2020年8月27日木曜日

「めんどくさい」に愛着が湧くのはなぜなのだろう


最近「めんどくさい」という言葉を耳にするとなんとなく親しみを感じる自分がいる。

でもなぜなのだろう。

[めんどくさい」はなにかをやろうと計画したり、実際にやろうとする場面で、「ああ、めんどくさ」とか「めんどくさいなあ」というふうに、無意識に出てくる言葉である。

でもこの言葉、はっきり言えば怠け心を誘い、怠惰につながるもので、いわば勤勉の敵である。

したがって決して褒められる言葉とは言えないのだ。にもかかわらず親しみと愛着を感じるのは歳のせいなのだろうか。


歳のせいで行動力が鈍くなったからなのか

つまり、年を経るごとに行動力と実行力が緩慢になり、何をやるのもめんどくさくなり、行動を猶予することが多くなっているからなのではないだろうか。

でもそうとばかりも言えないだろう、なぜなら、若い人でも「めんどくさい」と言っているのをよくから聴くからだ。

では歳のせいでないとすると、この言葉に好感を感じるからだろうか。つまりこの言葉の語感や響きが良くて好ましく感じるからなのだろうか。


めんどくさいの同義語

めんどくさいという言葉になぜ愛着を感じるのだろうか、と、理由を考えていると、これと同じような意味を持つ言葉が気になってきた。

めんどくさいに親しみを感じるなら他の同じような意味を持つ言葉に対しても同様の気持ちが湧くかどうか知りたいからだ。

ネットで調べてみると「めんどくさい」の同義語として次のような言葉が並んでいた。

 煩わしい 
やっかい 
うるさい


めんどくさい」への愛着は歳のせいではない

上の6つがめんどくさいの同義語として出てきたのだが、はっきりいってどの言葉も、めんどくさいに対するような愛着はわかない。

3番めの「おっくうだ」に少し心が動くが、めんどくさいほどではない。やはり好きなのはめんどくさいだけなのだ。

ということで、結局この言葉が好きな理由は「語感が良くて耳あたりが良いから」に落ち着いた。



【面倒臭いの語源・由来】

面倒の語源には、「ほめる」「感心する」などの意味を表す動詞「めでる」からとする説と、地方の幼児が人から物をもらった時に額に両手でさし上げて言う、「めったい」「めってい」「めんたい」など、感謝の言葉からとする説がある。 語源は未詳だが、どちらの説も感謝を表す言葉からとしている点で共通している。(語源由来辞典)

2020年8月22日土曜日

コロナ禍と猛暑の今年の夏は「まだ生きてる?」があいさつ言葉に


熱中症で高齢者が続々亡くなっているなか
40度の猛暑を生き残った?あなただからこそ

久しぶりに逢った知り合いから「まだ生きてたの?」などと、失礼とも冗談ともとれるあいさつ言葉をかけられることがある。

そんなときは何を失礼な、と、ちょっとムカっと腹立たしい思いがする。でもその後はすぐお互いが顔を見合わせて笑い飛ばしてしまう。

しかし、今年はこう言われても誰もムカッとしないのではなかろうか。なにしろコロナ禍の中での連日40度近い猛暑で

すでに東京だけでも150人近い人が熱中症で死んでいるからだ。全国ではおそらくこの数倍に及ぶだろう。

コロナ禍だけでなく、この猛暑で誰もが死の淵に立たされていて、死が他人事ではないと思えるのだ。

だから「まだ生きていたの?」と言われても腹が立たないのだ。


寝ている間にポックリ逝くのだから、考えようでは・・・・

熱中症では多くの人が自宅で寝ている間に亡くなっているという。

寝ている間に死ぬということは、苦しむこと無く知らない内に死んでしまうのだから、ポックリ病のようで、考えようでは楽な死に方ではないだろうか。

ただ聞こえはあまり良くない。たいていの人がエアコンを掛けない状態で死んでいるようだから、電気代をケチって死んだようで貧乏くさい。

それ故に死に方としては楽であっても、イメージがあまり良くない。


熱中症で死ぬのは貧乏人だけなのだろうか?

ところで、熱中症にかかるのはエアコンをつけないから、が最大の理由に挙げられている。

エアコンを付けない理由を考えてみると、まず体質的なエアコン嫌い、次は昔から電気代が高いというイメージを持っている高齢者は光熱費を節約するために、熱くても我慢してエアコンをかけないことが多い。

その我慢が度を越して、ついに熱中症で生命を奪われてしまうのだ。

ということは熱中症で死ぬのは電気代を心配する貧乏人だけなのだろうか。金持ちは電気代を気にしないから死ぬことはないのだろうか。

これについてはっきり分かる統計データはないのだろうか。「収入別熱中症死亡者数」とかなんとかの。

それはともかく、今日もまだ40度近い猛暑は続いているので、知り合いの高齢者の誰かに、「まだ生きてる?」とメールでもしてみようか。

2020年8月19日水曜日

わたしのブログ記事をグーグル翻訳してみると


いま海外からアクセスの多いこの記事をグーグル翻訳


今回グーグル翻訳してみたのは、このところ急に海外からのアクセスが伸びている下の記事です。

毎日数十件のアクセスがあり、もう何週間も週間アクセスランキングトップの地位を守っています。

なぜこれほど人気になったのは不明ですが、なんとなく気になるのは、この記事がどのように翻訳されて海外読者に紹介されているかです。

そこで記事をグーグル翻訳にかけて、その訳文の抜粋をご紹介することにしたのです。


(201281日水曜日)の記事

この"抜け目なさ"を見よ! ・ エスカレーターの「手すり広告」が増えてきた



エスカレーター利用者の記憶に残る媒体、手すり広告

  不況になれば広告が増えると言われるが、例外は屋外広告の分野ではないだろうか。 
私鉄の駅や地下鉄の駅の壁面やホーム上には多くの広告スペースが設けられている。

 だが、近年このスペースは概して空欄が多く、まともに広告が入っているものを目にすることが極めて少なくなってきた。

 これはおそらく「費用対効果」を考えた上で、多くのスポンサーがこの種の広告から撤退していることが原因であることは明らかである。

 でも屋外広告業界もこうした状況を、指をくわえて黙って見ているだけではない。
多くの人の目に必ず止まり、また実際手に触れることにより印象に残るユニークな媒体
 最近地下鉄や地下商店街のエスカレーターの手すりの上に広告が載りだしたのである。

 あの僅か10センチほどの狭い手すりに、びっしりと広告の図柄フィルムが貼られてているのである。

 私が目にしたのは地下鉄淀屋橋線梅田駅であったが、地下鉄に限らずいま繁華街のエスカレーターの手すりには次々と広告が出現している。

 でもこの広告、手をやる際に自然と目が行くこともあって、効果は高いのではないだろうか

 話題性もあり、今後屋外広告のエースへと成長していく可能性も秘めているのでは・・・。
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(google翻訳抜粋)
See this "flash"!The number of "handrail advertisements" on escalator has increased
Handrail advertisements, memorable media for escalator users
It is said that advertisements will increase in times of recession, but the exception is in the field of outdoor advertising. ‥
There are many advertising spaces on the walls and platforms of private railway stations and subway stations.
However, in recent years, this space generally has many blanks, and it is extremely rare to see what has proper advertisements.
 It is clear that this is probably because many sponsors have withdrawn from this type of advertising, considering "cost effectiveness".
However, the outdoor advertising industry isn't just watching the situation with their fingers.・・・
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2020年8月17日月曜日

私のブログに掲げたスローガンの意味を改めて考えてみた




幅広い世代に支持されるようなバランス感覚を保った意見を発表し続けていけたらいいなと思っています

上の45文字の文章がわたしのブログ「生涯現役日記」のスローガンです。

このスローガンのもとに続けてきたマイブログですが。今年6月で満10周年を迎えました。

2010年に始めたときは、まさか10年間も続くとは思ってはいませんでした。それに間もなく50万回を記録するPVも予想を大きく上回る数です。

これだけ長きの間継続でき、しかも予想を超える多くのアクセスを獲得できたのも、掲げたスローガンの精神を貫いてきたおかげと思っています。


スローガンに含まれた2つの大事なポイント

幅広い世代に支持される

はっきり言ってわたしは高齢者です。そもそもこのブログをスタートしたのが69歳のときですから、これは純然たる高齢者によるブログなのです。

でもこのブログは高齢者だけに支持されたら良いとは思っていません。それよりはむしろ、若者をはじめ、できるでけ幅広い年齢層に読んでもらいたいのです。

ですから当然のごとく同年輩の高齢者だけを意識して書いてはいません。

それはブログのテーマでもお分かりでしょうが、年代に偏ることなく、なるべく幅広い層から興味を持たれるテーマを選ぶように心がけています。

それによりスローガンの「幅広い世代に支持される」を実践しているのです。

バランス感覚を保った意見

偏見、先入観、偏った考え方、バイアスのかかった見かた、などで言い表されることはバランス感覚の取れたものとは言えません。

したがって世の中の多くの人々の支持を受けることはできません。つまり幅広い人々に支持されることはないのです。

ではこの反対はどうでしょう。偏るの反対は偏らないこと、つまりバランス感覚を保つことです。


スローガンを大事にしてきたからこそブログの生命が保たれた

何事に関わらず、物事をなすためには主願となるしっかりテーマが必要です。

建物に例えれば土台です。これがしっかりしていなければ堅牢で長持ちするものはできません。

私のブログでそれに当たるのがスローガンです。

読者に支持され長続きできるものにするためには、これがしっかりしていなければならないのです。

一貫性があってブレることのない、いわばブログの支柱になる精神です。

マイブログ「生涯現役日記」では、スローガンに掲げた「幅広い年代に支持される」と「「バランス感覚を保った意見」の主眼となる2点を頑なに守り通してきました。

それ故に満10周年とpv50万回が達成できたものと確信しています。

2020年8月12日水曜日

コロナ禍で小さな自粛警察やってみた


自粛警察とは
自粛警察とは、新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に基づく緊急事態宣言に伴う行政による外出や営業などの自粛要請に応じない個人や商店などに対して、偏った正義感や嫉妬心、不安感などから私的に取り締まりや攻撃を行う一般市民やその行為・風潮を指す俗語・インターネットスラングである。今回にコロナ禍では一気に脚光を浴びている。 (ウィキペディア)


