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2024年5月8日水曜日

元ニューヨーク駐在ホテルマンが海外就職予定者へアドバイス


海外で働こうと思っているなら

英会話だけでなく英語文書の読解力もつけておこう

人口減少や長期間景気低迷など、今の日本は若者にとって閉塞感に満ちた住みづらい国になっているが、これに見切りをつけて、日本を飛び出して海外で職場を見つけようと考えている若者も少なくないはずだ。

その志は大いに結構であるが、どうか軽はずみにならず、慎重に計画を進めてほしい。

というのも、周りを見渡して見ると、せっかく計画を立てたのに、杜撰で不十分な立案のせいで、現地へ赴いたものの、初期の目的を果たすことがかなわず、中途挫折で撃沈して帰国を余儀なくされる人たちがあまりにも多いからだ。

長い期間と多額の予算をかけて臨む計画だけに、こうしたことだけは絶対に避けなければならない。そのためには計画策定はできるだけ時間をかけて慎重に行わないといけない。

それに対する対策のひとつとして、成功した経験者からのアドバイスを参考にすることをお勧めする


事前の準備は英会話訓練だけでなく実務面の予備知識習得も怠りなく


海外就職を目指す人の特徴としてありがちなのが学習面の準備における不備ではないだろうか。

学習面とは海外就職で必要になる知識の習得を言うが、問題なのは、学習がとかく英会話習得だけに集中し他のことへ気が回っていないことである。

他のことで代表的なのが読む力である。読む力というのは英語の読解力のことで海外の職場で出てくるビジネス文書への対応力(理解力)のことをいう。


現地職場の社内文書などに対する理解力(読解力)を高めておく

海外の職場では日本に比べて会議やミーティングは少なく、連絡事項はinteroffice corresponndenceと呼ばれる社内文書で流されることが多いようだ。

もちろん現地語によるものであるが、たとえ英語圏でなくても国際語である英語で表記される場合が多い。

したがって少なくとも実際の英語による社内文書には目を通して理解力を確かめておくことが大切である。実際には以下のような書類がある。


・NYのホテルから照会に対する返事の手紙

海外で就職を目指しているなら就職希望先などに対して事前に照会活動などで何らかアクションを起こすことが必要だが、その手段としては手紙そ使うのが多いと思われるが、そのために必要なのが英語によるコミュニケーションの能力である。

下は筆者が渡米前にNYのホテル(照会先)から受け取った文書だが、最低限、この程度の文書に対する知識をつけておくことが必要。





・ヒルトン社内業務連連絡文書

海外の職場では日本と比べて会議やミーティングが少なく、その代わりに伝達手段として使われるのが社内文書(inter office correspondence)である。




・ヒルトンの社員就業規則



・勤務シフト表



・ヒルトンの給与明細



・身分証明書(職場のIDカード)



・SSNカード

ソーシャルセキュリティカード(SSNカード)とは、アメリカで個人に割り当てられる9桁の社会保障番号(SSN)が記載されたカードです。日本におけるマイナンバーのようなものです




・・・・・・・・・・・・・・・・・



《コラム》私とNYのホテル 50年前の小さな日米関係



紳士的だったニューヨークのホテルマネージャー


50年前といえば忘れもしないあの世紀の大イベントExpo ’70 大阪万博があった頃だ。その万博が終わった年に私はニューヨーク渡航を計画していたのだ。


その頃の私は大阪のシティホテルでフロントスタッフとして働いており、12年間の間に市内3つのホテルを転籍して3つ目の職場ではアシスタントマネージャーの地位を得ていた。


