2025年11月8日土曜日

神戸三宮 オシャレなSanticaにこんな店がある

  

   神戸三宮サンチカ 今八商店



神戸三宮 変わりゆく地下ショッピングアーケード

サンチカ(Santica)は神戸にある地下ショッピングアーケードですが誰もが認めるのはオシャレで垢抜けたイメージです。

それを求めて若者を中心に多くの人々が集まるのです。

ところが近年そのイメージに一部で変化が現れてきたことにお気づきでしょうか。

写真上はれっきとしたサンチカにある店舗ですが回りの店舗に比べるとどこか違うようです。

そうなのです。この店舗はここサンチカには珍しい主に野菜を扱う八百屋なのです。

八百屋といえば大根やキャベツなどの生鮮野菜を陳列台に所狭しと並べて販売するいわゆる庶民的イメージが頭に浮かび、これまでのサンチカのようなオシャレなイメージとは異質のように思われます。

でも、ご覧になったらお分かりのように、店内には五層にも及ぶボックス型の陳列ケースに商品が整然と並べられており、何とかして周囲の雰囲気に近づこうとしている努力が伺えるではありませんか。

ますます競争が激化する地下ショッピングアーケードにあっては、今や生き残りのためにはテナントの業態を選んでいる時代ではないのかもしれません。



  Santica




2025年11月6日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈4〉直線コースは長かった(3)

  

adobe stock

        


それから涼子さんは延々と話し続けた。


「二週間ほど前なんだけど、わたし、新聞広告見てある会社のアルバイトの面接に行ったの。その広告には〈アルバイト、当社会長の秘書、期間二ヶ月、給料面談〉って出ていたわ。会長秘書ってちょっと魅力的じゃない。


それに短期アルバイトというのも学生の私には都合がいいし。その会社、駅前のビルの六階にある輸入アパレルの商社なの。難しい筆記試験はなく、最初は四十年配の人事課長だという人の面接。


始まって十五分くらいは質問もありきたりで、好きな学科とか趣味だとか、家族についてとか聞かれたわ。それから応募動機なんか聞かれて、その次に原稿用紙二枚が渡され、作文書けって言われたの。題は〈わたしの男性観について〉っていうの。


一時間ほどかけてそれを書いて、三十分のお昼休みの後、またさっきの課長さんの面接。今度は。質問はあまりせず、仕事の内容について話しはじめたの。


『今回募集した短期間の会長秘書の仕事ですが、秘書といっても、主にその仕事は、海外出張に出向く当社の会長に同行して、主にその身辺の世話をしていただく仕事でして、いわゆるデスクワークではありません』

『へー、外国へ行けるんですか、それで行先はどちらなんですか?』


海外へいけると聞いて、わたし嬉しくなって、すぐそう聞いてみたわ」

「主に私どもの取引先のあるロンドン、パリ、ニューヨークです。最もニューヨークは昨秋行ったばかりなので、次の予定はロンドンとパリになっていますが」「ロンドンとパリですか。すてき!それで会長さんの身辺の世話と言われましたが具体的にはどんなことをするのですか?』


肝心なのは仕事の内容だと思って私がそう聞くと、課長さん答えたわ。『それについては、この後にある第二次面接で会長自身が説明します。第二次面接お受けになりますね』『ええ、もちろん』


その質問に、ここでやめる人っているのかしら、と少し妙に思いながら、私としては当然「受けます」と答えたわ。その日応募してきた人は、私を含めて全部で七名。でも会長さんの第二次面接の時には三人減って四人になっていたわ。あの三人どうしたのかしら? いずれも知的できれいな人たちだったのに、作文でも駄目だったのかしら? 


そう思いながら、わたし会長室の前の小さな部屋で面接の時間待ってたの。わたしの順番は四人中三番目。一人二十分ほどだと聞いてたので、四十分もそこで待たなければならないのよ。いやだなあ、とは思ったんだけど、でも実際はそんなに待たなくてもよかったわ。


最初は私より二〜三歳上に見える背のスラーと高い、どこかいいとこのお嬢さんふうの人が入っていったわ。でもその人、わずか五分ぐらいしかたたないのに、もう部屋を出てきたの、どうしたんだろう、ずいぶん早いようだけど、わたしチラッとそう思ったんだけど、自分の面接時間が早くなったことのほうに余計気がまわって、そのことについては深く考えなかったわ。


二番目の人はさっきの人のように五分では出てこなかったんだけど、十分少したった頃にやはり早く出てきたの。


 みんな早いなあ、まだ始まって十五分しかたっていないのに。

そう思っているとき、『今井涼子さん』って、私の名前が呼ばれたの。わたし、ドキドキする胸を抑えながらゆっくりと会長室へ入っていったわ。


さすがは会長室、正面に明るい大きな窓があり、その横の壁には高そうな絵がかかっており、その下のサイドテーブルにはこれまた高そうな置物があったわ。それにフロアに敷かれたじゅうたんは私のハイヒールの踵がほとんど隠れるほど厚いの。


