2025年4月9日水曜日

この記事がおすすめ・シリーズ Part 3【11~15】 (Play Back series No.2)

 



もくじ

(11) MY PIANO TEACHER(出典:new crystal 2B.L5)


(12) 本を売って酒代をつくっていた頃が懐かしい


(13) 東大生はこんな本を読んでいる・東大教師が新入生に薦める100冊とは?


(14) 今、この本がユニークだ・「TOKUGAWA15(フィフティーン)」徳川将軍15人の歴史


(15) これが「2013・ミス韓国」の候補者だ ・ ネットでは”皆同じ顔”と評判に




その11

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(2)

   

 MY PIANO TEACHER(出典:new crystal 2B.L5)   

                                         Laurie Colwin  訳:大平庸夫


思春期は子どもから大人への過渡期であり、物事に対する新しい感覚が芽生え、また自分自身についても目覚めたり発見したりする時期である。それゆえに、親と子の争いがしばしば起こるのもこの時期なのだ。これから紹介するのは、思春期の少女と奥さんを亡くした1人の男性ピアノ教師にまつわる話である。ここで起こるのは、当然のことながら母親の強い干渉であるが、そのために揺れ動かされる少女の微妙な心のひだを著者は見事に描き出している。



 パーカー婦人が心臓発作で予期せぬ死をとげたのは去年の晩秋のことであった。


 わたしの両親はそのことを知ると、すぐお悔やみに出かけて行ったが、その二日後の正式なお悔やみにはわたしもつれていかれた。


小春日和の暖かい日であったが、その家はあちこちが閉ざされており風通しが悪かった。顔見知りの近所の人も何人か来ていた。


 パーカー氏の姉妹たちがソファーに腰掛けており、部屋の隅には教会から来た人たちが立っていた。入口のところで律法博士の息子がわたしをつまずかそうとして足を出してきたので、お返しにそれを蹴ってやった。


わたし達は思春期にありがちな、云わば ”恋しさ余って憎さ百倍”とでもいうような敵同士の仲であり、お互いがいつもそうした方法でしか自分のことを表現できず、それで精一杯相手の愛情をしめしたつもりになっていた。


 わたしは以前からパーカーさんの家がとても好きだった。それは一軒だけ残っていたビクトリア王朝風の建物で、まるでウエディングケーキのような形をしていた。


 居間は丸くなっており、どの壁も全部丸いカーブを描いていた。3階部分は塔になっていて、そのてっぺんには風見鶏がついていた。


 わたしはパーカーさんのピアノレッスンを水曜日の午後うけたいた。その日に限って彼が早く帰宅するからである。彼は決してわたしを叱ったり、懲らしめたりしなかった。


 最初の15分は準備練習に当ててくれ、その時はわたしの好きな曲を弾かせてくれた。


 その後、パーカーさんがその週の練習箇所を弾いてくれた。彼の演奏はとても正確だったが、時々夢を見ているような表情になることがあった。


 それからわたしが同じ箇所を弾き、最期は二人がパートごとに弾いていき、途中でパートを交換して何度も何度も繰り返した。


 夫人のお葬式が終わって数ヶ月たった頃、パーカーさんが私の両親に宛てた感謝の手紙をことずけた。両親は彼をしばしば夕食に招待していたので、たぶんそれに対するお礼だったのであろう。


その手紙には、しばらく中止していたピアノレッスンを次の水曜日から再開するとも書いていた。


わたしはまた放課後パーカーさんのところへ通い始め、すべてが元どおりになった。15分の準備練習、その後のパーカーさんの演奏、そしてわたしが繰り返して、すべてが前と同じであった。


 でもパーカーさんの髪の色だけは、以前の金髪から藁のような色に変わっていた。


 彼も、そして亡くなった奥さんも、かつては若々しさとか、みずみずしさを備えた時代があったに違いない、でも時の経過がそれらをすべて色あせさせてしまったのであろう。 


 彼は痩せていて、時としては寂しそうに見えたが、穏やかさの中にも元気さはじゅうぶんに持っていた。たいていはブルーのカーデガンを着ていて、縞模様のネクタイの上からきっちりとボタンをかけていた。



