2018年4月24日火曜日

読書は趣味と言うより勉強と言った方がよいのでは


8年前のブログに「読書を趣味と言っていいのか?」という記事を載せたが


もう8年も前になりますが、このブログを開始して間もない2010年に、「読書を趣味と言っていいのいか?」というタイトルの記事を書きました。

今回の記事はテーマとしてはこれに共通するところがありますが、わたしの生活信条として読書は重要な問題であることから、今回再びテーマとして取り上げることにしました。


読書を趣味と言う人がいるが


就職の際、履歴書の趣味の欄に読書と書いたり、人から趣味を問われたとき、読書と答える人は案外多いのではないでしょうか。

恐らく、そう書いたり答えたりする人たちは、読書を知的なことと考えており、趣味とすることにプライドを感じているに違いません。

でも、読書を趣味と言う人は案外継続していなかったり、総体的に読書量が少なかったりする場合が少なくないように見受けられます。これはいったいなぜなのでしょうか?

趣味と読書、いったいこの2者の相関関係はどうなのでしょうか。

これを考えるには、まず趣味の意味を正しく知ることが必要です。

そもそも趣味とは何なのでしょうか?

辞書で調べてみるとつぎのようになっています。


趣味とは


    専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。
    (例)趣味は魚釣りです

これで分かるように、趣味で大切な点は楽しみを伴っていることです。つまり時間のたつのも忘れるほどの楽しさがあるのが趣味なのです。ということは楽しくなければ趣味ではない、ということもできます。


趣味と勉強はどう違うのか


では趣味が楽しいものであるのに対して、勉強の方はどうでしょうか。はたして、こちらの方も趣味と同様に楽しいものと言えるでしょうか。

もちろん対象によっては楽しいものもあるかもしれません。しかし、勉強全般についていえば、決して楽しいものばかりでなく、継続するためには少なからずの困難が伴い、それに耐える力が必要になります。

この点が時間のたつのも忘れるほど楽しい趣味と大きく異なる点です。



なぜ読書を趣味と言わない方が良いのか?


上の説明で趣味と勉強の違いが分かったと思います。つまり趣味は楽しみであるのに対して勉強の方は必ずしもそうとは言えず、対象によっては継続して行うのには苦痛が伴うことです。

では読書を趣味とするとどうなるでしょうか。読書の本分である楽しさを追及するためには楽しい本ばかリ読まなければなりません。

楽しい本とは、つまり面白い本のことです。面白い本と言えば、一般的にはセンセーショナルな話題ばかり取り上げた雑誌、あるいはマンガや娯楽小説などが挙げられす。

でも本の分野は多岐に及んでおり、小説だけ取り上げてみても、文学小説、歴史小説、経済小説、科学小説、など豊富です。

とは言え、これらすべてのジャンルに興味を持つ人は少なく、たいていの人はこの中から自分が好むものだけを選んで読むことになります。

と言うことは、手元やまわりにこうした本がないときは読まないことになりますから、その分、読む本の量が減ってきます。そのためコンスタントな読書が続かなくなります。

こうなるのも趣味は気が向いた時にだけやればいいものと捉えているため、無理してやらなくても良いもの、という考えが根底にあるからです。


読書の目的を勉強にすれば義務が伴う


では読書を趣味ではなく、勉強とした場合はどうでしょうか。

趣味が気が向いた時だけやればいいものであるのに対して。勉強には義務感が伴います。つまり好むと好まざるにかかわらず、やらなければならないこと、という縛りがあるのです。

これは学校が行っても行かなくても良いものではないと言う考えに通じることです。

趣味のように気が向かなければやらなくても良い、のではないのです。

読書を勉強と捉えれば、空白期間をおくことなく絶えず新たな本のページをめくり続けなければいけない義務感が伴うのです。

その結果、間断のない継続した読書が行われることになるのです。


読書を趣味にすれば継続せず、勉強にすれば間断なく実行できる


ここまで読んでいただければ読書を趣味と言わずに勉強と言った方が良いと言う理由がお分かりになったのではないでしょうか。

大事な点ですからもう一度繰り返すことにします。

要点は次のようになります。読書を趣味にすれば、やりたい時だけやればいい、と言う考えが働き、読みたい本が身の回りにある時や、気が向いた時だけやればいい、と考えます。

そのため読書が継続的でなくなり、読書量も増えません。しかし、読書を勉強と考えれば、そこには実行への義務感が働きますから、読書が間断なく継続できるため読書量も増えるのです。

読書を趣味とするか勉強とするかは、その人の人生における読書の重要性の捉え方によって異なるのではないでしょうか。

つまり、読書の重要性に対する力点の置き方が強い人ほど、読書を趣味ではなく勉強である、と捉えているに違いありません。



0 件のコメント: