2018年4月27日金曜日

作家・浅田次郎はみやげに買ったキャビアの値段に驚いた・キャビアはなぜ高いのか?

旅先のロンドンで家族の土産にキャビアを買ったが


場所はロンドンヒースロー空港、作家・浅田次郎は家族へ土産を買う店を探して歩いていました。

飛行機の出発まであまり時間がないので少し焦っていましたが、しばらく歩いていると「キャビアハウス」という看板のかかった店がありました。

とっさに、おみやげはこれだ!と思い、店に入っていきました。

中にはいろいろな種類のキャビアがありましたが、買い物ではいつも上質のものしか選ばない著者は、インペリアルという最上級のキャビア250グラム入りを家族用に、50グラム入りを秘書用に購入しました。

支払いはクレジットカード払いにしましたが、急いでいたこともあって支払明細の確認を怠ってしまいました。

でもたいした額ではことはないだろうと、値段についてはそれほどを気にしていませんでした。

後日送られてきた請求書の金額に目を疑った


家族は大きな缶に入ったキャビアのおみやげに大喜びでした。

なにしろ250グラムという量ですから、食べがいがあり、毎日食べてもなかなか無くなりません。あまりの余裕に飼い猫にまでおすそ分けしたぐらいです。

しばらくしてキャビアハウスから請求書が送られてきました。

たいして気にもせずに開けてみたのですが、請求書に書かれている金額を見てびっくりすると同時に目を疑いました。

そこには、請求額千九十六ポンド、とあったのです。

これを日本円に直すと二十一万二千六百二十円にもなるではないですか。

一瞬一桁間違っているのではないかと思いました。でも、何度見ても金額欄には千九十六ポンドと書かれているのは確かです。

それでも納得できないので店に手紙を出して確認することにしました。

その後それほど間を置くことなく返事がきましたが、添えられていた価格表にはこうありました。

インペリアル250グラム缶・九百十二ポンド

50グラム缶・百八十四ポンド

合計・千九十六ポンド

請求金額は一桁の間違いでもなく、正確なものだったのです。

キャビアが高いものであるという認識が乏しく見栄を張って最上級のインペリアルを買ったことが悔やまれました。

でも編集者用に買おうと思った50グラム入り10缶が品切れで買えなかったことが不幸中の幸いだったとせめてもの慰めなりました。

とはいえ、こんなに高価な食べ物をいい気になって猫にまで与えたのにはになんとしても悔いが残りました。


キャビアの値段が高い理由は


世界三大珍味というのをお聞きになったことはあると思いますが、キャビアはトリュフ、フォアグラと並んだその中の一つです。

これら三つは、いずれも値段が高いことで知られています。

キャビアはチョウザメの卵です。天然のチョウザメは、とても稀少でめったに捕獲されない魚です。

でも養殖することが可能です。しかし、養殖には問題がたくさんあります。

その一つはチョウザメが成長した卵をみごもるまで、7年から10年もかかるのです。

そのため餌代がたくさんかかってしまいます。

さらに大人になるまでオスとメスの区別がつかないため、せっかく丹精こめて、餌代をかけて育てても、オスだったら卵を産みませんから無駄になってしまうのです。


値段が高い高級食材ランキング


ここまでご紹介したようにキャビアは食材としては最も値段が高いものの一つですが、キャビアに劣らず値段が高いものは他にもあります。

ここではそれらをランキングの形でご紹介することにします。

1位・金箔

100グラム=44万円

世界で最も高価な食材「金箔」です。高級な料理のトッピングなどでは使われることも多い金箔ですが、その薄さは1立方センチメートルの金から10平方メートルの金箔が作られるほどで、100グラム単価で考えれば納得の値段です。

金は王水以外の強酸とは反応しないので、胃酸などの消火液とも反応せず、体内に一切吸収されないまま排泄されます。金箔は味もなく吸収もされないと聞くと、何だかもったいなく思えてしまいます。



2位・アルマスキャビア

100グラム=30万円

キャビアもトリュフと同様、世界三大珍味に数えられる有名な高級食材です。その中でも金色に輝くアルマスキャビアは非常に高価で取引されています。

遺伝子異常による突然変異で色素をもたないオオチョウザメ(ベルーガ)からしか採取出来ず、キャビア自体が元々高級食材であるためその希少性から価格が跳ね上がっています。


