2026年7月30日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(3)

 

                     adobe stock


                                      3

 二人はそれからすぐ横手にあったコインロッカーに荷物を入れ、まだ幾分のよそよそしい雰囲気を漂わせながら夜の三宮の街へと出て行った。

 外へ出るとすぐ正面にタクシー乗場があって、その前の長蛇の列を尻目に、二人は左手に広がる繁華街へと向かっていった。


 「よかったですね、あの列に並ばずに。五〜六十メートルはありましたよ。あれだとたとえ中ほどでも三~四十分はかかるだろうし、ぼくなんかとても耐えられそうもありませんよ」 歩きながら女のほうへ少し間隔を詰めてから進次が言った。

 「ほんとうに凄いわ。タクシー待ちのあんな長い行列見たのは始めてだわ」

 「ぼくもですよ。でももう二~三時間もすれば空きますよ。今度行ったらすぐ乗れたりして」

そう言った後で、もう二~三時間もすれば、というセリフに対して女がどう反応するかが気になった。

別に意識してわざと言ったわけではなかったが、駅構内で誘ったとき、女は「もう遅いですし、少しだけなら」と応えたはずで、それだとこの二~三時間というのにも当然なんらかの拒否反応を示すはずだと思えたからだ。


 でも進次のそうした思惑をよそに、女はそのことに何の警戒心も見せることなく、「だといいのですけど」と答えただけだった。

歩きながら進次に胸は次第に高鳴ってきた。

 それはこうした場合、たいていの男が思い描く「あわよくば」とでもいう微かな期待感からに違いなかった。


 駅前の横断歩道を渡り、正面の私鉄の駅の玄関前を右へ曲がると前方に繁華街が広がっている。進次は以前何度か足を運んでいて、この辺りが終電の発った後でもかなりの賑わいを見せるのをよく知っていた。

特に金曜と土曜の夜ともなると終夜営業の店も珍しくなく、行く場所に事欠くことはないと思っていた。しかし土曜とは言え、まだ正月三日のこの夜の様子は普段とはすっかり違っていて、人の数もネオンサインの輝きも普段と比べうんとまがらで、およそ大都会の夜の盛り場という趣はなかった。


 「人少ないですねえ、まだ開いている喫茶店あるかしら」

 以前は入ったことのある駅寄りの二軒の店が立て続けに閉まっており、三軒目を探して歩いているとき、女が少し不安そうな声で言った。

そう言われるまでもなく、進次にしても最初の二軒の店の閉店は大きな誤算で、この先開いている店があるという確証など少しもなく、女以上に不安な気持ちを募らせていた。


こんな様子だと女が今にも「わたしやっぱ帰ります」とでも言い出しかねないと思ったからだ。

 「ねえ、ラーメン食べませんか? 少し寒くなってきたようだし、あったまりますよ」

 前方十メートルくらい先にかろうじて明かりがついているラーメン屋の看板をふと目にした進次が不意に女に言った。

一月にしては随分暖かい夜であったが、電車のスチームに長い間暖められた身体も先ほどから夜風に当たって少しずつ冷えてきていて、女も寒がっているのではないかと思い、とっさに思いついて出た言葉であった。

 

「ラーメンですか。ああ、あそこのお店ね。そうねえ暖かそうだし行きましょうか。喫茶店も見つからないようだし」

女が応じてくれてホッとしたが、進次としては静かなムード音楽でも聴きながら、ゆっくりと語り合いたいのがいちばんの望みであった。でもあてもなく喫茶店を探して歩くより、この際どこでもいいからひとまず腰を落ち着けて、時間を稼げばいいではないか、その後のことはラーメンでも食べながら考えればいいのだから、というふうに思ったのだ


その店の前まで来て、湯気で少し曇ったガラス戸を開け、「どうぞ」と女を先に入らせた。カウンターだけの住人ぐらいしか入れない小さな店であったが、客は1人もなく、五十がらみの店主と思しき男の人が隅の方で所在なさげにテレビを観ていた。 


 「はいいらっしゃい、何にしましょう?」 二人が腰を下ろすや否や、男の人は立ち上がり壁のメニューに手を掲げながら、せっかちに注文を聞いた

 醤油に味噌、それにワカメとキムチ。四品しかないメニューのうち、進次は味噌ラーメン女はワカメラーメンを注文した。

 頼んだ品が出てくるまでのしばしの間、何から話そうかと考えていた進次だが、まだ女の名前を聞いていないことに改めて気がついた。

 「電車の中でも言いましたね、ぼくの名前は、でももう一度言います。山中進次、二十一歳です」

「ゴメンナサイ。わたし言うのを忘れてて、中谷和子、十九歳です」

 「ふーん、やっぱり十九ですか。多分それくらいだと電車の中でも思っていたんです。それで今は学生ですか?」


つづく

次回 8月6日(木)