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2019年12月23日月曜日

もう一度読でみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(6)

        本当なのか?動物の地震予知




EARTHQUAKE PREDICTION(地震予知)
             
                  James M Hendrickson (milestone 2,L5)

                      訳:大平庸夫
 
 
 地震は天災の中でもも最も恐ろしいものの一つですが、日本はその地理条件から世界でも有数の地震国といわれています。この国はこれまでに大きな被害を伴った大地震に幾度も見舞われています。私たちは地震が防ぎようのない災害であることをよく知っていますが、もしその地震が、いつ、どこで、起こるかを知ることができたなら、その地域に住んでいる人々を緊急避難させることによって多くの命を救うことができるのです。
 
 一時は地震を予知するなどということは不可能だと考えられていました。しかし、中国、アメリカ、ロシア、日本などの科学者は諦めることなく、その方法を探る研究を続けてきました。
 
 中国の人々の間では馬を初めとする多くの動物の奇妙な行動を地震の起こる警告として効果的に利用してきました。
 中国の科学者は地震予知の為に最新の設備を使用しています。しかし、それに頼るだけではなく、様々な地鳴りとか、井戸の水位の変化、動物の奇妙な行動などを絶えず観察しています。こうしたことに関して、次のような興味或るデータがあります。
 
 例えば、1975年の2月4日には、中国北東部でのマグニチュード7.3の地震を予知し、また1976年の5月29日には、中国とミャンマーの国境付近で二つのマグニチュード6.9のものを予知しています。これらの予知が非常に正確だったので、事前に多くの人々を避難させることができ、その結果数千人の命を救うことができた、と科学者たちは付け加えています。
 しかしいつもがこうとは限らず、時としては間違った警告を出したことがあったことも権威筋は素直に認めています。
 
 古い年代記の記録によれば、当時のお百姓さんたちは、馬が後足で立ち上がり急に走り出したり、犬がしつこく吠えたり、魚がしきりに飛び跳ねたりしているときは、必ず地面の下で何かよくないことが起こり始めているのだ、ということをよく知っていたそうです。
 
 その他の危険な兆候としては、人々が普段あまり見ることのないネズミやヘビなどが大挙して隠れ場所から出てきたりすること。また別の年代記によると、雷の音のような地鳴りが地震が起こる数時間前に聞こえた、ともあります。
 
 動物による警告のうち、いくつかのものは科学的にも説明が加えられています。
 例えば、冬の真っ只中に凍え死ぬ危険をおかしてまでも、冬眠中のヘビが穴から出てくることがあるそうですが、これに関しては次のように関連付けています。
 つまり、地震の前には地中の温度が極度に上昇するため、冬眠中のヘビは春が来たものと勘違いして出てくるのではないか、と言うのです。
 
 馬、犬、猫、ネズミ、その他の動物の奇妙な行動については残念ながらあまりはっきり説明されていません。たぶん、これらの動物が地震とともに起こる、地鳴り、揺れ、土中の磁気、電気、普段と違う匂い、その他諸々の変化について人間より数段優れた感知能力を持っているからである。と科学者たちは考えています。
 
 他の幾つかの例では、水泳中の人が陸上では聞くことのない音を水中で聴いたり、透明な井戸水が突然濁ったり、水位が変わったりすることもあったそうです。
 
 地震前のこうした警告は世界中のいたるところで知られています。
 アメリカインディアンの祈祷師は地震を予知できる、と言われていますし、ロシアでは真夜中に地震で家が崩壊する直前に、飼い犬が女主人を起こし、外に引っ張り出した、というようなことも報告されています。
 これに似たような話はユーゴやニカラガでもあります。
 
 この点では日本も例外ではなく、魚、動物、鳥、虫、ヘビや昆虫などの異常な行動についての数々の記録が残っています。
 ナマズが地震を起こすなどということは、今では誰も信じないと思いますが、1923年の関東大地震が起こった一日前、東京の向島の池の水面を無数のナマズが飛び跳ねているのが目撃された、という実際の報告があったのも事実です。
 
 こうした記録や報告は知られてはいるのですが、一般的には迷信として葬り去られています。これらの自然の警告を実際に系統立てて地震予知のために使った最初の国は中国です。この方法による1975年と1976年の画期的な予測は世界中の科学者を、この方面の研究へと目を向けさせました。彼らは古い記録を調べると同時に、最近起こった地震についての調査もはじめました。 
 
 はたして日本でもこうした自然の警告を使って、地震予知を成功させることができるでしょうか。幾人かの科学者たちは、日本と中国の地震のメカニズムの違いを理由にあげて悲観的な見方をしているようです。しかし、この分野の研究は始まったばかりですし、これらの自然の警告も他の近代的な予知機器と併用することによっては、地震予知の助けになることは大いにあり得ることだと思います。
 
