2024年4月27日土曜日

いま日本人を元気にしてくれるデータはコレ!

 

大谷翔平選手の年度別長打本数の推移

インターネットにはいろんなデータがあふれているが

日本人として、いま最も注目すべきデータが何かといえば、それはズバリ、大リーガー大谷選手に関するものではないだろうか。


今回ご紹介するのはデータサイトで人気のある「社会実情データ図録」にごく最近載った

「大谷選手の年と別長打本数の推移」

というデータ図録である。


円安と物価高に苦しめられ、なにかと不機嫌で、しかめっ面になりやすい昨今の私たち日本人だが

これを見ると一気に上機嫌になり、笑顔を取り戻すこと請け合いだ。



 



米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(29)2024421日本時間22)、ロサンゼルスの本拠地ドジャースタジアムで行われたメッツ戦に「2番・指名打者で出場し、3回の打席で838打席ぶりとなる5号先制2ランを放った

これがメジャー通算176号となる本塁打となり松井秀喜氏ヤンキースなどを抜いて日本選手として歴代最多となった


記録サイトのベースボール・リファレンスによると松井氏は1,236試合に出場して5,066打席で175本だったのに対し大谷は打者として725試合目、2,979打席目で176本に到達した。

デーリースポーツ・読売新聞2024.4.22)。





 なお日本選手の本塁打記録第3~5位はそれぞれイチローの117城島健司の48井口資仁の44本であるまたアジア人記録は秋信守チュ・シンス218本塁打である(MLB.jp同日)。

 さきにイチロー選手の10年連続200本を記録した安打数の推移を掲げた図録3978a)。

 しかし大谷翔平選手の魅力は何といってもホームランをはじめとする長打であろう


そこでスポーツナビによる大谷選手の長打本数の年度別推移をグラフにした。2024年は最近までの途中結果である


 大谷翔平選手は日本ハム時代の2倍以上のホームランをメジャーで放っている。2023年にはMLBの本塁打王に輝いた


 さらに二塁打三塁打の長打も本塁打の本数並みに打ち続けている
 2013~2019年の間は2015年を除くと二塁打三塁打の本数が本塁打の本数より多かった


2020年以降は基本的に本塁打の本数の方が二塁打三塁打を上回るようになった(2022年はやや例外だったが)。

 今年は水原通訳の問題があったせいか二塁打三塁打と比較して本塁打が出ていないようである

 打撃好調を示す指標に安打数を打数で割った打率があるこれに長打の多さを加味した指標として長打率がある


二塁打なら2ホームランなら4本安打を打ったとものとして計算される打率である


大谷選手の長打率の推移を図に加えたなお長打率から打率を差し引いて二塁打以上の長打の多さのみをあらわす指標に長打率とは別にIsoPが計算されている


 なお長打率の個人通算記録のトップとしては日本のプロ野球では王貞治選手の.634、大リーグではベーブ・ルースの.690が知られている


図および枠内の記事出典

社会実情データ図録



 



2024年4月24日水曜日

井上ひさしのファンになったのはこの本がきっかけ


作家井上ひさしのファンなのだが、好きになったのは今から45年前の37歳の頃だった。きっかけは当時読んだ氏の著作「日本亭主図鑑」読んだことである。

とにかく面白い本で、読み終わってもしばらく興奮が収まらないぐらいであった。


当時の読書記録が残っていたので、読み返すと、今でもその時の気持ちの高ぶりがぶり返してくるような気がする。


記録には本の価格も記入されているが、新潮文庫で240円とあるが、今のおよそ3分の1程度の値段である。


こんなに面白い本をこれほど安く買え、本好きにはとてもいい時代であったようだ。



古い読書記録が出てきた


(読書記録 昭和53年) 



  書名   著者    出版社 発行年月  価格 購入先  読了日

日本亭主図鑑 井上ひさし 新潮文庫 S53/11月 240円 未記入  未記入


女性批判の書物であるが、これまでのこうした書物の中では最高傑作ではないだろうか。

この著者の作品については過去に小説を一冊読んだだけで多くを語れないが、こうも鋭い観察力を持った作家だとは思っていなかった。女性の欠点について綿密に分析し、それに基づいて批判しているだけに大変な説得力を持っている。2~3の箇所で?と思うこともあったが、90%以上は納得できた。エッセイの内容の90%以上で読者を頷かせる書物などそれほど多くないだろうと思う。以前何かの週刊誌で、この人の1ヶ月に購入する新刊書の本題が30万円だというのを見て驚いたが、それほどにこの人はプロ意識の高い勉強熱心な人なのであろう。



井上ひさしが好きな理由は知らないことをよく教えてくれるから


氏のことを好きになって40年以上になるが、今好きな理由を言え、と言われれば、それは物事をよく教えてくれるからである。


とにかく物知りな人で、それも文學分野の事柄だけでなく、政治、経済をはじめとして幅広いジャンルにわた知識を持っている人なのだ。


物知りの理由は、ズバリ氏が無類の勉強家だからである。その証拠に毎月の本屋への支払いが30万円を下ることがないというのは驚きだ。


氏の本代は単行本をはじめとしてあらゆる雑誌、それに新聞5紙すべてを読んでいるのだ。


たとえば雑誌だが主だった週刊誌、月刊誌はいうまでもなく、文学者としては珍しく経済雑誌の「エコノミスト」まで購読しているのだ。これだとひと月の本代が30万円というのも頷ける。


