以前営利組織を運営していた時期があったが、その当時の社員採用面接でのことである。
ある30代の男性応募者を前にして、履歴書の趣味欄に目を通しながら「読書が趣味とありますが、最近どんな本をお読みになりましたか?」とたずねてみた。
すると男性が聞き返した。
「最近って、どれくらい前までですか?」
その返事をやや妙に思いながら、「まあこの2~3ヶ月、あるいは半年以内でもいいですが」と答えると、「いや、この半年ぐらいは何も読んでないですね、1年ぐらい前ですと少し読みましたけど」と応募者は別に当惑した様子もなく、シャーシャーと答えた。
その返事には、こちらとしてもいささか驚かされたが、彼のその答えは、その後読書について考える際の、一つの良いヒントになった。
つまり、読書を趣味のジャンルに置くから、彼のように、やってもやらなくてもいい気楽なものとしてとらえ、それゆえ1年もの長い間放置できるのではあるまいか。
そうではなく、もし読書を人々にとって「大事なこと」と考え、日頃から絶え間ない接触を重んじるなら、それは趣味としてではなく、むしろ「学習」あるいは「勉強」としてとらえるべきではないかと気づかされたのである。
今の日本、膨大な量のインターネット情報は別にしても、魅力的な大型書店や公共図書館は比較的充実している。にもかかわらず、読書人口は一向に増えず、一人当たりの読書量はむしろ過去に比べて減少傾向にある。
しかも悪いことには、世界の国別読書量比較などのデータを眺めてみても、日本人の読書量は驚くほど低いのである。
でも、こうした傾向を決してインターネットの普及のせいにしてはいけない。
もしインターネットのことを考えるなら、知識欲の相乗効果ということもあって、読書量はむしろ増えて当然なのであるから。
こんな現状で、読書を趣味のジャンルに置いて、このままのうのうとしていることはできず、この際、これをはっきりと学習としてとらえ、今後徹底的に教育していかなければ、読書人口、読書量ともに増えることなく、国民の知力向上も期待できない。
したがって、履歴書の趣味欄にはもちろんのこと、他のどんな公の場面においても、「趣味は読書」などと宣言することは控えて、個人においても、これを学習としてしっかり捉え、ひたすらその技術の練磨に努めるべきではないだろうか。
余談だが、図書館で読書する人々はすごく真剣で、その姿から「読書は趣味」という言葉は、とうてい思い浮かばない。
0 件のコメント:
コメントを投稿