2026年2月17日火曜日

とある外資系ホテルCEOと私 二人に関する過去の話 (Part 1~3)の3



(Part 3)


新聞記事を見て初めて知ったYのその後

ウェスティンという名のそのホテルは、日本における外資系ホテル草創期1993年(平成5年)6月に大阪・梅田に建てられました。

オーナーは当時はぶりがよかったAという関西の新興建設会社です。

中堅の建設会社が外資系ホテルの経営に乗り出すのは珍しいことですが、この頃になってやっと沈静化を見せた見せたバブルの余韻かもしれません。



驚くべきかな!なんとYはこのホテルの社長になっていた

上でウェスティン大阪について概要を書きましたが、でもこれがこの項の趣旨ではありません。

知っていただきたいのは次の事柄です。それはタイトルにもあるように、その後のYの驚くべき転身です。

ある深い事情から私は35歳の時ホテル業界を去りました。それ故にその後のYの情報には無縁で、実はこの記事を読むまで、彼がホテルプラザを退職したことさえ知らなかったのです。

それが、いきなり大手外資系ホテルの社長になったという事実を知り、その鮮やかな転身ぶりを驚かないはずがありません。

私と同年齢でホテルプラザで同期だった彼が、今や雲の上の存在になっていたのです。

 

でもこうした羨望の念を抱いた期間は長くはありませんでした。

それからわずか数年後に知ったのは、下の新聞記事にあるように、Yに関するとんでもなくアンハッピー(不幸)な事実が知らされたからです。


外資系ホテルの社長になったYが起こした事件とは


『msn.産経ニュース』(2013.3.26)

≪ウェスティンホテル大阪の総支配人を労働基準法違反で送検≫


 <高級ホテル「ウェスティンホテル大阪」(大阪市北区)が、従業員に残業代などを支払っていなかったとして、大阪労働局天満労働基準監督署は25日、労働基準法違反の疑いで、同ホテルを運営するテェルウィンコーポレーション(〇〇〇〇社長)と、同社取締役でもある同ホテルの男性総支配人(61)を大阪地検に書類送検した。総支配人は容疑を認めているという>

 <送検容疑は、平成24年2月16日から同年3月15日にかけ、同ホテルの従業員計21人に残業や時間外労働に対する割増賃金など計約101万円を支払わなかったとしている><関係者によると、従業員の中には月129時間を超える残業をさせられていたにもかかわらず、固定給と定額手当しか支払われていなかった>という。

 <同署は昨年8月、内部告発を受け、同社本社などを家宅捜索していた。同社は過去にも従業員への残業代不払いなどをめぐって3回の行政指導を受けており、同署は再三の指導に従っておらず、同社が組織的にサービス残業させていたと判断した>という。


それにしてもYは、新聞でこれほど大きなニュースになるほどの事件をなぜ起こしたのでしょうか。

思うに、社長としての期待された経営成果を上げられず、少しでも経費を削ろうという気持ちが、「他人の力を不正に利用する」という、持ち前のずる賢さが働いたのかもしれません。



結局Yはずる賢いだけの男だったのか

Yが起こした事件について改めて考えてみますと、結論としていえるのは、結局彼はいつも出世や保身だけを考える、いわゆるずる賢いだけの男でしかなかった、ということです。

それもそうでしょう。まず私に米国ホテルの資料を借りにきたことです。

私としては苦労して得た貴重な書類です。それを当時それほど親密でもない彼が唐突に、しかも気安く申し込んできたのです。

記憶は定かでありませんが、確か2週間ほど返しに来ませんでしたから、憶測ですが、その間にすべてをコピーしたのではないでしょうか。


Yの外資系ホテル社長の座獲得には私が貸した書類が大きな役目を果たしたのかも



もし彼がホテルプラザにいた頃から外資系ホテルへの就職を視野に入れていたとすれば、私に資料を借りにきた意味がよく分かります。

私から借りた資料は外資系ホテルの重役のポスト獲得には、極めて役に立つ有用なものであったに違いありません。

それもそうでしょう、資料はすべて、ニューヨークの一流ホテル現場でInteroffice orrespondence(内部通信・社内連絡)として社員間のコミュニケーションに使われた最新の文書の集積だからです。