 ある日のレッスンの後、どこで見つけてきたのか、彼はコマドリの卵をわたしにくれた。


 窓のそばのバラの花束を通して要綱がキラキラかがやいているのを目にしてから、わたしは外へ出て家路についた。


 家に帰ったとき母は台所にいて、何か怒っているような表情でわたしを見た。


 「どこへ行ってたの?」いつもと違って、ぶっきらぼうな聞き方だった。

 「どこって、ピアノレッスンよ」

 「どのピアノレッスンなの?」

 「どのピアノレッスンかって、お母さんよく知っているでしょう、パーカーさんのところにきまっているじゃない」

 「おかしいわ、また始めるって、あなた私に何も言わなかったじゃない」

 「そんなこと言っても、水曜日にはいつもあそこでレッスンがあったでしょう」

 「私はね、奥さんが亡くなったいじょう、もうあそこではレッスン受けてほしくないのよ」


 母のその言葉には応えず、わたしはわざと大きな足音をたてて自分の部屋へ戻ると、いロビンの卵をとりだして、それを柔らかいソックスで包んだ。


 興奮したせいか、のどが渇いているのがよくわかった。


 「マーチンさんのところでいいでしょう」母がやり返してきた。


マーチンさんというのは、かつてのわたしのピアノ教師であるが、すごく太っていて、いつもベーコンのような匂いを漂わせている女性であった。


彼女のレパートリーはそれほど広くなく、どちらかといえば、10歳以下の子ども向きで、上級レベルのわたしに向かないのははっきりしていた。


「マーチンさんのところへなんか行かないわ、あんな子どもの行くとこ、わたしはもうとっくに卒業したのよ!」 わたしは叫び声でそう言った。


泣き出したい気持ちをごまかす為にフォークを乱暴にジャガイモに突き刺して、あんなとこへ行くくらいなら首を吊ったほうがましだわ」とつぶやいていた。


それからもパーカーさんのレッスンは続けたが、しばらくは何もいわれなかった。

でもレッスンが終わって家に帰ったときは、母も私も、お互いが冷ややかな目つきで接していた。


夜二人で夕食の後かたずけをしているとき、母はわたしにいろいろな質問を浴びせてきた。わたしの日常生活に関するそうした干渉は、わたしにとってイライラさせられるだけの他の何物でもなかった。母は朝の授業からはじまって、家に帰るまでの行動について系統立てて根掘り葉掘り聞いてきたが、彼女の厳しい尺度に当てはめれば、わたしのすることなど、すべてが正しくないに違いなかった。


いつもそうだったが、母は質問の最後になると、急に猫なで声になってわたしに聞いた。


「ねえ、それでパーカーさんは近頃どうなの?」

「元気よ」

「で、レッスンの方は進んでいるの?」

「進んでいるわ」

「奥さんが亡くなって、家の雰囲気はどうななの?」

「変わらないわ、パーカーさん最近子猫を買ったようよ」

「どんな子猫なの?」

「ピンクっぽい色をした子猫」

「パーカーさん、お酒飲むの?」

「いつもレモネード飲んでるわ」

「こんなこと聞くのは、彼が大変だと思うからなのよ。さぞ辛い毎日だと思うわ」


急に怒ったような口調で母が言った。


「わたしにはパーカーさんがそんなに大変だとは思えないわ。お母さんの勘違いよ」

「そうなのかしら」


母はそう言いながら丁寧にディッシュタオルをたたんでいた。


「ねえジェーン、正直に言うとねえ、私あなたを男1人のパーカーさんのところへ行かせたくないのよ。あなたに何か起こったら大変だと思って」

「なに言ってるのよお母さん。彼はわたしのピアノの先生なのよ。そんなことあるはずがないじゃない」


そう言うと急に涙が出てきて、逃げるようにして台所を出ると自分の部屋へ駆け込んだ。母もついてきて、わたしが涙を見られないように背を向けて座っていた机の反対側にあるベッドの縁に越をおろした。