入ったとき会長さんは窓を背にした大きなデスクの前で背の高いアームチェア―にどっしり腰かけてたわ。頭は白髪でやや小柄のようだったけど、顔の色はつやつやしていて目も光っており、いかにも精悍そうで、あとで聞いた年齢の六十九歳にはとても見えなかったわ。


「まあ座りなさい」と、すぐ前にある低い背もたれの椅子をさしてそう言ったのが会長さんの第一声。その声は低音だったけど、耳にビーンと響いてすごくとおりがいいの。


『なんだねえキミ、近ごろの若い娘さんは世間知らずが多いねえ』私が席に着くや否や、会長さんは私の顔と机の上の履歴書を交互に見ながらそう言うの。わたし意味がよくわからなかったので、ただ『えっ、ええ』とだけしか答えなかったわ。


『一番目と二番目の娘、ありゃあ駄目だ。まったく話が通じん。三人目のキミにはそうであってほしくないねえ」と会長さん。


『は、はい。それでお仕事の内容なんですけど』わたし、会長さんのよく響く迫力のある声におされたのと、前の二人がずいぶん早く帰ってしまったことの不安があいまって、入ってきたとき以上に胸をドキドキさせながら聞いてたわ』


『仕事の内容はねえ、人事課長からわたしと一緒に海外へ行くということは聞いたと思うが、今の質問はそこで何をするかということだね?』 


『は、はい』


『つまりだ。通訳は別に専門の者がいるからその方はやらなくていい。キミがするのはわたしの、身のまわりの世話だ。わたしは今年六十九歳になる。来年は七十歳。女房は二年前に死んで、今は独身。


お手伝いさんが一人いるが、歳をとっているのでセンスが悪い。したがって海外へ出かけていくときの服装の準備なんかはどうもね。それでまずキミには海外出張へ出かけるための支度をしてもらう。


今度のロンドン、パリは滞在が四週間にもなるので、身のまわりのものを揃えるだけでも大変なんだ。やはりこう言うことは女手でないとな。それから約二週間後にわたしと一緒にロンドン、パリに行ってもらう。もっとも、もう一人男性通訳が同行するがね』


つづく


次回 11月13日(木)


2025年11月3日月曜日

Webライター原稿料入金票のリアル(シリーズ1~4)の3


年金生活Webライターの告白 ネットで稼ぐのは楽でない(2)

シリーズ(1~4)




シリーズ(その3)


Webライターにタッチタイピングは必要不可欠


Webライターは記事執筆でいろいろな資料を目にしながらタイピングします。これで必要になるのがタッチタイピングです。


タッチタイピングとはキーボードを見ないでタイピングすることです。つまり参考資料を手元に置いて執筆する場合は、キーボードに目をやらずに資料に目を置いたまま行うのです。これだと資料からキーボードへ目を移し替える手間がいりませんからそれが時間短縮につながるのです。


これまでにも述べてきましたが、Webライターの報酬は1文字いくらで計算されます。ということは文字数が多いほど報酬は高くなるのです。決まった時間内に文字数を多く書くためにタイピングスピードの速さが求められます。その要求を可能にするのがタッチタイピングなのです。


これでお分かりのようにWebライターが仕事の生産性を上げるためにはタッチタイピングは必要不可欠な条件なのです。



リライト記事が盛んだった頃のWebライターは玉石混交


Webライター新人の私でもなんとか仕事にありつけたのですから、時期的に仕事がたくさんあったのじゃないでしょうか。その証拠の一つを上げると、リライト記事の募集がやたら多かったように思います。


リライトとは元の記事のテーマとか内容を損なわずに別の記事に書き直すことです。つまり趣旨は同じで表現を変えるのです。


方法は多様で、例えば主語と述語を入れ替えたり、単語を同義語の言葉に書き換えたり、フレーズを別の表現に直したり、などいろいろです。


これだと文章を一から書くより難易度が低くなりますから、たとえWebライター初心者でも対応しやすくなります。


ライター募集の広告などを見ていますと、時として「初心者でも書けます」という文面のキャッチコピーを見ることがありますが、そうしたものはたいていリライト記事の執筆を指しているようです。


プロ野球のDeNAもネットのアフィリエイト事業に参加していた


今のプロ野球チームとしてのDeNaしか知らない方は、こんなことを聞いても信じがたいかもしれませんが、一時事業の多角化をはかっていたDeNaは広告収入の獲得を目指してインターネットのアフィリエイトにも手を伸ばしていたのです。


なにしろ」DeNaという大企業がやることですからスケールも大きく、膨大な量の記事を扱っていたようで、それを調達する手段として大量のリライト記事を募集したのですが集まったものの中にはクオリティが低いものも少からず混じっていたのですが、それらを省くことなく採用したのが問題のもとだったのです。


つまり信憑性の低い劣悪記事が多い、と問題になったのです。これについては当時の新聞に深刻な社会問題として大きく報道されました。


詳しく書くと長くなりますので、詳細は下の記事を参照ください。


(参考記事)

起こるべきして起きたDeNAのまとめサイト問題(その1) ・ 粗製乱造?インターネット ウェブサイトの素人ライター

 

DeNAまとめサイト問題は起こるべきして起きた(その2) ・ そもそもの原因はリライト記事にあるのではないか?