 

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2019年12月1日日曜日

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(5)

 
 
    THE SANDPIPER(いそしぎ)
           
          Mary Sherman Hilbert(出典:new horizon 2,L3)訳:大平庸夫 
 
 
この話は、ピーターソンという女性とウェンディーという少女の交流を、事実に基づいて描いた物語である。
 人っけのない砂浜で1人で遊んでいる少女のことを、ピーターソンは初めはあまり気にかけていなかった。その頃の彼女の気持ちはあまりにも荒涼としていて、少女と遊ぶような余裕はなかったのである。だが時がたつにつれて、彼女はこの少女ウェンディーや、浜辺に飛んでくる イソシギ という鳥について多くのことを知った。でも何よりよく自覚できたのは彼女自身のことについてであった。
 
 
 私がはじめてその少女を見たのは、彼女が浜辺で砂のお城を作っているときであった。
 
「砂の手ざわりって、とても気持ちがいいわ」 少女が見上げながら言ったが、私はそんなことには少しも関心がなかった。その頃の私は、周りのすべてのことにうんざりしていて、心の余裕など少しも無かったのだ。
 
 「名前なんていうの?」 少女が聞いた。
 「ルースよ、ルース ピーターソン」 私はややぶっきらぼうに応えた。
 「わたしウェンディーというの、6歳よ」
 イソシギが滑るように飛んできて海岸の方へ下りていった。
 「ママはね、イソシギって幸せを運んでくるんだって」 少女は私の方を見て
微笑みながら言った。私はぎこちない笑顔を返すと、少女を残してそこを離れた。
 「また来てね、ピーターソンさん。この次はきっと楽しいよ」
 
 数日たった或る晴れた日の朝、 ”どうやら私にはイソシギが必要なようだわ ”
 そんな独り言を言いながらコートを着ると足は浜辺の方に向かっていた。頬に冷たい風を受けながら私はどんどん歩いた。
 
 その時はあの少女のことが頭に無かったので、彼女の姿を見たときは一瞬びっくりした。
 
 「こんにちは ピーターソンさん、私と遊びたい?」
 「あなたは何がしたかったの?」 
 子どもに邪魔されるうっとうしさをかろうじて抑えながら私は応えた。
 「うーん、分からないわ、お姉ちゃんが言って」
 「言葉当てゲームはどう?」 私は皮肉っぽく言った。
 「わたしそれ知らないわ、何なの?」
 「そう、それじゃ仕方ないわ。歩きましょ」
 少女を見たとき、その顔色がいくぶん青白いのに気がついた。
 「どこに住んでいるの?」 私はそう訊ねてみた。
 「あそこよ」 彼女は避暑用の別荘を指差しながら答えた。
 それを聴いたとき、こんな冬になぜだろう?と、私にはすごく不思議に思えた。
 「どこの学校へ行っているの?」
 「学校へは行っていないの。私たちは今休暇中だって、ママが言ってたわ」
 浜辺を歩いている間中、彼女は嬉しそうな顔をして喋り続けていた。でも私は別のことを考えていた。
 
 私が家にかえるとき、ウェンディーが「とても楽しい日だったわ」と言った。
 私はいくぶん気分がよくなっていて、彼女を見て微笑んだ。
 
 それから3週間たった或る日、私はこの上なくうっとうしい気分を持て余しながら、また浜辺に行ってみた。
 その日はウェンディーと話すどころの気分ではなく、彼女の母親が彼女を外へ出さなければいいのに、というふうにさえ思っていた。
 
 「ねえ、もしよかったら・・・・・」
 ウェンディーが私を見つけて、ついてこようとしたとき、私はさも機嫌悪そうな声で言った
 「私ねえ、今日は1人でいたいのよ」
 「どうしてなの?」 そう訊いた彼女の顔は、前の時より一層青ざめて見えた。
 私は彼女の方を振り向くと、自分でも何を言っているのかはっきり自覚することもなく
 「何故って、私のお母さんが亡くなったからよ!」と叫ぶように言っていた。
 
 無邪気な子どもを前に、なんと馬鹿なことを言ってしまったのだろう。
 「そうだったの」 彼女は静かに応えた。
 「じゃあ今日は悪い日なのね」
 「そうよ、今日だけでなくて昨日も一昨日もよ。ねえ、私なんかほっといて向こうへ行って遊びなさいよ」
 残酷な言葉だとはよくわかっていたが、そう言うと彼女を残して立ち去った。
 
