遠藤周作のエッセイに「修学旅行」という作品があって、その中で彼は中学生の修学旅行プログラムの定型になっている「寺院見学」に強く反対していますが、私個人としてもこの意見には全面的に賛成です。
すこし古いエッセイですが、実態は今もそれほど変わっていないのではないでしょうか。
以下はその全文です。
修学旅行
「日本修学旅行協会」(社会事業会館内)から発行している「修学旅行」172号を見ていると、一昨年五月の教育長協議会で締結した修学旅行改善案の大要が書かれてあった。教育専門家ではない筆者などは、平生から中学生の修学旅行をやめて遊覧旅行にせよ、と思っている。自分の悪童時代の思い出では、修学旅行の時、先生に引率されて京都や奈良の文化財を見せられても、何が何だかわからず、ただ宿屋に戻って騒ぎたいという気持ちしかなかった。
今の中学生は我々とは違うとも言えるが、しかし、やはり同じらしく京都や奈良の寺院や庭で連中に会うと、カメラをバチバチうつしあっているか、ワイワイ騒いでいる点では今も昔も変わりないようだ。彼らの騒がしさのために静かにこれを鑑賞しようとする大人たちがかなり迷惑しているのも事実だ。京都の龍安寺では、そのため中学生以下の修学旅行の見学を断っている。
だが教育長協議会の修学旅行改善案を見ると、やはり文化財の理解が修学旅行の目的の大きな柱の一つになっている。全部の中学生に古美術が理解しえるとは筆者には思えない。
それより修学旅行を廃止して彼らを海か山につれて行きキャンプでもさせて、存分に遊ばせてやったらどうだろう。無理をして古い寺に行かせ、他の鑑賞者に迷惑をかけさせるよりは、この方がはるかに自他共栄という感じがする。少なくとも修学旅行で寺院につれていくなら彼らを静かにさせ、まわりに迷惑をかけぬ規律を教えてからにしてほしい。
出典:遠藤周作「フランスの街の夜」河出書房新社