我が家の本棚にはいまだに百数十冊に及ぶ文学全集が並んでいます。
もうかれこれ20年以上も同じ場所に動くことなく鎮座しているのです。
内訳は日本文学全集75冊、世界文学全集48冊、夏目漱石全集12冊などです。
ところがここ数年間、手にとって読んだことは一度もありません。
でも本を読まなくなったわけではありません。
文学全集は手に取りませんが、すぐ横にある文庫本の書棚にはよく手を伸ばしています。
それに文庫本の数はいまだに増え続けています。つい先月も村上春樹の作品が3冊増えました。
また図書館もよく利用しています。でも文学全集は読みません。読むのはもっぱら新刊書です。
しかし人は何故文学全集を読まなくなったのでしょうか。
全集に登場する古い作家にはもはや魅力が無いのでしょうか。
いや、そんなこともないでしょう。中には今でも根強い人気がある太宰治、谷崎潤一郎、織田作之助、なども入っているからです。
手に取らないのは重たくて扱いにくいからではないでしょうか。
それで軽くて取り扱いやすい文庫本ばかりに手が行くのです。
それだけではありません。今では文学作品はネットでも簡単に読めます。
多分ご存知の方は多いと思いますが、ネットには「青空文庫」という便利なサイトがあるのです。
これには没後50年が過ぎて著作権が切れた文学作品がゴマンと収められているのです。
例えば学校の教科書に最もよく採りあげられている芥川龍之介に至っては、実に374点という膨大な数の作品が掲載されているのです。
まさにネット上の「芥川龍之介全集」とも言えるではないでしょうか。
一人の作家でこれだけの数ですから、掲載されている作家のすべての作品を合わせると、想像を絶するほどの数になるに違いありません。
これを文学全集という紙の書籍にすると、おそらく数万冊にも及ぶのではないでしょうか。
文学全集の利用価値は無いのか
でも人々は何故文学全集に関心を失ったのでしょうか。
わたし個人としては、家の本棚に文学全集が並んでいることは良いことだと思っています。
なぜなら文学全集は分厚くてボリュームがありますからよく目に付きます。
したがって家に子どもがいれば、当然彼らの目にも付くことになります。
ということはこういうことなのではないでしょうか。
先ほど芥川龍之介が最もよく教科書に取り上げられている書きましたが、子どもが学校で芥川龍之介について学んだとします。
その後家に帰って我が家の本棚に彼の全集を見つけたら子どもはどう反応するでしょうか。
言うまでもありません。学校で習ったばかりの作家の全集を目にすれば、「アッ」と思って思わず手を伸ばすのではないでしょうか。
これこそ、子どもと本の出会いなのです。
ここから子どもは本というものを知り、読書に興味を抱いていくのです。
このように文学全集が家にあることは、本好きな子どもを育てることに繋がるのです。
ネットで本が手軽に読める時代とは言え、誰もがそれを読んでいるわけではありません。
それを読むのはやはり「本好きな人たち」なのです。その本好きは、家の本棚に並ぶ文学全集が作ったのです。
どうでしょうか、子どもを本好きにするためにも、この際家の本棚に文学全集を並べてみませんか?