マンハッタン西97丁目 第5章 「7年ぶりの再会」 (その1)
カーテンの隙間から入り込む朝の陽のまぶしさで修一は目を覚ました。
真冬の弱々しい太陽とはいえ、朝の陽の光はやはり目にしみる。白い天井を目にしながら一瞬過去の記憶が途切れて、自分は今どこにいるのだろう?と、妙な気持ちに襲われた。
キチンの方からコトコトという音がしてハッと我にかえった。そうだ、昨夜はバーマと。そう思い出したとき、リビングの方からバーマの優しい声が聴こえてきた。
「サミー、まだ寝ているの? もう十時を回ったのよ。朝食の用意も出来たし、そろそろ起きていらっしゃいよ」それはこれまでに耳にしたことのないほど生き生きとした声で、それまでの眠気とけだるさを一気に取り去るほど修一の耳にはすがすがしく響いた。「ああバーマかい。わかった今起きるよ」 我に返った修一は跳ね上がるように起き上がると、急いで衣服を身に着けた。
洗面室へ行くとき、キチンでフライパンを手にして立っていたバーマが修一を見てニコッと微笑んだ。その微笑みは心なしか、いつもと違って少しはにかんだところがあるように修一には思えた。
「おはようバーマ、よく眠れたかい?」修一も少し照れくさい思いで、そう尋ねながらテーブルについた。 「まあよく眠れたほうだわ。でも途中で一度目がさめたの、だってサミーったら、ゴーゴーと丸で雷のようなすごい鼾をかくんだもの」
「それ本当?おかしいなあ、僕は普段からあまり鼾はかかないほうなんだけどなあ。でももしそうだとすると、昨夜はいろいろあって疲れていたせいかもしれないよ。君が寝ていると分かって僕が目をつむったのが、なにぶん三時過ぎだからね。それからさっきまでぐっすり寝込んでいたんだね。しかも滅多にかかない大いびきをかいてキミの安眠を妨げたなんて、知らないこととはいえゴメン、ゴメン」
修一はバーマに向かってビョコンと頭を下げた。
「それにしてもずいぶん豪華な朝食じゃないか。これ全部キミが作ったのかい?」「決まっているじゃない。エセルが病院から帰ってきたわけでもないのに、この私以外に誰がいるというのよ。こう見えても私だって女なのよ。たまにはこういうことをして、やれば出来るということを知っておいてもらわなくちゃね」
日ごろエセルの質素な朝食を見慣れていた修一にとって、なんともそれはすばらしく豪華メニューであった。
ほんわりと湯気の上がっているポタージュスープをはじめ、こんがりと焼けたボリュームたっぷりのベーコンエッグ、青々とした野菜がポールから溢れんばかりのハムサラダ、丸切りになったサーモンの缶詰、ふわふわと柔らかそうなライ麦のパン、それに中央には修一がこちらへ来て以来、こんなにおいしい果物はない、と思っていたブルーベリーがお皿一杯に盛られていた。
「そうだ。今日は一月一日なんだ!」修一が突然とんきょうな声を上げたので、バーマは口に運びかけたスープのスプーンを途中で止めてびっくりした表情で修一を見た。
「僕の国日本ではねえバーマ、今日から三日間は「お正月」と言って、みんな仕事を休んでお祝いをするんだ」食事をしながら修一はずっと日本のお正月についてバーマに話して聞かせた。知らない東洋の国の風習についての話は彼女にとってすごく興味があったらしく、話の途中で何度も何度も質問を浴びせてきた。
修一はその度にじっと彼女の目を見ながら丁寧に答えていた。
「私もいつか日本へ行ってみたいわ」バーマがポツリと言った。
「来たらいいじゃないか。僕のお嫁さんにでもなって」ジョークとも本気ともつかない言葉がふいに出かけたが、かろうじて喉元でそれを止めた。
かれこれ二時間あまりも二人は話に熱中していて、気がついて時計を見るとすでに午後二時を差していた。修一はこの日も仕事があることを思い出した。
「バーマ、いやだけど今日も仕事があるんだよ。そろそろ出かける支度をしなくちゃあ」 「あら、そうだったわねえサミー。ここが日本じゃなくて残念ね。日本だと今日を含めて三日間はゆっくりしていられるいうのに」 「うん。でもね、日本でもホテルマンは例外なんだよ。なにぶん万国共通で年中無休の商売だし、交代で休みはするけれど、三日連続で休めることはまずないね。因果な商売だよ。
もっとも日本ではこの期間に出勤するとサラリー以外に特別な金一封が出るのだけど、ここアメリカではそんなものも無いしね」 「郷に入れば郷に従えよ、サミー」 「その通りだ。とにかく僕行ってくるよ」
(つづく)次回 8月23日(土)
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