 それから一ヶ月くらいたってから、私はまた浜辺に行ってみた。この前言ったことに対して恥ずかしさと罪の意識を持ちながら、私はウェンディーを探して歩いた。でもいくら探しても彼女は見つからず、代わりに一羽のイソシギが静かに飛んでいるのが見えた。
 私はそのとき初めて、彼女が側にいないことの寂しだを感じていた。
 
 それからすぐ彼女の別荘へ行ってドアをノックした。まだ若くて美しい女性がどあを開けて現れた。
 
 「私アンダーソンと申します。お宅のお嬢さんが今日は浜辺には見当たらず、どこにいらっしゃるのかと思いまして・・・・・」
 
 「まあ、あなたがアンダーソンさんでいらっしゃるのね。どうぞお入りになって。ウェンディーがいつもあなたのことを話していましたわ。あの子、あなたの邪魔になったんじゃなくって? もしそうだったのならご免なさいね」
 「いいえ、決してそんなことはありませんでしたわ。とても賢いお嬢さんでいらして」
 とつぜんそう応えながら、私はそのことに初めて気がついたという風だった。
 
 「それで今どこにいらっしゃるのですか?」
 「ウェンディーは先週亡くなりましたわ、ピーターソンさん。あの子、白血病だったんです」
 
 私の胸を激しい動悸が走り言葉を失ってしまった。立っていられない気がして近くの椅子をまさぐった。心臓が激しく打っていた。
 
 「あの子、浜辺がとても好きで、あそこで楽しい思いを一杯したようだったわ。そうそうピーターソンさん、あの子がこれをあなたに渡してくれるように言ってたわ」
 
 彼女はそう言うと、子どもらしい字で、Miss.Pへ、と宛名書きした封筒を手渡した。中には黄色い砂浜、青い海、そして茶色い鳥がうすい色のクレヨンで描かれた絵が入っており、その下の方に太い文字で ”イソシギがお姉ちゃんにしあわせをはこんでくるよ ”と書いてあった。
 大粒の涙がどっとあふれてきた。そしてそれと同時にほとんど忘れかけていた温かい”人の愛”に触れた思いがして、胸のつかえが一気に晴れたような気がした。
 
 「ごめんね、本当にごめんね!」 泣きながら私は何度も何度もそう叫んだ。
 小さな絵の下に書かれた一行の文字、この一文字一文字こそ、彼女が生きてきたかけがえのない一日一日だったのだ。これこそ、私に真実の愛を教えてくれたあの少女からのすばらしい贈り物なのだ。



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2019年11月3日日曜日

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(4)

 
   SAIING “NO‘ FOR ANSWER (“NO”という返事)
               
         Leo Buscaglia (new horizon 2,L13)
                                     訳:大平庸夫
 
 
 先日私は非常に丁寧な夕食会への招待状を受け取った。その時は精神的に高揚状態にあり体調も優れなかったので、その旨を招待主である彼女に説明して暗に招待には応じられないというようなニュアンスを含めて話した。でも彼女には理解してもらえず、どうしても来てほしいと、半ば強制的に言われた。
 
 彼女の話では、その夕食会は決して派手なものではなく招待客も少数で、ごく質素なものであるということだった。

 それでも私は、今のような精神状態では、他の招待客が ” おもしろくないやつ ”と思うのがおちだから、などと言って何とか彼女が理解してくれるように努めた。
 しかし、どうしても彼女にはわかってもらえなかった。
 
 はっきり ”no "と答えることは非常に難しいことである。でも、どのようにしたらこの "no”を優美に口から出すことがでくるのであろうか。

 たいていの場合その試みは失敗に終わり、おもしろくもない活動に参加して、退屈させるだけの連中に大嫌いな応接を無理強いされているだけである。
 
 そうするのもすべて無作法であるとか、恩知らずであるとか、独善的であるとかと思われたくないからなのである。

 私たちは自分及びその時間を守ることに関して、何者に対しても”no"と言える権利はあるということを忘れてしまっているのではないだろうか。

 そうは言っても、”no" と言うことが、最も思いやりがあり、かつ積極的な返事で或る場合は滅多にないのである。
 
 だが強制されて ”yes "と言うのはまったく無意味である。積極的な意志なしで体だけが何事かへ参加したり、そうするべきだと思ったりすることには、その関係者全員に対しての侮辱になるのである。
 そのような場合の”no”と言う返事こそ、人々に対して祝福になるのである。
 
 最近私が或る女友達と話したときに聞いたのだが、彼女は娘が招待してくれた夕食会へ行くことになっているのだが、それななんだか怖いような気がする、というようなことを言っていた。彼女は彼女の娘がこの夕食会のことを面倒な雑用でもこなすというふうに考えていることに気づいていたのである。
 