3位・白トリュフ

100グラム=85千円

トリュフは世界三大珍味にも数えられる有名な高級食材なので、ご存じの方も多いかと思います。その中でもイタリアで採取される白トリュフはその希少性から非常に高価で取引されています。

トリュフ狩りには訓練された犬を用いることで知られています。過去に採取された重さ1.5キロの巨大な白トリュフは、オークションで約3600万円の値が付きました。

第4位・サフラン

100グラム=8万円

サフランという名前は聞いたことがある人も多いかと思います。サフランは香辛料や生薬として古くから利用されているアヤメ科の多年草です。
収率が極めて低く、わずか1グラムの香辛料を得るために160の花が必要になるため、非常に貴重で高価となるようです。


5位・熟成バルサミコ酢

100ml=25千円

バルサミコ酢といえばオリーブオイルと並んでイタリア料理には欠かせない調味料として知られており、今では日本でも広く一般家庭に普及しています。しかしそうしたバルサミコ酢は正確にはバルサミコ酢ではなく、風味などを似せた類似商品にあたるそうです。
トラディツィオナーレ(伝統的な)と呼ばれるバルサミコ酢は最低12年以上の熟成など細かな製法が法律で定められており、それらが守られているものだけがDOP(イタリアの原産地名称保護制度)の指定を受けることが出来ます。


第6位・ロバのチーズ


100グラム=15千円

チーズの原材料といえば一般的には牛やヒツジ、ヤギなどのミルクですが、セルビアで生産されているロバのチーズはそれらとは比べ物にならないほど高価です。

ロバのミルクは牛乳の約60倍のビタミンCが含まれるなど非常に栄養価が高いのですが、一頭から一日に2デシリットルしか取れないとも言われています。

第7位・コピ・ルア

100グラム=8千円

コピ・ルアクはインドネシアやフィリピンなどで採取される、非常に高価なコーヒー豆です。
ジャコウネコの糞から採取される未消化のコーヒー豆ということで非常に産出量が少ないため高価となっています。
タイには同様に、コーヒー豆を食べさせたゾウの糞から採取されるブラック・ア


(値段が高い高級食材ランキング) : 出典・dora





        



2018年4月24日火曜日

読書は趣味と言うより勉強と言った方がよいのでは


8年前のブログに「読書を趣味と言っていいのか?」という記事を載せたが


もう8年も前になりますが、このブログを開始して間もない2010年に、「読書を趣味と言っていいのいか?」というタイトルの記事を書きました。

今回の記事はテーマとしてはこれに共通するところがありますが、わたしの生活信条として読書は重要な問題であることから、今回再びテーマとして取り上げることにしました。


読書を趣味と言う人がいるが


就職の際、履歴書の趣味の欄に読書と書いたり、人から趣味を問われたとき、読書と答える人は案外多いのではないでしょうか。

恐らく、そう書いたり答えたりする人たちは、読書を知的なことと考えており、趣味とすることにプライドを感じているに違いません。

でも、読書を趣味と言う人は案外継続していなかったり、総体的に読書量が少なかったりする場合が少なくないように見受けられます。これはいったいなぜなのでしょうか?

趣味と読書、いったいこの2者の相関関係はどうなのでしょうか。

これを考えるには、まず趣味の意味を正しく知ることが必要です。

そもそも趣味とは何なのでしょうか?

辞書で調べてみるとつぎのようになっています。


趣味とは


    専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。
    (例)趣味は魚釣りです

これで分かるように、趣味で大切な点は楽しみを伴っていることです。つまり時間のたつのも忘れるほどの楽しさがあるのが趣味なのです。ということは楽しくなければ趣味ではない、ということもできます。


趣味と勉強はどう違うのか


では趣味が楽しいものであるのに対して、勉強の方はどうでしょうか。はたして、こちらの方も趣味と同様に楽しいものと言えるでしょうか。

もちろん対象によっては楽しいものもあるかもしれません。しかし、勉強全般についていえば、決して楽しいものばかりでなく、継続するためには少なからずの困難が伴い、それに耐える力が必要になります。

この点が時間のたつのも忘れるほど楽しい趣味と大きく異なる点です。



なぜ読書を趣味と言わない方が良いのか?