「私はあなたのことを思うからこそ言っているのよ」

「もしわたしのことを思ってくれるのなら、どうしてピアノレッスンに行ってほしくないなんて言うのよ」

「ピアノレッスンがいけないなんて言ってないわ。私が言っているのは、あなたはもう子どもじゃないんだし。子どもにも大人にもそれぞれ特権があるわ。でもあなたは今その中間にあるのよ。難しい時期だと思うわ」


「お母さんなんか何もわかってないわ。ピアノレッスンに行かせたくなくてそう言ってるだけじゃない!」

「私はあなたを守ってあげようとしているのよ」母は立ち上がってそう言った。

「パーカーさんがもしあなたの体に触りでもしたら、あなたはいったいどうするのよ」


母は ”体に触る”などという、聴くだけでも身震いしそうなおぞましい言葉を使ってそう言ったのだ。


「お母さんはありそうにもないことを大げさに言っているだけだわ!」


わたしはそう言うと、今度はおおっぴらに泣きはじめた。


そこでわたしが母の胸に飛び込んで抱きついてさえいれば、ことは丸くおさまっていたかもしれない。でも、そうすることはわたしの敗北を意味するのである。そうはいかなかった。をれはわたしと母の戦いであったから。


「今日はこれまでにして、また次のときに話しましょう」そう言った母も、今にも泣き出しそうな表情をしていた。


水曜日が来て、わたしは微かな期待と不安が入り混じった複雑な心境でパーカーさん宅の門をくぐった。でもすべてが普通どおりであった。最初の準備練習はひどいもので、そらで覚えていたいちばん簡単なパートでさえ間違える始末であった。


パーカーさんがその週の練習箇所を弾いてくれていたとき、わたしはなんとか彼のタッチを覚えようと努めていた。わたしが弾く番になると彼は床に上にメトロノームを置いてくれた。わたしは懸命に弾いた。そして正しく弾いているのが自分自身でよくわかった。


”わたしはすばらしい演奏ができるようになっている。レッスンに苦闘することもなしに”

弾き終えたとき、パーカーさんがそばに走り寄ってきてわたしの肩を抱いた。


「完璧だ!じつに完璧だ!君はついに成し遂げたよ!」彼は興奮気味に言った。

「教える者にとってこんなに嬉しいことはない!」

それから私たちは何曲課のパレストリーナのパテットを聴きながらレモネードを飲みクッキーを食べた。


外へ出たとき曇っていたせいかもう薄暗く、街灯が鈍いグリーンの光を放っていた。何かすごく恐ろしいような、でも反対にとても嬉しいような、そんな複雑な感情を抱きながら、わたしは帰り道をゆっくり歩いていた。


”わたしは大人のように立派に演じることができた。そして大人にも賞賛されたのだ。もう子どもじゃない!でも、大切でかけがえのない何かが私から離れていくような気がする”


途中で木の下に行って座ると、わたしはまるで赤ん坊のように大きな声を出して長い間泣いた。

やっぱりパーカーさんは私の体を触ったのだ!!


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この記事がおすすめ・シリーズPart 2【11~16】


(Play Back series No.2)



その12


本を売って酒代をつくっていた頃が懐かしい


 


若い頃 給料前の金がないときは古本を売ってしのいでいた

酒が飲みたくて飲み屋に行きたいのだが給料前で金がない。貯金もないので下ろせない。さてどうしよう。

なんとかして飲み代を作らなければ、質屋に行こうか、でもめぼしい質草がないので無理、他に方法はないか、そうだ本を売ろう、たまっている本を古本屋に持っていくのだ。

こんな結論に達して、私はよく古本屋へ通ったものです。まだ社会へ出て間もない20代前半のころの話です。

 

大阪駅地下にあった店は古本を高く買ってくれた

古本屋へよく通ったのは20代前半ですから昭和40年頃のことです。その頃は大阪中之島の都市ホテルでホテルマンとして働いていました。

西淀川区の叔母宅へ下宿しており、通勤にはトロリーバスを使って梅田まで出て、阪神デパートの前でちんちん電車に10分ほど乗って職場まで行っていました。

古本屋はその通勤途上の大阪駅の地下街にあったのです。

大阪駅の地下街といえば今はきれいなショッピングアーケードが広がっていますが、当時はそれほど整備されてはおらず、狭いエリアに種々雑多な商店街がひしめいており、単に地下にあるだけの平凡な商店街でした。