 でも彼女はそうしたものに対抗せず、気づいていることは隠して極力愛想よくし、はしゃいだ様子で振舞うのだそうだ。

 そして、それがまるで言葉遊びで、答えが分かっているのに、わからない振りをすることのようであっても、家族が平穏に暮らしていくために、あえてそうするのだ。と言っていた。 
 
 ”no”と言うのが難しい場合は確かにあるが、そういう時でも、"no" 以外に採りうる答えを相手に伝えることは、いっそう悪い結果になる可能性がある。
 
 例えて言うならば、退屈で無駄な時間を過ごすより、起こりうる誤解というものに対する危険を負う方が賢明なのである。他人に対して何らかの借りがないのに、”yes” と言って参加するのならば、人々にとっては、あなたに居てもらわないほうが、むしろ快適なのかもしれない。

人々にとっては、私たちが参加しないからといって、特に困ることはなく、立派にやっていけるに違いないのである。代わりはいくらでもいるのだ。ということを覚えておくべきである。
 
 こうしたことについて、子どもたちは日常の遊びを通じてうまく説明してくれています。
 それらを学ぶことは、私たちにとって有益なことに違いありません。
 
 メアリーはピーターのところへ喜び勇んでやってきて、彼に「遊ぼう」と言いました。でもピーターは彼女と喜びを共にする気はなく、"no”と言いました。

でもメアリーは大して気落ちすることなく、今度はジョーのところへ行って同じことを言いました。彼女は本能的に他の誰かが彼女の要求を満たしてくれることを知っていたからです。

 彼女の生活は決してピーター中心に回っていたのではなく、楽しく一緒に遊んでくれる相手を探していただけなのです。彼女は偉いなと思います。
 
 もし私たちが “no” と言ったことで、相手に罪の意識を感じるときは、直ちに私たちがどう感じながらそういっているのかを、相手に伝えるとよいでしょう。
 
 丁寧な調子で、 ”忙しくて今は自由に動けないのです”などの理由を挙げながら説明すれば、もし相手が心ある人々であったならば、”再考してみよう”と必ず思うはずです。
 
 多くの場合、そこで ”no” ということは情愛のある行いになることは明らかです。

 実際、対人関係というものは、ある制限とか一定の構造の中でより良いものになっていくようです。
時たま言う ”no” という言葉が、その制限とは一体どういったものかを明らかにしてくれるのです。
 
   時を得た”no”と返事は、相手に私たち及び、その都合というものを理解させてくれるのです。それは私たちが他人に期待している”何か”のようなことだと思います。
 
 人生は私たちが ”したくもないこと” に多大な時間を費やすには短すぎます。
 私たちは ”no” と答えることを決して恐れてはいけません。
 
最後になりましがた、そのことこそが私たちができることの中で、相手を尊重した最も情愛のある行いなのです。

2019年11月1日金曜日

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(3)

 
 
  HUMOR AND LOVE
 
            Alfons Deeken(出典:unicorn 2B,L8)  訳:大平庸夫
 
 
 ユーモアについての一つの共通した間違いは、それが楽天家に生まれつき備わっている天分であるとか幸運に恵まれた人の嬉々とした反応であるとか解されることである。
 反対のことにはしばしば真理が隠されているが、ユーモアとは必ずしも陽気な人々による精神の発露であったりするものではないし、またそれが或る人々に先天的に備わっていたりするものでもない。
 
 鋭いユーモアはしばしば苦痛とか災難を被っている最中に想起されたりするものである。  真のユーモアは安っぽいジョークや表面的な浮かれ騒ぎなどと同等に考えるべきではなく、むしろ苦痛や災難の中でこそ、本来のものが生み出されると言っても過言ではない。
 もしここに激しい苦痛に身をさいなまれている人がいて、彼がそのさなかに笑顔を見せることができるとすれば、彼こそが本当の意味のユーモアの持ち主なのである。
 
 子どもの頃、ユーモラスな振る舞いで多くの子どもたちに限りない喜びを与えてくれたサーカスのピエロが私は大好きだった。
 ある時、そのピエロと話す機会があったが、そのとき私は彼のユーモアが決して幸運に恵まれた人生をおくってきたその結実として身につけたものではないことに気がついた。
 それどころか、むしろ彼がサーカスのピエロになろうと決意したのは、人生に上でも希にしかないような大きな悲劇に見舞われた直後だったのである。これを知ったとき、私は初めてユーモアの真の意味を知ることができた。
 そのピエロは見舞われた悲劇に負けることなく、真のユーモア人になったのである。自身が大変な危機に身をおいていたので他人には苦痛の代わりに喜びを与えようと思ったのである。
 
