浅田次郎のエッセイはどの作品もテーマが新鮮
この2ヶ月ほどの間に読んだ浅田次郎のエッセイ集は今回の作品を除くと、下の5冊になります。
・つばさよつばさ (2007年発行、小学館)
・アイム・ファイン! (2010年発行、小学館)
・かわいい自分には旅をさせよ(2013年発行、文藝春秋)
・パリわずらい
江戸わずらい (2014年発行、小学館)
・竜宮城と七夕さま (2017年発行、小学館)
いずれも発行年月を付しましたが、これが作品の内容にも大きな影響を与えていることに気づきます。
小説家のエッセイは同じテーマを切り口を変えただけで複数回使うことが珍しくありません。
しかし、この作家は前の作品に一度用いたテーマは以後の作品に二度と使わないことを固く守り続けています。
そんなことをしなくても、エッセイの題材はふんだんにある、と普段から作品の中で豪語しています。
そう言えるのも、この人には人並み外れた読書によって得た豊富な知識があるからに違いありません。
なにしろ、どんなことがあろうとも毎日必ず一冊は読み終えると固く決めており、月にすると30冊、年では360冊もの読書量をコンスタントにこなしているのです。
それによる情報の多さ故にどの作品でも新鮮なテーマで書き続けることができるのです。
いかに小説家とはいえ、これだけの読書量をこなしている人はいないのではないでしょうか。
発行年月によって作品の趣が微妙に異なる
上で発行年月が作品の内容に影響を与えていると書きましたがそれは次のような点です。
今回の作品「君は嘘つきだから小説家にでもなればいい」は2011年に出ていますから、6冊のうちでは3番めに古いものです。
ということは、手持ちのテーマがまだ潤沢な時期に書かれたこともあって、テーマとして優先順位の高いものを選んで書くことができます。
したがってこの作品には、優先して書くべき重要テーマと著者が位置づけているものが多く取り上げられているのです。
それが何かといえば、例えば「継続という実力」というタイトル(169ページ)で書いている小説家になるまでの日々の過ごし方です。
具体的に言えば、毎日がひたすら読む書くの連続であり、読むに当たっては、感銘を受けた箇所は音読し、その上原稿用紙に書き写す、ということを日常的に行っているのです。
具体的に言えば、毎日がひたすら読む書くの連続であり、読むに当たっては、感銘を受けた箇所は音読し、その上原稿用紙に書き写す、ということを日常的に行っているのです。
そうしたたゆまぬ訓練が氏の小説家としての血と肉を形成しているのです。
また個々の作品が生まれたいきさつや時代背景なども事細かに書かれています。
それに加えて、この作品には後年の作品には見られないような、両親を始めとした家族のことを折に触れ書いています。
氏はこうすることによって自分の出自を明らかにしようとしたに違いありません。
また趣味として30年以上もやり続けている競馬のことに関しても多くのページを割いています。
エッセイのテーマは執筆直前に考えている?
息の長い人気作家ともなれば活動年数に応じてエッセイの作品数も多くなります。
ここで取り上げたのは浅田次郎の代表的な作品5冊ですが、この5冊で取り上げられているテーマは数にして200項目以上にも及びます。
ではこのおびただしい数のテーマはどのように作られているのでしょうか。
これらすべてのテーマは執筆前から予め決められているのでしょうか。
こう考えるのももっともですが、浅田次郎のような人気作家になると、日常はすこぶる多忙を極め、先で書くエッセイのタイトルを前もって用意しておくような暇があるとは思えません。
ということはエッセイの出版計画が決まった後で決められるに違いありません。
それも、全部のテーマを一度に決めるのではなく、執筆直前に一記事づつ決められているようです。でもそんなやり方が可能なのでしょうか。
もちろんすべての小説家にこうしたやり方ができるか、と言えば、決してそうではなく、抜群の読書量のおかげで、エッセイを書くための情報が豊富なこの著者ゆえのことなのです。
浅田次郎にはエッセイに書くためのアイデアは、いつでも次々と頭に浮かんでくるのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