その店は古物商で、扱っているのは本だけでなく、カメラや貴金属もあったようです。

この店を選んだのは通勤途上で便利がいいだけでなく、こちらの期待以上に高く買ってくれたからです。

どれくらい高く買ってくれたかというと、例えば新刊書の売れ筋の本だと定価の70%ぐらいも出してくれるのです。つまり1000円で買ったものは700円、1500円だと1050円にもなるのです。

この金額、今の古本価格に比べると雲泥の差があります。今では、例えばブックオフとかの古本屋だと、新刊書でも買取価格は定価の1割り程度でしかありませんから、まさに比較になりません。

なぜそれほど高かったのかといえば、当時は新刊書の古本があまり出回っておらず希少価値があったからに違いありません。つまり、今と違って市場価値が高かったのです。

 

一番高く売れたのは平凡社の百科事典

時期はうんと後になりますが、30代の中頃に一度だけ随分高価で古本を売ったことがあります。

その時は大阪駅地下の店ではなく、桜橋の第三ビル1階にあった古書店です。

そのときは少しまとまったお金が必要でしたので、考えた末、苦労して月賦で買った平凡社の世界大百科事典を売ることにしたのです。

どこに売ったらよいかよくわからず、そうしたことに詳しい友人が教えてくれたのが大阪駅に近い桜橋にある古書店です。

その百科事典は日本で最も大きいと言われる全部で35刊にもなる豪華装丁のもので、購入価格は確か14万円ぐらいだったのではないでしょうか。

それほどの金額の高価な書物ですから、買取価格もある程度は期待しており、少なくても定価の2割以上はかたいだろう、と思っていました。

さて、いくらで買ってくれたかといえば、なんと期待額を大きく上回る5万5千円もだしてくれると言うではありませんか。

即座にOKの返事を出して売却したのは言うまでもありません。後にも先にも、これだけの金額で古本を売却した事は他にありません。

 

昔は本を売って生活費の足しにした作家が少なくなかった

今ではよく名の知れた文豪と呼ばれるような有名作家でも、まだ売れていない貧乏な時代がありお金に苦労したこともあるようです。

そうした作家のエッセイなどを読むと、お金がないとき金策に苦労した話がよく出てきます。

今のように消費者金融が発達していない時代ですから、金策のための選択肢は多くありません。

最も多いのは知り合いに借金を申し込むこと。次が質屋に行くこと。そして3番目は本棚においてある自分の蔵書を売ることです。

なんと行っても作家ですから本はたくさん持っています。その中から金になりそうなめぼしい物を選んで古本屋へ持っていくのです。

いや自ら行かなくても、事前にははがき1枚出しておけば、相手方が出張して取りに来てくれるところもあったようです。

いわゆるお得意さんになっているようなお店なのですが、文豪と呼ばれる作家でもそんな懇意な取引先ができるほど頻繁に本を売っていたのです。

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この記事がおすすめ・シリーズPart 3


(Play Back series No.2)


その13

東大生はこんな本を読んでいる・東大教師が新入生に薦める100冊とは?

東大生はどんな本を読んでいるのか?

電車などの乗り物の中で本を読んでいる人を見ると、「この人どんな本を読んでいるのだろう?」と、本のタイトルが気になることがありませんか?

