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2012年8月9日木曜日

お土産をあげたら、「あなた、手元不如意(てもとふにょい)じゃなかったの」と、母は言った ・ お盆まえに回想する”わが母”のこと

母が遺したノート


お盆の季節になり、故人のことを思い出すことが多くなった。

その中でも一昨年100歳で長寿を全うして亡くなった母のことは別格で、何かにつけてその思い出が脳裏をよぎる。

これは母が80歳少し前ぐらいのときの話である。

お盆休みを利用して母に会いに行った。

その頃の母は老人ホームに入居していた。子どもが5人もおり、なにも独居することもなかったのだが、なにぶん独立独歩の精神が旺盛な人で、子どもとの同居は好まなかったのだ。

そのときの訪問は1年ぶりということもあり、いつもより少し間が空いていたこともあって、お土産をすこし奮発して多めに持参した。

そのお土産を見て母は言った。

「あらあら、どうしたの?こんなにたくさんのおみやげ、でもあなた手元不如意じゃなかったの?」

「手元不如意」母の口から思いがけない言葉が飛び出した。

もちろん意味は知っている。でもそんなときに突然耳にして、しかもそれが母の口から出たことに少し驚いた。

母は元来勉強家で物知りである。

女学校を首席で通して、卒業式には代表で答辞を述べたぐらいである。

そのせいか、言葉遣いは老人としては珍しいぐらい新鮮で、そのボキャブラリーも豊富なのである。

だから話していて、時々ハッとさせられることがあった。

あるときなど、その頃私が読んでいた「フォーカス」という写真刊誌のことが話題になり、母は突然「フォーカスってどういう意味?」と聞いた。

「焦点」というその意味を度忘れしていた私はとっさに答えられず大恥をかいたことがあった。

母はそのように、幾つになっても知的好奇心も旺盛な人であった。

さて話を元に戻して「手元不如意(てもとふにょい)」のことにする。

年配の方だと、おそらく意味をご存知の方も多いと思うが、若い方だとどうだろうか。

「手元不如意」とは読んで字のごとく、思い通りにならない、という意味であり、それが転じて、懐具合が悪く、金が無いという意味なのである。

その頃の私は転職を重ねていて安定しておらず、しばしば金欠状態に陥っており、母はそのことをよく知っていたのである。

さあもうすぐお盆、そろそろ仏壇の母に新しい花とお供え物をすることにしよう。





2011年5月9日月曜日

母の鼻歌 ・ 母の日に寄せた随想


ある本を読んでいてすごく印象的な文章に出会った。

それは次のようなものである。

・・・・・・ 父は無口で笑顔も滅多に見せないが、渥美清のトラさんの映画を見るときだけは例外であった。

ある日二人で「男はつらいよ」の映画を見にいった。

満員で席が無く、仕方なく立見席で見ることにした。

しばらくして映画が佳境に入ってきたとき、ふと横を見上げると、満面に笑顔を浮かべて食い入るように画面に見入っている父の姿が暗闇の中にうっすらと見えた。

トラさんが「テキヤ」で口上を述べるシーンであった。

家では滅多に見せることのない父の姿である。

父のそんな笑顔を見て、僕はとても幸せな気持ちになった  

 ・・・・・・・

これはこの本の著者の友人が父親について述べたことをこの映画の監督である山田洋二氏に語った一節である。

この心温まる文を読んで、私はふと子供時代の経験した母についてのある思い出が心をかすめた。

それは戦後の混乱がまだ落ち着いていない私が小学校2年生ぐらいの昭和24年頃のことである。

その頃でもまだ厳しい食糧難は続いており、我が家でも6人の子供を食べさせていくのに両親は毎日大変であったようだ。

したがって生活の心配が先立ってイライラしていたせいか、その頃の母は何かにつけて私をよく叱った。

でもある日学校から帰ってくると、珍しく母は上機嫌だった。

どうしたんだろう?何かいいことがあったのだろうか。

そういった不思議な思いはしたものの、私としても母の機嫌よさそうな顔を見るのは嬉しいことであった。

その母をしばらく見ていると、そのうちに鼻歌を歌い始めたのである。

それまで母が歌う姿など見たことが無く、私は少し驚いた。

何の歌だったかは覚えていないが、随分長い間歌っていたようだった。

そんな母の姿を見て私はなんとも言えない幸せな気持に包まれていた。

子供時代、私に対してはしつけの厳しい母だった。

