2024年9月27日金曜日

ベストエッセイ2023を読んで気づいたこと


 毎年1冊づつ出ているこのシリーズ、たしか2011年から読んでいるからこの2023年で13冊目である。

毎回、読むごとに感想文を書いているから、こちらの方も今回で13回目になる。

この感想文でいつも書くことがあるのだが、それはベストエッセイと名乗っていても、必ずしもすべての作品が優れてはいない、ということだ。

この本には毎回75編ぐらいのエッセイが載せられているが、ベストエッセイと名乗っているのだから、これら75編が今年(前年に発表されたもの)の最も優秀な作品ということになる。

このことに対していつも疑問に感じているのだ。なぜなら、いくら真剣に読んでもベストな作品と思われるのは全体の10編前後でしかないからである。

つまりエッセイとして最高の作品と思われるのは全体の12~13%程度でしかないのである。


上手な人はいつも上手 それはこのシリーズの常連組


この12〜13%の中に毎回上がってくる作者たちがいるが、それはこのシリーズの常連組である。


どのような分野の人かというと、最も多いのがエッセイイストと名乗っている人たちである。


具体的に名前を上げると酒井順子、平松洋子、阿川佐和子、穂村弘など各氏である。


これらのメンバーは、この10年ほどほとんど変わっていない。故に常連と言えるのである。


エッセイスト以外にいろいろな職種の人が書いているが、職業は非常に多岐に及んでいるようだ。


ちなみに具体的な分野を多い順に上げると、小説家・作家、エッセイスト、漫画家、翻訳家、歌人というふうになる。


これらの職種で特に注目したいのが《歌人》である。


新たにエッセイが上手な2人の《歌人》を知った


歌人の一人に穂村弘という方がいる。この方がエッセイが上手なのは定評があるが、それを証明するのは、ベストエッセイシリーズに毎回名前が挙がっていることだけでなく、特筆したいのはエッセイ分野で最高の賞と言われる講談社エッセイ賞を受賞していることだ。


でも受賞した当時から現在まで、歌人というこの方の職業は特に意識しておらず、偶然のことだと思っていた。


歌人にエッセイが上手な人が多いと気づいたのは、今回の2023年シリーズからである。


それはこの集に出てきた2つの作品を読んでいるとき、「この作品とても上手だけど、作者はどんな人なのだろう」と思い、終りの出ている職業名を見ると、二作品とも職業が歌人になっていたのだ。


その作家名と作品は、平岡直子氏「幽霊」大辻隆弘氏「漕代駅」である。



歌人はなぜエッセイが上手なのだろうか


では「なぜ歌人にエッセイの上手な人が多いのだろうか」という問題である。


エッセイストや小説家なら分かるが、歌人とエッセイを結びつける点は特にはない。


というか、エッセイストや小説家に比べるとエッセイを書く機会はうんと少ないように思う。にもかかわらずベストエッセイには歌人による秀作が多数掲載されているのだ。


この事実を知って「なぜだろう?」と思うのは私だけではないかもしれない。


短歌がSNSでバズって歌人が注目されたのも理由なのか


SNSを中心にして、いま空前の短歌ブームを迎えているが、その理由としてgoogleAIは次のような点を挙げている。


SNSで短歌がバズった理由としては、次のようなことが考えられます。

  • 短歌とSNSの短文の親和性

  • 短歌が若者のニーズに合ったこと

  • SNSが認識のあり方に変化をもたらしたこと

短歌は、5・7・5・7・7の31音で構成される短い詩で、日本古来の伝統文化です。短歌批評家の渡辺祐真氏は、短歌とSNSの短文との親和性を指摘し、ちょうどよい文字数で自由に詠める短歌が若者のニーズに合ったと分析しています。また、SNSは「エモい」や「映える」といった発想の拡大と通俗化に大きく貢献しており、「バズる」という現象にも影響を与えています。