私はよくあるのですが、特に美人女性が読んでいる本となると、よけい気になります。

女性の美人でなくても、もし読んでいる人が東大生なら、これはもう、どんなことをしても本のタイトルが知りたい。こう思うのは私だけではないでしょう。

本を読まない大学生が多い昨今ですが、この人たちだけは別、と言われるほど読書をよくする東大生ですが、いったい彼らはどんな本を読んでいるのでしょうか。


東大教師が新入生に薦める100冊はこれ

  1. カラマーゾフの兄弟(フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー)

  2. 量子力学(レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ)

  3. 線型代数入門(斎藤正彦)

  4. The Universe of English/The Expanding Universe of English(東京大学出版会)

  5. オリエンタリズム(エドワード・W.サイード)

  6. プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー)

  7. 解析入門(セルジュ・ラング)

  8. 邪宗門(高橋和巳)

  9. 物と心(大森荘蔵)

  10. ゲーデル、エッシャー、バッハ(ダグラス・R.ホフスタッター)

  11. チベット旅行記(河口慧海)

  12. ホーキング、宇宙を語る(スティーヴン・ウィリアム・ホーキング)

  13. ワンダフル・ライフ(スティーヴン・ジェー・グールド)

  14. 解析概論(高木貞治)

  15. 緊急時の情報処理(池田謙一)

  16. 現代政治の思想と行動(丸山真男)

  17. 根拠よりの挑戦(井上忠)

  18. 視点(宮崎清孝)

  19. 自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)

  20. 心の科学は可能か(土屋俊)

  21. 人間を幸福にしない日本というシステム(カレル・ファン・ヴォルフレン)

  22. 世界の名著(中央公論新社)

  23. 想像の共同体(ベネディクト・アンダーソン)

  24. 歎異抄(金子大栄)

  25. 知るということ(渡辺慧)

  26. 中島敦全集(中島敦)

  27. 読むということ(御領謙)

  28. 日常言語の推論(坂原茂)

  29. 認知とパフォーマンス(梅本尭夫)

  30. 夜と霧(ヴィクトル・エミール・フランクル)

  31. 利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス)

  32. 理科系の作文技術(木下是雄)

  33. 理解とは何か(佐伯胖)

  34. コンピュータのパターン認識(長尾真)

  35. ヨーロッパ文明批判序説(工藤庸子)

  36. 「きめ方」の論理(佐伯胖)

  37. 20世紀システム(東京大学社会科学研究所)

  38. サーカスが来た!(亀井俊介)

  39. フィールドワーク(佐藤郁哉)

  40. 仮面の解釈学(坂部恵)

  41. 危機の二十年(エドワード・ハレット・カー)

  42. 貴族の徳、商業の精神(川出良枝)

  43. 吉田秀和全集(吉田秀和)

  44. 魂のライフサイクル(西平直)

  45. 栽培植物と農耕の起源(中尾佐助)

  46. 罪と罰(フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー)

  47. 三四郎(夏目漱石)

  48. 史的システムとしての資本主義(イマニュエル・ウォーラーステイン)

  49. 職業としての政治(マックス・ヴェーバー)

  50. 信頼の構造(山岸俊男)

  51. 新しい世界史(東京大学出版会)

  52. 神谷美恵子著作集(神谷美恵子)

  53. 図集日本都市史(高橋康夫)

  54. 生命とは何か(エルヴィン・シュレーディンガー)

  55. 戦争と平和(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ)

  56. 荘子(荘子)

  57. 損害賠償法の理論(平井宜雄)

  58. 大衆教育社会のゆくえ(苅谷剛彦)

  59. 知的複眼思考法(苅谷剛彦)

  60. 徒然草抜書(小松英雄)

  61. 南方熊楠(鶴見和子)

  62. 日本人の英語(マーク・ピーターセン)

  63. 認知科学選書(佐伯胖)

  64. 認知心理学(東京大学出版会)

  65. 脳のなかの幽霊(V.S.ラマチャンドラン)

  66. 悲の器(高橋和巳)

  67. 碧巌録(克勤)

  68. 保全生物学(樋口広芳)

  69. 方法序説(ルネ・デカルト)

  70. 夢みる権利(桑野隆)

  71. 夢判断(ジークムント・フロイト)

  72. 明治憲法体制の確立(坂野潤治)

  73. 論理哲学論考(ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン)

  74. 侏儒の言葉(芥川龍之介)

  75. 知の技法(小林康夫)

  76. 美しきもの見し人は(堀田善衛)

  77. ご冗談でしょう、ファインマンさん(リチャード・フィリップス・ファインマン)

  78. トムは真夜中の庭で(アン・フィリッパ・ピアス)