特に姿勢についてはうるさかった。

食事のときなど少しでも背を丸めたりしていると、「姿勢が悪い!」と言ってピシャリと私の背中を叩いた。

でも母のその躾のおかげで私はいまでも良い姿勢を保てている。

いつでもどこでも、母の言葉を思い出して背筋をピンと伸ばしている。

幼少期のそんなことをふと思い出したのだが、その母も昨年の12月に満99歳、数え年100歳で天国へ召してしまった。

「お母さん、僕は今でもあなたの言いつけをよく守って姿勢よくしていますよ」

2011年1月1日土曜日

亡き母へのメッセージ(2)・「雪野」という名前のお母さんがくれた思いがけない「雪景色」

お母さん、今日は今年最後の日12月31日大晦日です。

テレビなどでは各地で降った雪情報が次々に伝えられている寒い年末です。

貴女が亡くなってからはや五日目になります。

お葬式は12月29日に岡山市内の「典礼会館」で無事終了しました。

お母さんが生前から希望していたように、ほとんど「家族葬」に近い形の親族が中心にした落ち着いた雰囲気の葬儀でした。

親族は10月に行われた白寿の会に出席したメンバーが2〜3名を除いてほぼ全員が参加しました。

多くの孫たちも含めて、身内とは言えこれだけの人が集まってくれたのもひとえにお母さんの人徳の故だと思います。

喪主は柄にもなくこの僕が勤めたのですが、初めての経験でしたがお母さんが遠くから見守っていてくれていたのでしょうか、これという失敗もなく無事役目を果たすことが出来ました。

式が終わったその日はきょうだい皆が「優子さん」の家に一泊して翌日30日の朝方姫路へ戻ってきました。

その岡山から姫路への帰途においてのことですが、そのとき経験したとても不思議な出来事ことについて是非ともお母さんに報告しておきたいことがあります。

それは電車の車窓から見た景色についてのことです。

僕が乗ったのは午前9時9分発の相生行きの普通電車でした。

岡山を出たとき外は冷たい冬の雨が降っていました。

その雨は高島駅を過ぎた頃には白い雪に変わっていました。

僕としては今年始めてみる雪でした。

でも岡山で雨を見ていたせいか、「この雪もにわか雪ですぐ止むことだろう」と思っていました。

ところが東へ進むにつれてその降りかたは次第に激しくなり、大きなボタン雪も交じった白い塊がどんどんと空から落ちてきて、電車が「和気駅」に着いた頃にはホームにはすでに3〜4センチも積もっているではないですか。

そして駅のホームの向こう側に広がる家々の屋根や田畑など辺り一帯の景色は白一色に変わっていました。

空は深い鉛色に曇っていて、辺りを白一色に変えてなお絶え間なく降り続いており、刻一刻と積もっていく雪景色は、車窓から眺めているとなんとも幻想的な趣を持っていて、まるで何か不思議な夢でも見ているようなファンタジックな思いを僕に与えてくれました。

そしてそのあと僕はふと思いました

「アッそうだ、お母さんの名前は『雪野』だったのだ。ひょとしてこの雪は天国へ行ったあの人が降らしたものではないだろうか」と。

まさに「雪の野原」を連想させる「雪野」という名前を今一度僕に訴える為のお母さんの企みではないのだろうか。

そうでなければこの地域で滅多に目にすることのないようなこうした白一色の景色など今ここで臨むことなどできなかったのではないのではないのだろうか。

きっとそうだ。お母さんが自分の名前の「雪野」にちなんだ見事な雪景色を僕に与えてくれたのだ。

そんな不思議な思いにふけりながら、厭きることなくその後も降り続ける雪をずっと眺めていました。

雪は終着駅のひとつ前の「有年駅」ぐらいまで止むことなく降り続いていました。

でも相生駅に着くとそれはピタッと止まって、外の景色も少しも白くはありませんでした。

でもそれまで30分間ぐらいだったでしょうか、この地域で滅多に目にすることがない見事な白一色の雪景色を僕は堪能したのでした。

いまはもう天国へ行ってしまった「雪野」という名のお母さん。

思いがけないすばらしい雪景色を与えてくれてありがとう。

僕は今後冬がくる度にこの日のとても幻想的だった雪景色を想い出すことでしょう。

お母さんどうぞ安らかにお眠りください。

僕はこれからずっと天国に行った貴女を見守っていきますからどうかご安心ください。

また近いうちにお手紙します。
                                                                      庸夫より

