2020年10月27日火曜日

中吊り広告の魅力はどこあるのか? 電車の中吊り広告に思わず見入ってしまう









人はなぜ中吊り広告に引きつけられるのか

看板やネオンサインなど多くの屋外広告媒体が衰退する中、今も色褪せることなく健在で活躍しているのが中吊り広告ではあるまいか。


人々は電車やバスなどでこの広告を目にしたとき、「おやっ」という興味と関心の眼差しで、思わず見入ってしまうのである。


いったいなぜ中吊り広告は人々をこれほど引きつけるのであろうか。


別に新しくも何もなく、もう何十年も前からあるこの代わりばえしない広告のいったいどこにそれほどの魅力を感じるのであろうか。

 

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2020年10月25日日曜日

作家のエッセイ集はいろいろ読んできたが

 これまでに30人近い作家のエッセイ集を読んできた



下に並べた作家名は私がこれまでに読んだエッセイ集の著者名です。

エッセイ集ですから1冊の本にまとめられたものですが、多い人だと10冊以上も出している作家もいます。

ですから作家の数イコール読んだ冊数ではありません。例えば浅田次郎のように10冊近く読んだ作家もいます。

 

阿佐田哲也、浅田次郎、五木寛之、池波正太郎、東海林さだお、

山田詠美、角田光代、林真理子、井上荒野、江國香織、椎名誠、

山田風太郎、嵐山光三郎、伊集院静、吉村昭、阿川佐和子、

井上ひさし、瀬戸内寂聴、吉田修一、斎藤茂太、西原理恵子、

佐藤愛子、橋田壽賀子、山本周五郎、渡辺淳一、吉行淳之介 ・・・

 



良い小説を書いている作家がエッセイも上手とは限らない

私はこれまでブログを通じて、読んできたエッセイ作品についての感想で「つまらない作品が多い」と度々苦言を呈してきました。

おそらく多くの方々は、作家が書いたエッセイを読む前には、良い小説を出している人のエッセイ集だから、きっと良い作品に違いない、と大きな期待を寄せるに違いありません。

でもそうした期待は往々にして裏切られる事が多いのです。なぜなら期待とは裏腹に、拍子抜けするようなつまらない作品が多いことに気づくからです。

そうなのです。たとえ評判の良い小説を夜に出している作家だとはいえ、エッセイも上手だとは限らからです。 

 

締切に追われた書いたものにあまり良い作品はない

作家は書くことが仕事です。仕事である以上コンスタントにやらなければいけません。つまり毎日何かの作品を書かなければならないのです。

でも作家だからといって毎日スムーズに執筆作業が進むとは限らず、日によっては気持ちばかり焦って一向に作業がはかどらないこともあります。

要するに書きたくても何を書いていいかわかわからず筆が前に進まないのです。

そんな日が何日も続くと締め切りがどんどん迫ってきます。そうなると焦りからか、あまりパッとしない気の乗らないテーマでも取り上げざるを得なくなります。

その結果出来上るのは読者の興味と関心を引くことができない中身の薄いつまらない作品なのです。

 

エッセイの良し悪しはテーマの選び方で決まる



エッセイは文章力もさることながら大事なのはテーマです。

作家ですから文章力はそれなりにあるのは当然です。しかし良いテーマがなければその文章力を活かすことはできません。

はっきり言ってエッセイの良し悪しを決めるのはテーマ7割、文章力3割と言って良いでしょう。

とはいえ、読者の関心を引く魅力的なテーマがいつも見つかるとは限りません。でも良い作品のためにはなんとしても良いテーマを見つけなければなりません。

そのためには安閑としていてはいけません。作家は常日頃から骨身を削ってでも作品のための良いテーマ探しに励まなければいけないのです。 

 

書き過ぎの作家の作品は概して良くない

人気者の売れっ子作家になるとあちこちからエッセイ執筆の依頼も多くなります。

出版社からだけではありません。コラム欄を持っている新聞社、機関誌を出している様々な企業など、依頼先は多岐に及ぶでしょう。

そうなると次第に執筆作品が多くなってきます。

製品でも作品でも数が多く出ると粗悪品が増えてきます。

有名作家なのにエッセイにつまらない作品があるのは、書きすぎだからなのです。

つまらない作品は人気作家の評判に傷が付きます。

これを避けるためには数多い執筆依頼をすべて引き受けるのでなく、仕事量をよく測って調整を図り、時としては執筆依頼を断ることも必要です。



  