  79. はてしない物語(ミヒャエル・エンデ)

  80. ぼくを探しに(シェル・シルヴァスタイン)

  81. モモ(ミヒャエル・エンデ)

  82. 完全な真空(スタニスワフ・レム)

  83. 吉里吉里人(井上ひさし)

  84. 君たちはどう生きるか(吉野源三郎)

  85. 朱子学と陽明学(島田虔次)

  86. 春の戴冠(辻邦生)

  87. 新幹線をつくった男島秀雄物語(高橋団吉)

  88. 親鸞(丹羽文雄)

  89. 人間臨終図巻(山田風太郎)

  90. 星の王子さま(アントアーヌ・ド・サン・テグジュペリ)

  91. 蝉しぐれ(藤沢周平)

  92. 大聖堂(ケン・フォレット)

  93. 誰のためのデザイン?(ドナルド・A.ノーマン)

  94. 不滅(ミラン・クンデラ)

  95. 棒がいっぽん(高野文子)

  96. 竜馬がゆく(司馬遼太郎)

  97. ゲド戦記(アーシュラ・K.ル・グイン)

  98. コインロッカー・ベイビーズ(村上龍)

  99. ファウンデーション(アイザク・アシモフ)

  100. 論理トレーニング101題(野矢茂樹)


この中であなたが興味の湧く本は何冊?

いかがですか、このリストを見てあなたはどう思いましたか。また興味が湧く本はどれくらいありますか?

興味のある本が多いほど東大生の頭脳に近づく、と言うのは少し言い過ぎかもしれませんが、読む本の好みが少しでも東大生に近づくことは喜ばしいことに違いないはずです。

リストを眺めて思うのは、流石に東大生が読む本で、近づき難いタイトルが多く、本好きを標榜する身ながら食指の動くものはそれほど多くありません。

とはいえ中には一般的な小説も含まれているのは見逃せません。

例えば96の「竜馬が行く」をはじめ、98の「コインロッカーベイビーズ」、91の「蝉しぐれ」など人気小説もかなり含まれており、東大生と言えども、こと小説の嗜好に関しては一般人とそれ程違わないように思えます

そんなこんなの感想ですが、個人的には全体の4分の1の25冊程度、読んでみたい本がありました。


このリストを見て東大生とオノレの頭脳の違いを思い知る


全体の4分の1に興味が湧いたとはいえ、残り4分の375冊あまりには興味がわかない事実を前にすると、東大生と己の頭脳の違いを思い知らされ、いささか悲しい気持ちがしないではありません。

でもその反面、なんとか25冊の興味が湧く本があったのは幸い、という気もします。

何はともあれ、東大生という日本の最高頭脳集団の読書傾向が知れたことは、今後の読書を進める上での一つの指針になります。

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この記事がおすすめ・シリーズPart 2【11~16】


(Play Back series No.2)



その14

今、この本がユニークだ・「TOKUGAWA15(フィフティーン)」徳川将軍15人の歴史



これぞ "企画力の勝利" と呼んでもいいような今回の一冊。

これは単なる歴史書ではない。

歴史に題材を得てはいるものの、そのテーマを見事に今ふうの斬新な趣にアレンジしている。

徳川家康から始まり、徳川慶善で終わる徳川270余年の将軍15代の歴史について、各々の人物像の細部にまで焦点を当てることにより、この時代の将軍たちの人間としての特徴と本質に迫ろうとしている。