上の説明で趣味と勉強の違いが分かったと思います。つまり趣味は楽しみであるのに対して勉強の方は必ずしもそうとは言えず、対象によっては継続して行うのには苦痛が伴うことです。

では読書を趣味とするとどうなるでしょうか。読書の本分である楽しさを追及するためには楽しい本ばかリ読まなければなりません。

楽しい本とは、つまり面白い本のことです。面白い本と言えば、一般的にはセンセーショナルな話題ばかり取り上げた雑誌、あるいはマンガや娯楽小説などが挙げられす。

でも本の分野は多岐に及んでおり、小説だけ取り上げてみても、文学小説、歴史小説、経済小説、科学小説、など豊富です。

とは言え、これらすべてのジャンルに興味を持つ人は少なく、たいていの人はこの中から自分が好むものだけを選んで読むことになります。

と言うことは、手元やまわりにこうした本がないときは読まないことになりますから、その分、読む本の量が減ってきます。そのためコンスタントな読書が続かなくなります。

こうなるのも趣味は気が向いた時にだけやればいいものと捉えているため、無理してやらなくても良いもの、という考えが根底にあるからです。


読書の目的を勉強にすれば義務が伴う


では読書を趣味ではなく、勉強とした場合はどうでしょうか。

趣味が気が向いた時だけやればいいものであるのに対して。勉強には義務感が伴います。つまり好むと好まざるにかかわらず、やらなければならないこと、という縛りがあるのです。

これは学校が行っても行かなくても良いものではないと言う考えに通じることです。

趣味のように気が向かなければやらなくても良い、のではないのです。

読書を勉強と捉えれば、空白期間をおくことなく絶えず新たな本のページをめくり続けなければいけない義務感が伴うのです。

その結果、間断のない継続した読書が行われることになるのです。


読書を趣味にすれば継続せず、勉強にすれば間断なく実行できる


ここまで読んでいただければ読書を趣味と言わずに勉強と言った方が良いと言う理由がお分かりになったのではないでしょうか。

大事な点ですからもう一度繰り返すことにします。

要点は次のようになります。読書を趣味にすれば、やりたい時だけやればいい、と言う考えが働き、読みたい本が身の回りにある時や、気が向いた時だけやればいい、と考えます。

そのため読書が継続的でなくなり、読書量も増えません。しかし、読書を勉強と考えれば、そこには実行への義務感が働きますから、読書が間断なく継続できるため読書量も増えるのです。

読書を趣味とするか勉強とするかは、その人の人生における読書の重要性の捉え方によって異なるのではないでしょうか。

つまり、読書の重要性に対する力点の置き方が強い人ほど、読書を趣味ではなく勉強である、と捉えているに違いありません。



2018年4月22日日曜日

タイトルがおもしろい! ・ 書評「君は嘘つきだから小説家にでもなればいい」浅田次郎著 小学館



浅田次郎のエッセイはどの作品もテーマが新鮮

この2ヶ月ほどの間に読んだ浅田次郎のエッセイ集は今回の作品を除くと、下の5冊になります。

つばさよつばさ (2007年発行、小学館)
・アイム・ファイン! (2010年発行、小学館)
かわいい自分には旅をさせよ(2013発行、文藝春秋)
パリわずらい 江戸わずらい 2014発行、小学館)
竜宮城と七夕さま 2017発行、小学館)


