでしょう。

それは作品の長さを測るのにこれが使われているからです。つまりこの小説は400字詰め原稿用紙300枚、このエッセイは400字詰め原稿用紙6枚の長さ、というふうに言い表されるのです。

今ではたいていの場合、原稿執筆はパソコンが主流で原稿用紙に手書きする作家は少数派なのですが、出版社はいまだに原稿用紙から離れられないのです。

作家のエッセイはどんな文章でも1文字10円に

では実際にいまエッセイ作品は原稿用紙1枚に対していくら支払われているのでしょうか。

ズバリ言いますと4000〜6000円が主流です。

ということは平均が5000円とすると、400字詰め原稿用紙5枚(2000文字)のエッセイは2万円ということになります。

2000文字2万円だと、1文字あたり10円に当たります。

ふーん、1文字10円。はたして高いのか、それとも安いのか?

2000文字のエッセイは2時間もあればじゅうぶん書ける

エッセイ1編の価格2万円が高いか安いかを判定するには、まず最初に執筆の所要時間を知る必要があります。つまりこれを書き上げるのにかかった時間です。

常日頃パソコンを使ってブログを綴っているわたしの推測では2000文字の文章だと2時間もあればじゅうぶん書けます。書くだけでなく、何度か読み直して推敲も入れた時間です。

ちなみに今回のこのブログも2000文字程度です。

アマチュアのわたしでさえこうなのですから、作家というプロの文筆家だともっと速いかもしれません。

2時間で2万円の仕事ができるということは、時給に直せは1万円ということになります。

まあプロの作家なら、これくらいとってもいいでしょう。

しかしそれが言えるのは作品の質が高くて、エッセイとして立派な作品である場合のみです。


はたしてベストエッセイ2019の作品はどうなのでしょうか?


こんな駄作を誰に読まそうというのだ

そもそも今回のブログでエッセイの値段をタイトルに掲げたのは、「ベストエッセイ2019」の収録作品の質に疑問を感じたからです。

つまりベストエッセイと銘打っていながら、あまりにも質の低い作品が多すぎるのです。

いや多すぎると言うより、ほとんどがつまらない作品といったほうが良いかもしれません。

要するに読んでいて失望の連続なのです。はっきり言って「良いな」とか「まあまあ良いな」と、合格点がつけられる作品は全体(80作品)の1割程度でしかありません。

その他は読む作品、読む作品が、これがプロが書いたエッセイなのか、と、読んでいて失望のため息ばかりが出るのです。

その結果、一体こんなつまらない作品に出版社はいくらお金を払っているのだろうか、という疑問が湧いてきたのです。

私がネットに書いてきた記事は最高で1文字2円

作家のエッセイが1文字10円であるのが高いか安いかの判定の参考にしていただくために、いま盛んなウェブサイトの記事の価格について書いてみることにします。

いまは活動を休止していますが、わたしは長らくの間ウェブライターとして活動してきました。

ウエブライターとは、様々なウェブサイト専門に記事を書くライターのことを言います。

ウェブライターに対して、雑誌など紙の媒体に記事を書くライターがいますが、一般的にウェブライターより原稿料は倍ぐらい高いようです。私の場合、原稿料が最も高くて1文字2円でした。

一方は1文字10円以上、他方は1文字2円、何という差でしょうか。

でもこれは決して質の問題から発生したことではなく、単に紙媒体とウェブ媒体の根拠のない値段の差によるものなのです。


2026年7月2日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈6〉紳士と編集長(10)最終回

        