現代と比べると、やや短命に見える各々の人生ではあるが、中には享年77歳という長命の人もいて、現代と変わら程のその長寿ぶりには驚かされる。

それに加え、何人もの側室をそばにおき、多数の子供を作って絶倫を謳歌した将軍もいたというから、その点はうらやましい限りである。


15代将軍、それぞれの特徴


初代 トラウマ将軍・家康      享年75歳  当時としては抜群の長命                   側室数 19人   

                                                    実子数 19 推定死因 胃がん


2代 ストレス将軍・秀忠       享年54歳  死因 胃がん  恐妻家


3代 ナイーブ将軍・家光      享年 48歳 死因 脳卒中 男色&鬱


4代 イエスマン将軍・家綱     享年 40歳 死因 虚弱体質による心不全


5代 ヤリスギ将軍・綱吉      享年 64歳 死因 窒息  犬公方


6代 下積み将軍・家宣       享年 51歳 死因 インフルエンザ 猫背


7代 エンジェル将軍・家継     享年  8歳 死因 肺炎  最年少


8代 超(スーパー)ラッキー将軍・吉宗   享年 68歳  死因 脳卒中  米将軍


9代 Mr.ロンリーナイト将軍・家重  享年 51歳 死因 尿路障害(尿毒症)  小便公方


10代 エリート将軍・家治     享年 50歳 死因 脚気衝心  おおらか


11代 ビッグダディ将軍・家斉   享年 69歳 死因 腹症 側室数 55人  絶倫


12代 飼い殺し将軍・家慶     享年 61歳 死因 暑気あたり  "そうせい公"


13代 暗愚(時々正論)将軍・家定  享年 35歳 死因 脚気衝心  料理男子


14代 スイーツ将軍・家茂    享年 21歳 死因 脚気衝心  虫歯30本


15代 インテリ将軍・慶喜   享年 77歳 死因 肺炎  "豚一様"


徳川将軍15人の歴史がDEEPにわかる本

堀口茉純著 定価1260円(税込) 草思社 2011年9月


著者紹介

「江戸検定1級」に最年少で合格した才女が将軍15人の素顔をDEEPに解説!

著者の堀口茉純(ほりぐち・ますみ)さんは、幼少期より時代劇に親しみ、小学生の時、司馬遼太郎の『燃えよ剣』に出会い、沖田総司に初恋。中・高校生の頃の成績は歴史のみ5。

25歳の時、超難関である江戸文化歴史検定の1級に最年少で合格。現在は、江戸の文化や歴史にまつわる講演・執筆等に精力的に取り組む、筋金入りに歴史マニアです。

本書は、そんな彼女の初めての著書となります。

著者は執筆にあたって、『徳川実紀』など徳川将軍家の正史と呼ばれる史料はもちろん、将軍について書かれた個人の日記や手紙、さらには遺骨の発掘調査報告書まで読み漁り、血液型から虫歯の数に至るまで徹底的に調べあげ、各将軍のキャラクターと人生を解き明かしていきます。

また、著者本人が描いた「歴史イラスト」を150点以上収載。時代考証をふまえた精緻なイラストでありながら、将軍の"個性"を浮き彫りにしたユニークな作品ばかり。

イラストを眺めるだけでも歴史の面白さが伝わる仕上がりになっています。特に4コマ漫画は秀逸です。


抜群のエンターテインメント性と、史実を的確に押さえたわかりやすい解説が魅力の本書。歴史好きの方はもちろん、ちょっとだけ興味があるという方や、いままさに歴史を勉強している中高生の方にも是非ともおすすめしたい快著です。

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この記事がおすすめ・シリーズPart 3【11~16】その14


(Play Back series No.2)


その15

これが「2013・ミス韓国」の候補者だ ・ ネットでは”皆同じ顔”と評判に


どうですか皆さん、一見するとさすがにミスコリア候補で、美人ぞろいに見えます。

でもさらに注意深く見ていくと、一人一人にはあまり個性というものが感じられません。

全員がなにか"お人形さん"のようには見えませんか。いわば”作り物”のような。

そう言われてみると、見れば見るほどその感が強くなってきます。

いったいこれはなぜなのでしょうか。

以下は中国紙「人民日報」による、このテーマに関するおもしろい記事です。


全員が同じ顔に見える!

