好きな作家の顔は知らない方がいい
個人的なことですが、ある女流作家のエッセイ集を読んでいて、文章がとても気に入り、収められた作品の多くに魅了されました。
初めて読んだ作家であったため、どんな人なのかまったく知りません。
読み進めていくうちに次第に、「いったいどんなルックスの人なのだろう」と、この作家の容姿が知りたくなりました。
こんなとき便利なのがグーグル画像検索です。早速これを使って調べてみることにしました。さすがはグーグル!画面には瞬く間に10種類以上の写真が出てきました。
ワクワクしながら画面に目をやったのですが、期待に反してどの写真も魅力的とは言えず、結局失望しただけで終わりました。
その後この作家の作品は読む気が起こらないようになりました。顔を見たがゆえに作品に興味を失ったのです。
言うまでもなく、作品と顔のイメージにあまりにも大きなギャップを感じたからです。
言うまでもなく、作品と顔のイメージにあまりにも大きなギャップを感じたからです。
この経験で得た教訓は次のようなことです。
「作品が気に入っている作家の顔は知らない方がいい」
作家は面割れを恐れて公共交通機関を利用しない
売れっ子作家浅田次郎は、面割れするのが嫌で、外出の際は極力電車やバスは避けてマイカーを利用するようにしているそうです。
周りからすると作家という人間観察の必要な職業の人こそ公共交通機関の利用が役立つのでは、と思うのですが。
言うまでもなく、乗り物で移動中に周りの人を観察できるからです。
何かの本で読んだことがありますが、かの有名な社会派推理作家の松本清張はこんなことを言っています。
「電車の中で前に座った人を20~30分間観察すれば、本を1冊書くことができる」
少しオーバーな表現かもしれませんが、一流作家の観察力はかくも優れているのか、と、この一文を読んだときはいたく感心したものです。
話が少しそれましたが、多くの作家がこうした絶好の人間観察の機会をあえて捨ててまでも、公共交通機関を利用したくないと考えているのです。
作家はそれほど面割れに対するマイナスイメージが強いのです。要するに面割れすることは作品の売り上げにプラスにならないと考えてるのです
あの女流作家はなぜテレビCMに出ているのか?
比較的売れていると言ってもいいある中堅の女流作家のテレビCMを最近しばしば目にします。CMとしては珍しい寝具の一つである枕を宣伝するものです。
このCMで初めて知ったのですが、この作家のルックスは庶民的な人なつっこさを感じるもののお世辞にも美人とは言えません。
作風から凛とした知的な容貌を想像していた当方としてはいささか期待外れです。
でもこの人はなぜテレビのCMに出るのでしょうか。テレビの視聴率が1%100万人ということを知った上でのことなのでしょうか。
1%が100万人にもなると、おびただしいほど多くの人々が彼女の容貌を目に焼き付け、作品に触れるたびにルックスを思い浮かべます。
その結果作品のマイナス評価に繋がることは明らかです。
CM出演に、このデメリットを上回るほど大きなメリットがあるとは思えません。
まさか収入だけが目当てだとは考えられませんが、こんな犠牲を払ってまで、なぜCMに出るのか理解できません。
テレビに出演する作家が多くなったが
お笑い芸人から作家になった又吉直樹の影響があるのかもしれませんが、ことのところテレビ番組へ出演する作家が目立ちます。
良く目立つ人を上げると、羽田圭介、湊かなえ、角田光代などです。
言葉を選ぶのが上手な作家だけに番組での発言内容にはそれなりに魅力的なものもあります。
でも作家の本領はあくまで作品で発揮されるべきですから、こうしたテレビ番組でのたび重なる発言はあまり感心できません。
なぜならルックスも含めてテレビでの印象が少なからずイメージ形成に影響するからです。
そのイメージは必ずしも作品と一致するとはいえず、逆にそれに逆らう場合もあるかもせれません。
古い考えかもしれませんが、作家に対しては常にある種の神秘性を抱いていたいと思っています。読者がルックスを目にしたせいで、それが崩れることは悲劇です。
0 件のコメント:
コメントを投稿