大通りを左に折れて細い路地を何度か曲がったところに、さっき頭にちらついた赤いネオンがあった。
「あなた先に入って」 そこまでは躊躇なく歩いてきた十一番さんだが、ホテルの前まで来ると、そう言って道夫の肩をおした。
中年の女の人に案内されたのは通路に入って三つ目の部屋だった。
さほど立派な部屋ではなかったが、奥にあるバスルームは周りが透明のガラスでおおわれており、中が透きとおって見えるのが、道夫の目に生々しく映った。
「ねえお風呂はいるでしょう?」 「はい。でもお先にどうぞ」
透明のガラスを見て、別に下心をおこした訳ではなかったが、敬意を表すつもりでそう答えた。
「あら、一緒じゃいやなの?」 そう言って彼女はあやしげな表情で道夫の顔をのぞき込んだ。 まったく中年女性ってすごいもんだ。この大胆さ、この積極性。僕なんかの青二才ではとうてい太刀打ちできそうにないな。
その透きとおったガラスの風呂の中で、モジモジ、ドキドキしながらも、十一番さんと向き合って湯船につかっていた。すぐ前には彼女の豊満な両の乳房があり、目のやり場に困ってしまい、仕方なく上を向いて天井のほうを眺めていた。
まだ時間のことが頭にあった。 風呂から上がるとあと一時間半くらいしかない。
帰る支度に十五分、だとすると正味一時間と十五分か。
湯船を出て、「洗ってあげましょうか」という十一番さんをふり切って先に出た。
恥ずかしいという気持ちばかりではなく、時間が惜しいという気が強かったからだ。
そんな道夫の気持ちを知ってか知らずか、十一番さんはずいぶん丹念に体を洗っており、やっと出てきたのはそれから十五分もたってからだった。
ベッドの中で待っていた道夫の中心部の血は、もうどうしようもないほどたぎりたっていた。
だから、彼女がベッドに入ってきて、肩を抱いてキスしただけで、もう爆発してしまいそうになっていた。
この前の、二度目の時のように乳房を吸ったり顔を下方にうずめたりする余裕はまったくなく、いっときも早くいっきに分身を彼女の中に埋没させてしまいたかった。
道夫が「いいですか?」と聞いたとき、十一番さんは「あせらないの」と言ったが、 そんな道夫を察したらしく、すぐ体を開いて応じてくれた。
めくるめく快感が脳天をついた。それでも踏みとどろうと努力した。 畳の目の数でも数えようと横を見たが暗くて何も見えなかった。
もう駄目だ。道夫は激しい勢いで果てたかとおもうと、彼女の上にドサッと全体重をかけて覆いかぶさっていた。
それから十分くらいたった時、耳元で十一番さんのハスキーな声がした。
「ねえ、もう一回できる?」 この前、彼女のマンションで聞いたなつかしいあのセリフが再び耳元でささやかれた。
さっきからまだいくらもたっていないのに、この小気味いいセリフのせいか、道夫はみるみる回復してくるのを感じた。
そして、「はいできます」と、まるで小学生のような素直ないい返事をして、再び十一番さんに覆いかぶさっていった。
五月中旬の爽やかなその日の朝、仕事を終えて道夫が地下のロッカールームで私服に着替えているとき、そばをリーダーの森下さんが通りかかった。彼のロッカーは通路ひとつ向こうの壁ぎわにある。
「おやっ浜田君、いまお帰りかい?今日は日曜日だし学校ないんだろう。久しぶりに一緒に帰ろうか。お前このごろ遅刻もないし、感心だからビールでも一杯おごるよ」
朝からビールだなんて、森下さんもたいしたものだ。さすがはリーダーだと、変なところで感心しながら道夫は聞いた。
「ビールだなんて森下さん、こんなに朝早くからアルコール出す店あるんですか?しかも日曜日に」
「それがあるの。ついて来ればわかるよ」
二人は連れ立って外へ出た。 キラキラとした初夏の太陽が夜勤明けのよどんだ目にはことさらまぶしかった。
「新地の近くだよ」 森下はそう言って先に立ち、堂島の方へ向かってスタスタと歩き始めた。
新地か、そう遠くはないな。 普段だと仕事が終わると、すぐ喫茶店へ行ってしばらく休息をとる習慣のついていた道夫だけに、できたら早くどこかへいって座りたかった。 でも新地だとここから近いと、少し気をよくして、やや速足で前を歩く森下に追いついて並んで歩いた。
五分ほどで着いたその店の軒先には〈お好み焼きいろは〉という看板がかかっていた。
「お好み焼き屋さんですか。でももうやってるんですか?」
「あれっ、おまえ初めてだったかなあ、みんなとときどき来るんだ。ここへは」
「ええ、僕いつもは十時から英語学校なもんで、誘われても行けないことが多いんです」
「ああそうだったな。この店なあ、営業は十一時からなんだけど、ここの主人、昔うちのホテルで働いていたんだ。それで我々には特別のはからいで、九時になったら入れてくれるんだ」
「へえ、そうなんですか」と、こんな溜まり場を確保している森下さんを、今度はまともに感心しながら、お好み焼き屋にしてはたいそうこぎれいな玄関を入っていった。
森下さんの 「まいど」というずいぶん親しげな挨拶に、奥から中年でやや小太りの男性が新聞を片手にひょっこり顔を見せた。
「やあモリさん、いらっしゃい。いまお帰りで」 その人は森下さんのことをモリさんなどと呼んでいて、そのしゃべり方からしてもずいぶん親しげだった。
「そうなんですよ。なにぶん太陽が東から上がったばかりの今ごろ終わる因果な商売でして」 森下さんは日頃聞いたことのないくだけた口調でそう言いながら何故か道夫を振り返ってニコッと笑った。
「谷さん、これ、うちで二年目の浜田君。以後お見知りおきを」
「へえ二年目、じゃあ歳は二十そこそこか、モリさんに比べりゃだいぶん若いんだ。おもしろいかい、仕事は?」 「ええまあ、少し眠たいことをのぞけば、まずまず」
道夫は胸のうちを正直にこたえた。
「眠たいねえ、職種がナイトボーイじゃあ、それも仕方ないなあ。でもいいじゃないの。少しは眠れるらしいし、それにまだ若いんだし、夜の仕事だといろんな人間の裏側なんかもよく見えて、大いに社会勉強になるだろう?」
「そうなんです。それはもうなりすぎるぐらいで」と答えて、続けて「この前の、夜の巡回のときなんか・・・」と、あの女のすすり泣きのような声のことを言おうとした。でも次の瞬間、口に出すのが恥ずかしい気がして、そのまま口ごもってしまっていた。
「さあ浜田、すわったすわった。話はそれからにしようや」
森下はカウンターの隅のほうに腰かけると、となりの椅子をさして道夫を促した。
「谷さん、とりあえずビール二本、あては適当に」
谷さんはビールを運んできた後、目の前の鉄板でイカとか肉とか野菜類をいっぱい焼いて、それを大きなお皿に盛って出してくれた。その後 「じゃあモリさん、俺これから仕込みがあるもんで失礼するよ。ごゆっくり」と言って奥のほうへ引っ込んでいった。
つづく
次回(最終回) 10月9日(木)