プレイバック記事シリーズ・その5
初回掲載日 2013年12月9日月曜日
次の小説2編は私が始めて書いた作品で、小説現代新人賞(講談社)および小説すばる(集英社)新人賞に応募したものです。
結果はいずれも1000件以上の応募作品の中で、「編む女」が予選2次まで通過、「ニューヨーク西97丁目」が予選1次を通過しました。
初めての応募で2作品とも、約10%強程度でしかない予選通過作品に選ばれたことは大満足でした。
2編とも力作とは思っていたのですが、応募後に気づいた誤字脱字の多さには我ながら驚いてしまいました。なんと双方の作品とも、50箇所以上も誤字脱字があったのです。明らか校正が足りなかったのが原因です。
これほどのマイナス点がありながら、よく予選を通過したものだと不思議な氣がした一方、
これが原因で入賞を逃がしたのでは?とも思いましたが、後の祭りです。
これらの小説ではいずれも書き出しには相当気を配ったつもりです。
常日頃から「面白くなければ小説ではない」と考えている私ですから、書き出しで読者に「おもしろそうだ!」と思わせ、惹きつけることが何より大事だと考えたからです。
ではその2作品の書き出しの部分をご紹介することにします。
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「編む女」 (80枚 中編)
(書き出し部分2ページ)
「くそっ、あのカップルめ、うまくしけ込んだもんだ」
前方わずか4~5メートル先を歩いていたすごく身なりのいい男女が、スッとラブホテルの入り口の高い植木の陰に隠れた時、亮介はさも羨ましそうにつぶやいて舌打ちした。
「あーあ、こちらがこんなに苦労しているというのに、まったくいい気なもんだ」と、今度はずいぶん勝手な愚痴をこぼしながら、なおも辺りに目を凝らして歩き続けた。
亮介は、これで三日間、この夜の十三(じゅうそう)の街を歩き続けていた。 はじめの日こそ、「あの女め、見てろ、その内に必ず見つけ出してやるから」、と意気込んでいたものの、さすがに三日目ともなると、最初の決意もいささかぐらつき始めていた。 時計は既に十一時をさしており、辺りの人影も数えるほどまばらになっていた。 この夜だけでも、もう三時間近くも、この街のあちこちを歩きまわっていたのだ。
少し疲れたし、どこかで少し休んで、それからまた始めようか、それとも今夜はこれで止めようか。 亮介は迷いながら一ブロック東へ折れて、すぐ側を流いる淀川の土手へ出た。 道路から三メートルほど階段を上がって、人気のないコクリートの堤防に立つと、川面から吹くひんやりとした夜風が汗ばんだ頬を心地なでた。
「山岸恵美」といったな、あの女。城南デパートに勤めていると言ってたけど、あんなこと、どうせ嘘っぱちだろう。でも待てよ、それにしてはあの女デパートのことについて、いろいろ詳しく話していた。とすると、今はもういないとして、以前に勤めたことがあるのかもしれない。それとも、そこに知り合いがいるとか。ものは試し、無駄かもしれないけど、一度行ってみようか。そうだ、そうしてみよう。なにしろあの悔しさを晴らすためだ。これきしのことで諦めるわけにはいかないのだ。
川風に吹かれて、少しだけ気を取り戻した亮介は、辺りの鮮やかなネオンサインを川面に映してゆったりと流れる淀川に背を向けると、また大通りの方へと歩いて行った。
それにしてもあの女、いい女だったなあ。少なくともあの朝までは。 駅に向かって歩きながら、亮介は、またあの夜のことを思い出していた。
とびきり美人とは言えないが、あれほど男好きのする顔の女も珍しい。それに、やや甘え口調のしっとりとしたあの声、しかもああいう場所では珍しいあの行動。あれだと、自分に限らず男だったら誰だって信じ込むに違いない。
すでに十一時をまわっているというのに、北の繁華街から川ひとつ隔てただけの、この十三の盛り場には人影は多く、まだかなりの賑わいを見せている。それもそうだろう。六月の終わりと言えば、官公庁や大手企業ではすでに夏のボーナスが支給されていて、みな懐が暖かいのだ。
