2025年5月24日土曜日

この記事がおすすめ・シリーズ Part 4【16~20】 (Play Back series No.2)


 


もくじ

その16

窓際の客は外見(見栄え)で選ぶ・パリのレストランの話

その17

昔はよくお世話になったが

かつてのような質屋さんは今でも健在なのか?

若い頃よく利用した質屋さんがなつかしい

その18

タイトルがユニークで変わっている「〇〇本」という書物   

その19  

売れっ子作家浅田次郎にも苦難の時代があった 

貧乏時代の「新年の誓い」とは

今を時めく人 気作家の駆け出し時代と

作家浅田次郎・「昭和59年度の目標」

※買いたいもの

その 20

SNSに「それで ?」のボタンを、と作家の井上荒野は言っている


その16


窓際の客は外見(見栄え)で選ぶ・パリのレストランの話


パリのレストランで窓際の席を断られても人種差別とは言えない

パリのレストランでアジア人が窓際の席を断られたが


あるブログに載っていた話ですが、パリの中心部にある有名ホテルのレストランに一人のアジア人中年男性が訪れたときのことです。

男性はできることなら外が一望できる窓際の席を希望していました。ところがその席に付こうとしていると、おもむろに男性店員が近づいてきて、「奥の席へ移動してください」と言うではありませんか。

残念とは思ったものの、たぶん予約席か何かなのだろう」と思い、諦めて窓際から離れた入り口側の席につきました。

それからしばらくして、地元のフランス人らしい白人女性が入ってきて、窓際の席に着きました。

「ハハーン、あの人が予約の人か」と思ったのですが、しばらくしてまた白人男性客が、同じように窓際の席につきました。

その後も白人客が続き数人が窓際に席に付いたのです。アジア人の彼が断られてから、もう5人以上がその席に付いたことなるではありませんか。


ここまできて、彼は「これはどうもおかしい、予約席というのはひょっとして嘘ではないのだろうか。私が日本人だから断られたのではないだろうか。そうだとすると人種差別なのでは?」と疑い始めたのです。


アジア人を希望した席に付かせないのは人種差別に当たるだろうか?

人種差別、いやな言葉です。でもパリのレストランでアジアの客が窓際の席を断られたことは、果たして人種差別に当たるのでしょうか。

それを考える前に、なぜアジア人だと窓際の席を断られるのでしょうか。

理由はこうです。窓際の席は客が外を見ることができるいわば特等席ですが、外の通行人にもレストランの客を見ることができます。つまり外から仲の客が観察されるのです。

この際、外から観察する人は当然窓際に座った客をみることになります。そして座っている人の様子から店のことを判断するのです。


外からの見栄えを重視するレストランのマネージャー


外から見る人が窓際の席に座った客で店を判断するとすれば、その店のマネージャーはどういった行動をとるでしょうか。

簡単なことです。窓際にはなるべく外見の良い客を座らせようとします。そうすることで外の人からは「客筋のよい店」と判断されるからです。

その結果店は評判を呼びどんどん繁盛していくのです。では逆の場合はどうでしょうか。つまりマネージャーが窓際の席の客層に無頓着で、来る客の外見などにかかわらず順番に席に付かせた場合です。

そうすると必ずしも外見のいい客ばかりが席に付かずに、中には?が付く人も混じっているかもしれません。

そうした場合、外から眺めた人は、客層について良い判断を下さず、店に評判が下がり、結果として店が繁盛しなくなるのです。


いかがでしょうか。店の繁盛のために窓際の席の客を選択するマネージャーの行動を人種差別と呼べるでしょうか。

はっきり言えば、これはホテルレストランの売り上げを増やすための方策であり、外見的な美醜で人を差別するルッキズム(lookism)には当たらないのではないでしょうか。


(注)ルッキズム(lookism)とは

外見的な美醜を重視して人を評価する考え方容姿による差別をいう


窓際の席はショーウィンドウの役目をする


カフェやレストランなどでは、店のグレードが高ければ高いほど客の質に気を配ります。

その対策の一環として外から眺められる窓際の席に座る人は厳しく選択します。なぜなら外から見る人は客層によってランキングするからです。

つまり、窓際の席に見栄えの良い人が座っていれば、グレードの高いレストランだと判断し、見栄えの良くない人を見れば、低ランクに評価するのです。

これがレストランの売り上げに直結するのです。


これでわかるようにレストランの窓際の席はショーウィンドウの役割も果てしていますから、マネージャーは、できるだけ見栄えの良い客をそこへ座らそうとするのです。


(ツイートより)

パリのホテルの件、ひどいと思うけど、人種差別では無いと思う。だいたい飲食店はフランスでも日本でも 「窓際の席は見栄えのいい外国人やモデルのいわば指定席。店のイメージアップにつながる人を意図的に座らせる」 ことが行われていて、そのホテルの見栄えの基準が白人だっただけだと

2015


この記事がおすすめ・シリーズ Part 4【16~20】



その17


昔はよくお世話になったが

かつてのような質屋さんは今でも健在なのか?