だが、ホテルマンとして更にステータスを上げるためにはもっと勉強が必要だと感じ、ホテル先進国の米国行きを決意したのだ。


そのために訓練生として雇ってくれる職場探しを始め、その目的で私が送った手紙に返信されてきたのが2通の手紙なのである。



見知らぬ東洋人のぶしつけな手紙に親切に応答してくれたNYの名門ホテル


それにしても当時のアメリカのホテルのマネジャーは思いやりがあふれてとても親切だった。


というのも、見ず知らずの東洋の一ホテルマンからいきなり送られてきたリクエストの書状に対して好意あふれる丁寧な返信を送ってくれたからだ。


場合によっては「紹介者もなしに、失礼にもほどがある!」と、無視されてノーアンサーという結果に終わったかもしれないのだ。


でも、これは後で気づいたことなのだが、手紙を送った時節的タイミングが非常に良かったのかもしれない。


それは当時のニューヨークは日本人観光客ラッシュで、名だたるホテルはどこも連日日本人団体客であふれたいたのだ。


そこで必要になるのが言葉の心配のない日本人スタッフだ。二のニーズにぴったり当てはまったのが私が送った求職打診の手紙だったのだ。



Mr.Parkerから始まったNYのホテル4か所の面接連鎖

4名のマネージャーはみな親切だった


いずれにしても、私はその手紙を持参して意気揚々とニューヨークへ向かったのだ。そしてまず訪ねたのがホテルバークレイのミスターパーカーであった。


彼は手紙に書いていた通りのことを、さも申し訳なさそうに言って、代わりにいい人を紹介してあげる、と連絡してくれたのがホテルアメリカーナのセールスマネジャー、ギルフォイル氏であった。


ホテルアメリカーナはパーカー氏のバークレイに比べると歴史や伝統はそれほど感じられないが、いかにも近代的でしゃれた感じの高層の建物であった。


で、ここで働けるのかと喜んでいたら、ギルフォイル氏はさらに次のホテルを推薦してくれたのだ。


私のところよりもっと日本人客が多いところの方が良いのでは、という理由で紹介してくれたのがニューヨークヒルトンなのである。


そこまでことが進んで、私は最終的にNYの職場は有名なヒルトンホテルになったか、とすっかり満足してしていた。


もっとも、配属されたのはさらに日本人客が多い系列のスタットラーヒルトンというホテルであった。


そこで出会ったのが直属上司となるフロントマネージャーのスレイター氏であった。


かくして


バークレイ⇒アメリカーナ⇒ニューヨークヒルトン⇒スタットラーヒルトン


と経由して、やっと4つ目でNYでの勤務先のテルが決まったわけだ。


それにしてもニューヨークのホテルのマネージャーは4人ともみんな親切な人ばかりだった。


 (Hotel BarclayとHotel Taft 写真)

手紙をくれたHotelBarcley,とHotelTaft(現ミケランジェロ)は今も健在

        




私に手紙をくれたニューヨークの二つのホテルは半世紀が過ぎた今も健在である。

上に載せたのはHotel Barclayの現在の写真と、Hotel Taftの建物の過去の写真である。


Hotel Barclayは当時も歴史のある立派なホテルだったが、50年を経た今もインターコンチネンタルホテル傘下でニューヨークの名門ホテルとして君臨している


一方のHotelTaftは経営者が代わりホテル「ザ・ミケランジェロ」として今も健在だ


50年を経た今もあの2つのホテルが健在であることは、私にとっては限りなく喜ばしいことである。





2024年2月1日木曜日

NYのホテルペンシルバニアがなくなったのが悲しい

 


ホテルペンシルベニア 廃業して解体された

ホテル・ペンシルベニアは、1919年に当時のペンシルベニア鉄道がその社名を冠して創業。

マンハッタンのど真ん中、ペン駅の正面に立地したその建築は威容を誇っており、ニューヨークの中では、ウォルドルフ・アストリアと格式を競っていた。

 約2000室と規模は巨大で、一時は世界最大のホテルといわれた時期もあった。

80~90年代には団体客用のホテルとして経営され、当時の日本発の団体ツアー客や出張者にはなじみの存在だった。

 21世紀に入ると凋落(ちょうらく)は著しく、一時は歴史的建造物としてリノベーションが検討されたこともあったが、新型コロナウイルス禍はその希望を打ち砕き、最終的には20年に廃業、22年末から解体工事が始まった。