 さて、私自身の経験について述べてみると、ユーモアの深い意味に気づいたのは自分の人生において最も苦痛に満ちた時期であった。
 最初の2年間の日本での滞在で、私が日本語を習い始めようとしたときは、ものすごく困難な時期であった。
 横浜に到着したその日、私が知っている日本語といえば ”さよなら”と”ふじやま”の2語だけであった。だが、まもなく或る日本人学生に二つ目の言葉が正しくないことを指摘されたとき、私の日本語のボキャブラリーの50%が間違いであったことを知って、まるで打ちのめされたような気になった。
 
 二年間の日本語の勉強を通して私は日本に住むかなり多くの外国人が不十分な日本語のせいで引き起こした数々の誤解や失敗の為に神経症になっていることを知った。当然、私自身も例外でなく、誤解とか屈辱的な間違いを重ねてきた。でもこのことを通じて、日本語を学習する上での避けられない過失をユーモアのセンスをもってよりスマートに受け入れることを学ばなければならない、ということに気づいた。
 
 自分自身およびその欠点を笑い飛ばすことを学ぶことは、文化の違う外国生活では、日常の数々のフラストレーションを克服する唯一の方法なのである。
 この一つの智恵を身につけたその日、私はまるで何かに啓蒙されたような気になっていた。それはまさに”悟り”にも似た経験だった。
 
 この啓蒙(悟りにも似た境地)についての実際の場面での体験は、私が或る日本人家族を訪問した時にあった。
 日本に着いて間もない頃、彼らは私を夕食に招待してくれたのだ。
 さて、いったいどうしたら私たちはお互いにコミュニケーションをはかることができるであろうか?こう思案していたとき、私のアメリカ人の友人が、三つの簡単なルールを教えてくれながら、私のその招待を受けるように勧めた。
 そのルールというのは、まず第一に笑顔を忘れないこと、次に主人が話しているときは頭を下げてうなずくこと、最期は約5分ごとに ”そうですね”と、あいずちを打つこと、というものであった。
 そのルールをしっかり覚えて、私はそのホストファミリーのきれいな家へと入っていったのだが、そこでの日本人の温かいもてなしにすっかり圧倒されてしまった。
 
 私が絶え間ない微笑とコンスタントに行った”うなずき”とが彼らに好感を与えたようであった。幸いなことに、彼らは大変話し好きであり、しきりにその日の料理の説明をしてくれたり、様々な日本の文化について話してくれたりした。
 私が微笑んだりうなずいたりする度に、奥さんは顔を輝かせていた。きっと彼女は、私が彼女が話したすべてのことを理解した、と思ったに違いなかった。
 
 たった三つの簡単なルールに従うだけで、かくも多くのコミュニケーションがはかられたことに私はすごく驚いた。
 奥さんが ”おそまつさま”と言って、その夜の食事が終わるまで万事がスムーズに運んだ。
 
 食事の間中、私は微笑み、うなずき、そうですね、と熱心にあいづちを打ち続けた。そのたびに夫人が何か驚いたような表情になるので、私はなにか不適当なことでも言ったのではないか、というような妙な気がした。
 
 家に帰ると急いで辞書で ”おそまつさま”という言葉を調べてみたのだが、その意味を知ったとたん、私は当惑で顔が赤くなった。だが次の瞬間には大声を出して笑っていた。
 
 私の馬鹿さかげんからきた最初の怒りにも似た気持ちも、無知なことを思わず笑い飛ばしてしまったユーモラスなムードに負けたのだ。そして私は外国人が冒す言葉の上での屈辱的な失敗は、そこで暮らすために払わなければならないコストのようなものであることに気づいた。
 たとえ私が人生の終わりまで日本語の勉強を続けたとしても、へまを完璧に避けて通ることなどできないに違いないのだ。もし、へまをする度に取り乱したりしていたなら、神経の破滅に至るか、神経症の外国人グループの一員になっていたに違いないだろう。
 避けられないへまを笑い飛ばすことができる能力だけで、かろうじて私は正気と健全さを保ってきているのである。
 
ヨーロッパと比べて非常に異なった日本の文化と、不可思議なものの考え方について段階的に理解していきつつあった最初の一年間に、私は数多くの愉快な体験をした。 
 それに、異文化に関しての誤解や避けられない大失敗などを、たちどころにユーモアに変えてしまう才能も大いに磨いてきた。
 私はこれまで12ヶ国に滞在してきたが、ユーモアの表現方法も、それぞれの国で異なっていることに気づいた。
 