若い頃よく利用した質屋さんがなつかしい


給料の安かった若い頃、給料日前になると決まって金欠状態になっており「これだけで後何日過ごさないと」と、残り少ない残金を計算していたものです。


なにしろ給与総額が3万円程度という安月給時代のこと、少し油断して使いすぎるとすぐピンチになるのです。


でもなんとかやりくりできればいいのですが、どう考えても無理なときは意を決して質屋さんに走りました。


日本の経済成長前のことで、国自体が貧乏ですから社会全体の給料が安く、多くの庶民にはお金に余裕がありません。ですから貧乏なことを恥とは感じませんでした。


したがって質屋さんでお金を借りることもそれほど恥ずかしいこととは思わず、むしろ給料前にお金が調達できる便利な場所というふうに考えていました。


もっとも今のような消費者金融全盛の時代ではなく、質屋さんは困ったときに庶民がお金を調達できる数少ない選択肢だったのです。



質草には、腕時計 カメラ 衣服類など


質屋さんでお金を借りるには抵当になる品物が必要です。それを質草と呼ぶのですが、若者ですからそれほど良い品物は持っていません。


それでも当時は多くの若者が持っていたカメラ、それに今と違って大抵の人が身につけていた腕時計、その他は背広などの衣類が多かったようです。


いずれも高価なものではなく、若者の誰もが持っているような一般的な品物です。


それだけに借りられる金額も多くはなく、たいていの場合、多くても数千円程度でしかありませんでした。


とはいえ、月給が2~3万円の時代ですから、給料前の数千円にはかなりの価値があったのです。



質屋さんの利息は月9分(ぶ)


もう何十年も前のことなのに、なぜだか質屋さんの利息はよく覚えています。確か月に9分(ぶ)だったと思います。


分(ぶ)とは江戸時代から続いている金利の単位で、1分は今の1%も当たります。


したがって月9分の利子は)9%に当たり年利にすると108%にもなります。


これを具体的にいいますと、例えば5千円借りたとしても利息は1ヶ月450円ですから、決して安いものではありませんでした。


とはいえ質草が惜しいこともあり、大抵は給料が入ったら返済していましたから、当時はそれほど高いとは感じていませんでした。



利息を払わず流した品物も少なくない


給料前にたびたび利用した質屋さんですが、借りたお金が返済できないとこもありました。返済できないまま3ヶ月経つと期限が来て預けた質草が流れてしまいます。


流れるとは品物を没収されることです。借りた5千円の3ヶ月分の利息1350円(月450円✕3)を払わないと預けてあるカメラなどの品物が店の所有物になってしまうのです。


でも、大事な品物が流れてしまっては大変です。そこでなんとか利息のお金を工面して支払おうとするのですが、それが叶わず無念な思いで品物を手放してしまったことは幾度もあります。


ある日気がつくと月賦で無理して買ったカメラ、親からもらった大事な腕時計、一着しか無い冬のコート、などが消えていたのです。



今では多くの質屋さんが買取ショップに変身


今では町を歩いてみても、ネットなどで探してみても、品物担保でお金を貸すのを専門にしている質屋さんはほとんど見かけません。質店という看板を掲げている店がなくなってしまったのです。


その多くが買取ショップに変わってしまったからです。品物でお金を貸すのではなく、その場で買い取ってしまい、その対価を支払うのです。


持ち込まれる商品は安物が多かった質屋さんの時代とは違って、高級ブランドの高価な物が多いのが特徴です。


したがって質屋さんの時代に店内に漂っていた、あの懐かしい一種独特な貧乏臭い雰囲気はすっかり無くなってしまいました。



質屋さんから期限切れ通告のファックスが?


これは余談ですが、数年前、我が家へ身に覚えのない内容のファックスが届いたことがあります。


それにはこう書いてありました。「お預かりしているダイヤの指輪の期限が近づいていますのでご連絡をお待ちいたします」。


差出人は市内の質屋さんでした。要は質入れしてお金を借したダイヤモンドの指輪が、期限が来たので利息を払わないと流れてしまいますよ」という連絡なのでしょうが、質屋さんが宛先を間違えてファックスを流したのです。


なんとも身につまされる話ですが、店と客の名誉のためにと、黙って見過ごしてしまいました。



米国の質屋さんはPAWN SHOPという


アメリカ映画を観ていて店舗のpawn shopという看板を目にしたことはありませんか。それとは別に窓などにMoney Loanという文字が書かれていることもありますが、要は日本の質屋さんと同様の店なのです。