 出典:エコノミストオンライン

上の記事はニューヨークの名門ホテル「ホテルペンシルバニア」の閉館を知らせるインターネット情報です。

3年の長期にわたって世界中の都市で猛威を振るった新型コロナは産業界に大打撃を与えましたが、ホテル業界も例外ではなく、都市のホテルへの影響は甚大で、休業や廃業に追いこまれたところが数限りなくあるようです。

ニューヨークのホテルペンシルバニアもその中のひとつですが、個人的にも思い出ぶかいこのホテルが閉鎖されるのは残念で仕方がありません。

ここでは写真とともに在りし日のNYの名門ホテルをしのぶことにします。

 

ホテルペンシルバニア 築100年 歴史ある高級ホテル

7番街33丁目、マディソンスクウェア―ガーデンのまん前

ニューヨーク7番街33丁目にあり、その場所が分かりやすいのは世界中の誰もが知っているスポーツの殿堂あのマディソンスクエア―ガーデンのまん前にあるからです。

ペンシルバニアの名前に見るようにすぐ近くにペンステーションがあり、またニューヨークのランドマーク「エンパイヤ―ステートビル」へは歩いて行ける立地条件にあります。

             

スタットラーヒルトンの時代もあった

このホテルでジョンソン大統領や淀川長治氏に出会った

  ジョンソン大統領

 ホテルペンシルバニアは近年でこそ老朽化のため、クオリティ的にはホテルとしてのステータスは下がって往年の高級感は失っていましたがl、

私が職場研修で訪れていた1970年ごろ(当時はスタットラーヒルトンホテルという名前)は、まだヒルトン系の高級ホテルとしての存在感は十分に保っており,

それをよく示すように、当時フロントオフィスで働いていた私はゲストとして訪れた当時のアメリカの指導者ジョンソン大統領や日本からやってきた有名な映画評論家淀川長治氏などVIPの接客に当たったのです。


          淀川長治氏

2023年1月1日日曜日

50年前の職場 ニューヨークのホテル 勤務シフトが出てきた


なにげなしに昔のファイルブックを繰っていると、その内の1冊からなんとも珍しいものが出てきたではないか。

それは今から半世紀、約50年前に勤務していたニューヨークの職場(スタットラーヒルトンホテル)の勤務シフト表である。

言うまでもなくホテルは24時間営業であり、それに伴ってスタッフの勤務時間もまちまちだ。

私の名前は下から4番目にあるが、O’hiraとなっていて、Oとhの間に ’(アポストロフィ)がついている。

これはアイルランド系の名前によくあるのだが、例えばO’cconarとかO’haraというような表記だが、

この表の作成者であるチーフクラークのフレディが私の名前Ohhiraの段になって、ふとO’haraという英語名があることを思い出して、それにつられて何気なしにO’hiraとしたに違いない。

まあこの方がOhhiraよりかっこよく見えて良いのだが。


勤務は「夕方5時~深夜1時」の遅出シフト


が多かった


それはさておき、肝心の勤務期間を目を通し


て見ると、この週は遅番の勤務になっていて


夕方5時から深夜1時までのシフトに入って


いる。



フロントオフィスは朝8時から、午後2時か


ら、それにこの午後5時からの3つのシフト


に分かれているのだ。



3つのシフトのうち、私には5時~1時にラ


ストのシフトが当たることが多かったが、こ


れは同僚のプェルトルコ人カマチョととも


に、夜だけ行われるルームインスペクタ―タ


いう役割があったからだ。


ルームインスペクタ―の職務はその日チック


アウト予定の客がすべて出発し終えたと目さ


れる夜になってから、夕方まで荷物が残って


いると客室係がマークした部屋のシートを手


にして荷物の有無を確認するため一部屋ずつ


チェックして歩くのだ。


そして荷物がなければV(vacant),逆にまだ荷


物が残っている場合はO(occupaid)とシート


に記していくのだ。


単調で簡単な仕事だが、なにしろ部屋数が2


200というマンモスホテルだけに、これを


すべてチェックするするのにゆうに2時間以


上かかり、足が疲れることこの上ない激務と


言っていいほどのハードワークだった。


そのため帰りの時間には疲れていたせいで寄


り道などせず、いつも34丁目の地下鉄駅ペ


ンステーション目指して急いでいた。


そこからアップタウンに向かうIRT系の地下鉄


に乗って下宿のあるWest97丁目まで帰るの


だ。

 