 ネット上に投稿された「2013年ミスコリア候補者」の写真を見ると、候補者は皆それぞれ非常に美しいが、化粧の下に見える顔は、皆同じような面立ちをしている。

しかも20数人にも上る候補者は、それぞれがあまりにも似ているため、見分けがつかない。

えくぼがある花のような笑顔やきれいに描かれた眉、色っぽい眼差し、目の形や高さまで似ている。

その上、鼻の先が約90度に尖った高い鼻や瓜実型の顔、適度に豊満な唇、真っ白で清潔な歯、尖った顎、理想のように整った目鼻立ち。

すべてがミスコリアの候補者の顔には揃っており、まるで皆同じ人物のようだ。

 ミスコリアは1955年から現在まで1年に1度韓国で開催されるミスコンで、整形をしていない「天然の美女」に贈られる最高栄誉とされている。

 2013年ミスコリア候補者の一覧表を見たネットユーザーからは「韓国の美容整形技術の高さに敬服せざる負えない」「気分が乗らなかったが、この写真を見たら笑えてきた。

もしかして、ミスコリア候補者はみな同じ医者の手で整形手術を受けたのだろうか?すべて同じ型から出てきたようだ。

候補者たちは同じセットを選んだのでは?」「このような状況に、ミスコリアの審査員に同情するしかない。

これは本当に2013韓国ヘアスタイル・コンテストではないのか?」と揶揄するコメントが相次いだ。


 美容整形医師「候補者はほとんど皆整形している」

 では、これらのミスコリアの候補者たちは整形をしていないのだろうか?

中韓整形医院の主任医師・王錦誠氏に25日、取材をした。

韓国延世大学を卒業後、韓国で整形医師として5年間勤めた王医師は「写真をみれば、これらの候補者が整形手術を受けているのは一目で分かる。

しかも何箇所もさわっている」と語り、「韓国では整形はごく一般的なことで、これらの候補者もみな整形手術を受けている。

笑ったときに可愛くなるように、それぞれ目の下に注射をして涙袋を作っている」と説明した。

 王医師によると、一般の美容整形医院では手術を行う際に写真を使って選択をするが、ほとんどがオーダーメイドだという。

「候補者の目は目頭切開が行われている。これで目は大きくなり、明るくなる。顎はメソセラピー(脂肪溶解注射)の施術を受けている。唇も注射している」と語った。

王医師によると、写真を見た限り、これらのミスコリアの候補者の鼻はすべて同じカテゴリーで、小型で幅広の鷹釣型(西洋人のような、鼻梁部分が少し盛り上がり、鼻先が少し下向き)を選択している。

「整形手術をしないと、このような効果は出ない。注射では無理」。また輪郭も多くの人が卵型と瓜実型に手術をしており、下あごの脂肪吸引を行っている。

このほかにも、何人かが髪の生え際のラインも処理している。こうすると、額が見たところ、より豊かになる。

画像処理などで修正している可能性もあるため、完全には判断できないが、韓国では「整形を4、5回行うことは一般的なことだ」という。


審美眼は「平均顔」の影響を受けている

 どちらにしても、これらのミスコリアの候補者たちの「美」に対する認識がこれほど一致していることに驚かされる。

科学技術に興味を持つ都市青年向けの交流サイト「果殻網」の専門職員によると、整形といった要素のほかに、人々が「平均顔」をより美しいと思う審美眼にも一因があるのではないかと指摘する。

中国の新世代4大女優と言われる楊穎(アンジェラ・ベイビー)や劉詩詩(リウ・シーシー)、楊●(ヤン・ミー)、倪◆(ニー・ニー)の顔立ちもどこか似通っている。

これは恐らく程度の違いこそあれ、4人の顔立ちが「平均顔」であることが要因だ。

科学松鼠会の研究によると、異なる性別と文化では、魅力的な顔立ちの基準はたいてい似通っており

一定数量の一般人の顔の特徴を、測量データに基づいて平均値を割り出し、コンピューター技術を使ってその平均値に基づく顔を合成すると、非常に魅力的な顔に変わる。

これに基づいて、「平均顔」という仮設が立てられたという。しかし、異なる種族・文化の人は、美に対する判断基準に差がある。このため各地域の審美眼や各自の「平均顔」も異なる。

 「審美眼というものは、基本的に主観的なものだ。しかし、どうしても比較しなければいけない場合や、コンテストでは、まずは統一した判断基準をつくるしかない。

それによって選別された最後の候補者は皆同じになってしまう」とあるネットユーザーは分析している。(編集MZ)

 「人民網日本語版」 2013年4月27日

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