マンハッタン西97丁目 第4章 「すばらしき1週間」 (その2)
クリスマスイブの夜、修一がこの家に来て以来はじめて、三人の人間がキチンの前のダイニングルームの食卓を囲んだ。
キチンを背にしてエセル、その両サイドに修一とバーマが向かい合って座った。
珍しく花の飾られた食卓にはエセルの手作りの料理が所狭しと並んでいた。
普段の彼女の食事が極めて質素であることをよく知っているだけに、修一にはこの日の料理がとりわけ豪華に見えた。
テーブルの中央にはこんがりと見事な飴色にローストされた七面鳥の大きなかたまりが楕円形の金属のお皿に乗せられ他を圧するようにドカッと置かれていた。
これが昨夜修一の部屋で見せられたのと同じものかと、その見事な変貌ぶりに驚いた。バーマが目の前のボールにスープを注いでくれた。そして「わたしも学校から帰って支度を手伝ったのよ」と、微笑みながら言った。
「そう、それで何を作ったのだい?」と修一が聞くと、「これよ」と言って、大きなガラスの器に盛った野菜サラダを指差した。修一は「なあーんだ、それなら僕でもできるよ」と言おうとしたが、ここでも気後れを感じて「おいしそうだね」とつい別のセリフを吐いていた。
この夜食卓に乗った料理は、めったに口にすることのない七面鳥はもちろん、オマールのバター焼きもマカロニグラタンも、そしてスープもサラダも、すべてがすばらしくおいしかった。もちろん料理そのものがそうであったに違いないが、もしこれがエセルと二人だけの食事だとどうであっただろう? 多分こうも感じなかったのではなかろうか。ふとそういう気がしてバーマの存在の大きさについて、改めて考えずにいられなかった。
この夜三人は食卓を囲んでいろんな話をした。
バーマは「いまニューヨーク州が募集している反戦キャンペーンのポスター製作にかかっている」と言った。「一等になったら賞金が五千ドルも貰えるのよ。もしそうなったらサミーにもエセルにもうんとご馳走してあげるわ」と茶目っぽく笑って見せていた。
エセルはまだこの前の夜のことが忘れられないらしく「あんなに苦しかったのは生まれてはじめて、息が止まってこのまま死んでしまうかと思ったほどよ。でも早くよくなってよかったわ。病院に行く前はあのまま入院になるのではないかと心配していたのよ」そう言いながら今度はバーマの方だけ向いて「サミーは本当に親切で優しいのよ。病院まで付いてきてくれただけでなく、眠いのを我慢して朝までわたしを待っていてくれたのよ」と、少しオーバーな調子で話した。
黙って聞いていた修一は、なんだか照れくさい気持ちもしたが、バーマに対してぼくのことをエセルが宣伝をしてくれているようなものだ、と思ってまんざら悪い気もしなかった。
バーマが「サミーも何か話してよ」と言うので、修一は少し考えた後で職場のエールトンホテルでの最近の二つの出来事について話した。どちらも日本人宿泊客にまつわるちょっとした事件についてのことであった。
ひとつは修一が早出勤務についていた二日前の出来事である。
午後二時ぐらいであっただろうか。ケネディ空港からタクシーに乗った一人の日本人男性客がエールトンホテルに着いた。
玄関前に横付けされたタクシーの中で彼は料金を払おうとしたが、あいにく細かいお金がなく百ドル紙幣を渡そうとしたが、運転手に「釣がない」と断られた。
仕方なく、運転手にしばらく待ってくれるように頼み、車を降りてロビー奥のキャッシャーまで両替に行った。すぐ終わると思った両替なのに、カウンターの前には先客が数名いて思いがけず手間どった。それでも十分ぐらいで無事に両替ができたので急いで玄関の前に戻った。
でも降りた場所にさっきのタクシーは止まっていなかった。出入りの激しい玄関口だから、どこか違う場所に移動したのだろう、と思ってその前後を見渡してみた。空港から三十分も乗ってきたので運転手の特徴はよく覚えていた。小太りでそれほど大柄ではなく、髪の毛はほとんど無かった。
肌は浅黒く、それに言葉には独特のなまりがあったので、多分スペイン系かメキシコ系であると思っていた。玄関前に止まっていた七~八台のタクシーを窓越しの覗いていったが、どこにも先ほどの運転手は見つからなかった。
この時の彼はまだ、荷物を持ち逃げされたなどとはつゆほども思っていなかった。
このホテルにはどこか他にタクシーを止める場所があって、そこで待っているのではないか、とそんなふうに思って玄関脇に立っていたドアマンにそのことについて尋ねてみた。「角を曲がった建物の側面に沿った三四丁目にも、もうひとつ入口があり、そこにもタクシーが止まるよ」いうドアマンの返事を聞いて、すぐそこへ足を運んでみた。三台止まっていたそのいずれにも目指す運転手の乗った車は無かった。
ここまできて、やっと彼の脳裏を不安がよぎった。「まさか持ち逃げされたのでわ!」後部トランクに入れた二個のスーツケース、それに座席に残した望遠レンズつきの高級カメラとショルダーバッグ。一瞬それらのものが彼の目に浮かんだ。
ロビーの中央に席のあるアシスタントマネージャーのマッコイ氏のところへ息せき切って彼がやってきたのは、それから間もないことであった。
事情を聞いたマッコイさんは「またか!」と思った。つい三ヶ月ほど前にも日本人女性がまったく同じこの手の災難に遭ったばかりなのだ。
荷物が持ち逃がされたことはもはや疑う余地はなかった。
マッコイさんに呼ばれて修一はその日本人客と対面した。渡された名刺にはN水産常務取締役「楠田秀夫」とあり、名古屋から来た人であった。
「ニューヨークへは海産物の買い付けに来たのだ」と言い、このエールトンにはその日から一週間の宿泊予約がしてあった。修一は一応相談にはのってはあげたが、玄関前とは言え、ホテル外の出来事であり、エールトンホテルとしては何ら責任を負うべき問題ではないので、気の毒には思ったが盗難として届けるための最寄の警察署の所在地を紙に書いてあげ、さらに日本人が巻き込まれたトラブル処置に慣れているパークアベニューにある日本領事館の住所と電話番号を教えてあげた。
彼にとっては上着のポケットに入れてああった帰りの航空券、それに多額のトラベラーズチェックと現金が無事であったのは不幸中の幸いであった。
(つづく)次回 8月6日(水)
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