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それから数時間後、あたふたとやって来た二人の話を午後一時までの二時間余りに渡って文夫は熱心に聞き入っていた。そして結論として言えることは、この二人が大阪の本部社員の間で広まっている、あのいかがわしい噂にあるようなことは断じて行っていないということだった。
二人が帰った後も、文夫はデスクに座ったままずっと考えていた。事務員の沢井多恵がお茶を運んできて、「塾長、お食事は?」と聞くまで、昼食時間がもうとっくに過ぎていることにさえ気がつかなかった。たいした空腹感もなかったのだが、彼女の言葉に促されて、文夫はとりあえず外へ出て、事務所から三軒先の〈喫茶・幸〉へ足を向けた。時計はもう一時半を指していた。
昼食時間を過ぎていたせいか、店内はガランとしていてウェイトレスが待ってましたとばかり「いらっしゃいませ」とすこぶる愛想のいい声を発しながら注文取りにやってきた。
こんな時間の食事じゃ、重たい物にすると夜の酒がまずくなるな。そう思ってサンドイッチとコーヒーを注文した。旨いともまずいとも思わないそのサンドイッチを無表情でほうばりながら文夫はまた考えた。
本部社員の浅井と木島か。あの二人が今回の噂を流した張本人たちなのか。木島はさておき、浅井ならやりそうなことだ。あの男はついこの前の八月の半ばまで本部のスーパーバイザーとして、この地区の担当者だったのだ。確か二年くらい前からだったろうか、月に一~二度こちらへやってきて、業務指導という形でいろいろこちらの講師たちと接触してきていた。彼のことに関しては浜岡くんや南くん、その他の講師たちもよくこぼしていた。
特に南三枝にそれが多く、彼がやってきて帰っていくたびに訴えていた。
「塾長、あの浅井さんていうひと、いったい何なんですか。来る度にわたしが担当している教室にやってきては、やれ時間効率が悪いたとか、やれ生徒の欠席が多いだとか、もう文句ばっかり言って。そのくせ、『じゃあどうすればいいのですか?』と反問すると、スーパーバイザーのクセに何ひとつ具体的な案を出さないのです。
それでいて『ねえ、仕事終わったらちょっと付き合わない、いい店があるんだ』とか言って、人を気安くに誘ったりして。もうこの一年間、そんなことばっかり。塾長、あの人何とかなりませんか。別の方と担当者を交代させるとかして。ついこの前なんかひどかったんですよ。最後のレッスンが終わる八時ごろ、またわたしの教室にやってきて、授業中なのにわたしを外に呼び出して『レッスンが終わるまで外で待ってるから』って言うんです。
わたし『終わったら用事があるし、そんなことしてもらったら困ります』と応えたんです。
でも彼、ずうずうしくも待合室のソファで一時間近くも待っていて、終わるや否や『飲みに行こう』と誘うんです。でもわたし断りました。以前一度だけ彼に付き合って居酒屋へ行って懲りたんです。だって彼の話ったら、もう会社や上司の悪口ばっかり。あんな話ばかり聞かされて、何がおもしろいのですか。おまけに酔ってくるとイヤラシイことも平気で言うんです。そのときも居酒屋を出た後で、彼が『もっと付き合え』としつこく誘うので、わたしはっきり言ったんです。
「わたし、あなたとは金輪際お付き合いする気はありません。スーパーバイザーと言う仕事にかこつけて、必要もないのにわたしの教室にやってくるのは止してください』と。
その言葉を聞いて、彼はすごく怒ったみたいで『そうか分かった。後で後悔するなよ』と、何か捨てゼリフのような言葉を吐いて去っていったんです。塾長、わたしはもうあの人に会うのがイヤです。
二ヶ月前に三枝はそう文夫に訴えていたのだ。
すると今回のことは三枝に対する浅井の復讐なのだろうか? 最後の一切れのサンドイッチを口に押し込み、冷えかけたコーヒーをすすりながら、文夫はそんなことも考えていた。
