先日の書評で取り上げた田部井淳子著「それでも私は山に登る」という本の中で、著者の兄の家に「六然訓」という書の掛け軸があることが書かれており、著者自身がその教えに非常に感銘を受けたと述べていました。
その六然訓のことが気になり、ネットで調べてみました。
この六然訓は、勝海舟の書による掛け軸が東京のホテルオークラの隣にある大倉集古館という所に今も残っているそうですが
一説によりますと、この教えを説いたのは勝海舟ではなく、中国の崔銑(さいせん)という人だと言われています。
一説によりますと、この教えを説いたのは勝海舟ではなく、中国の崔銑(さいせん)という人だと言われています。
また明治の思想家であり、陽明学者として有名な安岡 正篤(やすおかまさひろ)氏は、この六然訓を座右の銘にしており
「六然訓」を知って以来、少しでもそういう境地に身心を置きたいものと考えた」と述べています。
ではこの六然訓とはどんな教えなのでしょうか。
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六然訓-自処超然、処人藹然、有事斬然、無事澄然、得意澹然、失意泰然
『自処超然』 (じしょちょうぜん)とは、自分を絶えず突き放し眺めること。
『処人藹然』 (しょじんあいぜん)とは、人と接するときは和やかな気持ちでということ。
『有事斬然』 (ゆうじざんぜん)とは、何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること 。
『無事澄然』 (ぶじちょうぜん)とは、何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること。
『得意澹然』 (とくいたんぜん)とは、物事が上手くいって得意な気分のときは、努めて淡々とした態
度を示すこと。
『失意泰然』 (しついたいぜん)とは、失意のときは、やせ我慢でいいからゆっくり落ち着いている
こと。
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自ら処すること、超然
自分自身に関しては、一向にものに囚(とら)われず、恬淡(てんたん)としている。人はよく見ているもので、モノに執着している人は人が離れていく。他人の行状は自分を振り返ってみる格好の物差しである。
人に接すること、藹然
藹(あい)とは草木が盛んに繁るさまをいうので、處人藹然とは、人に接するときは、相手の気持ちが和らぎ、穏やかになるように心がける。
有事の時には斬然
いったん事が起きればグズグズしないで、束ねたものをマサカリで斬るように、一気呵成(かせい)にやる。
無事の時には澄然
事がない場合には、静かな湖面のように澄み切っている。私利私欲がないから心が澄んでいる。澄んでいるから融通無碍(ゆうずうむげ)に動くことができるのだ。
得意の時には澹然
澹というのは水がゆったりと揺れ動くさまをいう。従って、得意絶頂のときこそ、逆に静かであっさりしていることが緊要だ。そうすると足をすくわれることがない。
失意の時には泰然
失意の時にはうろたえ、呆然となるのが人間の常だが、だからこそ逆に泰然と構え、大所高所から眺めてみる。するとそれまでは見えていなかったことに気づき、死地を脱することができる。そこで意気消沈したらおしまいだ。
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