2010年12月28日火曜日

亡き母へおくる花束とメッセージ


「お母さんがついさっき息を引きとった」と
美奈子姉さんから連絡が入ったのは仕事から帰った直後の12月27日夜8時ごろでした。

お母さんにはつい四日前に会ったばかりでした。

でもあの時はもう言葉も喋れず、食事も出来ず、お医者さんも「もう長くはなく今日明日が山場でしょう」と言われていました。

でもあれから四日間も生きるために「最後の頑張り」を見せたのだ。

そして今夜精魂尽きてついに息を引きとり、永眠という安息の地へと向かったのです。

つい二ヶ月前には「白寿の会」で20人以上の親族に囲まれて、にこやかに微笑みながら皆に向かってはっきりと話しかけていたお母さん。

でもあれが貴女の最後の晴れ舞台だったのですね。

写真に写っているあのときのポーズと笑顔はとても99歳とは思えないような、まさに一世一代の名演技と言ってもいい実にすばらしいものでした。

お母さん、貴女は生涯を通して自分に正直に生きた人でしたね。

他人に媚びず、おもねず、自己の信ずることをはっきり主張した人でした。

明治生まれの女性らしく気骨のある筋の一本通った人でした。

はっきり言って結婚運は良いとは言えず、経済的にも恵まれない人生でした。

でもその不遇を嘆くことなく強く生きてこれたのはあなたが持ち合わせた輝くばかりの「知性」です。

そのことはきょうだい全員がよく知っています。

お母さんは活字をこよなく愛し、読書が好きでした。

それに新聞には毎日くまなく目を通し、これはと思った記事は全部切り取って収集し、折を見ては子供たちに送ってくれましたね。

その切り抜き記事ことごとくは僕たちに勇気と強い感銘を与えてくれました。

お母さん、僕はあなたから貰った「つれづれの記」という2冊のノートを持っています。

このノートは、より「知的」に生きようと努力してきた言わば貴女の「知性の凝縮」です。

僕はこれを本にするつもりです。

そして親族に配布して、「知的」に生きてきた貴女の証として末永く残すつもりです。

お母さん、貴女の大切にしてきたものは、できたらこの僕が引き継いでこれからも大切に育んでいきたいと思っています。

ですから「やり残したこと」があるなどとは思わず、どうか安心して安らかに眠ってください。

最後になりましたが、貴女に「花束」と大好きだった「渡辺淳一」の本をおくります。

                                         生前は至らなかったあなたの息子「庸夫」より

2010年9月10日金曜日

INFORMATION 「大平雪野の白寿を祝う会」



  日  程 10月16日(土)~17日                                                                         (日) 1泊2日

  場  所 塩楽荘(姫路市夢前町塩田118)

  プログラム 別項をご覧下さい

  会  費 大人1名 18,000円

      ただし同伴家族など2名以上分                                                               からは15,000円

      子供1名(小学生以下) 14,000円

  送迎バス 宿泊当日 10:40AM, 15:30PM

      (のりば) JR姫路駅南口観光バスターミ                                                                 ナル

             新幹線高架沿い「郵便局」の                                                                  前方

       ※南口出入り口に案内人が立                                                                        っています

   