「ボーナスか、あーあ、あの三十八万円があったらなあ」 大通りを右折して阪急電車の駅が目の前に見えてきた所で、亮介はそうつぶやくと、また大きなため息をついた。
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ニューヨーク ウェスト97ストリート(220枚 中長編)
(書き出し部分3ページ)
およそこの乗り物には似つかわしくないガタゴトという騒々しい音をたてながらドアの閉まるエレベーターを背後にして、修一はおもむろにズボンのポケットに手を突っ込み、ひやっとした感触を指先に感じながらジャラジャラと鳴るキーホルダーを取り出した。
エレベーターからほんの五~六歩も歩けばそこに入り口のドアがある。
「エセルはまだ起きているだろうか」そう考えながら色あせたドアの上の鍵穴に太い方のキーを突っ込んでせっかちに回し、続いて下の穴へもう一本の細い方を差し込んだ。
下宿人としてこの家に初めて来たとき、通りに面した一階の正面玄関にも大きくて丈夫な鍵があるのに、どうしてこの六階の入り口のドアにもさらに二つのキーがついているのだろうかと、その念のいった用心深さをいささか怪訝に思ったものだが、後になって家主のエセルにその理由を聞かされ、なるほどと思った。
ここウエストサイド97丁目はマンハッタンでも比較的アップタウンにあたるウエストサイドの一画に位置している。この地域も今から約半世紀ほど前の一九三〇年くらいまでは、マンハッタンの住宅地の中でも比較的高級地に属していて、住む人々も、上流階級とまではいかないが、その少し下に位置するぐらいの、まずまずのレベルの人が多かった。
しかし年が経って建物が老朽化するに従い、どこからともなく押しかけてくるペルトリコ人が大挙して移り住むようになり、それにつれて前からの古い住人はまるで追われるかのように、次第にイーストサイドの方へ引っ越していった。
そして五十年たった今では、もはや上品で優雅であった昔の面影はほとんどなく、その佇まいは煤けたレンガ造りの建物が並ぶ灰色の街というイメージで、スラムとまではいかないが、喧騒と汚濁に満ちた、やたらと犯罪の多い下層階級の街と化してしまったのだ。
住人の多くをスペイン語を話すペルトリコ人が占めているということで、今ではこの地域にはスパニッシュハーレムという新しい名前さえついている。
今年七一歳になり、頭髪もほとんど白くなったエセルは、口の端にいっぱい唾をためながら、いかにも昔を懐かしむというふうに、こう話してくれた。
ここまで聞けばどうしてドアに鍵が多いのか修一にも分かった。つまりこの辺りは、犯罪多発地域で、泥棒とか強盗は日常茶飯事であり、ダブルロックはそれから身を守るための住人の自衛手段なのだ。そう言えば、つい三日前にも、ここから数ブロック先の一○三丁目のアパートで、白人の老女が三人組の黒人に襲われて、ナイフで腕を突き刺されたうえ金品を盗まれたのだ、と昨日の朝、いきつけのチャーリーのカフェで聞いたばかりだ。
そんなことを思い出しながら、ドアを開け薄暗い通路を進み、正面右手の自分の部屋へと向かった。すぐ右手のエセルの部屋のドアからは明かりはもれていない。
どうやら今夜はもう眠ったらしい。
今はマンハッタンのミッドナイト。昼間の喧騒が嘘みたいに、辺りは静寂に包まれている。部屋の隅にあるスチームストーブのシュルシュルという音だけが、やけに耳についた。それにしても今夜のエセルは静かだ。
このアパートへ来てしばらくの間は彼女が喘息持ちだとは知らなかった。ましてや深夜に激しく咳き込んで下宿人を悩ますなどとは思ってもみなかった。もしそうだと知っていたのなら、月二百五十ドルの下宿代をもっと値切っていたはずだし、さもなくば、部屋の防音をもっとよくチェックしたはずだ。
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