フロントオフィス17名のスタッフの名前が


並んでいる


しかし懐かしい表である。これには全部で17


名の名前が並んでいるが、上から順に目を通


してみると忘れていて読み方さえ分からなく


なっているのが半分ぐらいある。


でも読める名前は今でもその姿を思い浮かべ


ることができる。


それらをカタカナ書きで上げてみると、ヨノ


シー、ヘレイラ、ネルソン、カマチョ、ショ


ーン、ウッド、マクスード、ウィルソンなど


8名である。



中でもよく覚えているのは太字にした5名で


今でも容姿をはっきり思い浮かべることがで


きる。

 

ヒルトンの5名の職場スタッフのことは今で


もよく覚えている


ネルソンはアルバイトできていた黒人の学生


だったが、この彼には1度ずいぶん驚かされ


たことがあった。


それは忘れもしない8月半ばのことだった。


同じ昼間のシフトについていたある日、ネル


ソンが突然「今日は何の日か知ってるか?」


と聞くのだ。


突然のことだったし、質問の意味は分かった


ものの、なんのことかわからず、しどろもど


ろの当方に対して、ネルソンは言った。「You


の国Japanの終戦記念日じゃないか」。


それを聞いたときは驚くと同時にすっかり感


心してしまっていた。


彼には悪いが、常日頃は「たかが黒人のアル


バイト学生」と軽く思っていたのだ。だが


、こちらが意識もしていなかった8月15日


を日本の終戦記念日として、しっかり意識し


て覚えていたのだ。


その日依頼、彼に対しては尊敬のまなざしを


向けるようになっていた。


カマチョは前の項でも触れたがフロントフィ


スでルームインスペクタ―という同じ職務に


携わっていた20代半ばの同僚である。


彼については以前他のブログ記事にも取り上


げているので今回は人物紹介についてはは省


略するが一言だけ言っておくと、無類の女好


きで、一緒にいるときは女性の話題をあげる


ことがが多かったが、好人物で憎めないとこ


ろがあった。


そんな彼も仕事は熱心で、新人の当方を懇切


丁寧に指導してくれた。


フレディ(ショーン)は30台半ばの白人男


性で当時フントオフィスのチーフを務めてい


た。なかなかの物知りで職場一番のインテリ


といってもいい。


彼が教えてくれた日本の「正ちゃん印」のよ


うな、縦に4本の線を引き終りに横1本で閉


じる数の数え方は今でも忘れていない。


マクスードはフロントオフィス一番の年配者


で当時の年齢は60歳近くだったのではない


だろうか。


職場ではいつも「シット!」「シット!」(く


そッという意味)と口走りながら苦みばしっ


た表情で立っていた。


でも新人だった当方に対して、「国の家族は元


気か?」などと、いろいろ気遣ってくれた。


ウッドは黒人でフレディと同年配で同じくチ


]ーフを務めていた男性。


職場で最も背が高く、おそらく190センチ


ぐらいあったのではないだろうか。


寡黙で人当たりはそれほど良くはなかったこ


ともあってか、個人的に親しく話すことはほ


とんどなかった。


以上ヒルトンで一緒に働いていた5名の職場スタッフの名前を挙げたが、今も彼らの姿が懐かしく目に浮かんでくる。

2022年11月4日金曜日

私とNYのホテル 50年前の小さな日米関係

 