いずれも発行年月を付しましたが、これが作品の内容にも大きな影響を与えていることに気づきます。

小説家のエッセイは同じテーマを切り口を変えただけで複数回使うことが珍しくありません。

しかし、この作家は前の作品に一度用いたテーマは以後の作品に二度と使わないことを固く守り続けています。

そんなことをしなくても、エッセイの題材はふんだんにある、と普段から作品の中で豪語しています。

そう言えるのも、この人には人並み外れた読書によって得た豊富な知識があるからに違いありません。

なにしろ、どんなことがあろうとも毎日必ず一冊は読み終えると固く決めており、月にすると30冊、年では360冊もの読書量をコンスタントにこなしているのです。

それによる情報の多さ故にどの作品でも新鮮なテーマで書き続けることができるのです。

いかに小説家とはいえ、これだけの読書量をこなしている人はいないのではないでしょうか。



発行年月によって作品の趣が微妙に異なる


上で発行年月が作品の内容に影響を与えていると書きましたがそれは次のような点です。

今回の作品「君は嘘つきだから小説家にでもなればいい」は2011年に出ていますから、6冊のうちでは3番めに古いものです。

ということは、手持ちのテーマがまだ潤沢な時期に書かれたこともあって、テーマとして優先順位の高いものを選んで書くことができます。

したがってこの作品には、優先して書くべき重要テーマと著者が位置づけているものが多く取り上げられているのです。

それが何かといえば、例えば「継続という実力」というタイトル(169ページ)で書いている小説家になるまでの日々の過ごし方です。

具体的に言えば、毎日がひたすら読む書くの連続であり、読むに当たっては、感銘を受けた箇所は音読し、その上原稿用紙に書き写す、ということを日常的に行っているのです。

そうしたたゆまぬ訓練が氏の小説家としての血と肉を形成しているのです。

また個々の作品が生まれたいきさつや時代背景なども事細かに書かれています。

それに加えて、この作品には後年の作品には見られないような、両親を始めとした家族のことを折に触れ書いています。

氏はこうすることによって自分の出自を明らかにしようとしたに違いありません。

また趣味として30年以上もやり続けている競馬のことに関しても多くのページを割いています。




エッセイのテーマは執筆直前に考えている?



息の長い人気作家ともなれば活動年数に応じてエッセイの作品数も多くなります。

ここで取り上げたのは浅田次郎の代表的な作品5冊ですが、この5冊で取り上げられているテーマは数にして200項目以上にも及びます。

ではこのおびただしい数のテーマはどのように作られているのでしょうか。

これらすべてのテーマは執筆前から予め決められているのでしょうか。

こう考えるのももっともですが、浅田次郎のような人気作家になると、日常はすこぶる多忙を極め、先で書くエッセイのタイトルを前もって用意しておくような暇があるとは思えません。

ということはエッセイの出版計画が決まった後で決められるに違いありません。

それも、全部のテーマを一度に決めるのではなく、執筆直前に一記事づつ決められているようです。でもそんなやり方が可能なのでしょうか。

もちろんすべての小説家にこうしたやり方ができるか、と言えば、決してそうではなく、抜群の読書量のおかげで、エッセイを書くための情報が豊富なこの著者ゆえのことなのです。

浅田次郎にはエッセイに書くためのアイデアは、いつでも次々と頭に浮かんでくるのです。




2018年4月18日水曜日

だから振り込め詐欺はなくならない ・ 振り込め詐欺 正当化の論理とは?

4750万円詐欺、90歳女性ほぼ全財産失う

読売新聞電子版 20180417

 東京都品川区の女性(90)が先月、警察官や長男を装ったグループに、現金4750万円をだまし取られていたことがわかった
 女性は一人暮らしで、ほぼ全財産を失ったという。警視庁品川署は詐欺事件として捜査している。
 品川署幹部によると、女性は3月7日、警察官を名乗る男から電話で家族の名前を聞かれた。その直後に長男を名乗る男から「カバンをなくした」と金を無心する電話があった。女性が「金庫の鍵が壊れていて開かない」と言うと、修理業者の連絡先を教えられた。
 修理業者が金庫を直した後、長男の会社の関係者を名乗って自宅を訪れた男に4000万円を渡した。その後、「もっとお金がないか」と要求され、再度、別の男に750万円を渡したという。


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詐欺師たちは振り込め詐欺を ≪今の社会にあってしかるべきもの≫正当化している


振り込め詐欺に対しては警察の取り締まりやコミュニティによる注意喚起活動が強化されているにもかかわらず、被害は一向になくなりません。

上の新聞記事のようについ最近の3月にも東京の90代の女性が振り込め詐欺に5000万円近くもの驚くべき大金ををだまし取られたことが報道されています。

でもいったいなぜ振り込め詐欺はなくならないのでしょうか。その理由の一つとして挙げられることに、詐欺師たちが「振り込め詐欺を正当化している」ことがあります。

つまり、犯罪性は認めながらも、今の社会にあるべきものとして、この行為を正当化しているのです。

正当化するとは「振り込め詐欺は今の社会にあってしかるべきもの」と、存在を肯定する考え方です。

振り込め詐欺がいつまでたってもなくならないのは、このような理論を携えた強力な組織を持つ詐欺集団によって営まれているからです。

なお振り込め詐欺は最近では特殊詐欺と呼ばれることが多くなっています。でも一般的には過去から長い間使われてきた降り込め詐欺という呼称の方ががイメージしやすく、実態を掴みやすいのではないでしょうか。

