2020年1月3日金曜日

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(7) 最終回

 
SPACE SPEAKS(空間は物語る)
 
                    Edward T. Hall(出典:new horizon 2, L5)  訳:大平庸夫
 
 
 ある時、巷間によく名前の知れた外交官が私を訪ねてきた。
 彼はそのとき私が行っていた或る研究に興味を持っていて、私のクラスに入りたいと申し出てきたのであった。
 
 ある日の講義が終わったとき、彼が私の前にやってきて、その日行った講義のいくつかの点について話した。話すときの彼はやや接近しすぎていて、それに気づいた私は少しづつ後ずさりしながら聞いていた。

彼の熱心さは理解できたが、マナーの上から言えば少し強引すぎると私は思った。しかし私が少しづつ後ずさりを始めると、彼の態度は変化していき、幾分やりづらさのようなものを表情に出していた。
 
 人と対面して会話を交わすとき、私が心地よいと感じる間隔(約21インチ)に移動するのを見た彼は明らかに当惑した様子で、あたかもこんなことを言っているかのようであった。
 
 ”どうしてそんな風にするんだろう、いま私は彼と友好的なマナーで話す為に一生懸命になっているというのに、にもかかわらず彼といったら後へ下がったりして、近寄ってさえいてくれれば、私はもっとうまく喋れるというのに、私はあなたに何か悪いことでもしましたか?”
 
 彼が少し傷ついたかもしれないと私は思った。
 
 人と話すとき、距離をあけたり、ぐっと近寄ったり、人によっていろいろあるが、それはそれぞれの文化の違いからくるのであろうと、私はかねがね思っている。
 
 そして、それが親近感を与えるか、反対に冷たさを感じさせるかは当事者同士が正しい間隔で話していると分かるまで確かなことを言うのは難しい。
 
 米国では初対面の人同士が気分よく離せる間隔は約4フィーとであると考えられている。
 だから、一方の人が近づきすぎると、相手の人は後退りするのです。待合室などでは知らない人同士は離れて座りますが、友達同士だと引っ付いて座りますし、家族の者同士だとお互いが体を触れ合ったりもするようです。
 
 でも米国と違った他の国では人々はもっとお互いが接近しているようです。例えばラテンアメリカでは、距離を置いて人と話すことは米国と比べてうんと少ないようです。
 
一般的な会話はここでは2~3フィートの距離でなされますが、これが彼らにとって最も都合のいい間隔のようです。したがって、ラテンアメリカ人が彼らにとって都合のいい距離まで前進してくると、アメリカ人にとっては窮屈すぎるということになるのです。その結果何か侮辱を受けているような気がして後退りしてしまうのです。
 
 こんなときは、何かが起こって会話が中止されない限り、一方が追い、他方が後退りすして部屋中を動き回るような事態にならないとも限りません。その結果、ラテンアメリカ人を冷たく友好的でないと思い、アメリカ人はラテンアメリカ人のことを敵意があって好戦的だと思うでしょう。
 
 こうした摩擦を起こさないために、アメリカ人は机やテーブルを防御に使います。でもラテンアメリカ人はそんなことぐらいでは引き下がることはなく、机によじ登ってさえ自分の距離を保とうとします。これは周知の事実です。
 
 もしあなたが違う文化圏に住んでいる人なら、これらの感覚にまつわる合図ということについて、十分理解していただけることでしょう。
 
 二人のアメリカ人が1フィートまたはそれ以下の距離で話しているときは極秘事項について話し合っているのでしょうし、2~3フィートの距離ならば、個人的なことがテーマになっているのでしょう。4~5フィートなら、やや一般的な会話であり、7~8フィートも離れたものであれば、相手は自分の言っていることをじゅうぶん聞いて欲しいと思っているのです。
 
団体に対して話すときは10~20フィートの距離が適当とされています。
 話し相手は別にこうした空間を保つことを常に意識しているわけではありませんが、気がついてみると自然にそういう形になっているのです。
 
 例えば、今あなたが2フィートの間隔でラテンアメリカ人と私的なことを話しているとしましょう。そしてあなたは少し後退りして、感覚を4~5フィートにすることによって話題を一般的なものへと変えることができます。このとき彼が会話を続けようとしなかったら、彼は明らかに失望して、その距離では個人的な会話ができないと思っているのです。
 
 空間(間隔)というものはこのように ”物語る”ものなのです。
 
 好む、好まざる関わらず、空間はコミュニケーションに調子を与え、アクセントを刻むのです。

そして時には話し言葉を無効にさえしてしまうのです。さらに私たちをしばしば混乱させ、文化の違いを理解する上で邪魔になることすらあるのです。
 

0 件のコメント: