2019年10月29日火曜日

8050問題・中高年のひきこもりが大きな社会問題になっているが

 
ネット映画で見た中年のひきこもりが恐ろしすぎる
 
ネットで見た映画(闇金ドッグス)にとても怖い中年の引きこもりが登場していました。

その引きこもりは40歳ぐらいになった頃、やっと外へ出るようになったのですが、行き先といえば、地下アイドルが出演する劇場だけで、そこで贔屓にするアイドルを応援するために多額のお金を使うようになっていきます。
 
とはいえ自分には何の稼ぎもないために頼りにするのは同居する母親の年金や貯金です。でもそれほど多くない貯金は次第に底をつき始め、ついに母親の生命保険を担保にしてヤミ金からお金を借ります。
 
ヤミ金は利息が10日に1割というひどいものですから、すぐ支払いに行き止まります。それなのにアイドルは次々お金の応援を要求してきます。男にとってはアイドル応援が生きがいのすべてなので断ることができません。
 
お金のやりくりに万策尽きた男はヤミ金経営者の指示に従って保険金詐欺に手を染めます。それは母親を列車事故に見せかけて殺すという恐ろしい計画ですが、考え直すことなくついに実行に移してしまうという実に怖い映画です。
 
映画だとはいえ、まんざら架空の出来事だとは思えません。現実でもどこかでこれと似たようなことが起こっているに違いありません。ひきこもりの行く末には、こんなに怖いことも待っていることもあるのかと思うと、この問題の深刻さを考えずにはいられません。
 
 
引きこもりは日本だけなのか?ドイツには引きこもりはいないというが
 
引きこもりは日本以外で韓国などでも見られるといいますが、欧米にはいないようで、特にドイツでは皆無だといいます。ドイツは子供が大人になると、家を出て親と別居するのは当たり前のことだそうです。
 
日ごろから親子共々別居ができるようになる日を待ちわびていると言います。日本のように大人になっても親と同居を続ける状態は想像することもできないようです。
 
したがって引きこもりが発生する余地はまったくないのです。日本に引きこもりが多いのは親子ともに考え方が甘いからです。
 
子供は家にいるとつい親を頼ってしまいます。それが高じて、知らず知らずのうちに深刻な引きこもりになっていくのです。つまり子が親に頼り、親が子をあまやかした結果がこうなのです。
 
 
日本の引きこもりをなくすには
 
これを防ぐには障害者などを除いて、子供が成人すると親と別居しなければならない(障害者など弱者を除く)と、法律でも定めたらいいのではないでしょうか。
 
それがムリなら、政府が一大キャンペーンを張ってでも、成人して親と同居することがいかに恥ずかしいことであるかを、人々に深く認識させることです。
 
なんとしても引きこもりやこれが元になって起こる8050問題を解消したいものです。
 

2019年10月25日金曜日

この秋じっくり味わいたい・オスカーワイルドの名言

 
オスカーワイルドの言葉「仮面は素面より多くを物語る」が気になった
 
作品社のエッセイ集「嘘」に出てきた渋沢龍彦のエッセイに「仮面は素面より多くを物語る」というフレーズがあり、それが妙に気になったのですが、これがオスカーワイルドの数々の名言を知るきっかけなりました。

オスカーワイルドはアイルランド出身ですが、youtubeでダブリン観光の動画を見ていると、市内のあちこちに彼の銅像が建っていますが、これからもこの国での人気ぶりがよくわかります。
 
今一度じっくり味わいたいオスカーワイルドの名語録
 
名言とされるオスカーワイルドの言葉は非常に多くありますが、その一部として下の言葉をご紹介します。いずれをとっても胸にぐさりと刺さる名言ばかりです。 
 
· 「男は人生を早く知りすぎるし、女は遅く知りすぎる」
 
· 「男は愛する女の最初の男になる事を願い、女は愛する男の最後の女になる事を願う」
 
· 「男の顔はその人の自伝であり、女の顔はその人の創作である」
 
· 「紳士とは決して知らずに人を傷つけない人である」
 
· 「流行とは、見るに堪えられないほど醜い外貌をしているので、六ヶ月ごとに変えなければならないのだ」
 
· 「不平や不満は人間にとっても、国、国家にとっても進歩の第一段階である」
 
· 「人間は不可能を信ずる事が出来るが、ありそうもない事を決して信ずることは出来ない」
 
· 「外見で人を判断しないのは愚か者である」
 
· 「ほとんどの人間は他人である。思考は誰かの意見、人生は物まね、そして情熱は引用である」
 
· 「うわさになるより悪いのは、うわさされないことだけである」
 
· 「ありふれた富は盗めるが真の富は盗めない。人の心の中にはだれにも奪えないとほうもなく尊いものがある」
 
· 「知る価値があることで人に教わることができるものはひとつもない」
 
· 「自分らしくあれ。ほかの人の席はすでに埋まっているのだから」
 
出典:ウィキペディア 
 
オスカーワイルドの名言ランキング、ナンバーワンは?
 
上に並べたのはオスカーワイルドの名言のほんの一部ですが、この中に彼のすべての名言の中から選ばれたランキング第一位の言葉が入っています。果たしてどの言葉なのでしょうか?あなたは予想できますか?
 
オスカーワイルドの名言、ランキングベスト5
 
マイナビウーマンが読者442名のアンケートをとった結果、ランキング上位5位までは次に通りです。 
 
1位 「外見で人を判断しないのは愚か者である」(21%)
 
2位 「経験とは、誰もが自分の過ちにつける名前のことだ」 (18.6%)
 
3位 「戦争では強者が弱者という奴隷を、平和では富者が貧者というトレイを作る」 (18.3%)
 
4位 「生きるとは、この世で一番まれなことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである」 (17.6%)
 
5位 「男は体躯づだから結婚する。女は物好きだから結婚する。そして双方とも失望する」 (16.3% )
 
☆第一位を押した人たちのコメント
 
・「口では内面重視と言っていても、実際には外見が悪いと敬遠する」(31歳男性/技術職)
 
・「外見は内にあるものの象徴だと思う。しゃべっても面白くなかったり、性格が合わない人は顔も好きになれない」(27歳女性/アパレル)
 
・「外見も、内面の表れなので、納得です」(32歳女性/情報)
 
出典 Ameba ニュース
 
 
 
 

2019年10月21日月曜日

もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(2)

   
 MY PIANO TEACHER(出典:new crystal 2B.L5)   
                             Laurie Colwin  訳:大平庸夫

思春期は子どもから大人への過渡期であり、物事に対する新しい感覚が芽生え、また自分自身についても目覚めたり発見したりする時期である。それゆえに、親と子の争いがしばしば起こるのもこの時期なのだ。これから紹介するのは、思春期の少女と奥さんを亡くした1人の男性ピアノ教師にまつわる話である。ここで起こるのは、当然のことながら母親の強い干渉であるが、そのために揺れ動かされる少女の微妙な心のひだを著者は見事に描き出している。


 パーカー婦人が心臓発作で予期せぬ死をとげたのは去年の晩秋のことであった。

 わたしの両親はそのことを知ると、すぐお悔やみに出かけて行ったが、その二日後の正式なお悔やみにはわたしもつれていかれた。

小春日和の暖かい日であったが、その家はあちこちが閉ざされており風通しが悪かった。顔見知りの近所の人も何人か来ていた。

 パーカー氏の姉妹たちがソファーに腰掛けており、部屋の隅には教会から来た人たちが立っていた。入口のところで律法博士の息子がわたしをつまずかそうとして足を出してきたので、お返しにそれを蹴ってやった。

わたし達は思春期にありがちな、云わば ”恋しさ余って憎さ百倍”とでもいうような敵同士の仲であり、お互いがいつもそうした方法でしか自分のことを表現できず、それで精一杯相手の愛情をしめしたつもりになっていた。

 わたしは以前からパーカーさんの家がとても好きだった。それは一軒だけ残っていたビクトリア王朝風の建物で、まるでウエディングケーキのような形をしていた。

 居間は丸くなっており、どの壁も全部丸いカーブを描いていた。3階部分は塔になっていて、そのてっぺんには風見鶏がついていた。

 わたしはパーカーさんのピアノレッスンを水曜日の午後うけたいた。その日に限って彼が早く帰宅するからである。彼は決してわたしを叱ったり、懲らしめたりしなかった。

 最初の15分は準備練習に当ててくれ、その時はわたしの好きな曲を弾かせてくれた。

 その後、パーカーさんがその週の練習箇所を弾いてくれた。彼の演奏はとても正確だったが、時々夢を見ているような表情になることがあった。

 それからわたしが同じ箇所を弾き、最期は二人がパートごとに弾いていき、途中でパートを交換して何度も何度も繰り返した。

 夫人のお葬式が終わって数ヶ月たった頃、パーカーさんが私の両親に宛てた感謝の手紙をことずけた。両親は彼をしばしば夕食に招待していたので、たぶんそれに対するお礼だったのであろう。

その手紙には、しばらく中止していたピアノレッスンを次の水曜日から再開するとも書いていた。

わたしはまた放課後パーカーさんのところへ通い始め、すべてが元どおりになった。15分の準備練習、その後のパーカーさんの演奏、そしてわたしが繰り返して、すべてが前と同じであった。

 でもパーカーさんの髪の色だけは、以前の金髪から藁のような色に変わっていた。

 彼も、そして亡くなった奥さんも、かつては若々しさとか、みずみずしさを備えた時代があったに違いない、でも時の経過がそれらをすべて色あせさせてしまったのであろう。 

 彼は痩せていて、時としては寂しそうに見えたが、穏やかさの中にも元気さはじゅうぶんに持っていた。たいていはブルーのカーデガンを着ていて、縞模様のネクタイの上からきっちりとボタンをかけていた。


 ある日のレッスンの後、どこで見つけてきたのか、彼はコマドリの卵をわたしにくれた。

 窓のそばのバラの花束を通して要綱がキラキラかがやいているのを目にしてから、わたしは外へ出て家路についた。

 家に帰ったとき母は台所にいて、何か怒っているような表情でわたしを見た。

 「どこへ行ってたの?」いつもと違って、ぶっきらぼうな聞き方だった。
 「どこって、ピアノレッスンよ」
 「どのピアノレッスンなの?」
 「どのピアノレッスンかって、お母さんよく知っているでしょう、パーカーさんのところにきまっているじゃない」
 「おかしいわ、また始めるって、あなた私に何も言わなかったじゃない」
 「そんなこと言っても、水曜日にはいつもあそこでレッスンがあったでしょう」
 「私はね、奥さんが亡くなったいじょう、もうあそこではレッスン受けてほしくないのよ」

 母のその言葉には応えず、わたしはわざと大きな足音をたてて自分の部屋へ戻ると、いロビンの卵をとりだして、それを柔らかいソックスで包んだ。

 興奮したせいか、のどが渇いているのがよくわかった。

 「マーチンさんのところでいいでしょう」母がやり返してきた。

マーチンさんというのは、かつてのわたしのピアノ教師であるが、すごく太っていて、いつもベーコンのような匂いを漂わせている女性であった。

彼女のレパートリーはそれほど広くなく、どちらかといえば、10歳以下の子ども向きで、上級レベルのわたしに向かないのははっきりしていた。

「マーチンさんのところへなんか行かないわ、あんな子どもの行くとこ、わたしはもうとっくに卒業したのよ!」 わたしは叫び声でそう言った。

泣き出したい気持ちをごまかす為にフォークを乱暴にジャガイモに突き刺して、あんなとこへ行くくらいなら首を吊ったほうがましだわ」とつぶやいていた。

それからもパーカーさんのレッスンは続けたが、しばらくは何もいわれなかった。
でもレッスンが終わって家に帰ったときは、母も私も、お互いが冷ややかな目つきで接していた。

夜二人で夕食の後かたずけをしているとき、母はわたしにいろいろな質問を浴びせてきた。わたしの日常生活に関するそうした干渉は、わたしにとってイライラさせられるだけの他の何物でもなかった。母は朝の授業からはじまって、家に帰るまでの行動について系統立てて根掘り葉掘り聞いてきたが、彼女の厳しい尺度に当てはめれば、わたしのすることなど、すべてが正しくないに違いなかった。

いつもそうだったが、母は質問の最後になると、急に猫なで声になってわたしに聞いた。

「ねえ、それでパーカーさんは近頃どうなの?」
「元気よ」
「で、レッスンの方は進んでいるの?」
「進んでいるわ」
「奥さんが亡くなって、家の雰囲気はどうななの?」
「変わらないわ、パーカーさん最近子猫を買ったようよ」
「どんな子猫なの?」
「ピンクっぽい色をした子猫」
「パーカーさん、お酒飲むの?」
「いつもレモネード飲んでるわ」
「こんなこと聞くのは、彼が大変だと思うからなのよ。さぞ辛い毎日だと思うわ」

急に怒ったような口調で母が言った。

「わたしにはパーカーさんがそんなに大変だとは思えないわ。お母さんの勘違いよ」
「そうなのかしら」

母はそう言いながら丁寧にディッシュタオルをたたんでいた。

「ねえジェーン、正直に言うとねえ、私あなたを男1人のパーカーさんのところへ行かせたくないのよ。あなたに何か起こったら大変だと思って」
「なに言ってるのよお母さん。彼はわたしのピアノの先生なのよ。そんなことあるはずがないじゃない」

そう言うと急に涙が出てきて、逃げるようにして台所を出ると自分の部屋へ駆け込んだ。母もついてきて、わたしが涙を見られないように背を向けて座っていた机の反対側にあるベッドの縁に越をおろした。

「私はあなたのことを思うからこそ言っているのよ」
「もしわたしのことを思ってくれるのなら、どうしてピアノレッスンに行ってほしくないなんて言うのよ」
「ピアノレッスンがいけないなんて言ってないわ。私が言っているのは、あなたはもう子どもじゃないんだし。子どもにも大人にもそれぞれ特権があるわ。でもあなたは今その中間にあるのよ。難しい時期だと思うわ」

「お母さんなんか何もわかってないわ。ピアノレッスンに行かせたくなくてそう言ってるだけじゃない!」
「私はあなたを守ってあげようとしているのよ」母は立ち上がってそう言った。
「パーカーさんがもしあなたの体に触りでもしたら、あなたはいったいどうするのよ」

母は ”体に触る”などという、聴くだけでも身震いしそうなおぞましい言葉を使ってそう言ったのだ。

「お母さんはありそうにもないことを大げさに言っているだけだわ!」

わたしはそう言うと、今度はおおっぴらに泣きはじめた。

そこでわたしが母の胸に飛び込んで抱きついてさえいれば、ことは丸くおさまっていたかもしれない。でも、そうすることはわたしの敗北を意味するのである。そうはいかなかった。をれはわたしと母の戦いであったから。

「今日はこれまでにして、また次のときに話しましょう」そう言った母も、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

水曜日が来て、わたしは微かな期待と不安が入り混じった複雑な心境でパーカーさん宅の門をくぐった。でもすべてが普通どおりであった。最初の準備練習はひどいもので、そらで覚えていたいちばん簡単なパートでさえ間違える始末であった。

パーカーさんがその週の練習箇所を弾いてくれていたとき、わたしはなんとか彼のタッチを覚えようと努めていた。わたしが弾く番になると彼は床に上にメトロノームを置いてくれた。わたしは懸命に弾いた。そして正しく弾いているのが自分自身でよくわかった。

”わたしはすばらしい演奏ができるようになっている。レッスンに苦闘することもなしに”
弾き終えたとき、パーカーさんがそばに走り寄ってきてわたしの肩を抱いた。

「完璧だ!じつに完璧だ!君はついに成し遂げたよ!」彼は興奮気味に言った。
「教える者にとってこんなに嬉しいことはない!」
それから私たちは何曲課のパレストリーナのパテットを聴きながらレモネードを飲みクッキーを食べた。

外へ出たとき曇っていたせいかもう薄暗く、街灯が鈍いグリーンの光を放っていた。何かすごく恐ろしいような、でも反対にとても嬉しいような、そんな複雑な感情を抱きながら、わたしは帰り道をゆっくり歩いていた。

”わたしは大人のように立派に演じることができた。そして大人にも賞賛されたのだ。もう子どもじゃない!でも、大切でかけがえのない何かが私から離れていくような気がする”

途中で木の下に行って座ると、わたしはまるで赤ん坊のように大きな声を出して長い間泣いた。
やっぱりパーカーさんは私の体を触ったのだ!!

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もう一度読んでみたい・高校英語リーダー名作シリーズ(1)         
TALL TALES  ・ ほら話  
   
 From A Treasury of American Folklore (訳)大平庸夫
Url:http://tuneoo.blogspot.com/2014/04/tall-tale.html

2019年10月15日火曜日

人は無視されたりスルーされることを嫌がる動物である

 
人は人とつながって生きています。それだけに人との断絶を何より嫌がります。断絶の主たるものは拒否されたり、無視されたり、スルーされることです。これをされると人は大きな疎外感じ憂鬱な気持ちになります。

でも不思議なのは、好ましい相手だけでなく、好ましくない相手であっても同じ気持ちになることです。いったい何故なのでしょうか。 
 
たとえ街角の勧誘員からでも無視されたくない
 
繁華街を歩いているといろいろな勧誘員に会います。各種営業のセールスマン、宗教関係の勧誘員、いろいろな団体のアンケートや寄付金集めなどなど。
 
なかでも最近特に多く、街に出たときは必ずと言っていいほどで出会うのは乗馬クラブの会員募集と国境なき医師団とかという組織の寄付金集め、それにいろいろな店のティッシュ配りの人たちです。
 
こうした人たちにはどちらかといえば近づいてこられたり、声をかけられたりしたくありません。以前ならもらっていたティッシュも今はほしくありません。ですから、彼らの姿を目にしたときは、なるべく遠ざかるようにして歩いています。
 
でも、こちらから遠ざかるのはいいのですが、時として彼らのほうから遠ざかったり、避けられたりすると、オヤ、どうして自分には声をかけないのだろう、とちょっと変なイヤな気がするのは何故なのでしょう。
 
 
勧誘員でも無視されたり、遠ざけられたらイヤなのは何故なのか?
 
普段はこちらから遠ざけるはずの勧誘員なのですが、相手の方から遠ざかったり、無視されたりすると良い気がしないのです。

そうなのです。人は無視されたり、遠ざけられたりするのを最も嫌うのです。たとえ相手が歓迎できない人たちの場合でも、こちらから遠ざかるのはいいのですが、相手の方からそうされたくないのでです。
 
本当はホッとしていいはずなのに、「どうして自分には声をかけてくれないのだろう」というような不安な気持ちになるのです。
 
これっておかしなことですが、人はそれほどに無視されたりスルーされることを嫌う動物だからではないでしょうか。

2019年10月10日木曜日

老後2000万円は投資や保険営業マンの格好のセールストークになる

 

老後2000万円は誰が言い出したのか
 
老後資金については、今回の2000万円以前に3000万とか4000万など様々な憶測による金額が流れています。
 
いや憶測ではなく、何か良からぬ意図のもとに故意に流されているようにも思われます。発信元はおそらく金融や保険業者であるのは間違いありません。目的はいうまでもなく・・・
 
 
 老後2000万円話は金融営業マンにはおいしいセールストークに

 
郵便局の不正保険勧誘が世間を騒がせていますが、いったい勧誘に当たった営業マンはどんなトークを使って営業成績を伸ばしたのでしょうか。
 
想像するにお金のない老後生活の危機や不安をあおって相手の心理にうまくつけこんだに違いありません。
 
こうした不安心理を煽るには『老後2000万円』の話題は格好のセールストークになります。
 
なにしろ元は国が運営していた機関が言っていることですから、これ以上信頼できることはありません。
 
対象者の多くが判断力に疑問がある?高齢者が多いとなればなおさらです。
 
 
詐欺師たちは「待ってました」とばかり老後2000万円話を利用
 
世に盗人の種はつきまじ、とはよく言ったものですが、同じことは詐欺師にも言えます。よくもまあ、これだけ手を変え品を変え、次々と新手の詐欺が出てくるものだ、と感心するほど詐欺師の種は尽きることがないのです。
 
詐欺師が尽きないということは、騙されてカモになる相手も尽きないからです。それは詐欺師たちが絶えず新しい手法を生み出すからに違いありません。
 
詐欺手法の根幹を成すのは何と言ってもテーマとトークです。できるだけ新しいテーマを用意し、これまでとは違った新しいトークを使って相手を騙しにかかるのです。
 
これから先、そうしたテーマとトークに使われそうなのが、いま巷を賑わせている2000万円問題です。
 
つまり、「これから先の高齢者は2000万円なければ生きていけない」と政府が言ったからです。
 
これを詐欺師が利用しないはずがありません。なにしろ日本という国家が云ったお墨付きの話なのですから。これほど信頼できる話はないのです。
 
これからはいたるところで詐欺師たちが「2000万、2000万」と騒ぎ立て、怪しい儲け話を持ちかけてくるにちがいありません。
 
 
詐欺師のターゲット・2000万円持たない高齢者は80%も
 
2000万円の話をトークに使おうとしている詐欺師たちはまず相手探しから始めますが、ターゲットに困ることはありません。2000万円を持っていない人を探すだけでいいのですから。
 
そういう人たちは巷にあふれています。最近の調査によりますと、高齢真っ只中の70~80歳の人たちだけ見ても、2000万円の貯金をクリアーしているのは僅か18%前後しかいません。
 
ということは80%以上の人がまだ2000万以下しか持っていないのです。そうした高齢者たちの多くが、今回の2000万円問題を前にして、「早く2000万円を作らなければ」と、焦りに似た心理状態にあるに違いありません。
 