これほど最新の生きた教材が外資系ホテルスタッフを目指すために役立たないはずがありません。

早く言えば、Yはこの唯一無二ともいえる貴重な資料を得て、これをうまく活用することで、外資系ホテルCEOへの道を大きく切り開いたのかもしれません。

そうした彼も、身から出た錆からなのか、最後は系列の淡路島にある小さなホテルへ左遷され、ホテルマンとしての生涯を終えたようです。

2026年2月14日土曜日

noteは同時期スタートのココナラに売上高で大きく後れを取っている・《noteの真実》シリーズ part 3


noteは評判の高い投稿サイトですが、その人気にふさわしくないのが疑問点の多さです。


その一つが、非常に多くの投稿を集めている超人気サイトであるのに反し、企業としての売上高及び純利益が低いことです。


この点について同時期にスタートしたココナラと比較してみました。


2010年代の初めにスタートしたnoteとココナラは「個人の知識・スキル・コンテンツをネット上で販売できる」という点では非常に似ていますが、主な用途や強み(文章か、スキルか)が異なっています。


異なるのはこれだけでなく、上にも書いたように売上高や純利益においてもnoteはココナラに大きく後れをとっています。


この事についてAIに訊いてみました。


AI による概要


2020年代前半の業績データを基に比較すると、ご指摘の通り、サービス開始時期(2010年代前半)が近いnoteとココナラでは、売上高においてココナラが規模で大きく上回っている現状があります。

直近の業績(2024〜2025年時点)での比較は以下の通りです。


売上高の比較(直近決算ベース)

ココナラ: 2025年8月期の決算短信によると、連結売上高は90億円規模に達する勢いで成長(2025年2月期中間決算では前年同期比約70%増の47.1億円と大幅伸長)。マーケットプレイス事業が主軸。


note: 2025年11月期(通期連結)は売上高41.4億円。2024年11月期に黒字化を達成し、2025年11月期も前期比25%増と大幅に増収増益(2025年11月期、約41億円)していますが、規模としてはココナラの半分程度です。 


両社の違い

ココナラ: 「スキルマーケット」であり、高単価なサービス取引が多く、流通総額(GMV)が大きいため売上高が伸びやすい。


note: 「メディアプラットフォーム」であり、クリエイターのコンテンツ販売(低〜中単価が中心)や法人向け「note pro」が収益源。コンテンツ流通自体よりも、ユーザー数と固定費(pro機能)で成長する構造。 


成長傾向

ココナラが規模の大きな「EC型マーケット」として圧倒的な流通総額を持つ一方で、noteもまた生成AI時代において利益率を大幅に改善(2025年11月期営業利益は前年比約5倍)させるなど、成長率の面では急速に追い上げを見せています。 


結論として、2025年時点の数字では「売上高(規模)ではココナラが優勢」ですが、両社は収益モデルが異なるため、単純な売上高以外の指標(成長率や利益率)では異なる景色が見えます。



2026年2月13日金曜日

NHKミラノオリンピック中継(2/11)で男性アナが解説者に「ご覧になられて」と問いかけていたが


NHKのTV放送をを観ていると、やたらにアナの敬語づかいの誤用が耳に付きます。


言葉のプロであるはずのアナウンサーが、なぜ単純な敬語使いでこれほどミスを重ねるのか不思議でしかたがありません。


日本語において敬語の使い方は極めて大事です。


これを間違えることはアナウンサーの資質を問われるだけでなく視聴者に大きな不信感を与えます。


この問題をNHKはいったいどのように考えているのでしょうか。


参考までにAIに「ご覧になられて」について訊いてみました。



AI による概要

「ご覧になられて」は、尊敬語「ご覧になる」にさらに「られる」を付けた

二重敬語にあたり、誤った(または過剰な)敬語表現です。ビジネスや目上の人には「ご覧になって」や「ご覧ください」を使うのが適切です。 

具体的な解説

  • 間違いの理由: 「見る」の尊敬語は「ご覧になる」です。ここに「〜られる」という受け身・尊敬の助動詞を加えるのは、敬語が重なりすぎているため不適切とされています。

  • 正しい表現への言い換え:

    • ご覧になられて → ご覧になって

    • ご覧になられますか? → ご覧になりますか?