作家は日頃からエッセイのネタを用意しておくべき

人気作家になればあちこちからエッセイの依頼が多い、と上で書きました。

どれくらい多いかといえば、人にもよりますが、作家によってはは1ヶ月に10本以上にも及ぶことがあるようです。

仮に5本としても1年で60本です。60のエッセイを書くには60のテーマが必要になります。

上でも書きましたが、作家といえどもいつも作品のための良いテーマが見つかるわけではありません。

それもあって、締切に追われたりすると、つい吟味してない適当なテーマで作品を書いてしまいます。

でもそれだと読者の興味と関心は惹かず、つまらない作品と評価されてしいます。これでは作家としては寂しいことです。

こんな事にならないためには、作家は日頃からエッセイの執筆に備えて、ある程度の魅力あるテーマをストックしておく必要があります。

読者を失望させない人気作家でありたいなら、こうした努力は欠かせないのではないでしょうか。

 


一文字10円以上になることをじゅうぶん認識して書くべし

別のブログでも書きましたが、作家のエッセイの原稿料は1篇2万円程度になります。

文字数は平均して2000字程度ですから、1文字10円ということになります。

前にも巻きましたが、プロの書き手なら2000字の文章は2時間程度でかけます。つまり、2時間で2万円の文章作品が作り出せるのです。

ということは時間給にすれば1万円ですから結構な高収入になります。

作家ははたしてこの金額を認識して執筆に及んでいるでしょうか。

1文字10円、これほどの高単価の賃金を受け取る以上、いくら締切に迫られようが、つまらない作品を書いてはいけないのです。


(注)写真の本は良かった作品の一部です。


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2020年10月21日水曜日

韓国の平均賃金4万2300ドルでOECD19位、日本はなんと24位


朝鮮日報日本語版(
2020.10.21) 

 

昨年の韓国の平均賃金は4万2300ドルで、経済協力開発機構(OECD)加盟国・地域のうち19位だった。

 国会企画財政委員会のヤン・ギョンスク議員(共に民主党)が11日、韓国銀行とOECDの資料を分析した結果、昨年韓国の平均賃金は4万2300ドル水準で、加盟35カ国・地域のうちトルコ、コロンビアを除いて19位にランクインしたという。

2003年にはOECD加盟国・地域の平均賃金は4万2800ドルだったが、昨年4万8600ドルに増加し、韓国の平均賃金は加盟国・地域平均の75%から2019年には87%水準へとアップした。

 2019年を基準として韓国の購買力基準の平均賃金は16年間に1万200ドルアップし、増加率31.8%だった。一方、同期間に1人当たりの国内総生産(GDP)は1万4673ドルから1万7009ドル増の3万1682ドルとなり、増加率は115.9%だった。

 なお、OECD加盟国・地域のうち平均賃金が最も高い国は6万870ドル水準のルクセンブルクで、以下、アイスランド、スイス、米国、デンマークなどが上位にランクインした。ドイツ(11位)、カナダ(12位)、英国(14位)、ニュージーランド(18位)が中位圏に属し、日本は3万860ドルで24位だった。

出典・朝鮮日報日本語版

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2020年10月20日火曜日

「食事はおおぜいでするほうがおいしい」とか 「一人の食事は味気ない」などというのはうそ?


おおぜいで食べようがひとりで食べよう味は同じはず
 

食事はたくさん集まってしたほうが美味しいという声をよく聴く。でも、聴くたびに「本当だろうか」と疑問に思う。

物理的に考えれば同じ食べ物を大勢で食べるのも一人で食べるのも美味しさは変わらないはずだ。

にもかかわらず沢山で食べるほうが美味しいと言うのは錯覚に過ぎないのではないだろうか。

こう言うと、沢山で食べれば楽しい気分になり、それが食べ物が美味しくさせるのだ。という声が聴こえて来そうだが、

それなら一人で静かに食べると食べ物をじっくり味わえるから美味しい。という声だって聴こえてきても良いはずだ。

要は、沢山で食べようが、一人で食べようが、大切なのは気分の問題で、その良し悪しで美味しさが決まるのではないだろうか。

 

