書き出しの2000字を読むだけで
「面白いか否か」「読まれるかどうか」「売れるか、売れないか」
がわかる
(その5)
紳士と編集長
その初老の紳士が話しかけてきたのは、僕が駅前バス停前の、地下街入り口のコンクリートの囲いにもたれて、その月発刊されたばかりの雑誌の目次に目を通している時だった。
おおかたの月刊雑誌と同じサイズでA5版のその雑誌は、厚みこそ週刊誌並ではあったが、〈リベーラ〉という名前にどことなく知的な雰囲気を漂わせていて、目次を読む段階ですでに僕をすっかり魅了していた。
「あのすいませんが」
その紳士はセリフこそ月並みであったが、すこぶるトーンのいい上品な声でそう話しかけながら僕のすぐ横に立っていた。
「はい。なんでしょうか」
クリーム色の薄手のスーツを粋に着こなしたその身なりのいい紳士にチラッと目をやって、わずかな警戒心を抱きながら、僕もまた月並みの返事をした。
「今お読みのその雑誌、今月発刊されたばかりのリベーラですね」
「ええそうですが、それがどうか」
警戒心は少ないものの、見ず知らずの人からの思わぬ質問に、やや当惑気味にそう答え、あらためてその紳士に視線を送った。
六十を少し超えているだろうか、頭髪はほば半分くらい白く染まっているが、黒とまだらになったその髪が妙に顔立ちとあっていて、それがこの人の風貌をより魅力的に見せていた。
「いかがですかその雑誌。おもしろいですか?」
さっきより少し表情をくずして紳士がまた聞いた。
「ええまあ。中身はこれからですが目次を読んだかぎりではなかなかおもしろそうですね。それにこの表紙とか装丁とかもこれまでのものにないユニークさもっていて」
何者かはわからなかったが、そこはかとなく上品さを漂わせているその紳士に、僕はもうすっかり警戒心を解いていて、思ったまま正直に感想を述べていた。
「そうですか。それを聞いてわたしも大変嬉しく思います。実はこの雑誌なんですが」
紳士がそう言って次の言葉をつなごうとした時、目の前に僕の乗るバスがやってきた。
彼はどうやらそのバスでないらしく、それに乗るんですかと、問うようなまなざしで
僕を見ていた。
「では僕はこのバスに」そう言いかけて、バスの方へ一歩踏み出してから思った。
どうしよう、あの人まだ何か話したそうだし、このままこれに乗ってもいいものだろうか。バス一台遅らせて話を聞いてみようか。
でも次のバスまで三十分もある。今日は少し疲れているし、さらに三十分も待つのキツイな、やっぱりこれに乗ろう。あの人にはまた会えるだろうし、話は次に機会に聞けばいいんだし。
そう結論を出して、今度は彼に向かって会釈しながらはっきり言った。
「あのう、僕このバスに乗りますから、いつもだいたいこんな時間にここから乗りますので、また次にお会いしたときに」
僕のその言葉に、彼は少し名残惜しそうな表情を見せたが笑顔はくずさず、「はい。じゃあその時に」と言って、ゆっくり頭を下げていた。
バスが発車して駅前を左の折れてからも、まだその紳士のことが気になっていた。
「実はこの雑誌なんですが」で途切れた、いや途切らさせてしまったあの言葉、いったい後にどういうことが続くのだったんだろうか?それにしても全身に漂わせいたあの上品な雰囲気、人口六十万のこの地方都市にだって、あの歳のあんな人はめったにいるもんではない。
ああ言って別れたんだから、近いうちにまた会えるには違いなきけど、こんな気持ちになるんだったら、例え三十分待つにしても次のバスにして、話の続きを聞けばよかったのかも。
そんな後悔じみたことを考えながら、ふと気がついて手にしたままのリベーラの表紙をまじましと眺めていた。
その次の日、昨日とほぼ同じ時刻にバス停にやって来て、今度はスタンドで買ったスポーツ紙を読みながら立っていた。十分ほど待って昨日乗ったバスがやって来て、ぼく以外の数名を乗せて発車した。
そこへ行く前から、今日はたとえ一~二台やり過ごしてもあの人の話を心ゆくまで聞いてみよう。と決めていただけに、次のバスを待つことになんだ苦痛めいたものは感じなかった。でもそれにも限度があった。
そこでおおかた三十分ちかく立っていたのに、いっこうに昨日の初老の紳士が現れるけはいはなく、僕は少しソワソワしはじめていた。昨日、別れ際に確かに言ったはずだ。「いつもだいたいこの時間にこのバスに乗りますから、お話は次にお会いしたときに」と、そして彼も「はい。じゃあその時に」と答えていた。
それを今日だと思うのはこちらの勝手なんだけど、でもまあいいか、もし今日会えなければまた明日ということもあるんだし。
まそんなふうに考えながら、昨日は話の腰を折って、自分の方から先にバスに乗ってしまったというのに、一夜明けただけの今日は、その話の続きを聞くために、今度はあっさりバスをやり過ごしてまで、くるという何の保証もないのに彼のことを熱心に待っている。
そんな自分が我ながら滑稽に思えてきて、思わずニタッとした照れ笑いを浮かべると、それをスポーツ紙の紙面に投げかけていた。
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