井上荒野さんが紹介するある女性作家の結婚の動機とは
E.Kさんが結婚生活について書いたすばらしいエッセイ集『いくつもの週末』の中に、「どうして結婚したのかとよく訊れるが、私は自分用の男のひとがほしかったのかもしれない」という一文があって、私はこれに心から同意しているので、今のところ、私にとっての「男」は私の夫です(と、いちおう言っておこう)。
出典・夢の中の魚屋の地図(井上荒野)
上の文章(斜体)は女性作家井上荒野さんがエッセイ集「夢の中の魚屋の地図」の中で、友人の女性作家であるE.Kさんの結婚の動機にについて紹介した文章です。
井上荒野さんが紹介しているある女性作家の結婚の動機とは「自分用の男のひとがほしかったから」というものですが。はたしてこれを読んで何ともいえない違和感を感じるのはわたしだけでしょうか。
こう書いたE.Kさんは直木賞も受賞した人気女性作家ですから言うまでもなく押しも押されぬインテリ女性です。
そんな知性派を代表するような女性が結婚の動機について「自分用の男が欲しかったから」と堂々と述べているのです。
「自分用の男が欲しかった」とは、なんとも不遜な言葉ではありませんか。それだけでなく男を馬鹿にしたような恐れ知らずな言い草であるともいえます。
それに、なんとなく下品であり、少なくともインテリ女性が発する言葉ではありません。
それもそうでしょう。自分用の男などといえば、まるで愛玩動物のような響きがあり、男をペットと同じように扱っているようにも受け取られます。別の言い方をすれば男を愛玩用に飼育する、という感じなのです。
これは同じことを男性が言った場合に置き換えてみればよく分かります。
つまり男性が結婚動機として、『自分用の女が欲しかったから』といったら、女性はどう思うでしょうか?
おそらく心あるほとんどの女性は不快な気持ちになるに違いありません。
おそらく心あるほとんどの女性は不快な気持ちになるに違いありません。
井上荒野さんは、なぜこの考えに同調したのだろうか
E.Kさんが言ったのは仕方ないとして、これに井上荒野さんが同調したのが解せません。
彼女のエッセイ集「夢の中の魚屋の地図」を読んでいて、感性の鋭い卓越した文章力に感嘆し敬意抱いていました。
それだけに聞いた人が違和感を感じる「自分用の男が欲しかった」という言い分に彼女までが同調するのが残念なのです。
でもこんな風に考えていて、ふと思ったのですが、ひょっとして、女性作家のようなインテリ女性はこんな考えを持つのは珍しくないかも知れません。
なぜなら人間は力をつければつけるほど支配欲や独占欲が強くなるからです。
なぜなら人間は力をつければつけるほど支配欲や独占欲が強くなるからです。
支配欲や独占力は圧倒的に男性に多い欲望ですが、女性が徐々に力をつけてきている昨今においては、こうした面を見せつけようとする人たちが増えているのかもしれません。
ことに売れっ子作家のような知力と財力に恵まれた女性にはそうした傾向が強くなって行くのかもしれません。
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