一人暮らしが普通の時代にそんなこと言っていられない

いま一人暮らしの世帯数はうなぎのぼりに増えていて、なんと人口の35%、2千万世帯近くにまで達している。

つまり6世帯のうち1世帯は一人暮らしの家庭なのだ。ということは毎日2千万人近い人が一人で食事をしていることになる。

こんな状況で一人の食事はまずいなどと言っていられるだろうか。もしそうなら2千万人もの人たちが毎日の食事がまずいと思って過ごしていることになる。

そんな馬鹿なことがあるはずがない。たとえ一人暮らしであろうが、家族と一緒に過ごしている他の多くの人達と食事の味は変わることはなく、美味しいものは美味しいし、まずいものはまずいのである。

 

一人暮らしの人たちが味気ない食事をしているわけではない

では一人の食事は味気ないというのはどうなのだろうか?この点についても考えてみたが、こちらの方も答えはノーである。

味気ないとは面白味や魅力がなくて、つまらないことである。はっきり言って一人の食事が味気ないということはまったくない。

なぜなら一人で食事をするときは人に気を使うことがないから、テレビを見ながらでもパソコンで音楽を聴きながらでも自由にできるからだ。

面白いテレビ番組は楽しいし、良い音楽は心を潤してくれ、楽しい食事を演出してくれるに違いない。

味気ないどころか真に充実した食事が楽しめるではないか。 

 

人が物を食べる姿は美しくないので

はっきり言って人が物を食べる姿は決して美しいとは言えない。美しいどころか、動物の本能丸出しのようで見苦しくて醜いのではないだろうか。それだけにどちらかといえば目にしたくない。

一人で食事する場合は人が物を食べる姿が目に入ることがないので、それだけでも煩わしさがない。

また自分のものを食べる姿を他人に見られることもないので気が楽だ。

まさに、一人の食事バンザイ、なのである。


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2020年10月16日金曜日

自己満足のどこが悪い

 


自己満足に関してはどちらかといえば良くないことのように思っている方が多いのではないでしょうか。

つまり「自己満足なんかしても仕方ない」とか「それは単なる自己満足にしか過ぎない」などというふうに、あまりその価値を認めようとしないのです。

これは自己満足が自分による評価であるからに違いありません。

一般的に評価とは他者によってなされるのが普通であり、それであってこそ正当な評価が得られると考えられているのです。

でも本当にそうなのでしょうか。自己満足はほんとうに良くないことなのでしょうか。

 

人は評価されることを好む動物だが

人が評価を好むのは、それによって安心や満足を得たいからです。

上でも書いたように評価は他者によってなされるのが望ましいのですが、他人による評価を望んでも、いつもそれが可能とは限りません。

つまり他人の評価を得られないことが往々にしてあるのです。

そんなときは仕方ありませんが自己評価に頼るほかありません。そしてその結果得られるのが自己満足なのです。

 

自分に甘いと正しい評価はできない

自己評価によって得られるのが自己満足である、と上で書きましたが、このやり方にはデメリットがあることを忘れてはいけません。

それは人は往々にして自分には甘いのが普通であるため結果として得られる評価も甘くなり、結果としてもたらされる自己満足には危うさが伴うのです。

これを避けるためには、自分に対する甘さを徹底的に排し、客観的な第三者的な立場での厳しい態度による評価が必要なのではないでしょうか。

 

自己満足があるから生きられる

評価は他人によってなされる事が多いのですが、自己満足は己の評価を他人ではなく自分自身で行うことで生まれるものなのです。

ここに自己満足の危うさの原因があるのではないでしょうか。

とはいえ、他人による評価を得ることが困難なときは自己評価に頼らざるを得ません。

その結果得られた自己満足でも、極力第三者目線に立った客観的評価なら、自己満足でも構わないのではないでしょうか。

これによって窮地から脱し再び生きる希望が湧いてくることだってあるのですから。

 

自己満足の反対語は自己嫌悪か

自己満足の反対語を考えてみると、自己不満、自己否定、自己欺瞞などが思いつきますが、どれももう一つしっくりきません。

それで更に考えていると、自己嫌悪という言葉を思いつきました。どうやら自己満足の反対語としては、この言葉がピッタリはまるようです。

でも自己嫌悪からはあまり良いことは生成されません。それなら自己満足にとどまっていたほうが良いような気がします。

  