そうした観点から、この記事では一貫して振り込め詐欺を使うことにします。


詐欺師のリーダーは理論武装してプレイヤーを洗脳


振り込め詐欺がなくならないのは詐欺グループの組織が強固でしっかりしているからです。

しっかりした組織をつくるには優秀な人材が必要です。特に組織の末端で電話をかけるだけの、いわゆる「かけ子」と呼ばれるプレイヤーを育てるには強い指導力を持つ優秀なリーダーが必要です。

優秀なリーダーがいてこそモチベーションの高いプレイヤーが育つのです。

振り込め詐欺グループのリーダーの条件として第一に必要なのは、この仕事を正当化するための理論武装です。これなくしては部下を育てるどころか、仕事についてこさすことさえできません。

振り込め詐欺は反社会的なれっきとした犯罪です。この行為を「社会にあってしかるべきこと」として、その正当性を理論的にきっちり部下に説明でき、説得できてこそ完全に支配下に治めることができるのです。

プレイヤーたちを生まれ育った劣悪な環境による貧困が生み出した犯罪者とは言い切れません。中には親の愛を十分に受けた者もいれば、大学教育を受けた者さえいるのです。

このようなメンバーの教育指導が遂行できるのは、詐欺の世界の歴戦のつわものであることはもちろん、優れた頭脳の持ち主でなければなりません。

世間の嫌われ者になることを承知の上でこうした任務に就くのも、場合によっては数千万円にも及ぶ年収の魅力に誘われてのことなのです。

日の当たらない裏社会とはいえ、中にはこの世界にこんな人がと思われるほどの優秀な人材もいるのです。

こうしたリーダーの理路整然とまとめられた理論に基づいた説得により、プレイヤーたちは完璧に洗脳され、振り込め詐欺を正当な行為と思いこまされるのです。

かくして世間の批判や糾弾をものともしない、強力な詐欺グループが形成されるのです。


正当化によって末端のプレイヤーは老人を騙すことに罪の意識を持たなくなる


人は罪の意識にさいなまれるような犯罪性のあることには手を出さないのが普通です。

したがって当初はお金の魅力に負けて振り込め詐欺集団に入った者でも、結局は罪の意識に負けて脱退を考え始めます。

そうなると詐欺組織は早晩崩壊してしまいます。こうならないためにはメンバーに罪の意識を感じさせないことが必要になります。

そのために行われるのが正当化なのです。振り込め詐欺は実際には老人を騙してお金をとることが仕事です。

普通に考えればこれは悪事を働くことです。でもそう考えれば誰もこの仕事についてきません。

なんとしても罪の意識を持たせないことが大事になります。

そのために行われるのが正当化で、これによってプレイヤーを洗脳して罪の意識を取り去ってしまうのです。

欺す側の正当化の論理とは、「老人が所有する世の中の眠っている無益な資金を自分たちが活性化して有益なものに変えるやる」というものです。

これはひと昔前の豊田商事の海外先物取引詐欺の「世の中の眠っている資金をオレたちは活性化してやっている」という論理とまったく同じです。

このような正当化の考えがあるからこそ、プレイヤーはやめることなく、いつまでも悪の仕事の片棒を担ぐことができるのです。

振り込め詐欺がいつまでたってもなくならないのは、こうした正当化された理論に基づく高いモチベーションを維持した詐欺集団によって営まれているからです。


正当化がモチベーションの高い詐欺集団をつくる


振り込め詐欺の仕事を維持して絶え間なく成果を出すために必要なのは,なんといっても組織の高いモチベーションを維持することです。

振り込め詐欺がいつまでも続くのは、仕事が正当化されていることでメンバーのヤル気が育ちモチベーションが高まるからです。

それ故にいつまでも一定の成果を上げ続けることができるのです。

これこそがいつまでたっても振り込め詐欺がなくならない最大の要因なのです。