ラベル 純文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 純文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年8月3日土曜日

香り高い良質な純文学のようなテイスト ・読み応えあり! 開高健・エッセイ集成

 


開高健ベストエッセイ 筑摩書房

 

この推薦文が抜群にいい!



【谷原店長のおススメ】鮮やかな「生」への


執着と「虚実」の探求「開高健ベスト・エッ


セイ」


作家・開高健(かいこう・たけし)をご存知ですか。1930年に大阪で生まれ、洋酒会社の宣伝部で数々の名コピーを世に放った後、小説「裸の王様」(57年)で芥川賞受賞。89年に亡くなるまで、小説をはじめ、ベトナムの戦場や、中国・東欧などのルポ、食や釣りのエッセイなどを精力的に書き遺した作家です。

  先輩に薦められ、僕はかなり前から開高さんに興味を抱いていました。でも、一体どこから読み始めようか、と。釣り、食べ物、お酒、シガー(煙草)。エッセイだけでも、大人のたしなみの世界を描いた膨大な作品の数々に、途方に暮れていたのです。

そんな折、今年5月に刊行した「開高健ベスト・エッセイ」(ちくま書房)が僕の長年の思いを叶えてくれました。最初に読むのに最良の1冊。編集にあたったのは、彼の元職場の後輩、小玉武さんです。

  生まれ育った大阪・天王寺の、戦後の焼け野原の追憶から始まります。そして、小説家としての矜持、戦争、平和への思い。自ら現場を見に行きたいという渇望。そして釣り。じつは僕らの年代だと、開高さんって、川の傍で快活に笑って釣竿を持つ印象が強いんですね。

この本を読んで痛感したのは、彼の原点はあくまで小説で、そこから多彩な執筆の世界へと根を拡げたのだということ。そして何よりも驚くのは活力的にみえて、実際には「躁」「鬱」の両面を彼が持っておられたということです。

 だからでしょうか、徹頭徹尾、「生きる」ということに執着、こだわりを感じます。主題として散りばめられた事象の、その根底に脈々と流れる

「生」への貪欲な探究心が、読み進めるうちにひしひし伝わってくるのです。


出典:好書好日(谷原書店)


 

読書メ‐タ‐のレビュ‐


AttilaTaro

短編集は読んだことがあったのだが、エッセ

イは初。しかし小説と変わらぬ鮮烈な文体に

衝撃を受けた。 抜け出すことのできない気怠

さを感じながらも、力強く地を踏みしめてい

く感覚。物事の描写に一切の妥協がなく、特

に名詞の置き換え方が凄い。一度出した名詞

を、同じ言葉を使わずに表現するのは多くの

文筆家がやっていることだが、開高はレベル

が違う(例えば、マムシを「豊臣秀吉の祖先」

と表現したりする)。かなりの遅筆だったらし

いが、これほどのクオリティを保つのであれ

ば時間がかかるのも頷ける。欲を言えば其々

の文章の原文を読みたい。

ナイス★4

  

佐島楓

角田光代さんが開高健の、特に食にまつわる

エッセイが好きだと書いていらっしゃったの

で、読んでみることにした。まず、何とも言え

ない文章に驚いた。すごく変わった方だとい

うことが殴られたように伝わってきた。とに

かくエネルギッシュであり、ときにぐるぐる円

を描くようであり、あまり近年の作家には見

られないタイプ。読み進めていくうちにいろ

いろと腑に落ちたのだが、興味の対象が猥雑

なものから人間の本質に迫るものまで多岐に

わたっており、本当に一言では説明できない。

字数が足りないが、衝撃を受けた。

ナイス★70

 

ぼっせぃー

「消えた"私の大阪"」「才覚の人 西鶴」「故郷

喪失者の故郷」「飲みたくなる映画」「私の青

春前期」「トレーニング時代」「私の小説作

法」

「記録・事実・真実」「夫婦の対話 トルコ風

呂」「小説を書く病い」「笑えない時代」「心は

さびしき狩人」「告白的文学論」「貴重な道化

 貴重な阿呆」「こんな女」「見ること」「私にと

ってのユダヤ人問題」「脱獄囚の遊び」「荒れ

地を求める旅心」「毒蛇はいそがない」「河は

眠らない」「越前ガニ」「救われたあの国、あ

の町 」「最後の晩餐」。ちょっと散漫?もっと

コアなチョイスがあってもよかった。

ナイス★3

 

