かつて大阪中之島にあったクラシックで格調ある豪華なホテル
新大阪ホテル |
Shin osaka hotel |
1935-1973 |
大阪市北区中之島3-2-18 |
大阪ホテルが大正13年に火災により焼失してしまい、大阪に再び大ホテルの要望が沸き起こっていました。
国の国際観光推進の機運から大阪市はその建設のための資金をを国庫融資に頼ることになり申請を行い昭和6年から着工されました。
開業は昭和10年1月16日とずれ込むも、中之島に再び大阪の誇る大ホテルが誕生しました。
国庫融資を受けたホテルの中では最も規模が大きく、ベネチアンゴシック式鉄筋コンクリート造の8階建のものでした。
昭和20年9月には他のホテル同様進駐軍に接収され、その解除は昭和27年6月でした。昭和40年10月には中之島5丁目に新規大規模ホテルを建設、「大阪ロイヤルホテル」の開業であった。
昭和45年に「大阪ロイヤルホテル」を吸収合併。昭和48年に新大阪ホテルからロイヤルホテルに社名変更となる。
この前月8月31日をもって新大阪ホテルは閉鎖された。
出典:JAPAN LABEL TOP
1935年の新大阪ホテルのパンフレット
1935年(昭和10年)に、大阪市北区中之島(現:住友中之島ビル)に開業した新大阪ホテル。現在のリーガロイヤルホテルの元となるホテルで、地下2階、地上8階建て、住友を中心に関西財界が中心になって、大阪を代表する国際的ホテルとして開業したものです。
パンフレットには、「Finest Hotel in the Far East」(極東一のホテル)と書かれています。230室は全てバスルーム付き。三つのビルに別れており、窓も全室に付いていました。
パンフレットの写真からは豪華な開業当時の様子が伺われます。大阪城は1931年に再建されたばかりでした。当時の大阪は繊維産業、満州、朝鮮半島、中国大陸との貿易も華やかで名実ともに大大阪だった時代だった頃です。パンフレットにも「大阪は観光客の関心を惹く歴史的なものがあり、さらに近代的産業に寄与する企業が集積しています」と書かれています。
このパンフレットは、外国人向けにすべて英語で作られています。さて、気になる宿泊料。この豪華ホテル、シングルルーム一泊5円、朝食が1円50銭、昼食が2円、夕食が2円50銭です。 比較するのは難しいですが、1935年当時の物価は、たばこ(ゴールデンバット)7銭、新聞購読月90銭、 はがき1銭5厘、もり・かけそば 10 銭 、白米(10 キロ)2 円 50 銭だったそうです。 空調が整い、シモンズのベッド、電話や各種サービスを見ると、現在とはあまり変わらないレベルです。面白いのは化学実験室というのが紹介されていて、食材などの検査をしていますと書かれています。
パンフレットからは華やかな雰囲気だけが伝わってきますが、開業の少し前、1931(昭和6)年には満州事変が起き、ホテルが開業した1935年には国内では東京帝国大学名誉教授の美濃部達吉が天皇機関説で反国体的と非難され、国外ではナチス・ドイツが台頭していました。この後、坂道を転がり落ちるように、第二次世界大戦に突き進んでいくのです。平穏無事な平和な生活が、わずかな日数で崩壊することを私たちは歴史から学ばねばなりません。
地下2階、地上8階建。 1931年(昭和6年)10月1日着工 1935年(昭和10年)1月10日竣工 基礎は大林組 本体は清水組
中村智彦 研究室 Professor of Economics, Kobe International University
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