紳士的だったニューヨークのホテルマネージャー


上にあるのは今から約50年前に米国ニューヨーク市の2つのホテルから大坂の私に送られてきた手紙である。

50年前の大阪といえば忘れもしないあの世紀の大イベントExpo ’70 大阪万博があった頃だ。その万博が終わった年に私はニューヨーク渡航を計画していたのだ。

その頃の私は大阪のシティホテルでフロントスタッフとして働いており、12年間の間に市内3つのホテルを転籍して3つ目の職場ではアシスタントマネージャーの地位を得ていた。

が、ホテルマンとして更にステータスを上げるためにはもっと勉強が必要だと感じ、ホテル先進国の米国行きを決意したのだ。

そのために訓練生として雇ってくれる職場探しを始め、その目的で私が送った手紙に返信されてきたのがこれら2通の手紙なのである。


見知らぬ東洋人のぶしつけな手紙に親切に応答してくれたNYの名門ホテル

それにしても当時のアメリカのホテルのマネジャーは思いやりがあふれてとても親切だった。

というのも、見ず知らずの東洋の一ホテルマンからいきなり送られてきたリクエストの書状に対して好意あふれる丁寧な返信を送ってくれたからだ。

場合によっては「紹介者もなしに、失礼にもほどがある!」と、無視されてノーアンサーという結果に終わったかもしれないのだ。

でも、これは後で気づいたことなのだが、手紙を送った時節的タイミングが非常に良かったのかもしれない。

それは当時のニューヨークは日本人観光客ラッシュで、名だたるホテルはどこも連日日本人団体客であふれたいたのだ。

そこで必要になるのが言葉の心配のない日本人スタッフだ。二のニーズにぴったり当てはまったのが私が送った求職打診の手紙だったのだ。

 

Mr.Parkerから始まったNYのホテル4か所の面接連鎖
4名のマネージャーはみな親切だった

いずれにしても、私はその手紙を持参して意気揚々とニューヨークへ向かったのだ。そしてまず訪ねたのがホテルバークレイのミスターパーカーであった。

彼は手紙に書いていた通りのことを、さも申し訳なさそうに言って、代わりにいい人を紹介してあげる、と連絡してくれたのがホテルアメリカーナのセールスマネジャー、ギルフォイル氏であった。

ホテルアメリカーナはパーカー氏のバークレイに比べると歴史や伝統はそれほど感じられないが、いかにも近代的でしゃれた感じの高層の建物であった。

で、ここで働けるのかと喜んでいたら、ギルフォイル氏はさらに次のホテルを推薦してくれたのだ。

私のところよりもっと日本人客が多いところの方が良いのでは、という理由で紹介してくれたのがニューヨークヒルトンなのである。

そこまでことが進んで、私は最終的にNYの職場は有名なヒルトンホテルになったか、とすっかり満足してしていた。

もっとも、配属されたのはさらに日本人客が多い系列のスタットラーヒルトンというホテルであった。

そこで出会ったのが直属上司となるフロントマネージャーのスレイター氏であった。

かくして

バークレイ⇒アメリカーナ⇒ニューヨークヒルトン⇒スタットラーヒルトン

と経由して、やっと4つ目でNYでの勤務先のテルが決まったわけだ。

それにしてもニューヨークのホテルのマネージャーは4人ともみんな親切な人ばかりだった。

 

手紙をくれたHotelBarcley,とHotelTaft(現ミケランジェロ)は今も健在


Hotel Barclay


                 (旧) Hotel Taft



私に手紙をくれたニューヨークの二つのホテルは半世紀が過ぎた今も健在である
。

上に載せたのはHotel Barclayの現在の写真と、Hotel Taftの建物の過去の写真である。

Hotel Barclayは当時も歴史のある立派なホテルだったが、50年を経た今もインターコンチネンタルホテル傘下でニューヨークの名門ホテルとして君臨している

一方のHotelTaftは経営者が代わりホテル「ザ・ミケランジェロ」として今も健在だ

50年を経た今もあの2つのホテルが健在であることは、私にとっては限りなく喜ばしいことである。