    • ご覧になられた → ご覧になった

  • さらに丁寧な表現: 「ご高覧(こうらん)ください」など。 

「ご覧になられて」は、丁寧なつもりでも慇懃無礼(過剰な敬意)な印象を与えかねないため、避けるのが賢明です。 


2026年2月12日木曜日

T.,Ohhira エンタメワールド〈5〉下津さんの失敗・ナイトボーイの愉楽②(3)

  

                 

                  adobe stock  

 

 道夫はそんなたわいないことを考えながら、廊下よりいくぶん明るいエレベーターロビーまできて、壁に二つある三角のボタンのうち、下行きの方を押してから呟いた。


 下津さんになんて言おう。お礼のひとことでも言ったほうがいいんだろうか。 

上行きのエレベーターが一度通過して、十三階で止まってからすぐ下りてきた。


 ドアが開き、下津がまたニタッと笑顔を見せたが、仕事を終えてロビーに下りていくマッサージ師の女性が同乗しており、その時は何も聞かなかった。

 

 その夜一時までに計七回のチェックインをこなした。 中ほどであった新婚カップルに千円貰ったが、後はすべてしぶちんな外人シングル客ばかりで、七回目が終わったところでチップの合計は三千六百円で、最初、例のカップルから二千円貰ったわりにはその後の伸びがもうひとつだと、やや不満に思っていた。


 一時半になり、客の待機時間が終り、九名のうち、三分の二の六人のボーイたちは「さあ仮眠時間だ」とそれぞれの寝場所へと散っていった。


 この夜は道夫と下津、それに副リーダーの杉山が四時までのナイトワークの当番だった。


 ロビーの消灯を終え、スイッチボックスのキーを返そうと、道夫がフロントオフィスのカウンターの中へ入りかけたとき、下津がつかつかと近寄ってきて、例のニタッとして笑みを浮かべながら聞いた。


 「やあ浜田、あれからずっと聞けなかったけど、どうだった例のカップル?」

 「ええまあまあ、おかげさまでなんとか下津さんが最低線だと言った二千円ありましたよ。もっとも下津さんのようにうまくは言えませんでしたけどね。どうも奥様というのがスムーズに出なくて」


 「慣れだよ慣れ、これから意識してそうやればお前だってきっとうまくなるよ。でも二千円か、悪くないじゃないか。他の種類の客だとなかなかそうはいかないからな。どうだ、俺の言ったこともまんざらじゃなかったろう」


 「そうですねえ。やはり下津さん、先輩だけのことはありますよ。さっきエレベーター遅れたとき僕にコーヒーおごると言っていましたけど、あれ帳消しにしてもいいですよ」


 「いやあれはあれ、コーヒーはちゃんとおごるよ。そのかわりお前はビールおごれよ」

 「あっ、こりゃあまいった。さすがは下津さん。しっかりしていますねえ」

 「そりゃあそうだ。甘えはいかん。コーチ料はちゃんといただかないとな。それがプロだ」


 下津はややキザなそんなセリフを吐くと、ついさっきまでニタッとしていた表情をすっかり引っ込めて、今度はキッと唇を結んだうってかわった毅然としたポーズをとっていた。


 「ところで浜田、フロントの上村さんからメッセージ受けとったかい?」

 「メッセージって、なんですかそれ?」

 「そうか、まだだったのか。十二時半ごろだったかなあ。俳優の二宮さんがチェックインしたんだ。お前あの人のことをよく知ってるだろう。あの人がお前にと言って、上村さんに伝言を渡していたよ。俺、ちょうどカウンターの前にいて見ていたんだ」


 「へえー、二宮さん来ていたんですか。知らなかったなあ。あの人が僕宛に伝言ですか?」

 「そうだよ。不思議かい?」 「いえ、べつにそういう意味じゃないんですけど。そうですか、じゃあ僕さっそく上村さんのところへ行ってそれ貰ってきます」


 道夫は下津にそう言うと、長いフロントカウンター端っこの狭い通路からフロントオフィスへと入っていった。


 いつもならチェックイン客を待ち構えてカウンターに立っているフロント係だが、それも終わったこの時間になると、もうそうはしてはおらず内部の事務室に入って、その日の客室売上の集計にかかっているのだ。 