コロナ禍での人々の高揚した気持ちが自粛警察の動機に

コロナ禍で自粛警察が話題になっています。ユーチューブでは「令和たけちゃん」というサイトが人気になっています。

自粛警察のモチベーションは正義感によって保たれるのでしょう.とはいえ、見ず知らずの他人に厳しい言葉を投げかけて注意するには勇気がいります。

自粛警察はおそらく世の中がコロナ禍に見舞われ人々の気持ちが普段より高揚しているが故に出現したに違いありません

とすればコロナ禍こそがそうした行動のモチベーション支えになっているのです。



小さな自粛警察やってみた
ショッピングモール休憩スペースで飲食する女子学生たちに

コロナ緊急事態宣言解除後の駅前ショッピングモールでのことです。

いつも行く2階の休憩スペースでのこと。10個ほどの分離型のサイコロソファが並べられているのですが、ここではいかなる飲食も禁止になっています。

コロナ禍で3密回避のため半分は使用禁止になっています。

ところがです。使用可能な5つのソファがすべて学生らしき若い女性グループに占拠されているではないですか。

それだけでなく、使用禁止のソファに上には飲み物と食べ物が所狭しと並べられているのです。

要するにこの休憩所全体がこの女子学生グループの専用状態になっているのです。

別に不良っぽくもなく、ごく普通の女学生たちです。

わたしはいつもここで休憩のひとときを読書に当てているのですが、この日は座るスペースがないのです。

困っているのはわたしだけなく周りの他の人達も利用できません。

うした場面に遭遇すると、誰だって「これはマズイ」と思い放ってはおけないでしょう


自粛警察を動かすのは正義感

誰にも少なからずの正義感があるはずです。でもそれを発揮するかどうかは別問題です。なぜなら正義感を発動させるには勇気がいるからです。

でもここでは勇気を出しました。コロナ禍の普通ではない気持ちの張りが後押ししてくれたのかもしれません。

わたしはその女子グループでいちばん幅を利かせているよう見えた女子のところへ行き「ここでものを食べちゃダメ」ということをゼスチャーで示しました。

食べる真似をしながら胸の前に腕で大きなばつ印を作って見せたのです。

すると意外にも、その女子学生は分かったと言うように大きく首を縦に振り、他の女性に支持してソファの食べ物を片付か始めたではありませんか。

一度の簡単な注意だけなのに、なんとものわかりの良い女子なのでしょう。

おそらく彼女たちは悪いと知りながら、恐る恐るやっていたに違いありません。

それにコロナ禍で、人に迷惑をかけてはいけないことを普段以上に気にしていたのではないでしょう

小さな自粛警察をもくろんだわたしの行動はあっけなく成功したのです。


他人に注意するのは勇気がいるが

今回はあっさり聞き入れてくれたのは意外でした。おそらく相手が良かったからでしょう。

それにしても他人に注意することは勇気の要ることです。なぜなら、下手に注意などすると、聞き入れられるどころか、逆に反撃されて手痛いしっぺ返しを食らうかもしれないからです。

にもかかわらず今自粛警察が脚光を浴びているのはコロナ禍のせいです。コロナの蔓延が人々を恐れさせており、普段より気が小さく臆病になっているのです。

それ故に人から注意されることに対して寛容になっているのです。

したがって少しぐらい人から注意されたぐらいでは腹を立てたり怒ったりしなくなっているのではないでしょうか

だからこそ、普段だと失礼極まりないとも思える態度で人に注意するという自粛警察が成り立つのです。


見て見ぬ振りする人ばかり

とはいえ、いかにコロナ禍の非常時だとはいえ、人に注意する人は極めて少数です。

大抵の人は今も見て見ぬ振りを決め込んでいます。

そのほうが差し障りがなく楽だからです。

だからこそ自粛警察が注目されるのです。

なぜなら大抵の人たちが嫌がって敬遠する勇気ある行動だからです。


見てて少しこわい、ユーチューブの自粛警察サイト

「令和のたけちゃん」というユーチューブの自粛警察サイトを見ました。

はっきり言って少し怖いと感じました。

想像したよりたけちゃんが人々に浴びせかける言葉が厳しくて鋭かったからです。

コロナ禍の最中の今パチンコ屋へ入る人たちに対して、注意するというより、口汚く罵っているというた感じで、見ていて怖いぐらいでした。

2020年8月7日金曜日

いま旬のテレワークだが、この本は12年も前に出ていた

テレワーク「未来型労働」の現実 

佐藤彰男・著 岩波新書


何気なく本棚を眺めていると、こんな本が目につきました。今をときめくテレワークの本です。

ずいぶん前に読んだ記憶があるのですが本棚に残っていることはすっかり忘れていました。

旬なテーマなので手にとって目次などを眺めてみると、内容はなかなか充実しているようなのでこのブログでご紹介することにしました。


内容(「BOOK」データベースより)


自宅のパソコンを使ったり、出先でモバイル機器を利用しながら、オフィス以外の場所で仕事をする―テレワークとはそうした「柔軟な」働き方をいう。はたしてこれは仕事と生活を調和させた「夢の未来型労働」なのか。それとも働き手の私生活に食い込んでくる歯止めのない労働の安売りなのか。データを駆使して検証するその実像と問題点。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

佐藤/彰男

1957年兵庫県生まれ。甲南大学大学院博士課程単位取得退学。社会学博士。専攻は社会学・情報社会論。現在、大手前大学現代社会学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



(もくじ)

