2025年7月10日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈2〉うわさ 台風 そして青空(13)最終回

           

〈前回まで〉H市のフランチャイズ学習塾事務所が何者かによってガス爆発(未遂)を仕掛けられた事件について、塾長の砂田文夫は一応警察へ届けはしたものの容疑者については何も話さなかった。この事件だけはどうしても自分自身の手で解決したいと強く思っていたからだ。その犯人追及もいよいよ佳境に入り、まず浅井の共謀者と目される木島を追及したが、予想していたように、やはり彼はH市の塾への遺恨などは何もなく、単に浅井に追従しただけだということが分かった。そして残るターゲットは浅井だけになった。折しも台風13号が接近してきて、激しく風雨が迫る中、砂田文夫は憎き浅井と対峙することになった。


            13

 風邪で休んでいる。今日に限って何と間の悪いことか。しかし待てよ。浅井の奴、ひょっとして仮病を使って休んでいるのではないだろうか? 週の初めから昨日までに、新田、伊藤、木島と順を追って当たってきているから、その様子については浅井も気づいていて、徐々に自分に手が伸びてきているのを感じ取り、それから逃れるために風邪と偽っての休みなのではないだろうか? そうでなければあまりにもタイミングが良すぎるではないか。


 どうしようか。明日まで待とうか。いやそれは駄目だ。月曜日から日を追って一つの流れに乗って行ってきたことだ。ここで一日おけば、多少ともその流れを変えることにもなりかねない。 それにせっかく盛り上がってきた気持ちを萎えさせてもいけない。明日とは言わず何としても今日のうちに。 


 文夫はそう思って気を引き締め直すと、再び受話器をとり本部を呼び出すと、事務員に経理の新田への取次ぎを頼んだ。


 「内密に教えて欲しいんだが」と頼んだ浅井の自宅の電話番号を、新田は「すぐ調べて後でご連絡します」と言って、それから十分後に電話をかけてきた。


 「塾長、いよいよ浅井くんですか?いや彼、昨日から休んでいるんですけど、その前の日は別段風邪をひいている様子でもなかったですよ。ただ少しイライラしているようでしたけど」


 ずる休みではないのか?と文夫が推測したことに対して、新田が加担するようなことを言ってくれた。


 新田は浅井はN市の球場の近くのワンルームマンションに一人住まいしている、ということも付け加えて教えてくれて電話を切った。


  受話器を置いて、またタバコに火をつけて一服大きく吸い込むと、手は再び受話器へと伸びた。呼び出し音が十回以上鳴っても浅井は出てこなかった。

 番号の間違いかもと思って、もう一度かけなおして更に五回鳴らしてみたが、それでも何の応答もなかった。


 おかしいなあ、風邪で休んでいるはずなのに。

 とは思ったが、文夫はひるまなかった。十一時台にもう一回、その後昼休みも取らず十二時台にさらに二回、そして遅い昼食を取った後の午後二時近くに五度目のコールでやっと「モシモシ」とと受話器の奥から浅井の不機嫌そうな低い声が聞えてきた。  それを聞いて文夫の全身の血がカッと燃えた。


 「浅井くん? 砂田です」

 風邪で休んでいるという浅井の自宅にまで電話したことに対して、文夫は侘びなどは言わなかった。彼の声からして病気の様子もなかったし、それにそんなことを言う余裕などまったくなかったのだ。


 「砂田ってH市の塾長の?いったい何の用でしょう? ぼくの自宅まで電話していただいて」 


 この場に到って浅井は第一声で随分ふてぶてしいセリフを吐いた。

 その言葉を聞いて文夫はさらにカッときた。

 「いったい何の用でしょう、はないだろう。ぼくが何のために君の家にまで電話したかは君自身がいちばんよく分かっているはずじゃないか。違うかい? 君ももう知っているだろう。今週の初めから、ぼくが本部社員の一人一人に当たって、いろいろ事情聴取していることは。 最も昨日の木島君との事は、君が休みだったら知らないだろうが」


 揺さぶりをかけるために、あえて木島の名前を終わりに付け足した。

 「いえ、ぼくはよく外へ出ていて事務所へいる時間は短いもので、そのことはよく知りません。 いったい何のことでしょう?」


 この男想像した以上にしぶとい奴だ。よしそれならそれではっきり言ってやろう。

 文夫は声に怒気を含めて言った。


 「君しらばっくれるんじゃないよ。 昨日からそうして休んでいるのも、ぼくの追及から逃れるためだろう。浜岡くんと南くんについての不埒な噂話のことだよ。話をでっち上げて本部中に流した張本人は君なんだろう」  


 浅井にそう迫りながら、普段の倍以上の大きさの迫力に満ちた声だ、と文夫は我ながら感心していた。その迫力に押されてか、受話器からはすぐ浅井の返事は返ってこなかった。


 「なあ、どうなんだ浅井君!」

 「噂だなんて、あれ本当のことなんだし」

 ふてぶてしさが少しだけ消えて、さっきより小さい声で浅井が答えた。


 「何だと! 何が本当のことなんだ。噂の二人だって木島くんだって、君が言ったような事実はないと、はっきり言っているじゃないか。それでもそうだと言うのなら、いまぼくにそのときの状況についてもう一度はっきり説明してみたらどうだ」