akiu

テーマ別にまとめられたエッセイ集。大阪天

王寺、青春、書くこと、ベトナム、釣り、飯な

ど。釣りや食の内容が面白いのはもちろんだ

が、とりわけ小説・書くことに関するエッセ

イが良かった。書けないことを言い訳してい

るだけでなぜこんなに面白いのか。何やら酔

ってばかりいるような気がする、酩酊系の文

章である。内容そのものよりも、文章が実に

良い。この天才的な文体は、天性なのか相当

狙っているのか、躁鬱だからなのか。斜に構

えてスカしてる…わけでもないのに、妙に醒め

ていて、急にマジメに熱くなったり、不思議と

惹き込まれる文章である。


出典・読書メ‐タ‐

・・・・・・・・・・・・


開高 健


カイコウ タケシ


1930年大阪に生まれる。大阪市立大を卒業


後、洋酒会社宣伝部で時代の動向を的確にと


らえた数々のコピ‐をつくる。かたわら創作


を始め、「パニック」で注目を浴び、「裸の王


様」で芥川賞受賞。ほかに「日本三文オペラ」

「ロビンソンの末裔」など。ベトナムの戦場


や、中国、東欧を精力的にルポ、行動する作


家として知られた。1989年逝去。



     出典・筑摩書房

 

2022年6月3日金曜日

車谷長吉、この作家の私小説は面白い

もうずっと前から私小説対象の最高の文学賞は芥川賞と決まっている。でも例外があった。それが今回のテーマである私小説作家・車谷長吉の作品である。

小説の名前は「赤目四十八瀧心中未遂」という。主人公が「私」の一人称小説だから、大方の人は私小説だと思うだろう。でもこの作品、たいていの私小説作家が受賞する芥川賞ではなく、主としてエンターテインメント作品が対象の直木賞を受賞しているのだ。

常識を破ることだから「なぜだろう?」と、首をひねる人は多いはずだ。

 


「赤目四十八瀧心中未遂」は私小説のようで私小説ではない?

一般的に私小説は作者が経験したことを事実を本に書かれていることが多い。でもこの「赤目四十八瀧心中未遂」について、作者・車谷の妻である詩人高橋順子(注1)は著書「夫車・谷長吉」(注2)につぎのように書いている。

 

長吉が夏休みが取れたというので、私は「どこかへ連れて行ってください」と頼んだ。「どこへ」と聞かれたので「恐山」と答えた。

後に長吉の代表作となった『赤目四十八瀧心中未遂』にこんな場面がある

「生島さん。うちを連れて逃げて。」

「えッ」

アヤちゃんは下唇を噛んで、私をみていた。

「どこへ。」

「この世の外へ。」

二人はそれから赤目四十八瀧へ心中未遂行に出発するのだが、私が「恐山」恐山と言ったことがこの場面を呼んで来たようにも思える。アヤちゃんはと私に当然ながら共通項七区、アヤちゃんは想像の女で、女優の松坂慶子をイメージしたと長吉は言っていたが、関西で料理場の下働きをいていた八年の間に、あるいは逢ったことのある女性がモデルかもしれない。長吉の小説のヒロインの中でいちばんいい女がアヤちゃんであろう。この小説は私小説ではなく、九十パーセント作り物だと言っていたが、書き終えるまでにはあと四年かかることになる。

         出典:「夫・車谷長吉」 文春文庫 65~66ページ

 

(注1)高橋順子

千葉県飯岡町(現旭市)生まれ[1]。千葉県立匝瑳高等学校卒業[1]。東京大学文学部フランス文学科卒業[1]。青土社などの出版社に勤務[2]。1998~2004年、法政大学日本文学科非常勤講師[2]。

1993年10月、作家車谷長吉と結婚[3]。2005年、車谷、新藤凉子と世界一周の船旅をする。2008年2~5月、車谷と四国八十八ヶ所を巡礼する。ウィキペディア

 

(注2)夫・車谷長吉

【講談社エッセイ賞(第34回)】この世のみちづれとなって−。11通の絵手紙をもらったのが最初だった。直木賞受賞、強迫神経症、お遍路、不意の死別。異色の私小説作家・車谷長吉...

