ニューヨーク夜の地下鉄車内で巨漢のゲイに目をつけられて
夕方16時からのエールトン(勤務先のホテル)の仕事はその日も24時ジャストに終わった。
いつものように隣のブロックにあるペンステーションまで歩いて行き、そこからアップタウンに向かう地下鉄に乗った。下宿のある97丁目まで20分ほどかかる。
ここマンハッタンには不夜城と呼ばれるタイムズスクエアーをはじめ多くの歓楽街があちこちにあるためか、すでに12時を過ぎているというのに地下鉄の乗客数は昼間とさして変わらない。
でも数こそそうであれその客層はというと、さすがに昼間とは趣を異にしており、白人は数えるほどで、そのほとんどを黒人とペルトリコ人が占めていた。
もちろん昼間のように上品ぶったおとなしい客ばかりではなく、飲んだくれてわめき散らす黒人男とか、獲物を探して卑猥さを含んだ鋭い目を車内のあちこちに向けてるスペイン人だとかが混じっていたことは言うまでもない。
そうした乗客も72丁目ぐらいからのアッパーウエストと呼ばれるエリアでまずペルトリコ人が、そして125丁目のハーレム近辺で黒人のほとんどが降りて行き、その先はガラガラになるに違いない。
空席がなかったので修一はドアのそばに立っていた。
ちょうど修一と反対側のドアの側に黒人の太った男が立っていた。
その男は修一と目が合ったとき人なつっこそうにニコッとした。つられて修一も笑顔を返した。
でもそれがいけなかったらしい。男はその後ずっと修一から視線を離さないのだ。
「ハハーン、この男なにか勘違いしているな」修一はそう思ってなるべく男の方を見ないようにした。
ニューヨークは世界中の都市の中で一番と言われるほどホモのメッカなのである。
かの有名なグリニッッチビレッジの一角にはゲイボーイたちの集まる通称「ゲイストリート」と呼ばれる地域もあるくらいなのだ。
普段はそこでたむろしているゲイたちも、時には地下鉄などに乗って移動し、新しい獲物を求めているのである。いま目の前に立っている男も多分その種の奴に違いない。修一はそう確信した。
こちらへ来てまで一週間ぐらいしかたたない頃、同じように地下鉄構内でこの手の男につけ回されて苦労したことがあった。
男につかまえられ暗闇に連れていかれるかも
でもそのときは昼間であったので雑踏へ紛れこんでうまく相手をかわすことができた。しかし今回は夜である。つけて来られて暗闇で腕でも掴まれたらやばい。
なにしろ相手は百キロ以上もあろうかというほどの大男である。
そうなれば62キロしかない修一の力では容易に振りほどくことはできないだろう。
男に追っかけられてつかまり、暗闇に連れて行かれ好きなように弄ばれる光景が目に浮かび、修一は思わず身震いした。
そんなことを考えていて次第に不安な気持ちが募ってきた。
なんとかして早くこの男の前から逃れなくては。でも下手に動けば付いてくるだろう。
そこで修一は一策を弄した。電車が72丁目の駅に止まったら一旦そこで降りよう。そしてそこでこの男を巻こう。そう決めて電車がホームへ入る前からタイミングを計っていた。
電車が止まりドアが開き、数人が降り数人が乗り込んできた。
そこで降りるはずの修一はそれでもまだ動かなかった。発車を告げる五秒ほどの短いブザー鳴り止んでドアがガタッと閉まりかけたとき、修一はサッと身をかわしてホームへ下りた。背中をかするようにしてドアが閉まった。
「やった。成功!」とつぶやき、危機から脱出できホッとして振り返ってドアのガラス越しに男を見た。
その男の表情からは、もはや先ほどの笑みは消え、いかにも忌々しげにこちらを見ていた。
小説「マンハッタン西97丁目の青春」より、危機の部分抜粋