「面白いか否か」「読まれるかどうか」「売れるか、売れないか」
がわかる
(その6)
1970 進次と和子の青春グラフィティ
その冬の正月三日、終着駅の大阪まで帰るはずだったのに、どうした訳か進次は神戸の三宮で降りていた。
すでに午前0時を過ぎているというのに、降車ホームは帰省から帰る人々であふれており、出口へ向かう通路も押しあいへしあいで随分ゆっくりとしか進まないせいか、右手に二つ、左手に一つの荷物の重みが次第にずしっと肩にかかってきた。
「重たいでしょう、私ひとつ持ちましょうか」かたわらを小さな手提げカバン一つ持って歩く女が恐縮そうに言った。
「いいですよこれくらい、これでもぼく男ですから」
力にはからっきし自信がないはずなのに、進次は見栄を張ってそう応えた。
その女とはほんの三十分ほど前に知り合ったばかりであった。
座席がなく、出口に近い通路に立っていた進次のすぐ横に、その女も窓の方を見ながら立っていた。
―三つぐらい年下だろうか、いや二つかな― ときおり横目で観察して、そんなふうに考えながら、進次はしきりに話しかけるタイミングを計っていた。
確か姫路を過ぎた頃であったろうか、列車がガタッと左右に大きく揺れて、進次と女の身体が窓の方に大きく傾いて、お互いが体勢を整えたすぐ後で、弾みでなのか目と目が合った。
「よく揺れますね、この列車」 女がまた窓の方へ向き直ったとき、その横顔を遠慮がちに眺めながら進次がはにかみ口調で言った。
「えっ、ええそうですね」不意に声をかけられたせいか、女は少し戸惑いを見せながら、チラッと進次の方を振り向いて答えた。
―さっき思ったとおり、やはりこの人ぼくより二~三歳年下に違いない。口紅はうっすらと塗ってはいるが、それ以外は化粧をしている様子もない。ほっぺたがつやつやと光っており、まるで少女のように染まっているではないか。そにれ、さっき返事をしたときも、このぼく以上にはにかんでいて、まるで純情そのものだった。ひょっとしてこの人まだボーイフレンドがいないかもしれない―
進次はそんなふうに考えて、少し期待を膨らませながら次のセリフを考えていた。
真冬とはいえ、通路の隅々までぎっしりと乗客の詰まった車内は人いきれとスティームの暖房とでむせ返っていて、両側の窓は真っ白に分厚くくもっており、その上に通過する街の
灯がぼおーと鈍く映っていた。
「あのー、どちらまでいらっしゃるのですか?」
車内アナウンスが、「次の停車駅は明石です」と伝えた後、進次が二度目の口を開いた。]]
さっきから女の行き先を考えていて、神戸だろうか、それとも大阪だろうか? いずれにしても早く会話を進めないと、この先の進展はないだろうし、ましてや次の明石などで降りられたのでは一巻の終わりではないか。そう思って少し焦って聞いたのであった。
「三宮なんです。芦屋まで帰るんですけど、これあそこでとまらないでしょう。私鉄ももうないし、三宮からタクシーで帰ります」
さっきほどのためらいは見せなかったものの、女はまだ幾分かの恥じらいを含ませながら、今度は進次の目を見て答えた。
再び問いかけに応じてくれたことに気をよくした進次であったが、三宮で降りると聞いて、焦る気持ちに拍車がかかった。
―どうしよう、三宮だとあと十五分ぐらいしかない。もうすこし話して、せめて名前と電話番号だけでも聞いておこうか。でも教えてくれなかったらどうしよう。これまた一巻の終わりではないか。できることなら今夜中にもっと話し合って一気に仲良くなりたい。
この人だって、さっきの応え方からして、けっしてぼくのことを嫌がっているようでもない。いやそれどころか、恥じらいながら答ええた様子からして、むしろ好感を抱いてくれたのではないだろうか。そう思って進次は今度は意を決して切り出した。
「へえー、三宮なんですか。それじゃあ同じですねえ。ぼくもそこで降りるんです。いや、下宿は大阪なんですけど、今夜は灘の姉の家へ寄る予定なんです」
灘に姉がいるのは事実だった。でも小さな子どもが二人いて、もうとっくに寝てしまっているのは知っていて、今夜寄るつもりなど毛頭なかったのだが。]
進次は女にそう告げて、とりあえずほっとした。少なくともあと十五分ポッキリでこの女と別れることだけは避けられたのだと。
進次の降りる駅が三宮だと聞いて、女は「えっ、そうなんですか」と短く応えただけだったが、表情にはそれまで見せなかった明るい笑みを浮かべていた。
それから十五分の間、進次はなんとか間を繕おうと、自分のことを中心にしゃべっていた。
つまり、歳は二十一歳で、大学を二年で中退して、今はアルバイトをしながら英語の専門学校へ通っていること、大阪の叔母の家に下宿していて、四国の実家からの帰途であること、アルバイトが夜勤なので昼間の英語学校では居眠りばかりしていること、などというふうに,いわば自己紹介を兼ねて真面目に話したつもりだった。]
そんな進次の話を女は頷きながら黙って聞いていたが、昼間は居眠りばかりとくだりでは、クスッと声を出して笑ったので進次は前にもましてホッとした。
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