この小説は本当につまらない作品なのか?
小説を読んでいて、面白くないとか、つまらない、と思うことがよくあります。
そんなときは図書館で借りたものならまだしも、本屋で買ったものなら、せっかくお金をはらって買ったのに、と少々腹が立ちます。その結果、ブログなどに悪口を書いて憂さ晴らしをするのです。
とはいえ、面白くなくてつまらなく感じるのは読み手のせいなのでは、と思う一面もあります。
つまり、読み手の読解力に於ける力量不足や、その時の精神状態であったり、そうしたものががつまらないと思わせる原因なのではないか、と考えるのです。
でもそこまで譲歩してよくよく考えた上でも、なおかつ、つまらない、おもしろくない、と思う作品なら、これはもう誰が読んでも結果は同じことで、本当につまらない作品と断定してよいのではないでしょうか。
で、このプロセスにしたがって、今回もある人気女性作家の小説ををつまらない作品と決めたのです。
なぜつまらない小説が世に出るのか
それにしても、どう考えても面白くなくてつまらないと思われる作品が世に出るのはなぜなのでしょうか。
しかも出るだけではなく、これがけっこう売れて、ときにはベストセラーになることさえあるのです。
これで分かるように、小説は決して内容が優れていておもしろいものだけが売れるのではなく、どう考えても「こんな作品がなぜ?」と思うようなつまらない作品が驚異的な売上を示すこともそれほど珍しくはないのです。
でもいったいなぜこんなミステリーのようなことが起こるのでしょう。
考えられるのは次のようなことが原因になっているのではないでしょうか。
・作者の名が売れているから
人はモノの良し悪しを決める際、それがメーカー品かどうかで判定します。例えば電化製品だと、パナソニック、東芝、シャープなどです。
本の選択もあまり変わりません。作者の名前が売れているかどうかで、買う、買わないを決めるのです。
・テレビに良く出ていて顔を知っているから
何事も知っている人のことだと安心します。作家も同様で、テレビなどでよく顔を見る人なら、あの人の作品なら、と安心して買ってしまいます。
・前作が売れたから
前作が予想外にヒットしたのに気を良くして、二匹目のドジョウを狙うのです。
・映画化しやすい作品だから
本は映画化することでさらなる利益が狙えます。小説としての良し悪しはともあれ、ストーリー性に映画化しやすい点があれば、それだけで出版に踏み切ります。
・出版社の勝手な都合
月の予算、年度予算、などに合わせるために出版社のその時の数字合わせの都合で出されます。
つまらないと判定する作品は現代小説に多い
読書傾向が偏らないように、名作と呼ばれるような古い作品と比較的新しい現代小説を交互に読んでいます。
流石に名作と呼ばれるものにはつまらないと作品は少なく、充実した読後感を伴って読み終えることができます。
ところが今も存命中の作家による現代小説となると、そうはいきません。読んでる最中から不満タラタラで、つまらなさに辟易して途中で投げ出してしまうか、そうでなくても最後まで読み終えるのには大変な苦労を伴う作品が多いのです。
純文学は本当につまらない
これまでブログなどで何度も書いて来ましたが、純文学と言われすジャンルの作品はいつ読んでもつまらなく(面白くなく)思います。
これについても、読み手側に問題があるのではないかと、客観性をもたせて考えてみるのですが、どう考えても純文学のつまらなさは変わりようがないと革新できます。
それはいわゆる純文学誌と呼ばれている雑誌である文學界、群像、新朝、などが全く売れていないことが証明しています。
これらの雑誌をすべて合わせても、売上は1万部以下といいますから、雑誌売上不調の昨今の事情を考慮しても、このひどい数字は、純文学の不人気を示す以外の何物でもありません。
芥川賞受賞の小説にはつまらない作品が多い
芥川賞は純文学作品に与えられる最高の文学賞です。
毎年2回選考ががあり、受賞作品は雑誌・文藝春秋で発表されます。
言うまでもなく受賞作品は多くのメディアが取り上げるため人気になりよく売れます。
一般的によく売れる作品は内容が優れていて興味のわく魅力的な作品であるのが普通です。でも芥川受賞作品に限っては決してそうは言えないのです。
要するに期待して読んでも、失望する作品が実に多いのです。
個人的にはここ3~4年で、良いと思った作品は村田沙耶香の「コンビニ人間」ぐらいです。
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