 

車谷長吉が芥川賞ではなく直木賞になった3つの理由とは

赤目四十八滝心中未遂は最初文藝春秋の文学界に連載されました。おおかたの人が知っているように文学界に掲載されるは純文学分野の小説が主体です。純文学には私小説が多いので、この小説も一般的には私小説と考えられてきました。純文学系の私小説が対象になる賞は芥川賞です。でもこの作品はその芥川賞ではなく、大衆小説部門の直木賞を受賞しています。これについては大抵の人が「なぜだろう?」と思います。そうなったのには理由があるはずですが、それはどんなものなのでしょうか。考えられるのは次の3点です。

 

・芥川賞には枚数が多すぎる(文學界編集者談)

・小説としてのストーリーが比較的はっきりしていて、エンターテイメント性も強く大衆小説の要素が豊富

・講談社エッセイ賞を受賞した作品「夫・車谷長吉」で、著者高橋順子氏が語るように、この小説に書かれていることで、作者が実際に体験したことは少なく、全体の90%が創作である。 

 

・・・・・・・・・・・・・・

「赤目四十八瀧心中未遂」とは

 

内容説明

「私」はアパートの一室でモツを串に刺し続けた。向いの部屋に住む女の背中一面には、迦陵頻伽の刺青があった。ある日、女は私の部屋の戸を開けた。「うちを連れて逃げてッ」―。圧倒的な小説作りの巧みさと見事な文章で、底辺に住む人々の情念を描き切る。直木賞受賞で文壇を騒然とさせた話題作。

著者等紹介

車谷長吉[クルマタニチョウキツ]
昭和20(1945)年7月、兵庫県飾磨市(現・姫路市)に生れる。昭和43年春、慶応義塾大学独文科卒。広告代理店などに勤務しながら小説を書く。その後、東京を離れ、関西で下足番、料理人となって働く。平成4年に出版された初めての作品集「鹽壺の匙」(新潮社)で芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞を受賞。平成10年、「赤目四十八滝心中未遂」で第119回直木賞を受賞。その他、小説集に「漂流物」「白痴群」(ともに新潮社)、「金輪際」(文芸春秋)、随筆集に「業柱抱き」(新潮社)がある
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

 

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

 

鉄之助

325

車谷ワールド初体験! 大満足だった。長吉を「ちょうきつ」と読む名前からして、独特の世界。働き奴(はたらきど)、迦陵頻伽(かりょうびんが)、蛇(くちなわ)、併し(しかし)、大物(だいもつ)、これまであまり目にしたことのない文字の読み方に、浸りながら読んだ。匂いと湿度感が癖になりそう。2022/01/29

 

おしゃべりメガネ

187

直木賞受賞作品で本作が初読みの車谷さん作品です。特に大きな盛り上がりはないと思いますが、さすがは直木賞作品とも言うべき'深み'を感じる描写でした。まともな仕事もない脱サラの「生島」は住んでるアパートで、ひたすらモツ肉の串を刺し続けてます。そんなアパートには色々とワケありな住人達がそれぞれ住んでおり、中でも不思議な雰囲気の美女「アヤ」に、どんどん惹かれていきます。そんな「生島」と「アヤ」の危ういやりとりが、とても芸術的に綴られ、魅了されます。決して明るい話とは言い難い作品ですが、さすが直木賞と納得できます。2019/02/02

 

hiro

155

車谷さんが亡くなったという新聞記事を読んで、2年以上積読本となっていた直木賞受賞作のこの本を読んでみた。昭和53年の尼ヶ崎(尼)を舞台にした私小説。性的な描写を含め、最近は使われない古風言葉、漢字、言い回しと関西弁、そしてアパートでモツを串に刺している、中流の生活を嫌う主人公や‘この町の底に棲息する’登場人物たちのすべてに今の時代とのギャップを感じ、昭和53年よりもさらに古い昭和の時代を感じた。そして私小説のためだろうか、今まで読んだ直木賞受賞作にはなかった読書感だったが、決して嫌な読書感ではなかった。2015/05/27

 

出典:紀伊國屋書店 

2020年10月3日土曜日

おもしろくない(つまらない)小説を判定するには

 


この小説は本当につまらない作品なのか?

