マンハッタン西97丁目 第5章 「7年ぶりの再会」 (その3)
「本当にお久しぶりですねえ草山さん。突然のことで僕も、どなただったろうと、しばらく思い出せなかったぐらいです」
チーフのマックにことわって修一は草山を伴いコーヒーショップへ行った。
「あの節はいろいろお世話になりました。あの年の冬休みにもあのホテルへ伺ったのですが、お辞めになっていたので御礼も言えなくて、そういえばドアマンの方から草山さんがニューヨークへ行かれたことを聞いたのを今思い出しました。なにぶん七年前のことですから、これまですっかり忘れていました。あれからずっとこちらへいらっしゃったんですねえ」
久しぶりに見る草山は七年前とはずいぶん変わっていた。年齢はもう四十二~三になっているのだろうか。あのホテルの課長だった頃のようなキリリとしたスマートさは影を潜め、身体全体には、なにか生活の疲れのようなものを漂わせていた。
当時は真っ黒だった頭髪にもすでに白いものが全体の三分の一ほど混じっており、張りのあった声もどちらかと言えば、ボソボソとした調子のものに変わっていた。
「ところで草山さん。ぼくがここへいることはどうして?」
「うん、ぼくは今ある日本レストランのマネージャをしているんだけど、常連客にN商事の山崎という人がいてね、その人かrエールトンに大野という日本人がいると聞いてね、歳かっこうからして、もしかしてキミかも知れないと思って来てみたんだよ。
すると予想通り、東京のぼくのいたホテルでアルバイトをしていた君だった。正直言って驚いたよ。でももうあれから七年か。しかし君も出世したものだねえ」
「出世だなんて、冷やかさないでくださいよ。こちらに来られたのはちょっと運がよかっただけですよ。ところで草山さんは日本を離れてずっとどうだったんですか?」そう聞いた後で修一はこの質問は彼の苦い過去をほじくり出すようで良くないのでは、とできることなら取り消したい気がした。
でも草山は別段悪びれる様子もなく、日本を離れたあとのことをいろいろ話してくれた。
修一は時計を見てそろそろ職場に戻らねば、と思ったが、今日は客も少なくて暇なことだし、もう少しいいだろう、と思い直して草山の話をもうしばらく聞くことにした。
ニューヨークに渡ってきた草山は、父親が出してくれた資金を元に、友人と共同出資で、かの有名なエンパイヤーステートビルからあまり離れていない四四丁目のオフィス街にすし屋を開店した。
その時期はニューヨークでもまだ日本食のブームは全盛でなかったが、場所が良かったおかげで開店当初から予想を上回る売り上げがあった。カウンターだけで二十席ほどしかないあまり大きくない店であったが、日に日に客は増え、金曜日の夜などは店の前に行列ができきるほど繁盛していった。
三年経って、計画の倍以上の売り上げに気を良くした草山とその友人は、今度はハドソン川を挟んだ対岸のニュージャージーに、前の店の三倍の規模を持つ家族向けの日本レストランに出店に踏み切った。ここも開店からしばらくはすこぶる好調で、またしても成功かに見えた。
しかし好事魔多し、一年ぐらい経ったころ、日本本国から大手資本系列の寿司店が近くに進出してきて、そこに草山の店の有能な板前二名が引き抜かれてから様子がおかしくなってきた。去った板前と共に半分以上の常連客がそちらへ流れてしまったのだ。 売り上げは激減した。
草山らはあせった。このままでは銀行からの借入金さえ返せなくなる。折も折、信頼して任せていた四四丁目の本店のマネージャーが二週間分もの売り上げに相当する店の金を持ち逃げしたのである。
金額にしておよそ一万八千ドル、これには草山もこたえた。まさにダブルパンチであった。急遽新しいマネージャーを採用したが、これがまたチャランポランな男で客の受けがさっぱり良くない。おかげでそれまで順調だったこちらの方の客足さえ鈍り始めた。
新しい有能なマネージャーを求めたが、なにぶん日本レストランの進出ラッシュがあちこちで始まった時期であり、人材が極端に払底していて、これはという人物がなかなか見つからないまま、仕方なく頼りないマネージャーで辛抱していた。
もっともその時の草山らは、本店の三倍の規模を持つ支店の経営の方が大切と考えており、なんとか取られた客を取り戻して元の状態まで挽回せねばと、そのことで頭が一杯であり、本店の経営については多少おざなりにしていたふしがあった。
(つづく)次回 8月27日(水)
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