2026年5月21日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈6〉紳士と編集長(4)

 

  

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「いかがでしょうここ、静かでいいでしょう」


カウンターのやや端のほうに二人並んで腰かけた後で彼の言葉に

「そうですねえ。でも僕こういう高級な場所慣れていませんで、なんだか足が地につかないような気がしまして」と

目の前の棚にズラッと並んだ高級そうな洋酒の列に目を向けながら僕は言った。


「まあ一杯やりましょう。そうすれば落ち着きますよ。僕はスコッチウォーターにしますけど、あなたは?」


「え、ええ。僕もそれでいいです」

「そうですか。じゃあ二人ともそれにするとして、ええっと、銘柄は、そうだ。シーバスリーガルにしましょうか。十二年ものでコクがうんとあっていいですよ。あのお酒」


間もなく出されたそのシーバスリーガルとかの水割りを一口飲んで、その芳醇な味にすっかり魅了され、「うまいですねえ。これ」と、彼のほうを向いて目を丸くしながら言っていた。


「そうでしょう。これ僕も好きなんです。もう十年ぐらい前から」


高級酒とはやはりいいものだ。赤提灯の安酒だけが能じゃないな。僕はそう思いながら、彼を真似てグラスを一気にあおっていた。


三杯ぐらいグラスを重ねてからであったろうか、すこぶる心地いい気分になり、気がつくとすごく饒舌になっていた。


「ところでこの前の話、甥っ子さんの編集長に伝えられましたか?」

話をリベーラのことに移してたずねた。


「甥の編集長? ああ、あれね。伝えました。伝えました」


そう答えはしたものの、四日前にあれほど熱心に話題にしたにしては、なぜか彼の返事は歯切れが悪かった。


「あの雑誌、きっと売れますよ。なんとなく僕、勘でそう思います」


「そうですか。だといいけど」

彼はまた気のない返事をした。


どうしたんだろう?その甥っ子さんとやらと何か気まずいことでもあったのだろうか。それとも彼、急に気分が悪くなったとか。いやそれはないな。見たところ顔もほんのり赤らんでツヤツヤと光ってさえいる。なのにどうしたんだろう?


 でもまあいいか。この際話題を変えて他のことをと、ふと先日もらった名刺にあった木谷法律事務所というのを思い出し、今度はそちらの方に話題をかえて話し始めた。


「弁護士っていう職業はステキですね。なにか知的職業の最先端って感じがして、それに社会悪と戦って正義を貫くっていうのもかっこいいし」


僕は多少おべんちゃら気味に言った。


「まあそういう見方もあるかもしれませんが、この前もお話したように大変な忍耐力と体力を必要とする仕事でして、決して頭だけで通用する仕事ではありません。


しかし日本ではまだ数が少ないこともあってアメリカあたりに比べると、世間がまだ弁護士に対して甘いところがあり、そのぶん仕事は進めやすいかもしれませんけどね」


「と言うと、アメリカは日本より数が多いんですか」


「そりゃあもうあなた、あの国は弁護士王国と言ってもいいくらいで、ざっと数えても日本の四十倍以上はいますよ。人口比からしても二十倍以上」


「へえそんなに、でもそれではピンとこないんですけど、具体的な数は?」


「日本の一万七千人に対してアメリカは七十二万人です。どうです、すごいでしょう」


「七十二万人、そんなにも!弁護士一人に対して国民何人なんでしょうね。でもそんなにたくさんいて、果たして全員が仕事にありつけるんでしょうか」


「そうなんですよ。なかなかいいところを突かれましたね。実はアメリカの売れない弁護士を称してこう言うんです。〈アンビュランスチェイサー〉とね。


アンビュランス(救急車)をチェイス(追っかける)する人、つまり救急車を追っかけると何らかの事故、事件現場にたどりつき、そこで仕事の糸口をつかむことができる。つまりそういうことなんですよ。うまいこと言ったもんです」


「へえー、アンビュランスチェイサーですか。おもしろいですねえ。いかに弁護士といえども、そうでもしないと仕事にありつけない。つまり多すぎる弁護士を皮肉っているんでしょうか?」


「それもあるでしょうね。なにしろ七十二万人ですから、ほらこの前もテレビでやってたでしょう。〈訴訟社会アメリカ〉っていうのを。あの番組によればニューヨークあたりでは道路の小さなへこみにつまずいて転んでけがした人が、道路の補修を怠っていた市の責任だと訴えたそうなんです。つまりそんなお国柄なんです。


なんでもすぐ訴訟沙汰にする。もっともそれもみな弁護士がけしかけるんでしょうけどね」


「なるほどねえ。弁護士が庶民に対して訴訟教育をよく施すわけなんですね。PRをよくやったりして」


僕はその話にひとかたならぬ関心を覚え、顔をぐっと彼のほうへ突き出して熱心に聞き入っていた。


「それにこんな話も聞きましたよ。アメリカの弁護士たちは新しい法律知識について勉強することもさることながら、俳優養成学校に通ったりして演技の勉強をしている人が多いんだそうです。


この世界、なにぶん正論だけでは通らないことも多く、したたかな弁舌とともに演技力も要求されるんですね。それを磨くための俳優養成学校がよいというわけなんです」


僕はまるでアメリカの弁護士の内幕話しを聞いているというふうな気持ちで、興味津々と彼の話を聞いていた。


つづく


次回 5月28日(木)