小説を読んでいて、面白くないとか、つまらない、と思うことがよくあります。

そんなときは図書館で借りたものならまだしも、本屋で買ったものなら、せっかくお金をはらって買ったのに、と少々腹が立ちます。その結果、ブログなどに悪口を書いて憂さ晴らしをするのです。

とはいえ、面白くなくてつまらなく感じるのは読み手のせいなのでは、と思う一面もあります。

つまり、読み手の読解力に於ける力量不足や、その時の精神状態であったり、そうしたものががつまらないと思わせる原因なのではないか、と考えるのです。

でもそこまで譲歩してよくよく考えた上でも、なおかつ、つまらない、おもしろくない、と思う作品なら、これはもう誰が読んでも結果は同じことで、本当につまらない作品と断定してよいのではないでしょうか。

で、このプロセスにしたがって、今回もある人気女性作家の小説ををつまらない作品と決めたのです。

なぜつまらない小説が世に出るのか

それにしても、どう考えても面白くなくてつまらないと思われる作品が世に出るのはなぜなのでしょうか。

しかも出るだけではなく、これがけっこう売れて、ときにはベストセラーになることさえあるのです。

これで分かるように、小説は決して内容が優れていておもしろいものだけが売れるのではなく、どう考えても「こんな作品がなぜ?」と思うようなつまらない作品が驚異的な売上を示すこともそれほど珍しくはないのです。

でもいったいなぜこんなミステリーのようなことが起こるのでしょう。

考えられるのは次のようなことが原因になっているのではないでしょうか。 

・作者の名が売れているから

人はモノの良し悪しを決める際、それがメーカー品かどうかで判定します。例えば電化製品だと、パナソニック、東芝、シャープなどです。

本の選択もあまり変わりません。作者の名前が売れているかどうかで、買う、買わないを決めるのです。

 ・テレビに良く出ていて顔を知っているから

何事も知っている人のことだと安心します。作家も同様で、テレビなどでよく顔を見る人なら、あの人の作品なら、と安心して買ってしまいます。 

・前作が売れたから

前作が予想外にヒットしたのに気を良くして、二匹目のドジョウを狙うのです。 

・映画化しやすい作品だから

本は映画化することでさらなる利益が狙えます。小説としての良し悪しはともあれ、ストーリー性に映画化しやすい点があれば、それだけで出版に踏み切ります。 

・出版社の勝手な都合

月の予算、年度予算、などに合わせるために出版社のその時の数字合わせの都合で出されます。

 

つまらないと判定する作品は現代小説に多い 

読書傾向が偏らないように、名作と呼ばれるような古い作品と比較的新しい現代小説を交互に読んでいます。

流石に名作と呼ばれるものにはつまらないと作品は少なく、充実した読後感を伴って読み終えることができます。

ところが今も存命中の作家による現代小説となると、そうはいきません。読んでる最中から不満タラタラで、つまらなさに辟易して途中で投げ出してしまうか、そうでなくても最後まで読み終えるのには大変な苦労を伴う作品が多いのです。

 

純文学は本当につまらない

これまでブログなどで何度も書いて来ましたが、純文学と言われすジャンルの作品はいつ読んでもつまらなく(面白くなく)思います。

これについても、読み手側に問題があるのではないかと、客観性をもたせて考えてみるのですが、どう考えても純文学のつまらなさは変わりようがないと革新できます。

それはいわゆる純文学誌と呼ばれている雑誌である文學界、群像、新朝、などが全く売れていないことが証明しています。

これらの雑誌をすべて合わせても、売上は1万部以下といいますから、雑誌売上不調の昨今の事情を考慮しても、このひどい数字は、純文学の不人気を示す以外の何物でもありません。 

 

芥川賞受賞の小説にはつまらない作品が多い

芥川賞は純文学作品に与えられる最高の文学賞です。

毎年2回選考ががあり、受賞作品は雑誌・文藝春秋で発表されます。

言うまでもなく受賞作品は多くのメディアが取り上げるため人気になりよく売れます。

一般的によく売れる作品は内容が優れていて興味のわく魅力的な作品であるのが普通です。でも芥川受賞作品に限っては決してそうは言えないのです。

要するに期待して読んでも、失望する作品が実に多いのです。

個人的にはここ3~4年で、良いと思った作品は村田沙耶香の「コンビニ人間」ぐらいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●あわせて読んでいただきたい記事
マイブログ10周年・アクセス数400越え170記事のご紹介 ☆シリーズNo.1~No.9  全170記事一挙大公開  

 https://tuneoo.blogspot.com/2019/10/blog-post_5.html

2019年12月15日日曜日

純文学とは何か ・ アメリカの純文学は?

