2021年6月4日金曜日

人の評価で重視したいのは 垢抜けているかどうか


人の評価・見方はいろいろあるが

人間社会では四六時中人の評価がつきまといます。社会のあらゆる場面で出会う人の品定めが当たり前になっています。

この人はきれいだとかブスだとか、あの人は明るくて性格がよさそうとか、この人は暗くて陰気だとか。いつもあれこれ評価するのです。

いろいろある評価の中で特に多いのは容姿に対するものではないでしょうか。つまり見た目の良し悪しです。

数年前、ある本がベストセラーになったことで驚いたことがあります。本のタイトルは「人は見た目が9割」というもので新潮新書にあるものです。

図書館で目にしてタイトルに惹かれた読んでみたのですが、実に内容の薄い本でした。

こうした本がタイトルだけでベストセラーになることからも、いかに世の人々が外見(見た目)に関心をもち、かつ重視していることがよくわかります。

かのオスカー・ワイルドも言っています。「外見で人を判断しないのは愚か者だ」と。

 

単に「見た目が良い」のではなく、大事なのは「垢抜けている」かどうか

上で人の評価は「見た目」に関するものが多い、と書きましたが、その見た目にしても表現はいろいろあります。

褒め言葉だけ見ても、きれいだ、うつくしい、ルックスが良い、上品だ、イケメン、など実に多様です。

この中のどれであっても、言われた人はとても嬉しいものです。なぜなら、他人が自分の外見を良いと認めてくれ、満足感が叶うからです。

つまり、かのマズローが唱えるところの承認欲求が満たされるからなのです。

とはいえ、これらはすべて外見だけに対する褒め言葉ですが、もっと幅広く内面も含んだ褒め言葉もあります。

その一つが「垢抜けている」という言葉です。 

 

垢抜けていることは洗練されているということ

個人的には「垢抜けている」は人に対する最高の褒め言葉だと思っています。なせならこの言葉はいわば人に対しての総合的な評価だからです。

つまり、単に外見が良いことに対してだけでなく、立ち居振る舞いや内面(心)も含んだ評価の言葉なのです。

垢抜けているということは、ルックスが良いだけでなく、立ち居振る舞いもすてきで、知的で上品な雰囲気を漂わせているような人のことを言うのです。

 

垢抜けた外見は内面からにじみ出る

人は外面的なことはもちろん、内面について褒められても嬉しく思うものです。

内面的な褒め方としては、知的だ、賢そう、心が豊か、などといろいろありますが、「垢抜けた」はそうした内面的要素もしっかり含んだ言葉なのです。

内面的に知性が充実していなければ、垢抜けすることはないからです。 

 

垢抜けるは英語でrefineという 

英語では「垢抜ける」はrefineといいます。Fine(すてき)に再を意味する接頭辞であるreがついたものです。つまり「すてき」に再び磨きをかけた状態がrefineなのです。

 

 

 

 

 

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