99歳死の直前まで書き続けた女流大家が何より恐れたのは「呆け」
瀬戸内寂静は40代に出家をしている。それだけに高齢になっても死に対しては恐れを感じていなかった。
だが恐ろしいものは他にもあった。それは年々失っていく体力につれて心配がつのる「呆け」である。
親しい編集者から聞いた同じ文壇にいる男性作家Aが昨年と同じ随筆の原稿を送ってきたという話
また女流のBは自分の名前を間違えて書いてきた話などを聞かされて、ひょっとして明日は我が身かもと、日々そら恐ろしさを感じていたのだ
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老衰な朝な朝な 瀬戸内寂静
今年は、暖冬と思い込んでいたら、今朝、嵯峨野は薄い雪に覆われて、目が洗われるようであった。
寂庵は、白、紅の梅の花が咲き満ち、待ちかねていたマンサクの黄金の花も、一昨日一気に開いて、庭に灯りをともしたようにあたりを明るくしていた。それらの花々の上に、たちまち雪が、花嫁のベールのように薄く広がり、いっそう風情が深まった。
飾っている座敷の雛たちにも、雪の庭を見せてやりたく、座敷の襖も、廊下のガラス戸も開け放ち、雛壇から庭が望めるようにする。
雛に雪を見せるつもりだったが、もしかしたら、雪が、見たこともない美しい雛壇の緋毛氈の鮮やかさや、七段の上に並んでいる可憐なひな人形に見惚れれしまうかもしれない。
私も、あと3か月ばかりで、98歳になる。さらに1年たてば白寿ということだ。この97歳の1年で、めっきり体力は衰え、老衰の厳しさが骨身にこたえてきている。何をしても「これが最後かな」と心の中でつぶやいている。
転ばないように常に気をつけているので、動作がすべて鈍くなった。
それでもまだ、仕事の注文は、あれば断らないので、いつも締め切りに追われているし、徹夜でそれをこなすことも、月に2夜や三夜はある
。書いたものも、「まだ呆けてはいない」と、自分では思っているが、いささか自信はない。
親しい編集者は、みんな優しいから、面と向かっては、「書いたものがだめになった」とわ言わないだろう。これだけは自分でしっかり認識しないと、大恥をかかく羽目になりかねない。私の書くものを、最初に買ってくれた編集者たちが、とっくに退職はしているが、時たま、電話やメールをくれる。そんな2,3人が
「今月の××読みましたよ、文章もはりきっているし、話も面白かった
まだまだ大丈夫!」などと伝えてきてくれると。涙が出るほどうれしい。
しかし、その彼らが、現役の頃、当時の大作家が先月と同じ随筆を書いてきた話や、女流の大家が自分の名前を間違えて書いた話などをしたのを思い出し、ぞっと背中が冷えてくる。
98歳で亡くなった女流の大家は、晩年の2年ほどは、いつ行ってもベッドで昼間も寝ていた、などと聞くと、現在、昼間も、夕方も、横になっていたい97歳の自分をかえりみてぞっとする。
私は51歳で出家しているおかげか、死ぬことはまったく怖くない。
しかし、さる宗派の有名な大僧正の、晩年のしどろもどろの法話を聴いたことがある。呆けるのだけが恐ろしい。
政治家たちの国会の応酬など、テレビで聴いていると、あんなに若いけれど、もう呆けがきているのではないかと、人ごとながら怖くなることがある。
「京都新聞」
出典:ベストエッセイ 2021 光村図書
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