 迫力に満ちた文夫のその言葉に浅井はひるんだのだろうか、再びすぐには返事がなかった。


 「さあどうだ。言ってみたらいいじゃないか。伊藤くんに話したように浜岡くんの半ズボンのチャックのところから大きなものがボロンとはみ出していたとかなんとか」


 「でも見えたような気がしたんです。ぼくには」

 弱気になってきたのがありありと分かるような、かぼそい声で浅井はかろうじてそう答えた。


 「いや、そうじゃないだろう。君はそんなもの見てなかったんだ。

 浜岡くんが言ってたように、上半身こそポロシャツを脱いでランニングシャツ姿だったけど、その他はふだんどおりで、ただ長椅子に腰掛けて南さんと話していただけなのだ。

 君は浜岡くんが上半身裸だったと言ったそうだが、それも事実とは違うようだ。

 それも君がでっち上げたことなんだろう。それから南さんも着衣が乱れていて、うずくまるように座っていたというのも違う。彼女言ってたよ。普段のままの服装で普通の座り方をしていて、君が近づいてきたときも正面から君の顔を見ていたと」

 文夫は追及の手を緩めず、声にも更に迫力を込めて迫った。


 「なにぶん入ったとき薄暗かったもので、ぼくにはそう見えたのかもしれません。

 それに二人だけであんな時間に、あんな場所にいたものですから」


 「そうか、やはり君ははっきり見てなかったんだ。なのにあんな話をでっち上げて本部中の社員に広げた。いったい何のためだ? 南さんの素っ気なくされた仕返しにかい? それとも浜岡くんやこのぼくに何か恨みがあるとか。


 考えてみろよ。あんな噂流して、流された者の立場はいったいどうなるんだ。

 特に彼らは生徒を指導する立場にあるのだし、もし事実だとすればぼくとしても二人を放置しておくわけにはいかないし、場合によっては首にするかもしれない。

 君はそこまで考えてあんな噂流したのかい? ついでに言っておくけど、君に対してはぼくは別の件でも大きな疑惑を抱いているんだ。分かるかい? なんのことだか」


 勢いにまかせてか、文夫はついに半年前のガス事故のことについて匂わせた。

 でもそのことはまだ少し早いと思い直して、またすぐ話を元に戻して、さらに付け加えた。


 「どうだ浅井くん。ここまできたんだ。いいかげんにはっきり君の口から言ってしまえよ。

 「あの話はぼくが勝手に作り上げたデマでした」と。

君が見たというのは二人がそこへいたことだけで、後は全部作り話だったんだろう? 

 そうなんだろう。黙っていないではっきり言いたまえ」


 文夫がそこまで言ったとき、受話器からがチャッという音が聞え、その後すぐブウーという発信音が鳴り始めた。浅井は電話を切ったのだ。


 文夫の言うことがすべて事実で、認める以外に返事ができなかったのか、それとも一年前のガス事故についての疑惑を匂わされて、気が動転しまったのか、とにかく一方的に電話を切ってしまったのだ。 でも文夫はこれでいいんだ、と思い、もう一度かけ直そうとは思わなかった。


 「なにぶん入ったとき薄暗くて、それに二人だけであんな時間にあんな場所にいたもんで」

 これが浅井の最後の弁明のことばだったが、これでじゅうぶんではないか。

 それにガス事故の件についても、それをこちらが口に出した後で彼は何も言わなくなり、そして一方的に電話を切った。


 自分の犯した二つの罪を同時に攻め立てられて、ついにいたたまれなくなり、電話を切ることしか他に方法を見つけられなかったのだろう。


 憎っくき浅井の奴をやっとやっつけたのだ。

 後は社長の小谷と話し合って今後の彼に対する処置について決めるだけだ。

 ガス事故のことも認めたのなると、解雇は間違いないだろう。


 文夫ははやくこのことを浜岡と南三枝に知らせてやらなければ、と思いながら、ふと窓のほうに目をやった。 


 朝方からあれほど荒れ狂っていた激しい風雨はすっかりやんでおり、はるか先にある山並みの上には雲間から青い空さえ覗いていた。

 

 「浅井忠夫が辞表を出した」と社長の小谷が伝えてきたのは、それからわずか三日後のことであった。それも郵便で送られてきて、自宅に電話しても何の音沙汰もないということで、解雇通知もできないのだ、と言った。 


 文夫はそれでもいいじゃないか、と思った。


 とにもかくにも、激しく吹き荒れた台風十三号とともに、あのいまわしい噂を浅井忠夫ごと吹き飛ばしてしまったのだから。


 文夫は事務所の窓際に立って、ようやく訪れたすがすがしい秋空の下で、微かに揺れるイチョウの並木を満足気に眺めていた。

                                 おわり

 

 

 

※ 次回からはT.Ohhira エンタメワールド〈3〉「ナイトボーイの愉楽」をお届けします。




第一回 7月17日(木)