Pawn Shop、日本の質屋さん同様に歴史を感じるなかなか味のあるワードではありませんか。



この記事がおすすめ・シリーズ Part 4【16~20】

その18


タイトルがユニークで変わっている「〇〇本」という書物 

5冊とも名前だけでなく中身もおもしろい

下でご紹介する5冊の本はすべてタイトルが「〇〇本」という形になっています。変わっているのはタイトルだけでなく、中身もなかなかユニークで興味深い内容になっています。

 

             1冊目《お金本》左右社


(内容紹介)

累計5万部、話題の文豪アンソロジー最新作。
友人に借金し、借りた金で酒を呑み、親の脛を囓り、執筆以外の金儲けを考える。現実と理想の間でもがきながら、今日を力強く生きるのだ。貯金は底をついても才能は枯渇しない。作家、実業家、ミュージシャンまで総勢96人、生きるか死かのお金ばなし100篇。                                      

                        

   2冊目《〆切本》左右社

(内容紹介)

追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント! 〈本書まえがきより〉 しめきり。そのことばを人が最初に意識するのは、おそらく小学生の夏休みです──。 本書は、明治から現在にいたる書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めた“しめきり症例集”とでも呼べる本です。いま何かに追われている人もそうでない人も、読んでいくうちにきっと「〆切、背中を押してくれてありがとう!」と感じるはずです。だから、本書は仕事や人生で〆切とこれから上手に付き合っていくための“しめきり参考書”でもあります。

                                       3冊目《〆切本2》左右社


(内容紹介)

あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックから川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…]

 

                                    4冊目《悪口本》彩図社文芸部


(内容紹介)


文豪と呼ばれる大作家たちは、悪口を言うとき、どんな言葉を使ったのだろうか。
そんな疑問からできたのが、本書『文豪たちの悪口本』です。
選んだ悪口は、文豪同士の喧嘩や家族へのあてつけ、世間への愚痴など。随筆、日記、手紙、友人や家族の証言から、文豪たちの人となりがわかるような文章やフレーズを選びました。これらを作家ごとに分類し、計8章にわたって紹介していきます。
川端康成に「刺す」と恨み言を残した太宰治、周囲の人に手当たりしだいからんでいた中原中也、女性をめぐって絶交した谷崎潤一郎と佐藤春夫など、文豪たちの印象的な悪口エピソードを紹介しています。
文豪たちにも人間らしい一面があるんだと感じていただけたら、うれしく思います。

 

                                      5冊目《口説き本》彩図社文芸部


(内容紹介)

本書は、文豪たちの恋の顛末を、口説き文句を介して紹介する一冊です。

愛人を夢中にさせた太宰治、素直になれない中原中也、甘い口説き文句を連発する芥川龍之介、先輩詩人を熱烈に慕った萩原朔太郎、知らずに男を口説く石川啄木、思いを伝えられない梶井基次郎、身も心も捧げようとした谷崎潤一郎……。

口説き方は文豪によって千差万別です。誠実な口説き文句を伝え続けて願いを成就した文豪もいれば、気の利いたことをしたつもりが上滑りして、失恋をする文豪もいました。そんな忘れられない経験をもとに、優れた作品を生み出した文豪もいます。
口説き文句からはそうした、文豪たちの人間らしい一面を窺い知ることができます。自分が口説かれた気持ちで読んでいただくと、一層、文豪やその作品を、身近に感じることができるかもしれません。

「内容の説明」の出典:1冊目~3冊目(左右社)・4冊目~5冊目(彩図社)


 この記事がおすすめ・シリーズ Part 4【16~20】

     

 その19

売れっ子作家浅田次郎にも苦難の時代があった ・ 貧乏時代の「新年の誓い」とは

今を時めく人気作家の駆け出し時代と

いつも思うことだが、この作家のエッセイはテーマが興味深く読みごたえがある。

作家の書いたエッセイは、たとえ人気作家と言えども、必ずしも内容が優れているとは限らない。

なぜなら作品を書きすぎてネタ不足に陥り、同じテーマを何度も書くことがあるからだ。

そのよい例は、少し前に取り上げたことがある美人女優を二人も妻にしたことで有名な作家IS氏の作品である。

この作家のエッセイ作品は、テーマに新鮮味が乏しく、つまらない内容の作品が多い。

なぜならエッセイ集だけで50冊以上出しているためネタ不足になっているからだ。

その結果過去に取り上げたことがあるテーマを切り口を変えただけで書いた作品が多い。

その点浅田氏の作品は取り上げたテーマがどれも新鮮で、それだけでも魅力がある。

また文章が美しいだけでなく、内容が示唆に富んでいるので読んで勉強になる。

今回の作品には特に印象に残った部分があったので、それを書き残しておくことにする。

著者には毎年正月にその年の目標を書き留める習慣があるが、33歳の時の昭和59年に新年の誓いとして、エッセイ集「かわいい自分には旅をさせよ」に次のように書いている。

