山本周五郎 日記で作品の登場人物たちとの闘いを切々と綴っている
山本周五郎といえば知る人ぞ知る多作の小説家で、例えば新潮社だけで200点もの作品を発表しているのだ。
そんな多くの作品を残した彼だけに、たいていの読者は「これだけたくさんの作品を書いてきた彼のこと、きっとどんな作品もスラスラと楽に書き進めているに違いない」と思っているのではないだろうか。
ところが、それは大間違いで、下の日記に書いているように、執筆は苦労の連続なのだ。その苦労も筆が進まないだけでなく、作中の登場人物との闘いがしばしば起こるのだ。
そんな様子を多少のユーモアを交えながら切々とつづっているのが下の日記である。
×月×日
この数日、仕事が少しも進まない。作中の人物がみんなそっぽを向いてしまい、テコでも動かないばかりか私に反抗しようとしているのである。原稿の終わりでは冲也という主人公が「ーーーだらしがないぞ、きさまはまた人の助けによって窮地を脱した、自分でやったんじゃないぞ」と自責しているのだが、いまその主人公は私からそっぽを向き、「俺はそんなことは言わないぞ」とうそぶきたがっている。「そんなことを言うもんか、まっぴらだ」とも言いたそうなのである。ほかの登場人物も同様に、みんなそらを使って、よそ見をして、作者である私にさっぱり寄り付かない。与六という馬子がいるのだが、いっぱし偉ぶってつんとしているのである。よし、そうしていろ、きさまたちなんか一人残らずかき消してやることもできるんだぞ、と威してみるが、私が原稿料を欲しがっているのを彼らは知っているので、そんな威しには決して乗らない。癪に障るがそっとしておいて、かれらの気の変わるのを待つより致し方がないのである。こんなときは仕事机へ近づかないに限る。この日記はほかの立机で書いているので、仕事机のほうへは眼も向けてやらない。結局のところ、かれらのほうが折れて出ることは明白なのだから。明白なのだから。
出典:「暗がりの弁当」 山本周五郎 河出文庫