2025年5月4日日曜日

郵便配達員を見るたびに心に浮かぶこと



バイクで町中を走り回っている郵便配達の人を見るたびに思い出すことがある。


郵便配達員の姿は外出したら必ずと言っていいほど目にするのに、そのたびに思いだすとは、よほど印象に残ったことに違いないのだが、いったいどのようなことなのだろうか。


それは何かの記事で読んだことがあるのだが、たしか小学1年生になったばかりの男の子が、おばあちゃんと一緒に通りを歩いているときの話である。


その子は街をバイクで走り回っている郵便配達人を目にしたとき、おばあちゃんにこういったのだ。


「おばあちゃん,ぼく大人になったら、あの人みたいに郵便配達の仕事したいな」 


おばあちゃんが孫に言ったのは残念な内容だった


すると、おばあちゃんは孫の発言を受けてこう応えたのだ。


「郵便配達ねえ、おまえは子どもだからまだわからないと思うけど、おばあちゃんは良いと思わないないわ、だって仕事はきついし、その割にお給料は安いし、おとなは誰もいい仕事とは思ってないんだよ」


おばあちゃんの豪直球でストレートな応え

なんとストレートな発言なんだろう。しかも剛速球で、せっかくの返球も、これではこどもが受け止めることはできるはずがない。


おばあちゃんは何も孫の発言を真に受けて応えなくてもよかったのだ。なぜなら、こどもは何事に対して直感で反応し、よく考えて発言することなどないからだ。


要するに孫は、赤いバイクに乗って走り回る郵便配達員をカッコいいと思い、瞬間的に「僕もやってみたい」と、たまたま側にいたおばあちゃんに語りかけただけなのだ。


したがってこの思いを大人になるまで持ち続けることはまずないだろう。おばあちゃんはこの場面で郵便局員の仕事をネガティブに語ることはないのだ。


第一人の職業をけなすことは「職業に貴賎なし」という考えに反しているのではないか。それにもっと良くないのは「子どもの夢をも壊す」ことにつながるからだ。


おばあちゃんはこういえばよかったのだ


では人の仕事をけなさず、子供の夢を壊さずに、おばあちゃんはこの場合、孫にどのように話せばよかったのだろうか。以下はその一例である。


ああ、あの郵便局の人のようにね。それもいいかもしれないね、みんなが楽しみに待っている手紙なんか届けてあげる仕事だし。 


でもねえ、世の中には人に役に立つ仕事はいろいろあるから、一つづつ見ていってゆっくり考えたらいいとおばあちゃんは思うよ。