第一章 テレワークは新しい働き方

1.テレワークという夢
2.政府による多彩な振興施策


第二章 在宅勤務とワークライフバランス

1.「在宅勤務」という選択
2. ホワイトカラーと在宅勤務
3. 在宅勤務はなぜ広がらないのか


第三章 モバイルワークとオフィス革命

1. 企業にとってのモバイルワーク
2. モバイルワーカーの仕事と生活
3. モバイルワーカーは第三空間で働いているか


第四章 テレワークという名の自宅残業

1. 自宅残業は労働時間なのか
2. 自宅残業と在宅勤務


第五章 在宅ワーク、家事・育児と仕事を両立させる切り札か

1. 調査データが語る〈在宅ワーク」
2. 誰が在宅ワーカーになるのか
3. 「電脳内職」化の構造
4. 脱電脳内職をめざして
5. 家事労働と在宅ワーク


第六章 労働が見えなくなるということ

1. テレワークのかたちを決めるものは
2. 不可視化する労働の危うさ
3. よりよいテレワークは可能か 





2020年8月4日火曜日

若き日の思い出がいっぱい詰まった大阪中之島  リバーサイドを散策


大阪中之島リバーサイド


20代に過ごした3つの職場はすべて中之島にあった

大阪中之島といえば20代の若き日のわたしにとっては無くてはならない大切な街でした。それはこの年代をを通じて勤務した3つの職場であるホテルがすべてここにあったからです。

そのホテルとは新大阪ホテル、大阪グランドホテル、リーガロイヤルホテルの3つでいずれも当時の大阪を代表するホテルです。

新大阪ホテル全景
20代で最初に勤務したのは新大阪ホテルです。このホテルは中之島の中心で現在は住友中之島ビルのある場所にあった大阪最古の名門ホテルです。

写真でもわかるように三層に別れた建物で、こうした何層かに分かれた形式の建物は古いアメリカのホテルによくある形です。

私がニューヨーク時代に職場留学したスタットラーヒルトンホテルもそうでした。

今のホテルの建物のような縦に伸びた流線的な華やかさは少ないものの、なんとも言えない格調と威厳を醸し出しています。


大阪グランドホテルの跡地にできたフェスティバルタワー(イースト)

中之島で2番目に勤務したのは大阪グランドホテルです。このホテルは大阪フェスティバルホールを併設した当時最も近代的と言われたホテルで、外国人客が多いことで有名でした。

中之島フェスティバルタワー
新大阪ホテルと経営母体が同じということで転属になり、フロントオフィスのメール係として働きま
大阪グランドホテル
した。

メール係と言ってもピンとこないかもしれませんが、外国人客の多いこのホテルでは

海外あての郵便物だけでなく国際電報や国際電話の受付も兼ねており、フロントの中でも割に多忙なセクションでした。

このホテルで特筆したいことは、ミステリー作家で有名な森村誠一氏が若かりし頃フロントマンとして働いていた事です。

氏には有名な「高層の死角」という小説がありますが、このホテルで経験したこともモチーフになっています。

私が働いたのは氏が退職した後でしたが、なにはともあれ、あれ程の有名作家と職場が同じだということは誇らしいことです。


リーガロイヤルは昔も今も大阪を代表する名ホテル

大阪中之島で大阪グランドホテルの次に働いた職場はリーガロイヤルホテルです。

ここでもフロントオフィスで働いたのですが、このホテルは当時は大阪で最高級のホテルであっただけでなく、日本全体でも屈指の名ホテルとして名を馳せていました。

とはいえ、当時と比べると現在はホテルの数は比べようがないくらい増えています。

リーガロイヤルホテル
当時の大阪のホテルといえば、リーガロイヤルホテルと大阪グランドホテルを除けば、他に大きなホテルといえば大阪国際ホテルぐらいでした。

それが大阪万博(EXPO 70)を機に、ホテルプラザ、東洋ホテル、新阪急ホテルなどというふうに増えていき

その後は年を重ねるごとに高級ホテル建設ラッシュが続き、現在のように多くの外資系ホテルを含めたホテル大競争時代になったのです。

そうした中でリーガロイヤルホテルは今も一昔前と同じようにヒルトン、シェラトン、コンラッド、リッツ・カールトンなど外資系高級ホテルに負けることなく大阪を代表する名門ホテルとして君臨しているのです。





大阪中之島を代表するビル群