さらに、新型コロナウイルス禍でつながりが薄れた時代、人々が短歌に託す知られざる“物語”が背景にあるとも考えられています。短歌を読み、共感を覚えて救われたり、明るい歌に元気をもらったりすることで、メンタル面にもポジティブな影響を与えている可能性があります。




これを読んで思ったのは、いま歌人にエッセイの上手な人が多いのは、短歌ブームによって、文才のある優秀な人材がこの分野に多く集まったからではないか、ということである。


残念ながら、浅学で凡人の私には、そのほかの理由を挙げることはできない。





2024年9月23日月曜日

「清々しい」を キヨキヨシイ と読む人は「興味津津」を キョウミツツ と読むかもしれない





漢字の読み違えは恥ずかしい。なかでも会議などで人の前での間違いは目も当てられず、恥の記憶として、長い間当人の頭に残る。

ここでは有名人の漢字の読み違えについて触れてみることにしよう。

まずはテレビCMでおなじみのサッカー本田選手である。この人については聞いた時思わず笑ってしまったのだが、なんと、清々しいをキヨキヨしいと読んだのだ。

でもこの「清」と言う文字は清らかという熟語もあって、読み違えが起こりやすい字なので,本田さんだけを笑えない。

では次の四つはどうだろう。きよきよしいと同じような間違いを起こすだろうか。


         正       誤

興味深々 きょうみしんしん ⇒きょうみつつ

順風満帆 じゅんぷうまんぱん⇒じゅんぷうまんぽ

上意下達 じょういかたつ ⇒じょういげたつ

悪口雑言 あっこうぞうげん ⇒わるくちざつげん

 

麻生太郎さんも漢字読み違えの常連

また漢字の読めない政治家として有名な麻生太郎氏だが、なんとネットには「麻生太郎さん漢字読み違え発言集」というのが、ご丁寧にも表になって載っているが、

下でその一部をご紹介しよう。

 

         正                麻生氏

低迷   テイメイ         テイマイ

物見遊山 モノミユサン    モノミユウサン

頻繁   ヒンパン        ハンザツ

踏襲   トウシュウ      フシュウ



読み違えはユーモラス

それほど難しくもない漢字を読み違えた人を「なんと無知な!」「こんな字も知らない人が、よくも!」などと、なじりたくなる気持ちも分かりますが

でもちょっと時間を置くと、こうした読み違えがなんとなくユーモラスに感じるのではないでしょうか。

それとともに読み違えした人に対しても親しみがわいてくるような気がするのは不思議です。

 

 


2024年9月21日土曜日

図書館で借りた本、どれもが新品のようにきれいなのはなぜ?


図書館の本 一昔前は汚れたものが多かったが

最近図書館を利用して嬉しいことがある。それは借りる本が、ことごとくきれいで汚れていないことである。それどころか誰も読んだ痕跡が見当たらないまるで新刊書のようなものが多いのだ。

図書館の本といえば、《汚れていている》というイメージを抱く人は少なくないと思う。

確かにそうした傾向は無きにしも非ずだが、でもそれは一昔前のことで、今ではそうしたイメージは通じない。

今では汚れていないどころか、どの本も、まるで新刊書のように新しいのだ。したがって借りる人は、まるで本屋で買ったばかりのような真っ新な本が、いつでもタダで読めるのだ。

 

なぜこれほどきれいな本が多いのか

図書館で借りた本があまりにもきれいなので、これって、まさか新刊書ではないだろうかと、発行年月を見てみると

やはり新刊書ではなく、たいていは5年以上前に出た本が多く、中には10年ぐらい前のものもある。しかし10年も前に出た本が、なぜこれほどきれいなのだろうか。


きれいな本が多いのは利用者が少なくなったからなのか

10年も前に出た本がきれいなのはなぜだろうと考えて、まず挙げられるのは、人の手にあまり触れられてないことである。

人の手に触れられていないということは、これまで借りる人(利用者)がいなかった(少なかった)ということになる。

でもなぜ10年間もの長い間借り手がいなかったのだろうかと、ここでまた別の疑問がわいてくる。

図書館はこの10年ぐらいの間、だんだん利用者が減って少なくなくなってきたのだろうか。

といううことは、図書館は衰退してきているのだろうか。

 

