山本周五郎があげる・人類が生み出した5つの傑作とは
氏はエッセイなどで自身が酒好きなことをよく語っています。現に今回のテーマ「人類が生み出した傑作」も氏の「ぶどう酒・哲学・アイスクリーム」(ほろ酔い天国)というタイトルにお酒を持ち出したエッセイから引用したものです。
このエッセイの中で氏は下の5つを「人類が生み出した傑作」として挙げています。
でもこれら5つがモノばかりなら別段言うことはないのですが、3つのモノの他の2つは、なんと哲学の理論なのです。つまり「デカルトの認識論」および「サルトルの実存哲学哲学」というの哲学の学問なのです。
人類が生み出した傑作なら、モノのなかにいくらでもあるはずなのに、一体なぜ彼は5つの中に、あえて哲学理論2つを加えたのでしょうか。
その点が気になって仕方ありません。
山本周五郎があげる5つの人類が生み出した傑作
1.酒
2.デカルトの認識論
3.アイスクリーム
4.サルトルの実存哲学
5.水爆(こいつのおかげでいまへいわなのだ)
出典;「ぶどう酒・哲学・アイスクリーム」ほろ酔い天国(河出書房新社)
氏の小説の平易でわかり易い文章から難しい哲学は思い浮かばない
山本周五郎の小説は、普段あまり本を読まない人をでも読者になるような、万人に好まれる作品が多いのが特徴です。
その理由はテーマが誰もが興味を持つような普遍的な事柄であり、加えて文章が美しい上に、平易で分かりやすいからではないでしょうか。
では哲学の方はどうでしょうか。デカルトやサルトルの理論が果たして分かりやすいと言えるでしょうか。
それどころか大方の人にとって読んでチンプンカンプンな難解でな分かりづらい文章ばかりで、いわば読みやすくて誰もが理解できる山本周五郎の小説作品の対局にあるものなのです。
デカルトやサルトルの哲学理論とはいったいどういうものなのでしょうか。
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デカルトの認識論とは
認識論は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論とも呼ばれる。日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。 ウィキペディア
サルトルの実存哲学とは
実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。
実存(existenz)の当初の日本語訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした(1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」においてのことであり、可能的存在に対置してのものである)。語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。
何の外にかといえば、存在視/存在化されたものの外に、ということである。「実存」についての語りで習慣的にまず言及されるキルケゴールが、デンマーク語で主張した「実存」は、やはりラテン語出自でExistentsである。
ドイツ語では、ラテン語からの外来語としてExistenzがあり、一方、土着の語としてはDaseinが相当する。しかし、前者のほうが日常的頽落性にもある後者よりももっと、実存の持つ、自由へ向かった本来性という様態に特化して使われている。ウィキペディア
小学校しかでていない山本周五郎が哲学に傾倒するのは天才だからなのか
文学者で哲学といえば、東京大学卒業の太宰治や三島由紀夫、それに川端康成など、いずれも自死した人たちを思い出します。文学者でも哲学に傾倒する人は自殺が多いのです。それと同時に哲学好きで自殺するような人は天才肌であるともいえます。
でも山本周五郎は東大卒どころか、学校は小学校しか出ていません。それに上の3人のように自殺もしていません。それでも哲学好きなのは、東大卒にも負けないくらいの天才だからなのかもしれません。
山本周五郎を哲学と結びつけるのは、人とその人生を深く見つめている点だろうか
いかがでしょうか。上の2つの哲学理論の意味は理解できたでしょうか。少なくとも私にはチンプンカンプンです。でもこれは私だけではないはずです。おそらく物事に対して普通の考え方をする多くの人たちの気持ちを代弁するとすると、「むずかしくてよくわからないし、こんなことはどうでもいい」というのが正直なところではないでしょうか。
でも、山本周五郎はそうではなく上の2つの理論がよく理解できるのです。もし物事の本質を見極める上で哲学が切り離せないものとすれば、氏が万人を引きつける人間の本質をついた小説を書けるのも、哲学を深く理解しているからなのかもしれません。
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