自己満足は「ひとりよがり」ではない

自己満足を英語でどういうのかを考えているとself satisfactionという単語が思い浮かびました。

さらに今度は self satisfaction の意味を調べてみると「自己満足」「独りよがり」と出ていました。

でも「独りよがり」という訳には疑問があります。自己満足のことを決して独りよがりであるとは思えないからです。

厳しい第三者目線による客観的立場での自己評価によって得られた自己満足なら、決して独りよがりとは思えないからです。

 

自己満足できればそれでいい

自己満足に対しては、上のような考察から結論として言えることは「自己満足できればそれでいい」ということです。

これはあえて自分の評価を他に求めなくても、やり方次第では自分でやっても正しい評価ができるのですからです。

そうした方法によるものなら、自己満足で十分ではないかと思えるのです。 

 

自己満足で失望から這い上がる

人は失望のどん底に追い詰められることがあります。そんなときに生きる勇気を与えれくれるのが希望です。

ではこの希望がどこから湧いてくるかといえば、それは自己満足ではないでしょうか。

これがあれば人は失望のどん底から這い上がることができ、生きる勇気が湧いてくるのです。


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2020年10月8日木曜日

マクドナルドがデリバリー(宅配)に力を入れ始めた

 コロナ禍で人々の外食が減り「おうちごはん」が増えたせいか、いま多くの飲食店の店先には「テイクアウト大歓迎と」か「宅配もいたします」という張り紙が目立つようになりました。

またテレビではかつては見かけなかった宅配フードのCMが毎日のように流されています。

そうした中でこのところ宅配(デリバリー)に大きな力を注いでいるのがファストフードの雄マクドナルドです。

 

この色鮮やかでカッコいいバイクはなんだ!



先日街を歩いていると、繁華街から少し離れたところにあるマクドナルドの店舗の入り口前に鮮やかな赤い色の人目を引くバイクが止めてあるではないですか。

オヤっと思って近づいて眺めてみると、それはマックの宅配用のバイクでした。それも1台ではなく3台もが店先に並べて置いてあるのです。

これは明らかに宣伝のためのデモンストレーションに違いありません。

そうなのです。いまマクドナルドはこの派手な色の人目を引くバイクを使っての宅配に大きなエネルギーを注ごうとしているのです。


 マックの宅配バイクがカッコ良すぎる



それにしてもカッコいいバイクではありませんか。鮮やかな色と言い、卓越したデザインと言い、これだと人目を引くこと間違いありません。

店先においておくだけで格好なデモンストレーションになること請け合いです。

これでよくわかりますが、どうやらマックはこれから宅配に大攻勢をかけるつもりのようです。

 

マックのデリバリーはコロナ禍を機に大人気になる兆し

ファストフードやレストラン業界はコロナ禍で客が大きく減少し大変な痛手を被っています。

それをなんとか乗り越えて売上を回復しようという試みが宅配なのです。いま各社はなんとか活路を見い出そうとデリバリーに力を注いでいるのです。

そうした中にあって、マクドナルドの人目を引くスマートなバイクを使っての宅配作戦は、今後大人気になるのは間違いなしでしょう。

  

マックデリバリーの決まりはこうなっている

・利用条件

1500円(税込)以上のご購入+デリバリー料300円(税込)
※7時00分~10時30分の朝マック時間帯は1,000円以上

・特長

マクドナルドのスタッフが“いつものおいしさ”をご自宅やオフィスに“できたてのまま”直接お届け

・注文方法

アプリ、Web、電話


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2020年10月3日土曜日

おもしろくない(つまらない)小説を判定するには

 


この小説は本当につまらない作品なのか?

