文章には誤字脱字はよくあることです。言い換えれば文章には誤字脱字はつきものと言ってもいいかもしれません。
出版社や新聞社に必ず校正部員や校閲部員がいるのを見ればそれがよく分かります。
とはいえ、この誤字脱字も場合によっては単なるミスではすまないこともあります。
たとえば文学賞の最終選考に二つの作品が残ったとします。どちらも甲乙つけ難い傑作です。でも入賞作を1点だけ選ばなければなりません。
この場合、作品の内容では優劣が決められないとすれば、何を基準に決めれば良いのでしょうか。
それには決して良い方法とはいえませんが、「アラ探し」もひとつの方法です。つまりミスを探すのです。
とはいえ、最終候補に残ったような作品には言葉づかいなどの、文章上のミスなどまずありえません。
では誤字脱字はどうでしょうか。
文豪夏目漱石でさえ誤字脱字は少なくなかったと言われています。漱石でさえそうなら、文学賞応募レベルの作品に誤字脱字がないとは限りません。
ということで選考委員は必死になって二作品の誤字脱字を探しました。
すると、かろうじて一つの作品の方に送り仮名のミスを一ヶ所見つけ、それを理由にもう一つの作品を最優秀作にした、という話を聴いたことがあります。
これこそまさに致命的なミスの他の何物でもありません。
出版社や新聞社に必ず校正部員や校閲部員がいるのを見ればそれがよく分かります。
とはいえ、この誤字脱字も場合によっては単なるミスではすまないこともあります。
たとえば文学賞の最終選考に二つの作品が残ったとします。どちらも甲乙つけ難い傑作です。でも入賞作を1点だけ選ばなければなりません。
この場合、作品の内容では優劣が決められないとすれば、何を基準に決めれば良いのでしょうか。
それには決して良い方法とはいえませんが、「アラ探し」もひとつの方法です。つまりミスを探すのです。
とはいえ、最終候補に残ったような作品には言葉づかいなどの、文章上のミスなどまずありえません。
では誤字脱字はどうでしょうか。
文豪夏目漱石でさえ誤字脱字は少なくなかったと言われています。漱石でさえそうなら、文学賞応募レベルの作品に誤字脱字がないとは限りません。
ということで選考委員は必死になって二作品の誤字脱字を探しました。
すると、かろうじて一つの作品の方に送り仮名のミスを一ヶ所見つけ、それを理由にもう一つの作品を最優秀作にした、という話を聴いたことがあります。
これこそまさに致命的なミスの他の何物でもありません。
文学作品の誤字脱字は大目に見られる?
上のような話がある反面、新人文学賞の選考では誤字脱字は決定的なミスとはみなされない、とも聴きます。
いや、「聴きます」というような他人ごとではなく、これについては私自身が直接体験したしたことです。
いや、「聴きます」というような他人ごとではなく、これについては私自身が直接体験したしたことです。
40代の頃、私は大手出版社のメジャーな新人文学賞に立て続けに3回応募しました。
ターゲットは講談社、文芸春秋、集英社でした。
一作だけでは厳しい予選を通過するのは無理と思い、「下手な鉄砲もなんとか」で発表を待たず連続して3回応募したのです。
自信はからきしありませんでした。ところがです。驚くなかれ3作とも難関と言われる一次予選を突破したのです。
あの時はまさに天にも昇るような感激でした。
3作品のうち、1作品は2次も突破したのですが結局それで終わりました。
でも今日の話はそんなことではありません。
実は後になってこの3作品に大変なミスがあったことが分かったのです。
どんなミスかと言いますと誤字脱字が大量にあったのす。
その頃の私は仕事も含めて文章を書くのにワープロを利用していました。
ところが当時のワープロはお粗末なもので、キーボードの文字配列にしても今のものと違って左からABC・・・という風にアルファベットの順番どうりに並んでいたのです。
忘れもしません、キャノンが初めて発売したワードボーイという製品でした。
若い頃から英文タイプのキーボードに慣れていた私にとって、これは使いづらいことこの上ありません。
応募した3つの小説はそのワープロを使って書いたものです。大量の誤字脱字が出たのはそのせいかもしれません。
誤字脱字は一つの文章に一つか二つあっても恥ずかしいことなのですが、そのときはひとつの作品だけでも実に30箇所以上あったのです。
ということは三作品あわせれば100箇所近くあったことになります。
そうなのです。中編小説三作品併せて320枚の原稿用紙に合計110箇所の誤字脱字があったのです。
これは信じられないことです。なぜならそれらがすべてメジャーといわれる文学新人賞の予選を通過した作品だったからです。
つまり 「よくもまあ、これだけ誤字脱字が多い作品が厳しい予選を通過したものだ」 と思ったのです。
因みに三つの文学賞とも応募作品は1000点以上あり、中でも文芸春秋のオール読物は1700編もありました。
その中で一次通過は1割程度です。その狭い門を誤字脱字だらけの三作品がすべて通過したのです。これはまるでミステリーのような話ではありませんか。
その後私は長い間その理由について考えました。
誤字脱字も当然選考理由の一つであるはずなのに、何故あれだけ大量のミスが見過ごされたのか、その理由が知りたかったからです。
でも誰に聴くこともなく 「小説などの文学作品は誤字脱字より中身の方が優先される」 という結論に達したのです。
ターゲットは講談社、文芸春秋、集英社でした。
一作だけでは厳しい予選を通過するのは無理と思い、「下手な鉄砲もなんとか」で発表を待たず連続して3回応募したのです。
自信はからきしありませんでした。ところがです。驚くなかれ3作とも難関と言われる一次予選を突破したのです。
あの時はまさに天にも昇るような感激でした。
3作品のうち、1作品は2次も突破したのですが結局それで終わりました。
でも今日の話はそんなことではありません。
実は後になってこの3作品に大変なミスがあったことが分かったのです。
どんなミスかと言いますと誤字脱字が大量にあったのす。
その頃の私は仕事も含めて文章を書くのにワープロを利用していました。
ところが当時のワープロはお粗末なもので、キーボードの文字配列にしても今のものと違って左からABC・・・という風にアルファベットの順番どうりに並んでいたのです。
忘れもしません、キャノンが初めて発売したワードボーイという製品でした。
若い頃から英文タイプのキーボードに慣れていた私にとって、これは使いづらいことこの上ありません。
応募した3つの小説はそのワープロを使って書いたものです。大量の誤字脱字が出たのはそのせいかもしれません。
誤字脱字は一つの文章に一つか二つあっても恥ずかしいことなのですが、そのときはひとつの作品だけでも実に30箇所以上あったのです。
ということは三作品あわせれば100箇所近くあったことになります。
そうなのです。中編小説三作品併せて320枚の原稿用紙に合計110箇所の誤字脱字があったのです。
これは信じられないことです。なぜならそれらがすべてメジャーといわれる文学新人賞の予選を通過した作品だったからです。
つまり 「よくもまあ、これだけ誤字脱字が多い作品が厳しい予選を通過したものだ」 と思ったのです。
因みに三つの文学賞とも応募作品は1000点以上あり、中でも文芸春秋のオール読物は1700編もありました。
その中で一次通過は1割程度です。その狭い門を誤字脱字だらけの三作品がすべて通過したのです。これはまるでミステリーのような話ではありませんか。
その後私は長い間その理由について考えました。
誤字脱字も当然選考理由の一つであるはずなのに、何故あれだけ大量のミスが見過ごされたのか、その理由が知りたかったからです。
でも誰に聴くこともなく 「小説などの文学作品は誤字脱字より中身の方が優先される」 という結論に達したのです。