フロントカウンターの真ん中あたりの少し奥まったところにある事務室の前まできて、ドアのガラス越しに中を覗くと、あんのじょう上村さんが長い集計用紙をにらみながら、せわしげに計算機をたたいていた。


 「上村さん、お忙しいところすいません。下津さんに聞いたんですけど、僕宛のメッセージを・・・・」 

「ああ浜田くんか、預かってるよ二宮さんから、顔見たら渡そうと思ってたんだ。


でもなんだねえ。二宮さんは君とずいぶん親しげだったけど、いったいどんな関係? おもしろいねえ、君のような若いもんが、あんな五十年配の人と」

 

上村さんは空いた椅子に無造作に引っかけてあったジャケットのポケットに手を突っ込みながら、そう言ってやや怪訝な表情で道夫を見た。


「ええ、そう言えばそうなんですけが、あの方、ちょうど僕のおやじぐらいの年齢で、最初来られたとき、チェックインに当たってから、これまでに三度くらいお話ししたんですけど、なんとなく馬が合って、この前はあの方が出演されていたたコマ劇場へ招待されたんです」

 

「ふーんそうか。キミ童顔でかわいらしい顔してるから、案外中年男性の好みのタイプかもしれないな」 


上村さんはそう言って、なにか意味ありげな微笑を浮かべながら二つ折りの茶色の角封筒を道夫に渡した。


つづく


次回 2月19日(木)


2026年2月8日日曜日

note は人気投稿サイトなのに9割が早々に離脱するのはなぜ ・ 《noteの真実》 シリーズ(2)

 

このシリーズ(1)で、「note投稿者9割が徒労に終わる」と書いたが

そもそも、その原因は今回のテーマである「9割が早々に離脱する」ことにある。


AIによる概要

noteの「3ヶ月で9割がやめる」という数字は、公式発表ではありませんが、多くのクリエイターや分析者が実感値として語る「継続の壁」を象徴しています。

あんなに人気なのに、なぜこれほど多くの人がすぐに辞めてしまうのか。その主な理由は以下の3点に集約されます。


1. 想像以上の「無反応」への絶望

noteは他のSNSに比べ、SEO(検索)に強い反面、最初の数ヶ月はGoogleなどの検索エンジンに評価されず、「誰にも読まれない」期間が長く続きます。

  • 期待とのギャップ: 「良いことを書けば誰かが見つけてくれる」という期待に対し、現実は「PVゼロ」が続くため、モチベーションが3ヶ月持たずに枯渇します。

  • スキの少なさ: 相互フォロー以外の純粋な反応が得られるまでには、一定の蓄積(記事数)が必要なため、そこに至る前に挫折します。

2. 「収益化」までのハードルの高さ

noteの最大の魅力である有料記事やメンバーシップですが、実際に収益が発生する目安は「3ヶ月〜半年」と言われています。 

  • 先行投資の失敗: 「稼げる」という噂を聞いて始めた層が、最初の1〜2ヶ月で1円も稼げない現実に直面し、「割に合わない」と判断して離脱します。

  • 信頼構築の欠如: 収益化にはまず無料記事での信頼構築が不可欠ですが、その地道な作業をスキップしようとして行き詰まるケースが目立ちます。 

3. 「毎日投稿」の呪縛とネタ切れ

noteでは「毎日投稿」が推奨される風潮がありますが、これが逆に初心者を追い詰めています。

  • ネタの枯渇: 最初は書きたいことがあっても、30日〜90日程度でストックが尽き、書くことが苦痛に変わります。

  • 質の低下: 投稿を続けること自体が目的化し、内容が薄くなることで反応がさらに減るという悪循環に陥り、最終的に更新が停止します。



2026年2月6日金曜日

とある外資系ホテルCEOと私 二人に関する過去のおはなし (Part 1~3)の(2)

 


(Part 2)


1972年秋 NYのホテル研修を終え帰国

ヒルトン職場研修では多くのかけがえのない成果を得た


1972年の秋、私は1年数カ月のNYのホテルでの研修を終えて元のホテルプラザへ戻ってきました。


スタットラーヒルトンで勤務した職場は主にフロントオフィスでしたが、それなりの研修成果はありました


具体的に上げてみると第一はこちらの職場は会議やミーティングが極端に少なく、その代わりにスタッフへ届くinteroffice correcepondenceと呼ばれる通達文書があります。