きれいな本が読めるのは喜ばしいが、図書館が衰退していくのは悲しい

図書館できれいな本ばかり読めるのはありがたいことだが、一方その理由が利用者が減って図書館が衰退に向かっているとしたら喜んではいられない。

いや喜んでいられないだけでなく、悲しむべきことかもしれない。なぜなら図書館の利用が減るということは、本を読まない人が増えるということになり、人々の勉学心や向上心が心配になるからである.。


そういえば、最近「国民の読書調査」が行われ、本を月に1冊も読まなかった人が60%以上、ということが分かったという。


もしこれが本当だとすると、図書館の利用者が減っていることは容易に頷ける。


下に載せたのは、「2024年読書調査」の結果を伝える毎日新聞の記事である。



「月に1冊も読書しない」が6割超 

進む読書離れ 国語世論調査

 月に1冊も本を読まない人が6割超に上ることが、文化庁が17日に公表した2023年度の「国語に関する世論調査」で判明した。同じ調査項目が設けられた08年度以降では最も多く、初めて5割を超えた。スマートフォンやネット交流サービス(SNS)の普及が原因とみられ、文化庁の担当者は「読書離れを顕著に示しており、国語力の養成に影響が出かねない」と危機感を示している。 調査は24年3月、全国の16歳以上の個人6000人を抽出して郵送で実施。59・3%にあたる3559人から有効回答を得た。

出典:毎日新聞








2024年9月19日木曜日

お笑いを おひとつ どうぞ

 


ひょっとして
一本取られたのかも


いつも行くカフェで4~5人連れの女子高生がいっせいに大笑いしていたので、何がそんなにおかしいのか、気になったので帰りぎわに訊いてみた。


「何かおもしろいことでもあったの? 例えば《箸が転んだ》とか」


すると女子高生のひとりが答えた。

「箸がころんだのではなく、ダルマさんがころんだのです」


それを聴いたこちらは意味がよくわからず、苦笑いしてその場を離れたのだが、その後少しして気がついた。


ひょっとしてあのJKに一本取られたのかも


暇そうなおじんをからかってやれ と。


おのれ JKめ!(笑)

 

2024年9月18日水曜日

「とりはだがたつ」と聴くと 鳥肌が立つ?



「鳥肌が立つ」使い方に気をつけて!

この言葉をよく聴くのはスポーツの実況放送などで、例えば高校野球で選手がファインプレイをすると解説者が「すごいプレイですね。鳥肌が立つほどです」と言うふうに発言するのだ。

この場合の使い方は、ほぼ正しいと言ってよく、別に聞き苦しさは感じない。

だが近頃この言葉が蔓延していて、あの人もこの人たちも、あらゆる時、あらゆるシチュエーションで使っているので、聞く側はすっかり食傷気味になっているのだ。


「鳥肌が立つ」は「ぞくっとする」と同じ意味なのでは

子供の頃、寒い朝など、よく「さぶいぼが出る」と言ったものだ。

さぶいぼとは寒さでぞくっとしたとき肌に出るいぼのような小さい突起である。

それを今は「鳥肌が立つ」と言うのではないだろうか。


鳥肌が立つの正しい意味

Search Labs | AI による概要

「鳥肌が立つ」は、本来は「恐怖や寒さなどにより、鳥肌が生じること。総毛立つこと」という意味の慣用句です。寒さで皮膚が鳥の皮のようにポツポツと立つ生理現象を表す言葉でしたが、恐怖や嫌悪感などの心理状態を表す言い回しも使われるようになりました。