2024年4月20日土曜日

若い女性が使う「やつ」という言葉

 



男性には耳障りがいいのはなぜなのか

カフェなどで何気なく耳に入ってくる若い女性たちの会話で気になる言葉がある。それは「やつ」という表現で「〜のやつ」のように使っているものだ。

「やつ」って、どちらかといえば男ことばだと思え、しかも、人を指すときは、上から目線の少なからずおおへいな響きをもっているので

それを若い女性が使えば、やや乱舞な響きを与えるのは否めない。でも今では人でもモノでも単に対象を指す言葉として気楽に使っているようだ。

したがって彼女たちのこのような言葉遣いを聴くとそれほど不自然さを感じないだけでなく

これを男性が聴けば、むしろ小気味よさを感じるのだ。

これはいったいなぜなのだろうか。では反対に女性が聴いたらどうなのだろうか。

女性と「やつ」に関して読売新聞「発言小町」には以下のような投稿が載っている。



 

「やつ」という言葉

びるぼ

 

ある物を指す言葉として、「やつ」という言葉をあちこちで耳にしたり目にしたりします。
この小町でも文章中でよく見かけます。
例えば「おしゃれなやつにしたら?」「車みたいになってるやつです」「ロングで清楚に見えるやつ」などは最近小町で目にした文章です。
あるテレビアナウンサー(女性)が「そのダイヤのネックレスいいですね、私もそんなやつ欲しいです」と言うのも聞いた事があります。思わず「それはないでしょ!」とツッコミ入れてしまいました。

「やつ」という言葉は、乱暴で汚く、人や物を卑下するような言い方なのですが、このごろあまりにも一般化してしまっている気がします。
特に女性が使うのは品がないように思えます。どんなに美しい人でも、教養のある人でも、この言葉を使った時点で幻滅してしまいます。

やはり使う人は無意識に、意味を気にせず使ってしまうのでしょうか?
このトピを読んでいただいた方で使ってしまうという方、これからは意識して言い方を変えてみませんか     トピ内ID:71688555

読売新聞「発言小町」


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やつ【奴】の解説

[名]《「やっこ」の音変化という》

. 人を卑しめていう語。また、目下の者に親愛の意をこめていう語。「なんて—だ」「弟はいい—だ」

. 物事をぞんざいにさしていう語。「そっちの—をとってくれ」

. 形式名詞こと」「もの」の意をくだけていう語。

. 「真っ直に東京へ入ればいい—を」〈万太郎末枯

. 鳥獣などを卑しめていう語。

. 「狐はさこそは人をおびやかせど、事にもあらぬ—」〈・手習〉

[代]三人称の人代名詞。他人を卑しめたり、対等以下の人にくだけた態度で親しみをこめたりして用いる。あいつ。「—はまだ来ないか」

                   出典:goo辞書

 

男性が女性の「やつ」という表現を悪く感じないのはなぜ?

若い女性の「ため口」が嫌いでないのと同じ心理か

上の意見のように若い女性が使う「〜のやつ」という表現は、同性には歓迎されないようである。それなのに男性が必ずしもそうではないのはなぜなのか。

考えてみると、その理由は、年配男性が若い女性にタメ口でしゃべられたときに感じる小気味よさと同じような心理なのではないのだろうか。


タメ口とは年下や同僚に対して使うぞんざいな言葉遣いのことだ。一般的に年下の者からぞんざいな言葉遣いで話しかけられたら、「しつれいな」と、舐められているような気がしていい気がしないのが普通だが、年下であっても若い女性の場合はそうでないのだから不思議なことだ。


若い女性にため口で話しかけられる男性の心理」これは一度じっくりと考えてみたいテーマである。

2024年4月15日月曜日

大阪府吉村知事の「ぼく」「ぼくら」という言い方が気になる

 


いったい最近だけでも何回あっただろうか、大阪万博「出禁」発言もそうだが、何かと失言が多く、度々物議をかもして、しばしばメディアのニュースに取り上げられているのが大阪府の吉村知事である。


でもこの問題はさておくことにして、今回問題にしたいのは前々からずっと気になっている、彼がインタビューなどの発言で、自分のことをいつも、「ぼく」「ぼくは」ということだ。


これが芸能人やスポーツ選手ならまだしも、慎重さや重厚さが期待される政治家の発言だけに、余計にふさわしくないと思う気持ちが募るのだ。


しかも一回のインタビューで、何度も出てくるので、いっそう気になる。


今回はこれがテーマだ。


「ぼく、ぼくら」幼児性の現われに他ならない


こんなこと今更言うまでもないが、自分のことを「ぼく」というのは子供の時で、成人した男子が公的な場所で発言する時は「わたし」「わたしは」というのが普通ではないだろうか。