 フランス人が鋭い機知をもっていることはよく知られているが、それに対してドイツ人は辛口のユーモアを好むと言われている。
 私が好きになったのはイギリス人のすばらしいユーモアだが、とりわけ同一人がユーモアと深刻さをバランスよく使い分けるのは実に見事なものだ。数多くのそうしたユーモアの中で第一級品はというと、まず上げなければならないものは偉大な政治家で人道主義者の、サー トーマス モアーであろう。彼は一面では、自分の主義主張のこととなると非常にまじめで、信念を曲げて妥協するより、むしろ死刑になるのを選ぶというような姿勢を貫いた人であった。それと同時に鋭いユーモアセンスの持ち主であり、死刑になるわずか1分前ですらジョークを言い放つことができるくらいであった。
 
 彼は斧を持って待っている死刑執行官に向かってこういった。 ”私の首は少し短いからしくじって君の死刑執行官としての地位が危うくならないようにして注意して斧を打ち下ろさなければいけないよ” それから彼はあご髭をかき分けて死刑台の外に出しながら、”この髭は王様のヘンリー8世を背いたりしなかったのだから、切り落とされるべきではない”などというジョークの注釈を加えたりしていた。
 死に面した彼のこのようなユーモアは、彼が精神的に完全な自由と成熟とを勝ち得ていたなによりの証拠である。
 
 私の仕事は哲学者であり、その職務は考えることであるから、これまで非常に多くの時間をユーモアの意味について考えることに費やしてきた。結論として言えば、深い意味においてユーモアとは愛情の表現なのである。
 或る人に愛情を示そうとするとき、私たちは、まず相手が何を期待し、何が好きなのかを知らなければならない。ほとんどの人が日常生活で求めているのはリラックスした温かい雰囲気であろう。笑顔や笑い声を通して私たちは仲間の人々に対して、楽しい雰囲気を創造してあげることができる。人間にはみな、苦痛や苦労を背負ったり人生の重荷に押しつぶされそうになるときがある。ユーモアはそんなときの張り詰めた雰囲気をリラックスした愉快なものへと変える不思議な力がある。
 ユーモアはこのように苦痛を癒してくれる芳香であり、万人にとってのかけがえのない薬なのである。
 
 日本に滞在中、私は笑顔の重要な役割について知ることができた。
 応接の際、日本人のまじめな表情の中に ”どうかこれ以上近寄らないでください。私は英語ができないのですから”と言っているような無言のメッセージを見つけることがある。一方、笑顔を見せているときは歓迎してくれているのである。

 今のように国際間の関係が密接になっているときには、笑顔や笑い声は人々を結びつけたり、コミュニケーションを容易にしてくれたるするのに大きな役割を果たしているのである。笑顔や笑い声は地球上のすべての人が理解できる「愛」というものを運んでくれる、いわば地球語なのである。
 
 哲学者は、男女間の愛もユーモアなしでは長続きしないと、しばしば指摘している。
 二人の人間が一緒に笑ったりできなかったり、二人の上に起こった問題について楽観的に見つめることができなかったりすれば、決して二人が一緒に幸せな人生をこることができないのである。
 ユーモアという花は他人への同情や愛に満ちた心に自然に咲くものである。情愛のある人は、いつも人間関係の緊張を和らげて、リラックスした雰囲気を作ろうとしているものである。
 
 詩人のユーゲン ロスはこう言っています。
 
 ”この世には他人を愛せない人々がいます。たぶん彼らはユーモアのセンスのない同種類の人々に違いありません。私たちの家庭、学校、そして現代の社会のあちこちのストレスの貯まりやすい場所では、ユーモアのセンスに満ちた笑顔が、時として最も大切な愛情の表現になるに違いないのです ”
 
 
 

2019年10月21日月曜日

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(2)

   
 MY PIANO TEACHER(出典:new crystal 2B.L5)  
  Laurie Colwin  訳:大平庸夫

思春期は子どもから大人への過渡期であり、物事に対する新しい感覚が芽生え、また自分自身についても目覚めたり発見したりする時期である。それゆえに、親と子の争いがしばしば起こるのもこの時期なのだ。これから紹介するのは、思春期の少女と奥さんを亡くした1人の男性ピアノ教師にまつわる話である。ここで起こるのは、当然のことながら母親の強い干渉であるが、そのために揺れ動かされる少女の微妙な心のひだを著者は見事に描き出している。


 パーカー婦人が心臓発作で予期せぬ死をとげたのは去年の晩秋のことであった。

 わたしの両親はそのことを知ると、すぐお悔やみに出かけて行ったが、その二日後の正式なお悔やみにはわたしもつれていかれた。

小春日和の暖かい日であったが、その家はあちこちが閉ざされており風通しが悪かった。顔見知りの近所の人も何人か来ていた。

 パーカー氏の姉妹たちがソファーに腰掛けており、部屋の隅には教会から来た人たちが立っていた。入口のところで律法博士の息子がわたしをつまずかそうとして足を出してきたので、お返しにそれを蹴ってやった。