たとえば、感情を揺さぶるような出来事に遭遇したり、感動的な映画や物語にふれたりした時などに、「鳥肌が立つほど感動した!」と言ってしまう人もいます。しかし、正しい意味を知っている人からすると「鳥肌が立つほど感動」というフレーズに違和感を覚えることもあり、かしこまった場や会う人によっては使用を控えた方が良いでしょう。

出典:Search Labs | AI


「鳥肌がたつ」とともに「カッコいい」がすぐ口から出る人は国語力が貧弱でボキャブラリー不足

鳥肌がたつと同様に、人々の口からよく出る言葉に「カッコいい」がある。

あまりにもよく出るので、「カッコいいは、かっこ悪い」と、皮肉を言う人さえいるようだ。

会話をしている時、次の言葉を繋ぐまでは一瞬しかない。その短い間に次の言葉を見つけないといけないのだ。しかも相手の話の内容に合わせなければならず決してピント外れになってはいけない。

ふさわしい言葉を瞬時につなぐことができる人はボキャブラリーのストックが豊富なのだ。

逆にストックが乏しい人たちはなかなか良い言葉をつなげない。かくして普段よく耳にする言葉が無意識のうちに口から出てしまうのだ。

その結果、気がつくと「鳥肌が立つ」とか「カッコいい」とばかり言っているのだ。

これはすべて国語力が弱く、ボキャブラリーの乏しさが原因と言っていい。



おそらく良い文章も書けないだろう


例えば読書感想文などを書かせても、上手な人と下手な人がいる。いったいその原因はどこにあるのだろうか。


これを考えると、「鳥肌がたつ」や「カッコいい」の使い手のことが頭に浮かぶ。


つまり、こうした言葉の使い手こそ、文章が下手な人のカテゴリーに属するのではないだろうか。


そもそも文章はボキャブラリーが集積したものだ。したがってこれが不足している人たちが良い文章を書ける訳がない。


良い文章が書ける大事な条件の一つには、間違いなくボキャブラリーが豊富なことがある。


2024年9月16日月曜日

これは旨い!「玉ねぎの飴色いため」の 食パントッピング 





あまりにも旨いので朝と昼つづけて食べた

朝食の食パンにトッピングするものとしてこのところ多いのは、市販のスパサラ、高菜の古づけ、ポテサラ、卵焼きやハムなどが多いのだが、飽きることもあるのでたまに自分で新たなものを作ることもある。

その一つが「玉ねぎの飴色いため」である。前に作ってみて、われながらよくこんなにうまく出来たものだ、と思うほど食パンとの相性抜群ですごく旨かった。

それに味をしめ、ふたたび作ってみたところ、なんと前回を凌ぐほどの出来栄えで、何とも言えない見事な味なのだ

あまりの旨さに何度でも食べたくなり、その日朝昼と2回続けて食べてしまった。

 

コスパ最高! 調理時間わずか5~6分 超シンプルな男料理 

男の料理の条件はスピーディなことである。女性のようにじっくり時間をかけて作るのは、性に合わないし根気もない。したがって調理時間は長くても15分まで。

ところが、この「玉ねぎの飴色いため」は、なんとその3分の1の5分で、超スピーディにできるではないか。

いかにせっかちな男でも、わずか5分が待てないわけがない。

 

「玉ねぎの飴色いため」と名付けてみたが

クックパッドには「飴色たまねぎ」と載っていた

自分で考案した料理と気やすく言ったものの、考えてみると玉ねぎというポピュラーな野菜で作ったもの、ひょとして以前からある料理なのかも、と気にになったので、人気料理サイト「クックパッド」で調べてみたところ


案の定「手軽にできる人気おつまみ」のジャンルにそれはあり、名前は「飴色たまねぎ」というシンプルなものだった。この飴色いため、昨日も玉ねぎ2個でつくり、いま冷蔵庫に入っている。


2024年9月13日金曜日

アナに暴言を吐いたプロ野球解説者《川藤幸三氏》はどうなる?