なおこの時代はまだ駆け出しの頃で、年中貧乏生活に明け暮れていた


作家浅田次郎 ・ 「昭和59年度の目標」

一つ、新人賞をとる

具体的にどこの新人賞をとるかは書いていないが、おそらく群像、すばる、文学界などを目指していたのであろう。

すべて応募したことは間違いないが、もちろん目標は達成されなかった。

一つ、金鵄のもとに(小説のタイトル)を脱稿する

この小説は東部ニューギニア戦を題材にした長編戦記で、真剣に取材もして、資料も集めたが、結局脱稿どころか今日にいたるまで起稿すらしていない。

一つ、毎月30万円ずつ家計に入れる

これは多分実行されたと思う。小説を書くことで家計を圧迫したためしがない。ただし年頭の誓いにこれがあえて付け加えられたのは、それなりにかなりの努力をしたということであろう。

一つ、歯を入れる

これは極めて具体的に当時の当時の暮らしぶりを思い起こさせるが、長いこと歯が欠けていたのである。そんな人相では運など好転しないと分かっていても歯医者に行く金がなかった。

一つ、〇〇に借金を返す

この項目が幾つか続く

一つ、住民票を移動する

一つ、健康保険をもらう

一つ、子どもを幼稚園に入れる


※買いたいもの

ジューサー、ホットプレート、本箱、整理ダンス、バイク、電子オルガン、電話、靴

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがでしょうか。このようなことをエッセイ集に書き残すこと自体がこの作家のあたたかい人間味のあらわれです。

特に「毎月30万円ずつ家計に入れる」「歯を入れる」「〇〇に借金を返す」などの記述には当時の貧乏生活がにじみ出ています。

また「買いたいもの」の内容を読むと、ほほえましくなり、思わず頬がゆるみます。

今をときめく人気作家の貧乏時代の人間味溢れるこうした記録は、読む人の心を和ませるだけでなく勇気と希望を与えてくれます。


この記事がおすすめ・シリーズ Part 4【16~20】



その20


SNSに「それで ?」のボタンを、と作家の井上荒野は言っている




作家の井上荒野さんがエッセイに書いている「SNSにそれでボタンをつけたら」という意見は個人的には大賛成です。


その理由について彼女は次のように述べています

若い女性タレントなどがSNSやブログをやるのはいいのだけど、その内容が実につまらない。例えばどこどこのレストランでイタリアンを食べておいしかったとか、デパートのバーゲンセールでショッピングして楽しかった、などとどうでもいいようなことばかりを書いて載せているのだ。あまりにもくだらないので、こちらとしては「それで?」とツッコミを入れたくなる。そこで気がついた。これは誰かが言っていたことだが、フェイスブックに付いている「いいね!」ボタンの横に「それで?」のボタンも付けたらどうだろうか。

        参照:SNSのマナー(考えるマナー)中央公論新社


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・        


 くだらない記事に「いいね!」を求めるのは厚かましい 「それで?」と突っ込まれるのがふさわしい

井上荒野さんの意見にはまったく同感です。いまブログを初めとして、ツイッターやフェイスブックなどSNSには個人の日常などを書いたどうでもいいようなつまらない記事が蔓延しています。

これを読まされるだけでも迷惑なのに、厚かましくも「いいねボタン」を求めてくるのです。まさに「SNSバカ」そのものです。

こうしたバカぶりを本人に気づかせる方法はないものか。井上荒野さんが考えて気づいたのが

「それで?」ボタンなのです。

 

人はつまらない発言や記事に接すると「それで?」と突っ込みたくなる

SNSやブロブでくだらない意見や記事が蔓延している昨今ですが、それに接する側はいつまでもいやいやながら『いいね』で応えているだけで良いのでしょうか。これってストレスの原因になりませんか?

もしそうだったら大変です。ストレスの原因は取り去らないといけません。

では、どうすれがいいか? その対策の一つが、いいねボタンの隣に「それで?」ボタンをつけることです。そしてつまらない記事に接するたびに躊躇なくタップするのです。

どうですか?考えてだけでスカッとするでしょう。これについては少しも遠慮することはありません。

なぜなら、人というのははつまらないことに接すると、それで?と、お返したくなる動物だからです。

 

「それで?」と言わせるようなつまらない意見や記事を発表してはいけない

私が井上荒野さんの「それで?」ボタンに同調するのにはもう一つ訳があります。

実は私はかつて自分のブログに「それで?」に関連する記事を書いたことがあるのです。

記事のタイトルは「So What と言わせてはいけない」というものでした。

So Whatは日本語で「それで」とか「それがどうした」という意味です。

こんな記事を書いたのは、相手にSo Whatと言われるのは、発表した内容がくだらなかったり、つまらなかったりするからだということを当事者に気づかせるためです。