このエッセイは、手塚治虫エッセイ集成の「村の名所」(202ページ)にあり、もとは朝日新聞夕刊に載せられたものです。
内容は、あの悪名高いヒトラーでさえ、「アウトバーン」や「フォルクスワーゲンという立派な資産を後世に残しているがそれに比べて日本の東条英機はどうだろうかと、読者に問いかけるものです。
これは、読んだ人が思わず「ウーン」と唸って、深く考えさせられるほどの、示唆に富んだ問いかけではありませんか。
ここではネットに掲載されている記事から、ヒトラーの「フォルクスワーゲン」及び「アウトバーン」との関係性を見ていくことにします。
ヒトラーとフォルクスワーゲン
ヒトラーは大の車マニアで、メルセデスやアウトウニオンなどに「最高速チャレンジカー」などを作らせ、車の性能を競わせていました。
その背景にはドイツに「自動車産業」というものを作り出して、ヒトラー以前の不況にあえいでいたドイツ人の生活を向上させよう、という狙いがありました。
かの有名なアウトバーンの建設も「不況対策」としての理由が大きいです。
そのメルセデス製レーシングカーの設計をしていたのが、
かのポルシェ博士(ドイツの自動車メーカーのエンジニアは博士号を持ってる人がやたらに多い)。
そしてヒトラーの「国民車構想」にこたえる形で設計されたのが、
ポルシェタイプ1こと「ビートル」です。
(注)「Volks;国民。Wagen;車。国民車=VolksWagen」
出典:CarView
ヒトラーとアウトバーン
アウトバーンは、しばしばナチス=ドイツの指導者ヒトラーの「唯一の功績」として、あるいはその先見性ある判断、失業者対策の公共事業などとして称賛されている。
高校用教科書にも、例えば山川出版社詳説世界史では「ナチスは四カ年計画によって軍需工業を拡張し、アウトバーン(自動車専用道路)建設など大規模な土木工事を起こして失業者を急速に減らし・・・」とある。
東京書籍世界史Bは「ナチスはアウトバーン(自動車専用道路)の建設や軍需生産によって失業を克服し、36年からは「四カ年計画」により戦争に向けた経済体制づくりに乗り出した。」としている。そして、2008年度の東大入試にもヒトラーが進めた高速自動車道路の名称を問うている。
出典:世界史の窓
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