今後もテレビ出演を続けていけるのだろうか


プロ野球解説者川藤幸三氏といえば、良くも悪くも、よく話題に上る人だが、今回は悪い面の話である。

プロ野球解説者にとって、担当のアナウンサーは、いわば雇い主の側に所属する人で、仕事を継続していくうえで極めて大切な人である。

その大切な人に対する今回のような暴言は、常識で考えれば許されるものではない。

ということは悪くすれば解雇の条件になるかもしれないのだ。

したがってその後の氏の去就を気にしているのは、私だけではないだろう。

 

川藤幸三氏が 阪神タイガース戦テレビ中継で

「もっとまともなことを聞け、お前は」と担当アナを激しく叱った

年齢的なことからなのか、川藤氏は最近プロ野球解説者としてのテレビ出演が極端に少なくなっていて、読売TVのプロ野球中継でたまに観ることがある程度だ。

確か三か月前ぐらいであっただろうか、同じく解説者の赤星氏と一緒に10チャンネルの阪神戦プロ野球中継に出演していた。

この川藤氏、仕事があまり楽しくないのか、アナウンサーの呼びかけには、なんとなくめんどくさそうに応えている様子だった。というより応答の様子からは何かとても機嫌が悪そうな感じさえしたのだ。

それを強く感じたのはある場面でアナウンサーの問いかけ(内容は忘れたが)に対して、「もっとまともなことを聞け、お前は」と、まるで暴言としか取れないようなセリフを投げかけていたのだ。

これって視聴者にとってはひどい話で、聞き苦しさを通り越して、気分が悪くなった人さえいたのではなかろうか。

 

一時は「川藤ぶし」で絶大な人気を誇ったが

川藤氏といえば、何といっても、あの「川藤節」とも呼ばれた人懐っこい語り口である。

ややオクターブの高い抑揚の利いた独特な声で、少し皮肉を込めた渋い語り口はプロ野球ファンだけでなく多くの人から人気を集めた。

でもあまりにも長期間に渡って開設者を続けたためか、高齢になった最近では、元の皮肉っぽい口調が次第に相手に対する悪態に代わってきて、相棒のアナウンサーに暴言を吐くようになってきたのだ。

それが最悪の形で出てのが今回の「もっとまともなことを聴け、お前は」なのである

今回の発言はどう聴いても暴言そのもので、理解に苦しむが、日頃から彼はやや厳しめの発言をする人で、それに対しては別段反感を持ってはいなかった。

いや反感どころか、むしろ好感さえ抱いていたのだ。

というのも一般的にテレビに出演する野球解説者は、概してアナウンサーの発言や問いかけに対しては迎合的というか、いつも肯定的な返事を返すことが多く、反論して自分の意見を言うことが少ないので、日ごろから物足りなさを感じていたからだ。

ところは川藤氏はと言うと、アナウンサーの意見に同意できない時は、「そうではないだろう」とか「そうは思わない」と、まっこうから反対意見を述べ、自分の意見をはっきり言うのだ。

こうした反骨精神のあるところが、とても好ましく思えたのだ。だが、今回のアナウンサーに対する暴言は、少なからず羽目を外していたことは否めない。

 

あれがパワハラにならないのはなぜ?

