「乗り物ではお年寄りに席を譲りましょう」という教えがよく行き届いているのか、最近 若者が乗り物で高齢者に席を譲る光景をよく目にします。
でも昨今では高齢者などへの優先座席が設けられていることもあって、立ちっぱなしの老人を目にすることはあまりありません。
それに人生100年時代と言われている今は、高齢者と言えども元気な人は多く、乗り物で立っていることを苦にしない人たちは少なくないのです。
いや、苦にしないというより「立っていることに喜びを感じている」人が多いと言った方が適当かもしれません。
乗り物で《席を譲られない方がうれしい》のはなぜか
上で書いたように、昨今は高齢者と言えども元気な人は多く、乗り物で席を譲られるのを望まない人たちも少なくないのです。
いや、それどころか、席を譲られないことをむしろ嬉しく思ってさえいるのです。
理由は、立ってる方が足腰が鍛えられて健康にいいからでしょうか?もちろんそれもありますが、理由はそれだけではありません。
それが何かというと、第一は高齢者の外見に関係することです。
誰だってそうでしょうが、人は外見で相手を判断します。乗り物で高齢者が席を譲られるのは、相手が外見で判断してのことです。
つまり、見たところ足腰の弱っている老人のようだから席を譲ってあげよう、と思ってのことなのです。
高齢者でも席を譲られないのは見た目が若いから
とはいえ、中には高齢者(老人)なのに、乗り物で一向に席を譲られない人たちもいるのです。
乗り物ではたいていの老人は、優先座席を利用しているか、席を譲られるのが普通なのに、なぜ一部の人たちは立ち続けているのでしょうか。
ズバリ、そうした人たちは外見が若く見えて、高齢者と思われて周りの人から席を譲られないからなのです。では席を譲られない当人たちはこれをどう思っているのでしょうか。
自分も老人なのになぜ他の人のように席を譲ってもらえないのだろうか、と嘆いているのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。嘆くころか、むしろ喜んでいるのです。
「自分が席を譲ってもらえないのは、見た目が若く、老人と思えないからに違いない」と思い。席を譲られるより、人から若く見られることの方が嬉しいからなのです。
善意が有難迷惑になることもある
上述のように、たとえ高齢者だとはいえ、乗り物で席を譲られることを喜ばない人たちもいるのです。
したがってこうした人たちに席を譲ろうとすることは有難迷惑になるかもしれません。
高齢者人口が増えるに比例して、こうした人たちが今後しだいに増えてくることが予想されます。
せっかくの善意が仇にならないように、乗り物で高齢者に席を譲ろうとするに際しては、相手をよく観察して行動に移すことが必要なのかも。
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