(表9)

日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考



2015/04/13

〇〇〇〇

10,000

1,124,640

注文住宅

2015/05/15

〇〇〇〇

20,000

1,166,100


2015/06/11

〇〇〇〇

40,000

1,225,309



(表9)前の章でも書きましたが、新人Webライター時代に原稿料が一番高かった業種は1文字2円の注文住宅です。この表で注目したいのは3件の入金金額はすべて万単位でまとまっていることです。これについて説明しますと、最初の10,000円は2千文字5記事分、2番目は同じく10記事分、そして3番目が同20記事分で、すべて1文字2円の計算で入金されています。


(表10)

日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考


2015/12/02

〇〇〇〇

18,153

1,373,280

精神科医

2016/01/04

〇〇〇〇

22,658

1,395,938



シリーズ1で、「発注者には医師も含まれていた」と書いていますが、

これがその時の入金内容です。USBに保存している記事内容を調べてみたところ

記事内容は精神病(双極性障害、PTSD)などで、いろいろな資料を調べながら苦労して書いたことを今でもよく覚えています。



(表11)

日付

会社名(相手先)

金額

累計

備考


2016/01/08

〇〇〇〇

12,800

1,408,738

ビジネスホテル

2016/02/08

〇〇〇〇

49,600

1,458,338

"

2016/03/08

〇〇〇〇

46,400

1,504,738

"

2016/04/08

〇〇〇〇

38,400

1,543,138

"


(表11)職務経験豊富な得意分野のホテルに関する記事です。文字単価は1文字1円でしたが、ワードプレスへ直接入力による納品というのが初めての経験で少し厄介でした。とはいえ、Webライター新人の私にすると高単価の注文で、そのうえ毎月発注があり、量的にもまとまっていて不足はなく、しばらくの間当方の懐を大いに潤してくれました。ちなみにこの表の2016/1〜2016/4の4か月間だけでも入金額は15万円弱に及んでいます。


2025年11月1日土曜日

小説家も大変だ 登場人物が言うことを聞かず作品が前に進まない

 


山本周五郎  日記で作品の登場人物たちとの闘いを切々と綴っている


山本周五郎といえば知る人ぞ知る多作の小説家で、例えば新潮社だけで200点もの作品を発表しているのだ。


そんな多くの作品を残した彼だけに、たいていの読者は「これだけたくさんの作品を書いてきた彼のこと、きっとどんな作品もスラスラと楽に書き進めているに違いない」と思っているのではないだろうか。


ところが、それは大間違いで、下の日記に書いているように、執筆は苦労の連続なのだ。その苦労も筆が進まないだけでなく、作中の登場人物との闘いがしばしば起こるのだ。


そんな様子を多少のユーモアを交えながら切々とつづっているのが下の日記である。



×月×日

この数日、仕事が少しも進まない。作中の人物がみんなそっぽを向いてしまい、テコでも動かないばかりか私に反抗しようとしているのである。原稿の終わりでは冲也という主人公が「ーーーだらしがないぞ、きさまはまた人の助けによって窮地を脱した、自分でやったんじゃないぞ」と自責しているのだが、いまその主人公は私からそっぽを向き、「俺はそんなことは言わないぞ」とうそぶきたがっている。「そんなことを言うもんか、まっぴらだ」とも言いたそうなのである。ほかの登場人物も同様に、みんなそらを使って、よそ見をして、作者である私にさっぱり寄り付かない。与六という馬子がいるのだが、いっぱし偉ぶってつんとしているのである。よし、そうしていろ、きさまたちなんか一人残らずかき消してやることもできるんだぞ、と威してみるが、私が原稿料を欲しがっているのを彼らは知っているので、そんな威しには決して乗らない。癪に障るがそっとしておいて、かれらの気の変わるのを待つより致し方がないのである。こんなときは仕事机へ近づかないに限る。この日記はほかの立机で書いているので、仕事机のほうへは眼も向けてやらない。結局のところ、かれらのほうが折れて出ることは明白なのだから。明白なのだから。


出典:「暗がりの弁当」 山本周五郎 河出文庫



山本周五郎 プロフィール (1903-1967)山梨県生れ。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。1926年「須磨寺附近」が「文藝春秋」に掲載され、文壇出世作となった。『日本婦道記』が1943年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞。以後、「柳橋物語」「寝ぼけ署長」「栄花物語」「樅ノ木は残った」「赤ひげ診療譚」「五瓣の椿」「青べか物語」「虚空遍歴」「季節のない街」「さぶ」「ながい坂」と死の直前まで途切れなく傑作を発表し続けた。