小説を読んでいて、面白くないとか、つまらない、と思うことがよくあります。

そんなときは図書館で借りたものならまだしも、本屋で買ったものなら、せっかくお金をはらって買ったのに、と少々腹が立ちます。その結果、ブログなどに悪口を書いて憂さ晴らしをするのです。

とはいえ、面白くなくてつまらなく感じるのは読み手のせいなのでは、と思う一面もあります。

つまり、読み手の読解力に於ける力量不足や、その時の精神状態であったり、そうしたものががつまらないと思わせる原因なのではないか、と考えるのです。

でもそこまで譲歩してよくよく考えた上でも、なおかつ、つまらない、おもしろくない、と思う作品なら、これはもう誰が読んでも結果は同じことで、本当につまらない作品と断定してよいのではないでしょうか。

で、このプロセスにしたがって、今回もある人気女性作家の小説ををつまらない作品と決めたのです。

なぜつまらない小説が世に出るのか

それにしても、どう考えても面白くなくてつまらないと思われる作品が世に出るのはなぜなのでしょうか。

しかも出るだけではなく、これがけっこう売れて、ときにはベストセラーになることさえあるのです。

これで分かるように、小説は決して内容が優れていておもしろいものだけが売れるのではなく、どう考えても「こんな作品がなぜ?」と思うようなつまらない作品が驚異的な売上を示すこともそれほど珍しくはないのです。

でもいったいなぜこんなミステリーのようなことが起こるのでしょう。

考えられるのは次のようなことが原因になっているのではないでしょうか。 

・作者の名が売れているから

人はモノの良し悪しを決める際、それがメーカー品かどうかで判定します。例えば電化製品だと、パナソニック、東芝、シャープなどです。

本の選択もあまり変わりません。作者の名前が売れているかどうかで、買う、買わないを決めるのです。

 ・テレビに良く出ていて顔を知っているから

何事も知っている人のことだと安心します。作家も同様で、テレビなどでよく顔を見る人なら、あの人の作品なら、と安心して買ってしまいます。 

・前作が売れたから

前作が予想外にヒットしたのに気を良くして、二匹目のドジョウを狙うのです。 

・映画化しやすい作品だから

本は映画化することでさらなる利益が狙えます。小説としての良し悪しはともあれ、ストーリー性に映画化しやすい点があれば、それだけで出版に踏み切ります。 

・出版社の勝手な都合

月の予算、年度予算、などに合わせるために出版社のその時の数字合わせの都合で出されます。

 

つまらないと判定する作品は現代小説に多い 

読書傾向が偏らないように、名作と呼ばれるような古い作品と比較的新しい現代小説を交互に読んでいます。

流石に名作と呼ばれるものにはつまらないと作品は少なく、充実した読後感を伴って読み終えることができます。

ところが今も存命中の作家による現代小説となると、そうはいきません。読んでる最中から不満タラタラで、つまらなさに辟易して途中で投げ出してしまうか、そうでなくても最後まで読み終えるのには大変な苦労を伴う作品が多いのです。

 

純文学は本当につまらない

これまでブログなどで何度も書いて来ましたが、純文学と言われすジャンルの作品はいつ読んでもつまらなく(面白くなく)思います。

これについても、読み手側に問題があるのではないかと、客観性をもたせて考えてみるのですが、どう考えても純文学のつまらなさは変わりようがないと革新できます。

それはいわゆる純文学誌と呼ばれている雑誌である文學界、群像、新朝、などが全く売れていないことが証明しています。

これらの雑誌をすべて合わせても、売上は1万部以下といいますから、雑誌売上不調の昨今の事情を考慮しても、このひどい数字は、純文学の不人気を示す以外の何物でもありません。 

 

芥川賞受賞の小説にはつまらない作品が多い

芥川賞は純文学作品に与えられる最高の文学賞です。

毎年2回選考ががあり、受賞作品は雑誌・文藝春秋で発表されます。

言うまでもなく受賞作品は多くのメディアが取り上げるため人気になりよく売れます。

一般的によく売れる作品は内容が優れていて興味のわく魅力的な作品であるのが普通です。でも芥川受賞作品に限っては決してそうは言えないのです。

要するに期待して読んでも、失望する作品が実に多いのです。

個人的にはここ3~4年で、良いと思った作品は村田沙耶香の「コンビニ人間」ぐらいです。

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2020年10月1日木曜日

韓国ソウルの低所得高齢者 地下鉄との密接な関係


ソウルの地下鉄は高齢者でいっぱい

韓国の地下鉄の特徴の一つは他の国に比べて高齢者の乗客が目立って多い点です。これは高齢化が進んで高齢者人口が大幅に増えたことにも原因がありますが理由はそれだけではありません。