詐欺師たちはそこに付け込んでくるのです。「500万円が2000万円になる良い方法がありますよ」とかなんとかという「おいしそうなトーク」を使って・・・

2019年10月7日月曜日

今の世の中、債務を軽く見すぎてはいないか? :債務を履行しない人への警鐘か?  明石市が養育費未払者の名前公表を検討


 

明石市が養育費「泣き寝入り」救済条例を検討 市が支払いを命じ、従わない場合は氏名公表も

 兵庫県明石市は、ひとり親が離婚相手から養育費を受け取れず、「泣き寝入り」して子どもと困窮するのを防ぐため、市が離婚相手に養育費の支払いを命じ、従わない場合は氏名を公表する制度の検討を始めた。来年4月の条例施行を目指す。市によると、条例に基づきペナルティーで氏名を公表する制度は大阪市のヘイトスピーチ抑止条例などがあるが、養育費の不払いでは全国で初めてとなる。

 

 市は個人情報保護との整合性などを慎重に検討した上で、条例案を来年3月議会に提出したい考えだ。
出典・毎日新聞(2019年9月17日)
 
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債務を軽く見る風潮は1000兆円にも及ぶ国の莫大な借金が影響しているのでは?
 
親が子供のお手本であるように国家は国民の規範にならなければなりません。子は親の、国民は国の鏡なのです。
 
この考え方に沿えば、昨今のような、人々の債務を軽く見る風潮は国に影響を受けているかもしれません。
 
つまり、1000兆円ともいえる桁違いに巨額な債務(財政赤字)を抱えているにもかかわらず、返済(財政改革)についてなんら積極的な施策をとらず、まるで巨額赤字の存在すら忘れ去っているような国の無責任な態度に国民もいつのまにか感化されていっているのです。
 
国が債務をほったらかしているだから、国民だってそうしていいのではないか、という風に思っているのではないでしょうか。
 
そのために「借金は返済すべきもの」という当たり前の感覚が薄れてきているのです。そうした世の中に警鐘をならすために取られたのが、今回の明石市による養育費対策であるに違いありません。
 
 
英国では1800年代まで借金を払わない人は債務者監獄へ入れられた
 
イギリス文学の巨匠ディケンズの作品にリトルドリッドという大河小説があります。この作品には彼の家族のことが多く書かれていますが、特に父親については、よほど思い入れが強いからかのか、物語の中核をなすほどしばしば登場してきます。
 
実はその父親が債務者として収容されていたのが1800年代までロンドンに実在した債務者を収容するの牢獄です。
 
この牢獄は英語名でdebtors prison というように、れっきとした監獄です。そうなのです。イギリスではかつて、債務者を専門に留置する債務者監獄があったのです。
 
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債務者監獄とは
イギリスでは、1869年の債務者法(the Debtors Act)により、債務者の収監は廃止された。しかし、債務を支払う手段があるにもかかわらず、債務の支払いを怠るものは、まだ6週間の収監をすることができた。
債務者監獄は、監獄内で収監者に許容される自由の度合いにはかなりの開きがあった。ごく小額の債務であれば、債務者はある程度の自由を許された。ある収監者は、仕事の指図をしたり面会者を受け入れたりすることもできた。またあるものは、たとえばフリート監獄や王立法廷債務者監獄(King's Bench Prison)では短期であれば、監獄から外出も許された。これは、自由原則('Liberty of the Rules' )の名で呼ばれていたものである。フリート債務者監獄では、密かな情事を楽しむこともできた(いわゆる、フリート結婚)。
イングランドの作家チャールズ・ディケンズの父親はこうした監獄のひとつに収監され(マーシャルシー監獄)、彼の小説の中にはしばしばその記述が出てくる。又、18世紀イギリスで諷刺画画家で知られたウィリアム・ホガースの父親(リチャード・ホガース)も1707年頃にフリート監獄に収監された(1712年釈放される)。後に、「イギリス地質学の父」と称されたウィリアム・スミスが、総額300ポンド以上の借金返済の件でキングズベンチ監獄に1819611日収監されている[1]
 

著名なイギリスの債務者監獄

· コールドバス・フィールド債務者監獄(Coldbath Fields PrisonLondon)
· フリート債務者監獄(Fleet PrisonLondon)
· ギルトシュプール・ストリート破産監獄(Giltspur Street CompterLondon)
· 王立法廷監獄(King's Bench PrisonLondon)
· マーシャルシー債務者監獄(Marshalsea PrisonLondon)
· ポウルトリー破産監獄(Poultry CompterLondon)
· ウッドストリート破産監獄(Wood Street CounterLondon)
 
出典・ウィキペディア