(注) なお、 会費については当日世話人大谷美奈子にお支払                いください。

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塩楽荘下見レポート

台風一過、待ちに待った秋の涼風が少し吹き始めた9月9日木曜日、大谷美奈子、大谷さやか、大平庸夫の3人で今回の会場になる「塩楽荘」の下見見学に行ってまいりました。

 送迎バスは9時40分に姫路駅南口を発車して一路目的地へと向かいました。

28人乗りのマイクロバスにはまだ観光シーズン前で客は少なく、我々3人を含めて乗客は10人あまりでした。

バスは次第に姫路の中心部を離れ、途中から清流夢前川に沿ってを山すそを走っていき、30分あまりで「塩楽荘」に到着しました。

 玄関を入ると、そこには広々とした日本庭園が目の前いっぱいに広がるゆったりとしたロビーがありました。

 その日本庭園こそが、この旅館最大の売り物の、散策するだけで1時間以上もかかるという広大な日本庭園なのです。

我々は旅館の担当者に案内されてまず客室を下見しました。予約されているのは3階の302号室から305号室までの4~5人用の和室4室で、いずれも庭園や森林に面したベランダつきの静かな佇まいの部屋でした。

なお、人数次第でもう1室追加され、5室になるかもしれません。

次に見たのは2階の浴場、特に今回は高齢の主賓に考慮して介護浴場を予約してありますが、それをまず先に見て、次に露天風呂つき大浴場を下見しました。

介護浴場には一度に4~5人は入れると思いますが、貸切ですから、ここで家族が主賓を介護しながら湯につかってゆっくり団欒できるのではと思います。

次は宴会場の下見です。

最初は1階にあるメイン宴会場を見せてもらいましたが、

そこは3室に仕切られており、当日は隣接するの2室を他の客が同時間に使用する予定ということで、主賓が高齢の「白寿のお祝い」という今回の会の性格上、我々一同は隣でドンちゃん騒ぎを繰り広げられたらまずいと感じ、その旨を担当者に告げると、すぐ当方の思いを察してくれて、中2階にある別の宴会場に案内してくれました。

ここは56畳という広い部屋ではありましたが、料金も同じということで、一室だけ独立しているため、騒音の心配はまったく無く、我々は喜んですぐその部屋を予約してもらいました。

これで他の客に気兼ねなしに、ゆったりとくつろげる宴会が開催できること間違いなしです。

 下見が終り、女性二人は「せっかくだから」と風呂に入り、残った私はロビーで目の前に広がる庭園を肴に生ビールでも飲みながら待つことにしました。

その後簡単な昼食をして、2時過ぎに帰りの送迎バスに乗り、途中「ヤマサ蒲鉾」の工場見学と、試食コーナー、お土産売場により、午後3時ごろ姫路駅に着き解散しました。

なにはともあれ、参加した3人ともが満足した下見見物でありました。

皆様におかれましては、どうか当日をおたのしみに!


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「白寿とは」

白寿とは、99歳の長寿を祝う儀式をいいます。「白寿」と言われる理由は、99歳という年齢が100歳まであと1年で、「百(歳)」から「一」を引くと「白」の字になることから、99歳のお祝いを「白寿」というようになりました。白寿の祝い方も、基本的には還暦祝いと同じですが、贈り物などの色は赤ではなく、白を基調とした物を贈るのが一般的です。たとえば、白寿大頭巾、白寿祝着(ちゃんちゃんこ)、白寿祝扇など「白」一色で統一した贈り物で祝福します。

(インターネットサイト「お祝いマナー知恵宝庫」より)



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祝宴プログラム(予定)18:00~20:00
      中2階 蘭の間


① 開会の挨拶(担当、大平庸夫)5分以内

② 主賓への記念品贈呈(担当、大谷美奈子)2~3分

③ 宴会

④ 福引きつきゲーム大会(担当、大谷さやか)

    面白いゲームアイデア募集中!



(注) 案内状に書きましたカラオケや釣り大会は今回は団欒に重きをおくということで、時間の都合上、中止になりました。グラウンドゴルフなどはご希望者内で行ってください。


翌日について

① 朝食 7:30~8:30(宴会場)

② 解散 9:30(後は各自ご自由に、午後14:30発の送迎バスもあります     

③ 送迎バス発車(9:45)

  途中「ヤマサ蒲鉾」工場見学へ

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大平雪野写真アルバム(クリックすると大きくなります)












大平雪野自筆随想集(抜粋)クリックすると大きくなります















                
                
                    では皆様、当日をおたのしみに !!



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