いま兵庫県の斎藤知事のパワハラ問題が連日賑やかに報じられているが、いまパワハラについては人々はセクハラ以上に敏感になっているようだ。

で、川藤氏のアナウンサーに対する暴言だが、一般的に考えると、これは明らかにパワハラに当たるのではないだろうか。しかし、人々が大きく騒ぎ立てないのはなぜだろう。


パワハラと指摘されるかどうかは当事者の人間性の問題か


兵庫県の斎藤知事パワハラは大きな社会問題になって、今や進退問題にまで発展している。


これに対して大方の人は斎藤氏に対して同情的ではなく、引退を迫る側に同調しているようだ。斎藤氏は県民にも敵あつかいされているのだ。


なぜこうなったかといえば、原因は斎藤氏の人間性にあるのではないだろうか。要するに斎藤氏は人望に欠けるのか、県民からあまり愛されていないのだ。


一方川藤氏はどうだろう。年齢を重ねた今でこそ愚痴っぽくて怒りっぽくなっているが、元は味のある人懐っこい語り口でとても人気があったのだ。


それがいまだに人々の頭に残っているゆえに、今回のパワハラめいた暴言に対しても、あまり批判しないのではあるまいか。


担当ディレクターはこう語っている


だが、この問題が起こった後、担当ディレクターはこう語っている。


今のご時世ではパワハラと捉えられても仕方がない、たとえ川藤解説のファンが多いとはいえ、改善に取り組む時期に差し掛かっているのかもしれません」Yahooニュース


これでわかるように、どうやら川藤氏も進退問題に直面しているようである。


2024年9月12日木曜日

AI・google gemini は素晴らしい


 簡単なプロンプトに対して、数秒でこれだけ丁寧な答えが返ってきた

いったいどこの誰(何)が質問に対してこれほど見事な回答を与えてくれるだろうか。学校の国語教師か、ネットのQAか、それとも紙の辞書か。

いや、これらどれもこれほど完璧な答えを与えてくれるとは思えない。

こんなに見事で完璧な回答を与えてくれるのは、おそらくAIのgeminiをおいて他にないのではあるまいか。

以下はgoogle・geminiを使ったプロンプトと回答例である。

 

文章の体言止めについて目的や効果をおしえてください

回答案を表示

 

体言止めの目的と効果について


体言止めとは、文章を名詞や代名詞で終わらせる表現技法です。通常の「です」「ます」といった終助詞で終わらせる文と比べて、独特の響きや印象を与えます。



体言止めの目的


読者の印象に残る:名詞で終わることで、その言葉が強く印象に残ります。

余韻を残す:文末を切断することで、読者に余韻を与え、想像力を掻き立てます。


リズム感を出す:文末を揃えることで、文章にリズム感が生まれ、読みやすくなります。


強調したい言葉を際立たせる:伝えたい言葉を文末に置くことで、強調することができます。


簡潔で力強い印象を与える:余分な言葉を削ぎ落とすことで、簡潔で力強い印象を与えることができます。



体言止めの効果


文学的な表現:俳句や短歌など、文学作品でよく用いられ、奥ゆかしい美しさや情感を表現します。


キャッチーな表現:広告やキャッチコピーなど、短い言葉で強い印象を与えたい場合に効果的です。


印象的な文章:エッセイや小説など、読者の心に響くような文章を作り出すことができます。



体言止めの注意点


多用しすぎない:すべての文を体言止めにすると、単調で不自然な印象を与えます。


文脈に合う言葉を選ぶ:伝えたい内容に合わせて、適切な名詞を選ぶことが重要です。


口語と文語を使い分ける:口語では自然に聞こえる体言止めも、文語では不自然に感じる場合があります。


体言止めの例文


通常の文:「今日の夕飯はカレーライスです。」

体言止め:「今日の夕飯は、カレーライス。」(カレーライスに焦点を当てる)

通常の文:「あの映画、とても感動しました。」

体言止め:「あの映画、感動。」(感動という感情を強く表現)


まとめ

体言止めは、文章に深みと奥行きを与える表現技法です。しかし、使いこなすには、文脈や読者への配慮が大切です。適切な場面で体言止めを用いることで、より魅力的な文章を作成することができます。

体言止めを効果的に活用したい場合は、以下の点に注意して文章を作成してみてください。  伝えたいことは何か

•  読者にどのような印象を与えたいか

•  文脈に合った言葉を選ぶ

•  多用しすぎない

ご自身の文章に体言止めを取り入れて、表現の幅を広げてみましょう。

さらに詳しく知りたい場合は、以下のキーワードで検索してみてください。

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