マンハッタン西97丁目 第4章 「すばらしき1週間」 (その5)
シャワーの熱い湯を浴びながら、偶然とはいえこのアパートの一つ屋根の下でバーマと二人きりになったことを修一は不思議に思い、同時に願っても無いチャンスがめぐってきた、とも思った。
これまでだと家の中でバーマと話したくなったときでもエセルに気兼ねして実行に移さないことがしばしばあった。歳が離れていると言ってもやはり女同士、バーマとばかり話をすることはエセルの嫉妬を誘うことになるかもしれないと、そんなふうに考えていたからである。でも明日からはそうした気兼ねをすることなく、いくらでもバーマと話すことができるのだ。
そう思うとなんだか無性にワクワクしてきて、大声を上げて歌でも歌いたいような陽気な気分になってきた。
明日はいよいよ大晦日、こちら流に言えばニューイヤーズイブなのだ。
そうだ、明日仕事の前に買い物に行こう。ワインとかウィスキーを買ってきて、夜はバーマと二人でパーティをしよう。修一は勝手にそう決めてしまうと、ますますウキウキとしてくる気持ちを持て余しながら石鹸を塗りたくったタオルでゴシゴシと身体をこすっていた。
翌朝のマンハッタンは快晴だった。風も無く十二月にしては珍しいほどの暖かな日差しが辺りを包んでいた。外へ出た修一は、まだいくらも歩かないうちに着ていたコートを脱いだ。外はそれくらい暖かかったのだ。
ブロードウェイの方へ向かって歩きながら、思いがけず訪れた今夜のバーマと二人だけのパーティについて思いをめぐらせた。これをチャンスと呼ばずになんと呼べばよいのだろうか。あと十時間もすれば何の気兼ねもないバーマとの素敵な夜のパーティが待っているのだ。
修一は鼻歌交じりで九七丁目とブロードウェイの角を曲がった。八六丁目のリキュールショップで二十五ドルも高級ワインと大好きなウィスキー「シーバスリーガル」を一本買った。しめて四十二ドル。飲み物代にしては大きな出費であったが惜しい気はしなかった。
何しろ今夜はバーマとの記念すべきバーティであす。それにアメリカだからこれぐらいですむのであって、日本で同じものを買えば二万円はくだらないだろう。
その僅か五分の一ぐらいですんだのだ。 やはりアメリカは日本と比べて値段が安いし種類藻多い。そう思いながら今度はそこから五~六軒先の食料品店へ行き、ハムだとかコンビーフ、それにナッツやピクルスなど、大きな紙袋一杯の食糧を買い込んだ。
「さあ、これでよし」と、右手に大きな紙袋、左手にワインとウィスキーの入ったビニール袋、邪魔なコートは肩に掛け、修一はウキウキとして来た道をアパートの方へ戻って行った。
午後三時、この年最後の勤務に就くため、修一は再びアパートを出た。
いつもの地下鉄の車両に乗って、前に座っている中年の黒人カップルを見ながら思った。
いったいこの国の人はその年の最後の日である今日についてどう考えているのだろうか? さしずめ今時分の日本だと、やれ大掃除だの、やれおせち料理の買出しだのと、主婦を先頭に大忙しで、辺り一帯に異常な慌しさが漂っているの違いない。
それに比べ、いま前に座っている黒人カップルをはじめ、ここニューヨークの人々のなんとゆったりと構えていることか。
それに地下鉄の乗客の数も普段どおりで、別に大きな買い物袋を抱えている人も無ければ、忙しそうにして険しい目つきをした人も見当たらない。まったく普段のウィークデイと同じ光景でなんら変わることはないではないか。
今日でこの年が終わり明日からまた新しい年が始まるということに対して、特別に感慨めいたものは持ち合わせていないようなのだ。国の習慣の違いや考え方の相違を修一は目の当たりにする思いがした。
チーフクラークのフレディは職場が暇なのを見届けて、この日の終業を一時間繰り上げてくれ、十一時になると修一に帰宅を促した。
フレディはこれまでにもしばしばこうしたスタッフに対する好意的な処置をしてくれていたが、この日もまた融通の利くところを見せてくれた。
さすがはチーフ、伊達に人の上に立ってはいないのだ。
アパートに帰ればバーマとの楽しいひと時が待っている今夜の修一にとっては願ってもないことであった。
しばしばこうした粋なはからいをしてくれるフレディのことを、修一は彼の名前フレディ・ショーンというのをもじって、フレックス(融通の利く)ショーンとでも呼んだほうがいいのでは、と常々思っていた。
そんな彼に厚くお礼を述べて、「帰心矢の如し」とばかり、大晦日の夜の街へと出て行った。
(つづく)次回 8月13日(水)
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