最も大きな理由は高齢者の地下鉄利用に魅力的なメリットがついているからです。

そのメリットとは65歳以上は乗車賃が無料になっていることです。つまり年齢が65歳に達すると、いくら乗っても運賃は一切かからないのです。

時間に余裕がある高礼者のことですから、どれだけ乗っても無料となれば「乗らなければ損」という気になって、乗客がどんどん増えていくのは当然のことです。

かくして今ソウルの地下鉄は高齢者で溢れかえっているのです。

 

65歳以上は地下鉄やバスの乗車賃無料だから 

たいていの国で高齢者のメリットとして大きいのが公共交通機関の利用です。

つまり地下鉄やバスの料金が無料になったり大幅割引になるのです。

韓国の場合、このメリットが日本に比べて格段に大きいのです。

日本だと例えば東京の場合、70歳以上の高齢者対しては公共交通機関のシルバーバスが発行されます。

シルバーパスには若干の料金がかかって、市民税非課税世帯なら1000円です。(課税世帯は20,510円)。また大阪市の場合 70歳以上は1回乗車50円となっています。

これに対して韓国ソウルの場合は、65歳以上の高齢者は無条件に公共交通機関の利用が無料なのです。

これは日本に比べてなんと有利なことでしょうか。

こんなに魅力的ななメリットがあれば高齢者が地下鉄に殺到するのは当たり前のことですね。

 

月3万円の年金では生活できないので

韓国では高齢者の貧困が大きな社会問題になっていますが。その最大の原因は少ない年金支給額にあります。

いま韓国の高齢者が受け取る年金の平均受給額は月5万3千円程度ですが、受給者全体の50%は月額がわずか3万円以下です。

おまけに物価が日本とあまり変わらないだけに、これだけの年金では生活が困窮するのは当然のことです。

これでは生活していくのは困難ですから収入を増やすために仕事をせざるを得ません。

でも65歳を超えた高齢者に仕事はあるのでしょうか。あるとすればどんな仕事でしょうか。

 

ソウルの高齢者 無料の地下鉄を使って配達アルバイト

韓国ソウルには「老人宅配」と呼ばれる軽量の荷物や書類を届ける配達員に従事する人がたくさんいます。

ソウルに中心部には「鐘路(チョンノ)シニアクラブ地下鉄宅配事業団」という組織があり、ここの待機室では大勢の高齢者が朝早くからクライアントから宅配依頼が入るのを待ち構えています。

65歳以上は無料で地下鉄が利用できるおかげで宅配料を低く抑えることができるため人気が高く依頼主が多いのです。

それゆえに高齢者のアルバイトとしてじゅうぶん成り立っており、多くの高齢者が宅配員として就労しているのです。

 

暑い夏でも 家に冷房のない高齢者

終日涼しい地下鉄に乗って過ごす

暑い夏を過ごすには冷房設備は欠かせません。でもそれには設備設置費用と毎月の電気代が必要になります。

しかし月3万円以下で生活する貧困高齢者にはそうした費用を捻出する余裕がありません。

したがって暑い夏も冷房のない家で過ごさなければならないのです。

とはいえ、日中の暑いさなか家で過ごすのは過酷なことです。なんとか暑さを凌ぐ方法はないかと考えた結果が無料の地下鉄を利用することです。

これなら少しもお金を使わず、とりあえず暑さからは逃れられるのです。

かくして夏場のソウルの地下鉄は高齢者で溢れているのです。

 

まとめ・ソウルの地下鉄が高齢者で溢れる3つの理由

(理由・その1)

65歳以上の高齢は地下鉄やバスなどの公共機関の乗車賃無料

日本の大抵の都市は70歳~75歳以上が対象で、韓国の方が5歳以上も対象年齢が低くなっているので、無料乗客の絶対数が多い

 

(理由・その2)

高齢者の受給年金額が少なく仕事をしなければ生活が成り立たない人が多く、そうした高齢者が無料で乗車できる地下鉄を使って配達アルバイトをしている。

 

(理由・その3)

貧困高齢者の多くは家に冷房設備がない。そのため暑い夏がくると、無料で利用できる涼しい地下鉄に殺到する。


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