いわゆるオフィス内文書ですが、関連部署のマネージャーからスタッフ一人一人に当てて届けられるのです。


現地の社員にとってはこれは単なる連絡文書でしかないでしょうが、私にとってはそれだけで終わらず、もう一つ別の大きな意味がありました。


というのはこれは英語で書かれた職務文書であり、生きたビジネス英語の格好の教材となったからです。そうした文書が在籍中に100通近くも届いたのです。



第二は、ヒルトンのフロントオフィスには15名ほどのスタッフがいましたが、私以外はすべて現地の外国人ばかりでした。


そのため否応なしに使う言語は英語だけですが、これが英語力の上達に大いに寄与してくれました。


日本とは大きく異なる米国ホテルの経営形態


三つめは、日本と大きく違うアメリカのホテルの経営形態が学べたことです。


日本では英語ができるということがスタッフの条件になっていることもあり、フロントオフィスには比較的優秀な人材が配置されていました。


しかしこちらでは英語ができることは当たり前のことですから、FOのスタッフに特に有能な人が配置されることはありません。


有能なスタッフは経営サイドである企画とか広報、あるいはマーケット部門に配置されているようです。


その証拠に私が職場でもらった通達文書は、セールスマネジャーやマーケティングマネージャーからのものがずいぶん多かったようです。


フロントスタッフは誰もが堂々として客に対峙している


これは学んだというより、むしろ驚いたと言った方がいいかもしれませんが、こちらのスタッフはサービス業だとは言え,客に対してむやみにペコペコした態度をとることなく、むしろ堂々として対峙していることです。


要するに客は従業員より上、という観念がなく、人として対等の立場で対応しているのです。


それが良く表れるのが言葉遣いです。


もちろん言葉の語尾には相手を敬う、SirとかMa'amをつけますが、それ以外はごく普通の言葉遣いで通しているようです。


これは、客に対しては少なからずへりくだった言葉遣いが多くなる日本の職場とは大きく異なるようです。


その象徴的なシーンを目撃したのは、当時アメリカの大統領のジョンソン氏がこのホテルを訪れた時のことです。


応対したのはFOのチーフを務めるショーン・フレディでしたが、彼がカウンターから手を伸ばして、ジョンソン大統領と堂々と握手していたシーンが忘れられません。


NY研修から戻った私に、Yが突然「NYのホテルの資料を見せてくれ」と言ってきた


上でも書いたように、1972年の晩秋、私はトレイニーとして出向していたニューヨークのスタットラーヒルトン(後のホテルペンシルバニア)から元の職場ホテルプラザに戻ってきました。


新しいポストは接客課のアシスタントマネージャー(係長)でした。


一方Yの方はというと、30歳を過ぎてまだ間もないのに、既にホテルの重要ポストである副支配人(課長職)についており、20人ほどいた同年齢の中で最も出世が速い3人のうちの1人に入っていました。


そんな彼は周りから「やはり青学(青山学院大)出身は違うな」と羨望の目で見られていました。


羨ましく思ったのは、私も同様であったのはいうまでもありません。


それほど親しくもないYに貴重な資料を貸したのは大きな失敗だった


同期の誰より出世がはやく、皆から羨望の目で見られていたYですが


その彼がNYから戻ってきたばかりの私のところへ突然やってきて、なんと、「アメリカのホテルの資料を見せてくれ」というではありませんか。


はっきり言ってYと私はそれほど懇意ではありません。ふだん出会ったとき軽い挨拶を交わす程度の中でしかなかったのです。


それなのに私が苦労して得た貴重な資料を貸してくれ、と気軽に言うのです。


その厚かましいともいえる神経には理解に苦しんだのですが、その時の私は彼の申し出に対して、理由を尋ねるとか、あるいは何らかの条件を付けるなどということはまったくなく、申し出をすんなり受け、数十点にも及ぶ資料を手渡したのです。


好意によるものといえばそれまでしょうが、大きな代償を払って手にした貴重な資料を特に親しくもない職場の同僚に無条件で安易に貸し与えたことは、私の職業人生に汚点を残す大きなミスであったように思います。


これは後にわかったことですが、要するに彼は私をうまく利用したのであり、利用された私がバカだった、と言えるかもしれません。


Part 3へ続く