二時半に事務所へ戻ると沢井多恵から三件の電話があったことを伝えられた。でもどれもすぐに応答する必要のないものばかりだと思って、返事の電話はかけなかった。
普段だとそうでもないのだが、さっきから頭にはずっと浅井のことがこびりついていて、その他のことはすべて些事に思えていたのだ。
四時から始める九人の教室責任者への電話連絡にはまだ時間があった。やらねばならない事務処理は山ほどあったのだが、それにも手をつけず、タバコに火をつけると、最初に深く吸い込むと、天上に向かってフウッと煙を吹き出しながら椅子の背にグッと背中をもたせかけ、しきり本部社員の浅井忠夫について思いを巡らせていた。
浅井忠夫、年齢は今年三十一歳だったろうか。京都のK大の出身だと社長の小谷がいつか言っていた。 三年前にそれまで勤めていた印刷会社を辞めて、教育事業に関心があると言って、この真剣塾に新聞の求人広告を見て入ってきたのだとも聞いた。入社してから一年間は本部社員として傘下のフランチャイジーの指導に当たるスーパーバイザーとしての教育を施され、二年前から前任者に栗山に代わってこの地区の担当者になったのだ。
仕事はまんざらできなくもないのだが、いつも物事を正面からでなく斜めから眺めているような、いわばシニカルとでも言おうか、何ごとに対しても妙に理屈っぽく、おまけに人に対しては好戦的な態度で臨むことが多く、相手にする者のことごとくになんらかの敵愾心を抱いて接するような男なのだ。その上女性講師には、自分のスーパーバイザーという役職を振りかざし、それを利用して相手につけこみ、不埒な行動をとろうとすることがしばしばある。
南三枝に限らず、これまでそんな彼の行動を訴えてきた女性講師は何人もいたのだ。
それに彼に関しては、忘れもしないあの出来事もあるではないか。
あれはいつだったろう? そうだ、窓から見える歩道のイチョウの木が丸裸になり、時おり冷たい北風が吹いてきた頃の、この真剣塾の各教室に暖房の用意を整え終えた十一月の終わりの頃だった。 あと数日で師走に入るという十一月最後のあの土曜日、その月半ばに開校した、このH市の隣のT市の第二教室開設を祝して、塾長の文夫以下、講師十六名、それにこの地区担当の本部スーパーバイザーの浅井を含めた総勢十八名は駅前のシティホテルの宴会場でブッフェパーティを催したのであった。
新規の教室を開設する度に、それまでも何らかの形でそうした催しは行ってきていたが、その時はちょうど生徒数が五百名を突破した時でもあり、その記念という意味も含めて、それまでになく盛り上がったパーティだった。
でもせっかく盛り上がったそのパーティも、終わり近くになって男性講師の一部と本部社員の浅井のと間でちょっとした小競り合いが始まったせいで水を差されてしまったのだ。
H市の地区がここまで伸びたのは、塾長以下、講師が一丸となって努力した賜だと講師たちが主張するのに対して、浅井は「それは違う。本部の知名度とたゆまない宣伝活動があったからこそ、いまにH市地区の繁栄があるのだ」と、暗に講師たちの努力を否定するかのような口振りであったのだ。
普段はおとなしい浜岡もこの議論に加わっていて、「浅井さん、それは違いますよ。浅井さんを含めて本部の力もある程度は認めます。でもそれは全体の一~二割程度で、大部分は我々の日常活動、つまり商店をまわっての軒先を借りたポスター貼り、それに週に一度はやった講師全員による早朝の校門前のビラ配り、こうした地道な活動に負っているんですよ。本部、本部とあまり言わないで下さい」
彼にしては珍しいくらい興奮した面持ちで、そんなふうに言いながら浅井に詰め寄っていた。 そんな中で浅井はなおも反論を試みようとしていたが、何しろ多勢に無勢、思うように主張が通らず、くちおしさからか、その表情は次第に陰険なものに変わっていって、まだ催しの時間が三十分も残っているというのに、いきなり席を蹴って去っていってしまったのだ。
その夜の祝賀会はそんな後味の悪さを残して間もなく終わった。