わたし達は思春期にありがちな、云わば ”恋しさ余って憎さ百倍”とでもいうような敵同士の仲であり、お互いがいつもそうした方法でしか自分のことを表現できず、それで精一杯相手の愛情をしめしたつもりになっていた。

 わたしは以前からパーカーさんの家がとても好きだった。それは一軒だけ残っていたビクトリア王朝風の建物で、まるでウエディングケーキのような形をしていた。

 居間は丸くなっており、どの壁も全部丸いカーブを描いていた。3階部分は塔になっていて、そのてっぺんには風見鶏がついていた。

 わたしはパーカーさんのピアノレッスンを水曜日の午後うけたいた。その日に限って彼が早く帰宅するからである。彼は決してわたしを叱ったり、懲らしめたりしなかった。

 最初の15分は準備練習に当ててくれ、その時はわたしの好きな曲を弾かせてくれた。

 その後、パーカーさんがその週の練習箇所を弾いてくれた。彼の演奏はとても正確だったが、時々夢を見ているような表情になることがあった。

 それからわたしが同じ箇所を弾き、最期は二人がパートごとに弾いていき、途中でパートを交換して何度も何度も繰り返した。

 夫人のお葬式が終わって数ヶ月たった頃、パーカーさんが私の両親に宛てた感謝の手紙をことずけた。両親は彼をしばしば夕食に招待していたので、たぶんそれに対するお礼だったのであろう。

その手紙には、しばらく中止していたピアノレッスンを次の水曜日から再開するとも書いていた。

わたしはまた放課後パーカーさんのところへ通い始め、すべてが元どおりになった。15分の準備練習、その後のパーカーさんの演奏、そしてわたしが繰り返して、すべてが前と同じであった。

 でもパーカーさんの髪の色だけは、以前の金髪から藁のような色に変わっていた。

 彼も、そして亡くなった奥さんも、かつては若々しさとか、みずみずしさを備えた時代があったに違いない、でも時の経過がそれらをすべて色あせさせてしまったのであろう。 

 彼は痩せていて、時としては寂しそうに見えたが、穏やかさの中にも元気さはじゅうぶんに持っていた。たいていはブルーのカーデガンを着ていて、縞模様のネクタイの上からきっちりとボタンをかけていた。


 ある日のレッスンの後、どこで見つけてきたのか、彼はコマドリの卵をわたしにくれた。

 窓のそばのバラの花束を通して要綱がキラキラかがやいているのを目にしてから、わたしは外へ出て家路についた。

 家に帰ったとき母は台所にいて、何か怒っているような表情でわたしを見た。

 「どこへ行ってたの?」いつもと違って、ぶっきらぼうな聞き方だった。
 「どこって、ピアノレッスンよ」
 「どのピアノレッスンなの?」
 「どのピアノレッスンかって、お母さんよく知っているでしょう、パーカーさんのところにきまっているじゃない」
 「おかしいわ、また始めるって、あなた私に何も言わなかったじゃない」
 「そんなこと言っても、水曜日にはいつもあそこでレッスンがあったでしょう」
 「私はね、奥さんが亡くなったいじょう、もうあそこではレッスン受けてほしくないのよ」

 母のその言葉には応えず、わたしはわざと大きな足音をたてて自分の部屋へ戻ると、いロビンの卵をとりだして、それを柔らかいソックスで包んだ。

 興奮したせいか、のどが渇いているのがよくわかった。

 「マーチンさんのところでいいでしょう」母がやり返してきた。

マーチンさんというのは、かつてのわたしのピアノ教師であるが、すごく太っていて、いつもベーコンのような匂いを漂わせている女性であった。

彼女のレパートリーはそれほど広くなく、どちらかといえば、10歳以下の子ども向きで、上級レベルのわたしに向かないのははっきりしていた。

「マーチンさんのところへなんか行かないわ、あんな子どもの行くとこ、わたしはもうとっくに卒業したのよ!」 わたしは叫び声でそう言った。

泣き出したい気持ちをごまかす為にフォークを乱暴にジャガイモに突き刺して、あんなとこへ行くくらいなら首を吊ったほうがましだわ」とつぶやいていた。

それからもパーカーさんのレッスンは続けたが、しばらくは何もいわれなかった。
でもレッスンが終わって家に帰ったときは、母も私も、お互いが冷ややかな目つきで接していた。

夜二人で夕食の後かたずけをしているとき、母はわたしにいろいろな質問を浴びせてきた。わたしの日常生活に関するそうした干渉は、わたしにとってイライラさせられるだけの他の何物でもなかった。母は朝の授業からはじまって、家に帰るまでの行動について系統立てて根掘り葉掘り聞いてきたが、彼女の厳しい尺度に当てはめれば、わたしのすることなど、すべてが正しくないに違いなかった。

