なぜ街頭からゴミ箱が姿を消したのか?
近頃の街角で少なくなったものと言えば公衆電話ボックスとゴミ箱ではないでしょうか。
これら二つのうち、公衆電話の方は減った理由は誰にでも分かります。
ケータイ電話が普及したため、必要性なくなったからで、いわば必然的なことです。
それに比べてゴミ箱が少なくなったのはまるで理由が分かりません。
こちらは公衆電話と違って、いつの時代でも必要性が高く、街頭を行き交う人々にとってはなくてはならないものです。
それだけに、ひと昔前だとメインストリートには100メートルも歩くと、必ずと言って良いほど道端にはゴミ箱がありました。
それもドラム缶ぐらある大型のものが設置されていました。
ところが今は行けども行けどもそうしたゴミ箱が見当たりません。
以前はどの街角にもあった大型のごみ箱は見事に撤去されて姿を消してしまったのです。
たまにあったとしても、そればコンビニが客へのサービスとして店先に置いたゴミ箱ぐらいです。でもこれは買い物をしない単なる歩行者が使うのは憚れます。
ゴミ箱がないのはストリートだけではありません。
1日中多くの人が行き交う駅のコンコースですが、この広いスペースにもゴミ箱はありません。
旅行者がよく集まるのが駅のコンコースです。
旅行者は行く先々でよく買い物をします。それゆえに包装紙など、ゴミもよく出します。
でも捨てようと思っても周りにゴミ箱がないのです。仕方なく旅行かばんの中にゴミ専用スペースを作らざるを得ません。
旅行者に限らず、街頭でゴミ箱が必要になることは誰にでもよくあります。
たとえば弁当の空き箱とか、鼻をかんだティッシュペーパーとかは誰でもが捨てたくなります。
でも街頭にゴミ箱がなければ、それらをわざわざ家まで持ち帰らなければなりません。
それは少し酷なことです。
でもどうして必需性が高いごみ箱が姿を消してしまったのでしょうか。
ネットなどでは、無くなったのはオーム真理教事件以後で、爆発物などの不審物の隠し場所にされるのを防ぐためとか、ごみ箱を無くすと人は街頭でゴミを捨てなくなる習慣がつく、などの理由を推測として挙げています。
でもこうした理由は説得力がありません。
なぜならいずれも根拠が乏しく、公衆電話がなくなった理由のようなはっきりとした必然性が乏しいからです。
上に挙げた理由のうち、不審物の隠し場所になるから、というのは、ごみ箱の他に隠し場所がたくさんありますから根拠がうすくて説得力がありません。
ではゴミを街頭に捨てなくなる習慣がつく、という方はどうでしょう。
外国人旅行者は一様に日本の街頭の清潔さにおどろきます。ごみ箱がないにもかかわらず、どの街頭にもごみやチリがほとんど落ちていないからです。
確かに最近はどこの街頭へ立ってももゴミが散らかったところは見受けられません。
外国人ならずともこの点は認めます。でも街角にゴミ箱がないのは非常に不自然な上に不便ですから、できたらあってほしいと誰もが思っています。
そうした人々の不便さを無視して、ゴミ箱がなくなった理由に結び付けるのは、いささか無謀過ぎるような気がします。
それが証拠にはネットなどでこれを明確な根拠として挙げた記事は載っていません。
正直なところ、ごみ箱が街頭から姿を消した理由は誰にもわからないのです。
これは一つのミステリーと言ってもいいのではないでしょうか。
1 件のコメント:
有料になったから家庭ごみを持ち込む輩が出てくるからだろうが・・・
アホか?
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