それなのに、TPOを問わず、どんな時にも「ぼく」「ぼくは」としか言わない人は幼児性が抜けていないのことに他ならない。


ちなみに、最近の小中学生ぐらいの女子が自分のことを「ウチ」「ウチらは」と言っているのをよく聴くが、吉村さんも同様に、職場仲間のことを話すときは「ぼくらは」と言っているのではないだろうか。


そうだとしたら、子供や学生気分が抜けてない何よりの証拠ではないか。



前知事「橋下さん」の真似をしているのだろうか


そういえば前知事は橋下さんも同じように「ぼく」「ぼくは」と言っていたようだ。


一時おふたりは非常に親密な時期があったようだから、ひょっとして吉村さんは先輩である橋下さんの真似をしているのだろうか。


でも橋下さんは知性が高くボキャブラリーが豊富で、それだけに発言内容が魅力的で聴く人を満足させていた。


それにくらべ吉村さんは、お世辞にもそうとは言えず、話を聴いていると退屈さえ感じる。それだけに、「ぼく」「ぼくは」というのが余計に耳につくのだ。


はっきり言って知事の職は荷が重すぎるのでは


ズバリ、吉村さんは大阪府知事は不釣り合いではなかろうか。


理由は、能力、適正的に荷が重すぎると思われるのだ。そうでなければこれほど度々問題発言や行動を繰り返すはずがない。


そもそも、発言や行動がこれほどよく問題になるのは、普段からメディアなどに目をつけられているからではないのか。


つまりまた問題を起こしそうだ、といつも疑われているのだ。


静岡県の川勝知事だけでなく 吉村さんもそろそろ退陣の時期では


つい最近、静岡県川勝知事が問題発言が原因で自ら辞職していったが、同じようにいつまでたっても失言を繰り返している吉村さんにも、そろそろその時期が来たのではないだろうか。


まだ48歳でお若いのだし、ここはいったん退いて、人間力を磨いた上で出直したらどうなのだろうか。


2024年4月12日金曜日

好きなオールディーズ3曲



日本の懐メロもいいがアメリカのオールディーズも今聴くと青春時代のなつかしさがこみ上げてきて胸にしみる。(今回は男性歌手のみ)



You are my destiny(君はわがさだめポールアンカ

https://www.youtube.com/watch?v=BEyQPY5ZDqo

 

Smoke gets in your eyes (煙が目に染みる)プラターズ

https://www.youtube.com/watch?v=I5NORjAsuyc


Love letters in the sand (砂に書いたラブレターパットブーン

https://www.google.com/search?q=love+letter+in+the+sand&rls=com.microsoft:ja:{referrer:source?}&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7ADFA_jaJP469

 

(英語でも日本語でも曲名でgoogle検索すれば曲がすぐ出てきます

2024年4月10日水曜日

本の腰巻(帯)が捨てがたい


本の腰巻とは何ですか

書籍において本についてのキャッチコピーや推薦文等を記載し本の一部分を被うように巻かれた紙を指します。 「帯紙」、「腰巻とも呼ばれ目を引く内容を記載して宣伝効果・購買意欲を高めるために付けられます

 

かつて井上ひさしが審査員の日本腰巻文学大賞というのがあった

作家井上ひさしは本の腰巻について書物を最後に古本屋へ売り飛ばすつもりなら帯やカバーやパラフィン紙や函は大切に保存しておいたほうがいい

丸裸にしてしまった書物は驚くほど安く買いたたかれてしまうからだと言っています

でもこう言いながら読みにくさから捨ててしまう方が多かったようです

このように井上ひさしに限らず捨ててしまわれるのが多い本の腰巻ですが、親しみと愛着を持っている人たちも少なくないようです

その証拠にかつては日本腰巻文学大賞というものがあったのです

井上やすしはその審査員の一員でしたがちなみにこの第七回の賞は大賞が星新一の安全のカード」、第一位が和田誠いつか聴いた歌」、二位が武田泰淳私の映画鑑賞法となっています

出典まるまる徹夜で読み通す井上ひさし 岩波書店



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井上ひさし 本の腰巻推薦文の傑作

井上ひさしは本の推薦文を腰巻(帯)にたくさん書いていますが、そうしたもの中から優れた作品を一篇ご紹介いたします。


阿久悠著作詞入門 阿久悠ヒットソングの技法

クリエーターの壮絶な生きざま


阿久悠は十年か二十年に一度出るか出ないかの才能に溢れた作詞家である

この本を読むとその彼でさえ一篇の詩に生命を与えるためにどれほど苦しい時間を過ごさなければならないかそれがじつによくわかる


彼はわれわれの生きる時代を芯の芯まで解剖し人の生き方を底の底まで観察し市場を徹底的に調査し歌手を骨の髄まで分析しさらに汗と血みどろの孤独な数十時間を経てようやくひとつの詞を誕生させる


彼の詞が圧倒的に受けるのはかつて必然となる


だからこの本からわれわれが学ぶのは単なる作詞の技術ではなく作詞を生業とするひとりの人間の生きざまそのものについてなのだ


この本はそこで人生論としても第一級のものとなった


               (1972 産報ジャーナル/カバー


出典:「まるまる徹夜で読み通す井上ひさし 岩波書店