 
純文学とは「この作品のどこが面白いの?」と思わせる読み物?
 
こんなふうに思ったのは、アメリカの作家サリンジャーの「ナインストーリーズ」を読んだときです。
 
サリンジャーは超ベストセラー作品「ライ麦畑で捕まえて」で有名な米国の作家ですが、今回読んだ「ナインストーリーズ」はそれに次ぐ彼の代表作です。
 
実は「ライ麦畑で捕まえて」も随分前に一度読んだ記憶があるのですが、あまりにも前なので内容をすっかり忘れてしまっており、面白かったかどうかも不明なのです。
 
以前から家の書棚にある世界文学全集にサリンジャーの巻があり、それば前から気になっていて、意を決してその中に収録されている作品のひとつ「ナインストリーズ」を読んでみることにしました。
 
しかし読んでみて思ったのは、表題の「この作品のどこが面白いの?」というものだったのです。要はこの作品、アメリカの純文学なのでしょうか?
 
 
ブログに「純文学について」という名文があった!
 
たまたま目にしたブログに「純文学について」という記事があり、内容が優れており非常に感銘を受けましたので、ここでその抜粋をご紹介します。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
 
純文学とは何か
 
まず、とても端的な質問を与える。それは、純文学とは何か、ということである。その答えというか定義は多様であるが、1つの定義として、純文学は私小説である、というものがある。
するとさらに私小説とは何かということになるが、それは作者が直接に経験したことに基づき書いた小説ということになり、自叙伝的なものとか、日常のちょっとした経験したことをテーマに書いた小説ということになる。そういえば、私は若い頃から渡部昇一氏のファンであるが、渡部昇一氏は、私小説だと書くテーマが限られているので、次第に枯渇するのではないかと、私小説に対して批判的だった。それでつい私も、私小説的な小説を避けてきたところがあるが、ちょっと一方的だったかもしれないとこの歳になって反省している。自分の個人的な体験から壮大にテーマを描くというのは十分にありえるからである。
別の純文学の定義として、面白さよりも芸術性にフォーカスされた小説というものがある。そういえば大学時代にある知り合いが、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでみたが、何が面白いかさっぱり分からないといっていた。今の私なら、そういうならと読んでみたかもしれないが、当時は松本清張一辺倒で、純文学っぽいものは読む気がしなかった。ともかく、「ライ麦畑でつかまえて」が純文学なのかどうか知らないが、文学の芸術性というのは私は、ある程度の教養がないとその意味とか面白さが理解できないもの、と定義してみる。違うだろうか。そういう意味で、ノーベル文学賞をもらった大江健三郎なども私には芸術性が高い純文学と映る。なにしろ、読んでもさっぱり理解できなくて、途中で投げ出してしまう。そしてその背景に単なる荒唐無稽ではなく、何かの思想があるんだろうとは推察する。
 
出典:純文学について  あやたろう 2013年12月22日
http://commutative.world.coocan.jp/blog3/2013/12/post-1126.html
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
このブログで注目すべきは、サリンジャーの代表作「ライ麦畑で捕まえて」についての記述です。
 
この著者も私が同じ作者の作品「ナインストーリーズ」で抱いたと同じ感想を「ライ麦畑で捕まえて」で感じているのです。
 
要は、アメリカでも日本でも、純文学とは、何を言わんとするのか意味不明の「この作品のどこが面白いの?」と思わせる作品なのではないでしょうか。 
 
 
「純文学 ⇔ 芥川賞 ⇔ 面白くない」
これは疑いようのない図式なのか?
 
これまで私のブログでは純文学のつまらなさについて何度も書いてきました。ターゲットに上がったのは、たいてい芥川賞受賞作品でした。それゆえに純文学について上のような図式のようなものを思いついたのです。
 
それでも飽きもせず読み続けるのは、発表のたびにメディアが大きく取り上げ、賛辞を送るからです。
 
いったいメディアは何ゆえにつまらない純文学作品の後押しを続けるのでしょうか。


●あわせて読んでいただきたい記事

マイブログ10周年・アクセス数400越え170記事のご紹介 ☆シリーズNo.1~No.9  全170記事一挙大公開  

 https://tuneoo.blogspot.com/2019/10/blog-post_5.html
 
 

