させていただく シンドロームが蔓延したのは何故なのか
この項のタイトルにあえてシンドローム(症候群)という言葉を使ったのは、何かにつけて「させていただく」という言葉を使う人は言語感覚が麻痺しており、一種の病的状態にあると言っても良いからです。
はっきり言って「させていただく」と言う言葉を耳にする度にうっとうしく感じうんざりした気分になります。
「させていただく」という表現ををいちばんよく使うのはテレビのバラエティー番組に出てくる芸能人です。
彼(彼女)らは、相手に対して何かにつけて「させていただく」という言葉を臆面もなく発しています。
たぶん、こう言っておけば当たり障りがない、と思っているに違いありません。
つまりこう言って相手を立てたつもりになっているのです。
これこそ芸能人特有のへりくだりの姿勢(根性)そのものです。
でも当人はこれをへりくだりとは考えず、謙虚な姿勢だと思っているのです。
つまり謙虚な姿勢=相手に好感を与える、と計算した上でのことなのです。
テレビでのこうした芸能人の姿を言語センスの乏しい視聴者がマネして、次第に巷に蔓延してきたのです。.
へりくだりと謙虚は同じではない
させていただくという表現には少なからずのヘリ下り感があります。
この表現を使う人は相手より自分を下に置こうと思っているのです。
別の言い方をすると、こうすることによって相手に優越感を抱かそうと考えているのです。
そうするのは何らかの魂胆があってのことです。つまり、こうすることによって自分が何かで得をしようと企んでいるのです。要は下心があってのことなのです。
一方謙虚の方はどうでしょうか。こちらはあくまで礼儀にかなってのことです。
つまり相手の気持ちを害さないようにするため、出しゃばらないという態度を重視して、控えめな言葉づかいや態度をとるのです。
もちろんヘリ下りのような下心がないのは言う迄もありません。
国語力がある人は「させていただく」は使わない
上で言語感覚の麻痺とか言語センスの乏しさという表現を使いましたが、これを言い換えると国語力に問題がある、とも言えます。
つまり、「させていただきます」という表現を使う人は、国語力が未熟で劣っているのです。
それを証明するように国語力が優れていると思われるテレビ局などのアナウンサーがこうした表現を使っていることはほとんどありません。
入社に際して厳しい国語力の試験をパスした人たちだからに違いありません。
「させていただく」を使う人は言葉づかいのセンスがない
人はセンスが良い、とか、センスがある、などの言葉をよく使います。
こうした言葉がよく使われるのは概して服装などの外観に対してのことが多いようです。つまり目に見えるものに対して使われるのです。
では見えないものに対したはセンスと言うことがば通用しないのかと言えば、決してそんなことはありません。
見えないもののひとつである言葉遣いにもセンスは立派に使えます。
つまり言葉のセンスが良いとか、反対に悪いとかと言う風に使うのです。
服装のセンスが良いというのは、服装の外観が自分と周囲によくフィットしていることです。
ではセンスの良い言葉がどうかと言えば、対象とのバランスがとれた使いかたです。
その対象が人であれば重要なのは敬語の使いかたです。これが上手に使える人がセンスが良く、そうでなければセンスが悪いのです。
そのセンスの悪さを表しているのが「させていただく」と言う表現です。
なぜこの表現がセンスが悪いかは、感覚の問題ですから言葉だけでは言い表せません。言葉の感覚を磨くために必要なのは学習です。
それに最も効果的なのはたゆまぬ読書ではないでしょうか。
国語教師は「させていただく」をどう教えているのか
いつも思うのですが、今のように「させていただく」と言う表現が蔓延してきたことに対して、世の国語教師はどう考えているのでしょうか。
人に正しい言葉づかいを教えることは国語教師の大きな役目です。いったい今の国語教師はその役目を果たしているのでしょうか。
いや、それ以前にいま巷に蔓延している「させていただく」現象に対して、「おかしい」と言う問題提起を投げかけているのでしょうか。
そしてそれを是正するための努力を払っているのでしょうか。
世の国語教師に真剣に考えていただきたい問題です。
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