いつもそうだったが、母は質問の最後になると、急に猫なで声になってわたしに聞いた。

「ねえ、それでパーカーさんは近頃どうなの?」
「元気よ」
「で、レッスンの方は進んでいるの?」
「進んでいるわ」
「奥さんが亡くなって、家の雰囲気はどうななの?」
「変わらないわ、パーカーさん最近子猫を買ったようよ」
「どんな子猫なの?」
「ピンクっぽい色をした子猫」
「パーカーさん、お酒飲むの?」
「いつもレモネード飲んでるわ」
「こんなこと聞くのは、彼が大変だと思うからなのよ。さぞ辛い毎日だと思うわ」

急に怒ったような口調で母が言った。

「わたしにはパーカーさんがそんなに大変だとは思えないわ。お母さんの勘違いよ」
「そうなのかしら」

母はそう言いながら丁寧にディッシュタオルをたたんでいた。

「ねえジェーン、正直に言うとねえ、私あなたを男1人のパーカーさんのところへ行かせたくないのよ。あなたに何か起こったら大変だと思って」
「なに言ってるのよお母さん。彼はわたしのピアノの先生なのよ。そんなことあるはずがないじゃない」

そう言うと急に涙が出てきて、逃げるようにして台所を出ると自分の部屋へ駆け込んだ。母もついてきて、わたしが涙を見られないように背を向けて座っていた机の反対側にあるベッドの縁に越をおろした。

「私はあなたのことを思うからこそ言っているのよ」
「もしわたしのことを思ってくれるのなら、どうしてピアノレッスンに行ってほしくないなんて言うのよ」
「ピアノレッスンがいけないなんて言ってないわ。私が言っているのは、あなたはもう子どもじゃないんだし。子どもにも大人にもそれぞれ特権があるわ。でもあなたは今その中間にあるのよ。難しい時期だと思うわ」

「お母さんなんか何もわかってないわ。ピアノレッスンに行かせたくなくてそう言ってるだけじゃない!」
「私はあなたを守ってあげようとしているのよ」母は立ち上がってそう言った。
「パーカーさんがもしあなたの体に触りでもしたら、あなたはいったいどうするのよ」

母は ”体に触る”などという、聴くだけでも身震いしそうなおぞましい言葉を使ってそう言ったのだ。

「お母さんはありそうにもないことを大げさに言っているだけだわ!」

わたしはそう言うと、今度はおおっぴらに泣きはじめた。

そこでわたしが母の胸に飛び込んで抱きついてさえいれば、ことは丸くおさまっていたかもしれない。でも、そうすることはわたしの敗北を意味するのである。そうはいかなかった。をれはわたしと母の戦いであったから。

「今日はこれまでにして、また次のときに話しましょう」そう言った母も、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

水曜日が来て、わたしは微かな期待と不安が入り混じった複雑な心境でパーカーさん宅の門をくぐった。でもすべてが普通どおりであった。最初の準備練習はひどいもので、そらで覚えていたいちばん簡単なパートでさえ間違える始末であった。

パーカーさんがその週の練習箇所を弾いてくれていたとき、わたしはなんとか彼のタッチを覚えようと努めていた。わたしが弾く番になると彼は床に上にメトロノームを置いてくれた。わたしは懸命に弾いた。そして正しく弾いているのが自分自身でよくわかった。

”わたしはすばらしい演奏ができるようになっている。レッスンに苦闘することもなしに”
弾き終えたとき、パーカーさんがそばに走り寄ってきてわたしの肩を抱いた。

「完璧だ!じつに完璧だ!君はついに成し遂げたよ!」彼は興奮気味に言った。
「教える者にとってこんなに嬉しいことはない!」
それから私たちは何曲課のパレストリーナのパテットを聴きながらレモネードを飲みクッキーを食べた。

外へ出たとき曇っていたせいかもう薄暗く、街灯が鈍いグリーンの光を放っていた。何かすごく恐ろしいような、でも反対にとても嬉しいような、そんな複雑な感情を抱きながら、わたしは帰り道をゆっくり歩いていた。

”わたしは大人のように立派に演じることができた。そして大人にも賞賛されたのだ。もう子どもじゃない!でも、大切でかけがえのない何かが私から離れていくような気がする”

途中で木の下に行って座ると、わたしはまるで赤ん坊のように大きな声を出して長い間泣いた。
やっぱりパーカーさんは私の体を触ったのだ!!

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もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(1)         
TALL TALES  ・ ほら話  
   
 From A Treasury of American Folklore (訳)大平庸夫
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