  

adobe stock        

              10

僕がそのベンチのすぐ前まで来て斜め前に立った時も彼は気づかずに、紙袋を上から覗き込み、片手をその中に突っ込んで、なにやらゴソゴソとまさぐっていた。


「こんにちは。お久しぶりです!」

僕はやや声を張り上げて彼に向かってそう言った。


その声に、彼は手を袋にいれたままだったが顔を上げて僕のほうをふり向いた。


「ほんとうにお久しぶりですねえ。お元気でしたか?」


最後の夜に苦い思いをして別れたはずなのに、そのことはすっかり忘れていて、僕は心底懐かしさがこみ上げてきて再びそう言うと笑顔で彼を見た。


すると彼も僕を見て、「やあ」と小さな声で答えたものの、なぜか表情はうつろで以前のような柔和な笑顔は見せなかった。


「まあここへどうぞ」


紙袋を少し端に寄せ、ベンチの真ん中あたりから少し腰をずらせて、空いた所をさしながら、座るようにと促した。


「あれからもう二ヶ月にもなりますねえ。バス停でもまったくお見うけしませんが、このごろはあそこへはいらしてないんですか? びょ、びょう、違った。事務所の方へは?」


危うく病院と言いかけて慌てて事務所と言いなおした。


「ええ、まあまあ」


彼はさっきより少しだけ表情を緩めて短くそう答えはしたが、今度は僕の方は向かず、顔を反対の方へ向けると、また横においた大きな紙袋の中へ手を突っ込んでいた。


「買物をしてきましてねえ。いろいろと」


横の紙袋を今度は自分の膝の上に乗せてから、彼がまたボソッと言った。


でも表情はまだうつろなままで、以前と変らなかった。


「へえー、お買物ですか、大きな袋のようですがいったい何をお買いになったのですか?」


彼がいったい何を買ったのかも知りたい気持ちもあって、とりあえずそう聞いてみた。


「いい物がたくさんありますよ。お見せしましょうか」


そう言うが早いか、また腰をずらして僕との間に少しスペースを開けると、袋の中から一つづつ品物を取り出し始めた。


いきなり買物の中身を見せたりして、この人僕とのことを覚えているのだろうか? 


うつろな表情はともかく、あの夜、あんな気まずい別れ方をしたというのに悪びれたところが少しもない。


前の日のことについて一言なり触れてもいいはずなのに、あんなこともうみんな忘れてしまったのだろうか。


「これはねえ、イタリア製の財布。そしてこれはドイツ製の万年筆。そうそうこれもいいでしょう。アメリカ製のキーホルダー。ほら五つもある。どうです? ひとつ差し上げましょうか?」


「い、いえ。せっかくですけど結構です。僕キーホルダーも万年筆もわりに持っている方ですから」


そんなものひとつぐらい貰ったこころで別段どうってこともないのに、何故か僕はその時はムキになって断っていた。


だけど彼はそんな僕の言葉には何も答えず手にしたなんの変哲もないそのキーホルダーをしげしげと眺めていた。


「あのう、ぼく今勤務中ですので、これで失礼しようかと思います。また機会がありましたら・・・」


勤務中というのは本当だったし、その時同時に、木谷進一と名のる彼の息子が電話で言った「父とは今後おつきあいなさらないで下さい」と言った言葉をふと思い出して、僕はそう言ってベンチを立った。


「そうですか」


相変わらずうつろな表情のまま彼が今度も僕の方は見ないで、さっきよりさらに小さな声でそう答えた。


「じゃあ僕はこれで失礼します」軽く会釈してそう言いながら、なにか急ぐようにして彼のもとを離れていた。


その夜、僕は六時半に仕事を終えて、バス停に向かう途中、なぜかまた昼間彼がいた噴水横のベンチの前を歩いていた。


暖かだった昼間とはうって変って十二月の冷たい風が吹いており、ベンチには人の姿はなかった。


端から二つ目の、昼間彼が座っていたベンチの前まで来ると何故か自然に足が止まった。


そして背後で流れるジャージャーという水の音を聞きながら、「あーあ、あの人そううつ病と男色趣味か」


そうつぶやいて、また紳士然とした彼の姿を瞼に浮かべ、抜きさしならぬ病気と、変った嗜好を持ち合わせたあの紳士に対して、次第にやるせない同情心が募っていき、僕はしばらくその場にポツンと立ちつくしていた。


終わり


文中引用 [訴訟社会アメリカ] 長谷川俊明著 中公新書



次回からは「進次と和子の青春グラフィティ」をお届けします。


第1回 7月16日(木)