2019年9月10日火曜日

今回の受賞作は「むらさきのスカートの女」だが、芥川賞作品の書評を書くのはつらい

 
芥川賞受賞作品を読む人が心しておきたいこと
 
芥川賞受賞作品は毎回雑誌「文藝春秋」誌上で発表されますが。そもそもこれが問題のもとなのではないでしょうか。
 
といいますのは文藝春秋は国民的雑誌ともいわれるように古くから多くに人々に愛されてきた雑誌で、いまどき珍しいぐらいの4~50万部もの発行部数を誇っている人気雑誌です。
 
総合雑誌だけに内容は偏っておらず、多くの人が関心を持つだろうと思われる話題が記事として取りあげられているスタンダードな雑誌と言っていいのではないでしょうか。
 
また教養雑誌とも呼ばれるだけあって、知的好奇心をくすぐるようなインテリジェンスを刺激する記事も少なくなく、それゆえに多くの知識人にも愛されています。
 
こうした雑誌に芥川賞受賞作品が掲載されることが問題があるのです。でも何故なのでしょうか?
 
 
芥川賞受賞作品は雑誌「文藝春秋」誌上で発表されるが
 
いまさら云うまでもありませんが、芥川賞は直木賞と並ぶわが国の文芸作品に与えられる最高の賞です。
 
それだけに毎年2回(3月と9月)の発表時には多くのマスコミに取り上げられ華々しく報道されます。その結果当然人々の関心の的になります。

それゆえに話題として広く庶民の間まで普及していき、この期間に限っては普段はあまり文芸に関係ないような人たちの間でも話題にのぼるぐらいです。

 
つまり「今回の芥川賞で話題になっているあの作品読んだ?」とか何とか。

ふだんあまり本を読まない人たちでさえ、こんなふうに話題にするのですから、日ごろから本好きを自認する人たちが放っておくはずがありません。
 
ましてや文藝春秋誌上で発表されるとあって、そうした人たちは書店に走り飛びついて読むのです。

問題があるのはこの点なのです。それは他の雑誌に比べて文藝春秋の発行部数は桁違いに多いからです。
 
雑誌が売れない昨今なのに、文藝春秋に限ってはコンスタントに40~50万部売れているのです。

ということは少なくとも4~50万の人々が、真っ先に芥川賞受賞作品を目にすることになるのです。

この4~50万人という数が問題なのです。
 
 
芥川賞の対象になる純文学の愛好者は極めて少ないのに
 
上で芥川賞の受賞作品は少なくても4~50万人の文藝春秋読者が目にする、と書きました。4~50万人は大きな数ですが、まずこの数を念頭においてください。
 
次に上げたいのは芥川賞の対象になる純文学愛好者の数についてです。

芥川賞受賞作品は一般的に純文学誌に掲載された作品が選考の対象になります。純文学誌で代表的なものは五大文芸誌ともいわれる、文学界、群像、文藝、すばる、新潮などです。

ではこれらの雑誌の発行部数はといえば、各々がいずれも1万部以下です。ということは5誌すべてあわせても、いいとこ3~4万部でしかないのです。

これを文藝春秋の4~50万部と比較すると、なんと10分の1でしかないのです。問題はこの点です。

つまり、わずか3~4万人しか愛好者がいない純文学作品を純文学には特に関心のない4~50万人もの文藝春秋読者が読むことにあるのです。

結果は明らかです。読んだ人のほとんどが、理解できない、面白くない。と思うのが普通なのです。

なぜなら芥川賞受賞作品は純文学マニアやおたくたちが対象のものであって、一般の人には無縁な作品が多いからです。

それなのに文藝春秋のような一般の読者の多い総合雑誌で発表するからミスマッチによる誤解が生ずるのです。 
 
 
芥川賞受賞作品は誤解されるのはマスコミの取り上げ方に問題があるから
 
要するに芥川賞は純文学愛好者というマニアやオタクと対象にしたマイナーな文芸作品がターゲットになっているのです。
 
狭い範囲のマニアやオタクしか理解できないものを、一般の人が好むわけがありません。
 
その理屈を無視して、マスコミが芥川賞を必要以上に取り上げて宣伝することにも問題があります。
 
その結果ベストセラーとなって、売れなくても良いものが売れてしまう馬鹿げたことが起こるのです。
 
芥川龍之介は嘆いているに違いありません。

というわけで、今回の受賞作「紫のスカートの女」も、わたしも含めて、多くの一般の人にとっては、わけの分からない作品としか思えないに違いありません。